我が家の報恩講
我が家の宗旨は「浄土真宗本願寺派」、いわゆる門徒と呼び、本山は西本願寺、寺は出石町福成寺に所属しています。
報恩講(ほうおんこう)は、開祖・親鸞聖人の命日11月28日を中心にして、聖人の徳をたたえ、「恩 」 に報いる法要で、浄土真宗寺院及び門信徒において最も大切な行事とされています。
住職による読経 真宗のお経本
本山や各寺院で開催されるほか、個人宅にも住職が訪れ一緒にお勤めします。
唱えるのは親鸞の著書『教行信証』の末尾に書かれている「正信偈(しょうしんげ)」。
子供の頃からお盆には父が導師となり、これが終わらないとご飯を食べさせてもらえなかったこともあって意味はともかく長年親しんできました。
お経が終わると簡単な法話があります。
今回は浄土真宗中興の祖である蓮如上人が各地の門信人に宛てた手紙、『御文章』から「末代無知の章」を取り上げられました。
同じ『御文章』に「白骨の章」があります。
こちらは原爆を扱った中沢啓治氏のマンガ「はだしのゲン」にも登場していました。
食を得るためにゲンがニセ僧侶となって、これを読み上げます。
内容は無常について書かれていて、「朝には紅顔ありて 夕べには白骨となりぬべき身なり・・・」。
人はいつか死ぬことは誰も分かっています。
でも、その死がいつ来るのかが分からないのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀阿仏。
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コメント
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仏教にも教えがたくさんあるんですね。
仏教史にも興味がありたくさん勉強しますが、
こういった今でも引き継がれていることが
1番大事で、なおかつそのものですね。
勉強になります。
お寺を見るといろんな意味で落ち着き、
興味があるのは歳をとったからでしょうか?
それともやはり潜在意識としてあるんでしょうか?
いずれにしてもいいことですね。
投稿: 栄治 | 2015年10月 6日 (火) 07時31分