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2015年8月29日 (土)

安保関連法案反対兵庫パレード

憲法学者だけでなく国民の多数が違憲と断じ、国会審議でも問題だらけにもかかわらず参院通過を狙っている安倍政権に対し、29日・30日の土日に全国的行動が予定されています。
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この両日に予定されている行動は370ヶ所を超え、兵庫県では弁護士連合会主催で神戸・尼崎・姫路・豊岡の4ヶ所で「安保法制関連法案」&「特定秘密保護法」反対のパレードが企画されました。
案内チラシには・・・こう書いてあります。
※どなたでも自由に参加できます。
※自由な服装でお越しください。
※パレードの趣旨に合致する幟・横断幕、ボード等の持ち込みは自由です。ただ、パレードの趣旨を逸脱する政治的主張や政党名の表示はご遠慮ください。
         アイティ前広場にあふれる参加者
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豊岡市役所前の行進          スローガン
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大型商業施設アイティ前の広場は時間前から続々人が詰めかけ、司会をして行進の先頭に立っているのは我が村出身の若手S弁護士、山仲間の顔もあちこちにみられました。
党派や組織色がほとんどみられないのが、運動の広がりを感じさせます。
さすがに300人を超え400人近いと先頭が豊岡市役所を通過しても、後列は会場近くにいるほどの近年ない長い行進で、反戦・護憲の意識が高い中高年だけでなく、子供の手を引いた母親や若い層の参加もみられました。
過去何回かこの法案の危険性や問題点・違憲性を記事にしてきた身として、全国ポスター「アベ政治を許さない」を掲げて廃案を求める声を上げてきました。
残る会期は約1ヶ月、与党が多数を占めていて原案どおりの採決を狙っていますが、しっかり声を上げて、廃案に追い込んでいく運動が求められます。
 

2015年8月25日 (火)

わが家のグリーンカーテン

全原発がとまり節電が叫ばれた頃からグリーンカーテンがあちこちで見られるようになりました。

わが家も昔はよしずを使用し、近年はアサガオ・フーセンカズラ・ツルムラサキを試してみましたが、今年から定番のゴーヤに替えました。
昨年畑に植えたもののあだ生えの苗3本を地植えしてみました。
南側はゴーヤ          見事な実がつきました
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東側は朝顔           二階の窓からおはよう 
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他に遮光ネットを併用していますが、植物の葉で覆うグリーンカーテンは見た目にも涼しく感じられます。
おまけに「節電のご褒美ゴーヤチャンプルー(新聞投稿句より)」が楽しめます。 
東日本大震災の津波による原発事故で、故郷に帰られない住民が多数存在し、安全性にも疑問があり、使用済み核燃料処理の道筋もついていない今、川内原発の再稼働が始まりました。
この2年間原発がなくとも節電や融通でやってきたのに、電力業者や経済界が求める「経済性」「安定性」重視に逆戻りです。

のど元過ぎれば熱さを忘れる」ことの意味をあらためて考えたいものです。
 
 

2015年8月22日 (土)

2015 但馬山友会 天滝・杉ヶ沢高原

残暑厳しい8月でも例会は行われます。
養父市の天滝は「日本の滝100選」に選ばれている名瀑で、さらに登ると720mから850mの杉ヶ沢高原が拓けています。
コース設定は初級、案内ハガキには「スパッツ・ヤマビル忌避剤も忘れずに!」とあります。
前日の予報は曇り雨、当日曇りと変わりましたが、早朝の雨もあって参加者は少なめの35名が大屋町筏(いかだ)の「レストハウス天滝」に集合しました。

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三社権現が祀られている天滝までは沢沿いの山道を約1時間登ると到着します。
大雨や台風などで崩れる度に整備がなされ危険箇所はなく、蒸し暑い日でしたが沢からの涼風に癒されます。
案内マップ(クリックで拡大します)
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滝から流れる沢沿いの道を登る
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クサアジサイ                イワタバコ
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落差98mの天滝
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つづら折れの道             俵石玄武岩柱状節理)
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滝の横の道からつづら折れの道をさらに登ると、俵(たわら)石を巡り30分ほどで高原ログハウスに到着して、早めの昼食をとります。
杉ヶ沢高原は中央に湧水地があり、ミズゴケやモウセンゴケなど湿地植物がありましたが、高原開発が進みほとんど見られなくなったそうです。
高原の関宮町轟(とどろき)側では農地開発がなされ、冷涼な高原と肥沃な土地を生かして夏ダイコンが栽培されています。
開拓が始まったのが昭和42年、失ったものと得たもの、自然と開発の歴史を考えさせられます。

あいにくの曇天で、氷ノ山や藤無山・須留ヶ峰の山々は見通せませんでした。
グハウス前で昼食          僅かに残った湿原
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広がるダイコン畑            796.1m の三角点
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草原歩き                 下りながら見る天滝
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お土産は名物よもぎ おやき
P8220082_2予報どおりの曇りでしたが、時々日が差したり、小雨にあったりしながら、途中マムシのお出迎えやヤマビル被害も出ましたが、5時間のゆっくり歩きでした。
さすが名瀑とあって午後からは訪れる人が多く、ALT(外国語指導助手)さんのグループや「5」や「3」でなく、米軍関係者の使用車であることを示す「Y」ナンバーの車もあり国際色豊かで賑やかな一日でした。
次回は9月6日(日)に粟鹿山962m(健脚)が予定されています。
 

2015年8月19日 (水)

冒険チャレンジャーの来訪

府市場区と我が家に若い冒険家が訪れました。
昨夜10時頃、隣の観音堂に電気がついていて、ツーリング自転車が駐めてあったので、
確認したところ、日本縦断中の東京の大学4年石川健太郎君が宿泊の準備をしていました。
夏休みを利用したツーリングは若者の特権でもあり、不審な様子も全くないし要るものもないというのでそのままにしておきました。

翌朝、我が家に呼んでシャワーや朝ご飯を提供するといろいろ話してくれました。

宿泊場所の観音堂           食事後のくつろぎ

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昨夜遅く府市場駐在さんと区長が訪ねてきて事情を聞かれたり、蚊に悩まされたこと。
出発地鹿児島を出て熊本や阿蘇・大分を回り、フェリーで山口県に渡り日本海沿いを東へ島根・鳥取を経由して、植村直己冒険館に立ち寄り当地に宿を決めたこと。
これから舞鶴に出て、福井・石川・富山の北陸を旅し、新潟・山形・秋田・青森を経て北海道まで日本列島縦断の旅のこと。
過去にはオーストラリアの南部アデレードから北部ダーウィンまで大陸縦断したことも。

所帯?道具一式          いざ舞鶴へ!
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フレンドリーで礼儀正しいのは自分の力で長旅を続けるにはもってこいの資質です。
学生生活もあと半年余り、進路は未定だそうですが、旅で見聞きし感じたことはきっと人生の大きな力となるでしょう。
石川君の日本縦断旅の成功を祈ります。
 

 

2015年8月17日 (月)

2015 伊佐屋夏物語 Ⅲ

二度の海水浴、お墓参り、BBQ、花火、フィールドアスレチックスetc。
伊佐屋夏物語の最終日は学校や塾の宿題を済ませ、玄武洞公園入口にある玄武洞ミュージアムにでかけました。
ミュージアムで玄武岩や岩石のお勉強と夏休みの課題研究として伝統工芸品「豊岡杞柳細工」の製作を体験しました。

左利きの孫2に講師も困惑気味  バスケットが完成
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私が子供の頃は柳行李(やなぎこうり)を編む家があちこちで見られました。
道具を使って割って乾かした柳を器用に編み上げるお年寄りの作業風景を見るのが
楽しみでした。
冬に田んぼで育てたコリ柳を春に皮をむく仕事は子供達も参加しました。
田んぼの畦にずらりとY字形の道具を並べて、柳を挟んで力一杯引くと皮がむけました。
多分PTAの資金稼ぎだったのでしょう。
 
時代の流れで杞柳細工は工業ミシンを使ったビニール鞄の製造に代わりましたが、内職(分業システム)は豊岡鞄の製造に引き継がれました。
 
20150817_18433418日にはそれぞれのお家に帰るので、夜は回転寿司でお別れの夕食。
大人4人、子供3人で50皿+サイドメニュー+デザート+飲物、思い出話が弾んでよく食べました。
楽しかったお盆休みも終わり、心も体も財布までも軽くなりました。
( 伊佐屋夏物語 おしまい )
 
 
 

2015年8月15日 (土)

2015 伊佐屋夏物語 Ⅱ

お盆はそれぞれのルーツに思いをいたし感謝する大事な行事で、祖先をお迎えし盆明けにお送りましす。

我が家のお墓は江戸中期から明治・大正・戦死も含めて昭和が多く、平成8年に建てた先祖代々墓を合わせると28基が並んでいます。
享保13年(1728年)の法名「釈教雲」さんは「三木孫次郎」と刻んであることからこの頃には三木を名乗っていたのでしょう。
(浄土真宗では代表墓石に「○○家の墓」「○○家先祖代々墓」とはせずに、南無阿弥陀仏の名号を刻みます)

三木家墓地正面                         奧には江戸期
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お墓とお仏壇のお参りを済ませ、裏の多目的広場でバーベキューが恒例行事です。
今ではどこの家でも見られる風景ですが、私がUターンした30年前から続けている伝統行事です。
兄弟や子・孫の芸も披露され、亡き父や母の民謡や昔話で盛り上がりました。   
2015墓参り記念写真       BBQで盛り上がる
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伊佐屋のルーツは1595年播州龍野から但馬国府手辺に土着したとされます。
本家を継ぐことは田地田畑家屋敷のほか墳墓地と「伊佐屋の三種の神器 (^_^;) 」を受け継ぐことになります。
天皇家とは違い民主的な我が家は男系相続制度はとらず、姓にもこだわらないので、娘のどちらかが継いでくれるのを待ちましょう (^Q^) 
 
 
   

2015年8月14日 (金)

2015 伊佐屋夏物語 Ⅰ

娘家族がお盆に帰ってきて賑やかになりました。
長女次女とも都市部に住んでいて、孫達は海や山がきれいな伊佐屋の地で遊ぶのが大好きです。

楽しかった海水浴
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裏庭で花火                蝉の脱皮を観察
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2015年8月11日 (火)

神鍋山野草を愛でる会 8月例会

連日の厳しい暑さの中で渓谷沿いに咲く草花を愛でてきました。

神鍋渓谷
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イワタバコ
 
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ソバナ
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県下第2の大カツラ
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ナツエビネ
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ヒオウギ
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カラスウリ 

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ツリガネニンジン
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山からの冷たい水が流れる渓谷は涼しく、滝の近くではソバナやイワタバコが満開でした。

次回は8月25日(火)、今度は万場渓谷での観察を予定しています。

 

 

 

 

2015年8月 8日 (土)

暑い!!

7月31日に35度を記録してから7日まで8日間連続して猛暑日、雷が遠くでなるも雨はなく日照りが続きます。
P8040335我が家は裏が用水路に囲まれ国府平野が広がっているのと表には庭木が繁っているので、他家より涼しいはずですが、このとおりハルはバテています。
一番風通しがよいところで、石のプレートの上に寝転がってただ耐えています。
10.5歳といえば中高年、飼い主とほぼ同じ年齢になりました。
朝と夕方の散歩を楽しみにして、食欲もさほど落ちていないので見かけほどバテてないようです。

 

2015年8月 5日 (水)

ピースナイター

明日8月6日は70年前、広島に原爆が投下された日です。
一発の原子爆弾爆により焦土と化した広島では、一日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。
当日は広島市主催の平和記念式典や原水爆禁止日本評議会などの平和団体による諸行事も行われます。

被爆70年を迎えプロ野球界でも地元球団広島カープが「ピースナイター 」として、監督・コーチ・全選手が「86」のユニフォームを着用し試合を行います。

<広島カープ公式ホームページ ニュース >からの引用です。

今年広島は未曽有の惨事から70年を迎えます。
原爆で壊滅した街の復興を旗印に産声を上げたカープ球団。
地域の力添えによりさまざまな困難を乗り越え、被爆地の復興とともに歩んできました。
球団の歴史は広島の復興の歴史でもあります。 試合開催にあたり、慰霊の意を表すとともに「8月6日」に対する多くの方々の想いや記憶の歴史を継承し、次世代に引き継ぐきっかけになる事を願っております。
 

広島では5年前衝撃的な調査結果が出ました。
広島市の小中学校に、広島への原爆投下日時をたずねたところ、正解率は小学校で33%、中学校で55.7%までに低下していると言う事実です。
被爆の惨状を継承するうえで最も基本的な知識が被爆地、広島市の小中学生ですら欠如しており全国となるとどのような結果となるのでしょうか。
被爆70年の8月6日に広島で開催される試合で、私たちが継承して行かなければならない70年前の記憶、8月6日という特別な日を、グランドに立つ選手の背番号「86」を通じて全国に伝えたいと思います。
また、ユニフォームの片袖には今年度までに慰霊碑に奉納された原爆死没者数を刻印しております。
犠牲者の冥福をお祈りいたします。

                       

過去に米国でも放映された話題のドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」の冒頭シーン、東京の繁華街で日本の若者たちに「1945年8月6日に何が起こったか?」との問いかけに、「わからない」「知らない」「歴史は苦手だから」と答える場面がありました。

そして皆が同じ背番号でプレーするので有名なのは大リーグ「ジャッキーロビンソンズデー」です。
こちらは最初は希望者だけがつけていた「42」が全球団に広がり、使用したユニフォームはオークションにかけて基金に充当されます。
今後も8月6日にゲームがあるとは限りませんが、この催しは全球団に広がって欲しいものです。
「不幸で悲惨な歴史を忘れないで未来に生かす」ために・・・・。
 

 

2015年8月 3日 (月)

映画「野火」特別上映会

閉鎖されていた豊岡劇場が改装を終え復活して約半年、大岡昇平原作の「野火」の特別上映会に嫁さんと二人で参加してきました。

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大岡昇平の原作は「レイテ戦記」とともに読んだことはありましたが、迫力ある映像を通じてのリアル感と戦争の恐ろしさをあらためて感じさせられました。

太平洋戦争末期、フィリピン・レイテ島が舞台で、日本軍の敗戦が色濃くなった時期、主人公田村は肺病のために部隊を追われ、野戦病院からは食糧不足のために入院を拒否されます。
ジャングルの中をさまよい病や飢え・死の恐怖で極限状態に追い込まれた人間の姿を描いています。

映画「野火」オフィシャルサイト → http://nobi-movie.com/
塚本監督の言葉          → 「nobi-message.pdf」をダウンロード

最初の挨拶で塚本晋也監督が「野火の映画化を考えたのが20年前、時代が戦争に向かっている今、作らなければと考えた」と仰っていました。
まさに同感です。
映画の内容から配給会社経由は難しいと考え、自主上映にして監督自身が全国の映画館を回っているそうです。

「野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける……」
映画を通じてあらためて戦争の恐ろしさと人間の業の深さを考えさせられます。
豊岡柳まつりの花火が予定される2日の夕方、比較的高い年齢層を中心に70人の観客でしたが、決して忘れることができない映画の一つとなりました.。

映画「野火」は豊岡劇場にて8月15日から9月4日まで一般上映されます。

 

2015年8月 1日 (土)

但馬山友会 鳳凰三山縦走 Ⅳ

360度の絶景と最盛期の高山植物を楽しむすばらしい山旅でしたが、課題も残したように思われます。

一日目の前半の登りで体調を崩したメンバーも出てどうなることかと心配されましたが、救護担当や同僚の湿布やマッサージなどの手厚い介護で徐々に元気を取り戻しました。
荷物やザックは残りのメンバーがそれぞれ分けて担いました。
鳳凰小屋には約1時間遅れで4班全員揃って到着し、先着のリーダーを始め皆さんから労いの拍手で出迎えていただいたことは印象的でした。
ご本人も体調不良など体のトラブルを抱えながらもよく頑張りました。
下山までずっとサポートされたお二人には頭が下がりました。

二日目の膝や腰への負担が大きい長い下りにもお互い気を使いながら、全員無事に降りることができました。
訓練不足がたたったのか私も薬師からの下りで古傷の膝が痛みだして、ペースダウンを余儀なくされ迷惑をおかけしました。
気の合った仲間が支え合うことで頑張れるグループ登山のすばらしさですね。

私も参加していた検討委員会で、途中の南御室小屋で一泊し翌日下山も考慮されました。
会も全体が高齢化して、登山スタイルを見直す時期かも知れません。 

最後に2日間の山旅における苦労を忘れさせてくれる観音岳からの絶景をお送りします。
岩場で足元が悪かったり逆光と腕の悪さで、動画の出来がイマイチとなったことをお詫びします。

 画像と一緒に音が流れます。  (1分26秒)  

 

 

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