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2015年6月23日 (火)

沖縄戦「終結」の日に思う

1945年の6月23日、沖縄戦で組織的な戦闘が「終結」したとされる「慰霊の日」です。
80日にもおよぶ地上戦で、住民の4人に1人およそ20万人もの犠牲者を出しました。
南方各地の占領地を失った日本に、アメリカ軍が沖縄に上陸し地上戦が行われました。
沖縄に配置された第32軍は、本土侵攻を遅らせるため住民を強制的に徴用し、多くの犠牲者を出しました。

すでに長年の徴兵で残されたのは中高年・女性・子供など非戦闘員でした。
沖縄県民にとって、日本軍は守ってもらえるどこるか攻めてくる敵に対して全面協力を強制され、投降は許されませんでした。
本土も東京を始めとする大空襲や広島長崎への原爆投下で大きな被害を出しましたが、沖縄戦で住民が追い込まれたむごい「時間稼ぎ」の使命と悲惨な被害を知るにつけ、それを命じ実行させた罪の大きさは決して許されるものではありません。

その後アメリカの統治下に置かれ、「施政返還」後も基地に囲まれて生きる沖縄は過酷な状況に置かれます。


今審議中の安倍内閣が進める「安全保障関連法案」、一括という出し方も中味もすべて異常としか考えられません。
集団的自衛権の行使とは、他国への攻撃に対し、自国が直接攻撃されていなくとも実力を行使するものです。
もちろん憲法9条第2項によって他国を攻撃する交戦権は認められていません。
また集団自衛権の行使とは、ある意味で軍事同盟の要素を持ち、戦争に巻き込まれることを現実のものとします。
法案が通過し米軍への「支援」の状況が生まれれば、真っ先に狙われるのは米軍基地が集中する沖縄です。
昨年の沖縄知事選・地方選挙・衆議院選で党派を超えた「オール沖縄」が勝利したのは、平和と安全を願う県民自らが意思と行動を示したものでした。


<昭和20年6月6日、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将の海軍次官あて電報>

(電文は文語のため口語訳を引用)

「沖縄県民かく戦えり!」

「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを!」

沖縄県民の実情に関して、報告は本来県知事より報告すべき事だが、県には既に通信力はなく、第三十二軍指令部(牛島中将の最高司令部)も通信余力がない。
県知事の依頼を受けたわけではないが、沖縄の現状を見過ごすに忍びないので、私大田司令官が知事に代わってご緊急に報告する。

敵が沖縄に攻撃開始以来、陸海軍とも防衛戦闘に精一杯で、県民を顧みる余裕は殆どなかった。
しかし、私の知る限り県民は青壮年の全てを防衛召集に捧げた。
残りの老幼婦女子は、相次ぐ砲爆撃で家屋と全財産を焼き出され、軍の作戦の邪魔にならない小防空壕に避難、しかも爆撃、風雨に晒される窮乏生活にあまんじた。
しかも若い婦人は率先して軍に協力し、看護婦、炊事婦はもとより、砲弾運び、斬り込み隊をを申し出る者すらあった。

所詮、敵が来たら老人子供は殺され、婦女子は拉致され毒牙にかかってしまうと、親子生き別れになり娘を軍営門に捨てる親もいる。
看護婦に至っては、軍移動に際し、衛生兵は既に出発した後なのに、身寄りのない重傷者を助けて、その行動は真面目で一時の感情で動いているとは思われない。更に軍の作戦大転換があり遠隔の住民地区が指定されると、輸送力がないのにもかかわらず、夜間、雨の中を自給自足しながら移動するものもいた。

要するに、陸海軍が沖縄に進駐して以来、県民は終始一貫して物資節約を強要され、ご奉公の心を抱き、遂に勝利する事無く、戦闘末期には沖縄島は形状が変わるほど砲撃され草木の一本に至るまで焦土と化した。
食料は六月一杯を支えるだけしかないという。

沖縄県民はこのように戦った。

沖縄県民に対して後世になっても特別の配慮をお願いする。


沖縄では正午前から安倍首相やケネディ駐日大使も出席して追悼式が行われます。
玉砕前に沖縄県民に対して『沖縄県民斯ク戦ヘリ』の電文で
「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を願った海軍陸戦隊司令官大田実少将その後の政治はこの言葉に応えているとはとうてい思えません。

 

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コメント

昨日はテレビで相当取り上げてましたね。
各局でいろんな思惑もあり、それなりでした。

本当に理不尽な話です。沖縄地上戦の前に、特攻というような残酷な手段を実行する前に、もっと言うならミッドウェー以降の制海権も制空権も失った時点で降伏し、大切な生命を無駄死にさせないために死力を尽くすべきでした。陸海軍の死者は240万人、このうちの何と7割、160万人は餓死です。民間人の死者は70万人です。太平洋戦争の後半は如何に無謀で悲惨なな戦いであったか、数字を見ただけで心が痛みます。米軍の死者は9万人、ヨーロッパアフリカ戦線での米軍の死者は20万人です。因みに南北戦争の死者は18万人です。日米安保の地位協定が、イタリア、ドイツに対するそれと比較し、いかに屈辱的なものであったか、TVで初めてしりました。いままで、メディアは何をしていたのでしょうか?沖縄は未だ戦後が続いていること、悲しくなりました。そもそも、米軍基地がこんなに必要なのか、良く考えてほしい。普天間の代わりではなく、普天間そのものが不要という発想はありませんか?

公ちゃん

国府地区を散歩して、戦死者のお墓を確認して二つのことに気がつきます。
①ほぼ全員が中国や南方諸島、○○沖など他国で亡くなっています。侵略戦争である所以です
②昭和18年から20年になくなった方が多い。もっと早く戦争終結を決断していたら・・・
多くの戦死者はもちろんですが、空襲・原爆の被害もなくせました。

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