伊佐屋菓子店のお菓子 Ⅰ
東京都に住む父の妹である叔母さんが91歳で亡くなりました。
菓子店を営んでいた祖父秀蔵の子供9人の末っ子で、昭和24年に嫁に行くまでの10年間、兄二人の戦死と結核によって病死したもう一人の兄、そして自分の母と父の5人を自宅で見送った苦労人でした。
昭和20年に店を閉めた伊佐屋菓子店を知る生き証人で、2000年に当時の話を聞く機会がありました。
当時甥が纏めてくれたものが出てきたので、2回に分けて記録しておきます。
伊佐屋菓子店(虫籠窓にうだつ) 軒下にぶら下がっていた看板
《《《 伊佐屋の売れ筋・三大商品 》》》
◎松露糖(ショウロトウ)
〈作り方〉
1.こした小豆の餡に少し水飴をよく練る。
2.小さく切ったものを、手で丸める。
3.乾かしたものに、砂糖・ハッカを混ぜて液状にした物をつける。
4.ホイロ(焙炉)で下から炭をたいて、乾かして出来上がり。
ホイロとは、簀(スノコ)でできた木枠の棚のこと。
ちょっとデベソのような形の、この菓子が大変よく売れたとか。
◎羊羹(ヨウカン)
〈作り方〉
1.寒天をよく溶かす。
2.ビルマから取り寄せた豆(白色でささげまめに似ている)を
食紅で色をつけよく煮る。(その他材料は不明)
3.【ここがポイント】混ぜ合わせた材料をよく火を通しよく練る。
すくってみて、材料が垂れるようになったら火を止める。
4.おおよそ、横26cm×縦75cm×高さ3.5cmのブリキ製の
流し箱をあらかじめ菜種油に馴染ませておき、材料を入れる。
5.できあがった羊羹は、その都度切って計り売りにし、
モウソウ竹の皮で包む。
このモウソウ竹の皮は砂糖と物物交換によって入手し、
いつもは三つ折りで乾かしてあるが、使うときに濡らして
広げて使う。
包み方は、1枚の竹の皮に羊羹を載せる。
初めに長い方の両端を折り返し、次に残った弧の部分を
内側に織り込む。
そして竹の皮でできた紐でぐるっと結び、紐の間に商標を
表面と裏面に入れる。
表面は「練り羊羹」と書かれていたものと思われる。
裏面は「但馬の国 府中 三木精栄堂」と書かれていた。
よく火を通してあるので、カビが来なかったとか。
遠くブラジルやアメリカへ移民していった人達への贈り物として、
届けられたりもした。
飴が1銭で買えるのに対し、羊羹は50銭もする高級品だったが、
秀蔵曾爺さんは時々子供たちに食べさせることを許したとか。
そんな時秀子おばさんは、わざと斜めに包丁を入れ「真っ直ぐに
する為に」ともう一度包丁を入れて、より大きく羊羹をもらうのが
いつもの作戦だった。
もちろん、秀蔵さんはそれがわざとである事は知っていたが、
目をつぶっていたそうだ。
ちなみに秀子おばさん曰く、東京で有名な「とらや」の羊羹が
よく似ていて、とらやの羊羹より美味しかったそうだ。
◎巻き煎餅
〈作り方〉
1、生地を焼く。
2、生地に泡が出てきたら飴を載せる。
3、手早くクルッ巻いて、生地で飴を包み込んだらできあがり。
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