安保関連法案反対兵庫パレード
憲法学者だけでなく国民の多数が違憲と断じ、国会審議でも問題だらけにもかかわらず参院通過を狙っている安倍政権に対し、29日・30日の土日に全国的行動が予定されています。
※どなたでも自由に参加できます。
党派や組織色がほとんどみられないのが、運動の広がりを感じさせます。
残る会期は約1ヶ月、与党が多数を占めていて原案どおりの採決を狙っていますが、しっかり声を上げて、廃案に追い込んでいく運動が求められます。
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憲法学者だけでなく国民の多数が違憲と断じ、国会審議でも問題だらけにもかかわらず参院通過を狙っている安倍政権に対し、29日・30日の土日に全国的行動が予定されています。
全原発がとまり節電が叫ばれた頃からグリーンカーテンがあちこちで見られるようになりました。
残暑厳しい8月でも例会は行われます。
養父市の天滝は「日本の滝100選」に選ばれている名瀑で、さらに登ると720mから850mの杉ヶ沢高原が拓けています。
コース設定は初級、案内ハガキには「スパッツ・ヤマビル忌避剤も忘れずに!」とあります。
前日の予報は曇り雨、当日曇りと変わりましたが、早朝の雨もあって参加者は少なめの35名が大屋町筏(いかだ)の「レストハウス天滝」に集合しました。
府市場区と我が家に若い冒険家が訪れました。
昨夜10時頃、隣の観音堂に電気がついていて、ツーリング自転車が駐めてあったので、
確認したところ、日本縦断中の東京の大学4年石川健太郎君が宿泊の準備をしていました。
夏休みを利用したツーリングは若者の特権でもあり、不審な様子も全くないし要るものもないというのでそのままにしておきました。
翌朝、我が家に呼んでシャワーや朝ご飯を提供するといろいろ話してくれました。
宿泊場所の観音堂 食事後のくつろぎ
昨夜遅く府市場駐在さんと区長が訪ねてきて事情を聞かれたり、蚊に悩まされたこと。
出発地鹿児島を出て熊本や阿蘇・大分を回り、フェリーで山口県に渡り日本海沿いを東へ島根・鳥取を経由して、植村直己冒険館に立ち寄り当地に宿を決めたこと。
これから舞鶴に出て、福井・石川・富山の北陸を旅し、新潟・山形・秋田・青森を経て北海道まで日本列島縦断の旅のこと。
過去にはオーストラリアの南部アデレードから北部ダーウィンまで大陸縦断したことも。
所帯?道具一式 いざ舞鶴へ!
フレンドリーで礼儀正しいのは自分の力で長旅を続けるにはもってこいの資質です。
学生生活もあと半年余り、進路は未定だそうですが、旅で見聞きし感じたことはきっと人生の大きな力となるでしょう。
石川君の日本縦断旅の成功を祈ります。
二度の海水浴、お墓参り、BBQ、花火、フィールドアスレチックスetc。
伊佐屋夏物語の最終日は学校や塾の宿題を済ませ、玄武洞公園入口にある玄武洞ミュージアムにでかけました。
ミュージアムで玄武岩や岩石のお勉強と夏休みの課題研究として伝統工芸品「豊岡杞柳細工」の製作を体験しました。
お盆はそれぞれのルーツに思いをいたし感謝する大事な行事で、祖先をお迎えし盆明けにお送りましす。
我が家のお墓は江戸中期から明治・大正・戦死も含めて昭和が多く、平成8年に建てた先祖代々墓を合わせると28基が並んでいます。
享保13年(1728年)の法名「釈教雲」さんは「三木孫次郎」と刻んであることからこの頃には三木を名乗っていたのでしょう。
(浄土真宗では代表墓石に「○○家の墓」「○○家先祖代々墓」とはせずに、南無阿弥陀仏の名号を刻みます)
お墓とお仏壇のお参りを済ませ、裏の多目的広場でバーベキューが恒例行事です。
今ではどこの家でも見られる風景ですが、私がUターンした30年前から続けている伝統行事です。
兄弟や子・孫の芸も披露され、亡き父や母の民謡や昔話で盛り上がりました。
2015墓参り記念写真 BBQで盛り上がる
明日8月6日は70年前、広島に原爆が投下された日です。
一発の原子爆弾爆により焦土と化した広島では、一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。
当日は広島市主催の平和記念式典や原水爆禁止日本評議会などの平和団体による諸行事も行われます。
被爆70年を迎えプロ野球界でも地元球団広島カープが「ピースナイター 」として、監督・コーチ・全選手が「86」のユニフォームを着用し試合を行います。
<広島カープ公式ホームページ ニュース >からの引用です。
今年広島は未曽有の惨事から70年を迎えます。
原爆で壊滅した街の復興を旗印に産声を上げたカープ球団。
地域の力添えによりさまざまな困難を乗り越え、被爆地の復興とともに歩んできました。
球団の歴史は広島の復興の歴史でもあります。 試合開催にあたり、慰霊の意を表すとともに「8月6日」に対する多くの方々の想いや記憶の歴史を継承し、次世代に引き継ぐきっかけになる事を願っております。
広島では5年前衝撃的な調査結果が出ました。
広島市の小中学校に、広島への原爆投下日時をたずねたところ、正解率は小学校で33%、中学校で55.7%までに低下していると言う事実です。
被爆の惨状を継承するうえで最も基本的な知識が被爆地、広島市の小中学生ですら欠如しており全国となるとどのような結果となるのでしょうか。
被爆70年の8月6日に広島で開催される試合で、私たちが継承して行かなければならない70年前の記憶、8月6日という特別な日を、グランドに立つ選手の背番号「86」を通じて全国に伝えたいと思います。
また、ユニフォームの片袖には今年度までに慰霊碑に奉納された原爆死没者数を刻印しております。
犠牲者の冥福をお祈りいたします。
過去に米国でも放映された話題のドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」の冒頭シーン、東京の繁華街で日本の若者たちに「1945年8月6日に何が起こったか?」との問いかけに、「わからない」「知らない」「歴史は苦手だから」と答える場面がありました。
そして皆が同じ背番号でプレーするので有名なのは大リーグ「ジャッキーロビンソンズデー」です。
こちらは最初は希望者だけがつけていた「42」が全球団に広がり、使用したユニフォームはオークションにかけて基金に充当されます。
今後も8月6日にゲームがあるとは限りませんが、この催しは全球団に広がって欲しいものです。
「不幸で悲惨な歴史を忘れないで未来に生かす」ために・・・・。
閉鎖されていた豊岡劇場が改装を終え復活して約半年、大岡昇平原作の「野火」の特別上映会に嫁さんと二人で参加してきました。
大岡昇平の原作は「レイテ戦記」とともに読んだことはありましたが、迫力ある映像を通じてのリアル感と戦争の恐ろしさをあらためて感じさせられました。
太平洋戦争末期、フィリピン・レイテ島が舞台で、日本軍の敗戦が色濃くなった時期、主人公田村は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否されます。
ジャングルの中をさまよい病や飢え・死の恐怖で極限状態に追い込まれた人間の姿を描いています。
映画「野火」オフィシャルサイト → http://nobi-movie.com/
塚本監督の言葉 → 「nobi-message.pdf」をダウンロード
最初の挨拶で塚本晋也監督が「野火の映画化を考えたのが20年前、時代が戦争に向かっている今、作らなければと考えた」と仰っていました。
まさに同感です。
映画の内容から配給会社経由は難しいと考え、自主上映にして監督自身が全国の映画館を回っているそうです。
「野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……」
映画を通じてあらためて戦争の恐ろしさと人間の業の深さを考えさせられます。
豊岡柳まつりの花火が予定される2日の夕方、比較的高い年齢層を中心に70人の観客でしたが、決して忘れることができない映画の一つとなりました.。
映画「野火」は豊岡劇場にて8月15日から9月4日まで一般上映されます。
360度の絶景と最盛期の高山植物を楽しむすばらしい山旅でしたが、課題も残したように思われます。
一日目の前半の登りで体調を崩したメンバーも出てどうなることかと心配されましたが、救護担当や同僚の湿布やマッサージなどの手厚い介護で徐々に元気を取り戻しました。
荷物やザックは残りのメンバーがそれぞれ分けて担いました。
鳳凰小屋には約1時間遅れで4班全員揃って到着し、先着のリーダーを始め皆さんから労いの拍手で出迎えていただいたことは印象的でした。
ご本人も体調不良など体のトラブルを抱えながらもよく頑張りました。
下山までずっとサポートされたお二人には頭が下がりました。
二日目の膝や腰への負担が大きい長い下りにもお互い気を使いながら、全員無事に降りることができました。
訓練不足がたたったのか私も薬師からの下りで古傷の膝が痛みだして、ペースダウンを余儀なくされ迷惑をおかけしました。
気の合った仲間が支え合うことで頑張れるグループ登山のすばらしさですね。
私も参加していた検討委員会で、途中の南御室小屋で一泊し翌日下山も考慮されました。
会も全体が高齢化して、登山スタイルを見直す時期かも知れません。
最後に2日間の山旅における苦労を忘れさせてくれる観音岳からの絶景をお送りします。
岩場で足元が悪かったり逆光と腕の悪さで、動画の出来がイマイチとなったことをお詫びします。
画像と一緒に音が流れます。 (1分26秒)