2025 ジャガイモの収穫

3月末に植えたジャガイモの収穫期です。花が咲き終え茎が倒れ枯れ始めるのが掘りごろサインです。
昨年からマルチを使ったら追肥や土寄せが不要な栽培に替えました。黒マルチシートも昨年のものをそのまま利用しています。

男爵系のキタアカリ、メークインをそれぞれ2㎏の種イモを購入して植えました。昨年との違いは、キタアカリの大きいものの一部に縦に割れ目が入ることです。食べたり保存するには問題ありませんが、体裁が悪いだけのようです。
ネットで調べると「急激な水分吸収や肥料の過多などが原因として考えられる」とあります。芋の成長が早く皮の成長が追い付かないとき、皮の薄いキタアカリに起きるようです。条件が同じにも関わらずメークインにはこの症状は出ません。

手前メークイン奥がキタアカリ & 割れ目が入ったキタアカリ
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マルチ栽培の効用>
①追肥・土寄せが要らない(省力効果)
②地温が高い効果か茎がよく茂る(温熱効果)
③葉を食べ、卵を産み付けるテントウムシダマシが全くいない(防虫効果)
マルチシートが陽を遮って、土寄せしなくとも芋が緑化しない(遮光効果)
⑤芋づる式に持ち上がって収穫が楽である(省力効果)

毎年悩まされるテントウムシダマシがほとんどいない理由は、マルチ使用に起因するのか不明です。これが発生するとジャガイモが終わると他のナス科&ウリ科野菜(ナス・トマト・ピーマン・キュウリ)に移り、葉を食べてレース状にしてしまいます。

 

2025年6月20日 (金)

2025 タマネギ・ニンニクの収穫

どちらも順調に生育し、6月上旬に収穫できました。
天候を見て畑に3日間放置して、しっかり乾かしてから取り入れます。
ニンニクは2種合わせて250球、タマネギは1か月前に収穫した早生の「ソニック」100球、晩生の「もみじ3号」100球、赤タマネギ50球とに分けました。

早生種ソニック & 晩生種もみじ3号
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ニンニク(嘉定)
250621095142859タマネギは例年病原菌によるべと病に悩まされます。今年はしっかり生育し茎が倒れたのを見計らって収穫できました。
JAの農業情報に従って、「プロポーズ水和剤」を水に溶かして、展着剤を加えて2回消毒したのが奏功しました。
収穫後はどちらも風通しの良いところに吊るして保管します。

 

 

 

 

 

2025年6月15日 (日)

第8回 出石永楽館・全国子ども落語大会

毎年出石永楽館で開かれる「全国子ども落語大会」15日の決勝を観賞してきました。今年で8回を数え参加者の範囲も広がっています。
兵庫の6人を始め北海道、神奈川、静岡、奈良、大阪、三重、和歌山、鳥取から総勢31人のエントリーがありました。

子ども落語大会」は北海道、大阪、宮崎でも開かれているそうです。出石大会の特徴はなんと言っても、抜群の雰囲気を備える「芝居小屋永楽館」が会場であるのと、審査員が観客全員であることです。事務局の丹馬さんの言によると、審査員を呼ぶ予算がないこともあるそうです。

14日(土)に2会場に分かれて予選が行われ、翌15日に8人が芝居小屋「永楽館」で決勝戦を戦いました。

31人がエントリー & 決勝進出の8人
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最年少「のりのり亭おにぎり君」 & 2位の 「たけのこ亭さと丸」さん
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優勝は「薫風亭文鳥」君の「親子酒」 & 表彰式
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決勝参加者全員がそれぞれ表彰を受け、副賞として「コウノトリはぐくむお米」を貰いました。
参加者一覧にあるように、上方落語の有名噺で、演目がかぶったりしてますが、それぞれ特徴のある噺に仕上げています。

持ち時間は予選10分、決勝は13分です。長い噺の筋やオチを変えることなく時間内に纏めなければなりません。
最優秀賞「薫風亭文鳥」君の「親子酒」は、酔っ払い親子の滑稽話を上手に演じて大いに笑わせてくれました。彼は第6回でも「道具屋」を演じて最優秀賞を獲得しました。
3位になりましたが最年長の「ヒレカツ亭食」君が「ラーメン屋」で、子どもには難しい人情噺をしっかり演じました。
私が投票した3人がいずれも上位に入っていました。見る目・聞く耳が長けてきた?証拠でしょう。


永楽館を拠点として出石・但馬に落語文化が根付いてきていますが、まだ空席もあります。満員の観客の前で子供たちに磨いた技を披露してもらいたいものです。
サポーター登録(3千円)すると毎年入場券と大会のDVD が送られてきます。小学1年生から中学3年生まで幅広い年代の子どもたちが覇を競うのが面白いところです。

余談ですが、今回から演技中、ストロボを使わない写真撮影が認められました。 いままでは演技の邪魔になるとの配慮だったのでしょう。 ネットやSNS全盛の時代に、情報発信に写真や映像を活用すればもっと盛り上がるはずです。

次は「第4回落語甲子園」が8月24日(日)永楽館で開催されます。

 

 

2025年6月11日 (水)

府市場バス停付近 オオキンケイギクの駆除

神鍋高原での除去作戦の後、改めて伊佐屋の地元である府市場区をよく見てみるとオオキンケイギクが目立つ場所がありました。
府市場区公民館の道路を隔てたバス停付近の歩道と横の空き地に繁殖しています。

駆除前の写真
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駆除したオオキンケイギク
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1時間ほど頑張って小さな株も含めると結構な量になりまし。個人では処理できないので、市役所コウノトリ共生課に電話で相談したところ、引き取りに来てもらえるということでした。

 広報とよおか6月号
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そういえば広報に、オオキンケイギクの駆除の協力を呼びかける記事がありました。
ただ、株ごと抜いたものの残っていたり、小株も取り切れなかったので、来年以降もウオッチしケアする必要があります。

 

 

 

 

  

 

2025年6月10日 (火)

神鍋山 オオキンケイギクの駆除

5~7月にかけて豊岡市内の国道沿いに黄色の花が目立ちます。
たしか1994年(平成6
年)に開催された「たじまの祭典」に緑化植物として植えられたと記憶していますが、いまは空き地や家庭にまで進出しています。2006年(平成18年)に環境省特定外来生物に指定され、繁殖力の強さから既存の植物に悪影響を与えるので防除の必要があるとされています。

神鍋山周辺で「環境省特定外来生物オオキンケイギク」の除去作戦を雨の中行いました。記録では2015年から始めて11年目を迎えます。
梅雨入りし小雨が降る中、神鍋山野草を愛でる会から14人が参加、豊岡市日高地域振興局、西気地区区長会、神鍋観光協会、アドバンス株式会社の方々も加わって総勢30人を超える大部隊でした。人が多いかった分除去したオオキンケイギクは軽トラいっぱいありました。ビニール袋をしっかり縛って、軽トラに載せてこのまま豊岡市の焼却場で処理されます。

また先月の29日には豊岡市コウノトリ共生部の呼びかけで、植村直己冒険館向い道路法面の除去作業もおこなわれたそうです。幹線道路沿いで目立っていたので、気になっていました。

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○なぜ防除しなくてはいけないの?
 オオキンケイギクは、かつて緑化のために積極的に散布されていました。しかし、その繁殖力の強さのため、日本古来の植物の生息域を奪っており、河原に生息する稀少植物などを絶滅させる恐れを持っています。そのため環境省は平成18年2月に特定外来生物に指定しました。

○防除方法について
 オオキンケイギクは、花が枯れた後も根が地中に残り、翌年同じ場所に生えてきます。そのため、防除方法は根ごと抜き取りが必要です。また、防除は種子が実る前に行うと効果的です。抜き取った後ビニール袋に入れしっかり縛って市の燃えるゴミに出して
焼却します。

 

 

 

 

   

2025年6月 9日 (月)

但馬山友会 山の歌声復活

5月24日(土)の例会は岡山と鳥取県境の那岐山登山でした。一日降り続く雨の中、ほぼ全員が山頂まで無事に往復を果たしました。
行き帰りのバスの中で、コロナ禍でお休みしていた山の歌を5年ぶり?歌いました。今年で25年周年となる但馬山友会で、総会や納会、遠征登山には必ず山の歌がありました。65冊の歌集も100曲近い歌データもベテラン会員Yさんが苦労して作成されたものです。

山の頂上を極め、森の息吹を感じ、友と語らい、自然の樹木や花々を愛で、山の歌を楽しむのが但馬山友会スタイルです。さっそく先日の役員会で自前の機器を購入して歌声を復活することが決まりました。

山の歌集 & ICレコーダーとマイクスピーカーセット
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新機器のセットアップは伊佐屋君が担当し、ICレコーダーの歌データは、A:演奏のみ、B:歌入り、C:新しい歌、D:フォークダンス4曲、E:ラジオ体操の5フォルダーに分かれています。山の歌中心に最近のものも加えて約100曲が収録されています。
マイクスピーカーセットは納会や総会、歌声などでに使用します。バッテリー式なので充電さえしておけば、電源は必要なく屋外でも使用できます。ワイヤレスマイクも2本付属しています。機器だけの費用は約2万円で済みました。

今年は白山や北アルプス燕岳の遠征登山が予定されています。
バス車中の歌声では、ICレコーダーとケーブルだけを使用します。車内のマイクジャックを使えばスピーカーが使えます。
那岐山のバス車中でも、この5年間で入会された新メンバーには、歌声は初めての方も見受けられました。
演奏だけと歌入りの二つを用意してるので、歌入りなら初めての方でも歌声リーダーがいなくても間に合います。 

歌声は学生時代に巡り合って、人とのつながり(連帯感)、仲間といる安心感、歌を通じて共感しあうことを教えてくれました。新宿の「歌声喫茶ともしび」に何度か行きました。
カラオケ全盛の時代もありましたが、皆が声をそろえて歌うスタイルも楽しいものです。
25年にわたり但馬山友会が引き継いできた「山の歌声」の伝統が、これからも続くを期待します。


2025年5月30日 (金)

落花生の定植が終わりました

30373一昨年から再開した落花生栽培です。1年目はさんざんな結果で、2年目はまずまずでした。
落花生はカタカナでなく漢字で書くほうがしっくりきます。花が咲いた後に子房柄が下に伸びて地中に潜って実になるからです。
10年以上前に作ったものの、収穫した莢を洗って乾かして、焙烙で煎って食べる手間に降参して止めました。

ところが、収穫した落花生を洗うだけで、湯がいて食べる「塩茹で落花生」を教えてもらってから嵌りました。
ビールのお供に最高!関東では千葉県や神奈川県産が、「茹で落花生」用として生で売られていると聞きます。

その落花生の定植が終わりました。昨年の5割増し2本立ちを24株です。芽出しは種豆を一晩水につけたほうが順調でした。今年の春が寒かったので、苗物の生育が遅かったそうです。来年から5月中旬に苗作りを始めます。
品種は「千葉半立」、香ばしく甘みのある濃厚な味わいで、「煎り」のほか「茹で」も楽しめます。

伊佐屋菜園(A)は河川の堆積土で、土が細かく砂交じりなので栽培に向いています。収穫は秋、ビール好きにはたまらない「塩茹で落花生」が楽しみです。

昨年の苗づくりの様子は 「落花生栽培に再チャレンジⅠ ← クリックしてご覧ください。画面上部左端の(  )で元の記事に戻ります。






2025年5月28日 (水)

ユリノキが満開です

日高町にある「植村直己冒険館」の玄関から奥へと続くユリノキが満開です。

冒険館 & ユリノキ並木
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花(チューリップに似た形)
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葉(半纏:はんてんに似た形)
P5270257葉の形から和名「ハンテンボク」、花の形から洋名「チューリップツリー」と呼ばれます。モクレン科の落葉高木です。

2004年の10月20日、台風23号で由良川が氾濫し、北陸旅行から帰る途中の観光バスが水没して、但馬の乗客ら37人が濁流渦巻くバスの屋根で一夜を明かして助かりました。バスが流されるのを防ぐため流れてきた竹竿とバスのカーテンで作った紐で結んだのが、由良川沿いに植えられた街路樹ユリノキでした。この話は童話「バスの屋根の上で」にもなりました。



  

2025年5月25日 (日)

北但大震災 写真集

北但大震災の記録として大正14年に大阪毎日新聞社が発行した「但馬丹後震災画報」が残っています。知人から見せてもらった記事の一部を紹介します。

表紙
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地蔵湯から見た城崎町市街地 & 豊岡小学校に集まった被災者
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震源地は城崎町近くの「田結地区」で、城崎温泉、豊岡市街地に被害が集中しています。記事には「・・・・死傷者八百余名、倒壊焼失家屋三千七百、豊岡町城崎町は殆ど焦土と化して全滅し・・・ただに地方的災害であるのみならず、関東大震災に次いで日本が受けた第二の大災害であったと云える。」と書かれています。

日高町は震源地から離れていて大きな被害はなく、我が家の土蔵の壁にひびが入ったと当時10歳だった父が話していました。

 

 

2025年5月24日 (土)

北但大震災 ボランティアの先駆け

今年5月23日で北但大地震100年を迎えました。100前にボランティア活動が行われています。
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1995の阪神淡路大震災で、住民同士の絆の大切さと今までにない形のボランティア活動が注目され、この年を「ボランティア元年」と呼ぶようになりました。

その先駆けともいえるボランティア活動が当地の記録に残っています。
96年前の1925年(大正14年)5月23日に豊岡や城崎など北但一帯を襲った地震は、多くの家屋が倒壊・焼失し、多数の負傷者や死者が出ました。

旧制豊岡中学校(現豊岡高校)には、但馬各地から一年生から五年生まで、567人が在校していました。
地震直後から寄宿舎生約80名と鉄道不通のため帰宅出来なかった遠距離通学生たちが中心となって倒壊家屋の下敷きになった死傷者の救出や消火、家財の搬出など、通学生も併せてた190人が活躍し、知事から感謝状が贈られたことが資料に残っています。

北但大震災で救命・消火の最前線で活躍した生徒が、その後作文を残しています。

・学校運動場が炊き出し場所になったり、被災者案内が 掲示されたり、阪神大震災と様子が似ています。
・円山川改修工事に来ていた朝鮮人労働者による救援活動に感動し、高く評価しています。
 
(3年前の関東大震災で、「朝鮮人が火をつけた」「暴動をおこした」などの流言が飛び、罪もない人達が、民間の自警団に殺されたことから考えると、地方では人間同士の助け合う心が発揮されています)

鳥取高等農学校(現鳥取大学農学部)の学生たちが、寮生大会で支援を決議し、身近にある農具を持って、鉄道が不通区間は徒歩で支援に駆けつけました。 これは学校に無断で行動したことですが、学校側も不問に付しました。

平成16年10月台風23号により、豊岡市は大水害を蒙りましたが、このときも多くの方々の支援を頂きました。
災害自体は不幸なことですが、人がお互いを思い合うこと、そして助け合うことの大切さを教えてくれますね。

 

 

 

 

 

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