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2015年11月30日 (月)

とよおかの城郭コース 轟城

2013年から「ふるさと豊岡再発見の旅 城郭コース」を受講しています。
一年目は有子山城、三開山城、豊岡城、亀ヶ城。
昨年は此隅山城、東河内城(中止)、金蔵寺城(延期)、轟城(延期・中止)が予定されたものの、悪天候で轟城は二度にわたって中止となり今度が三度目の企画です。
轟城は山名氏重臣の垣屋一族の垣屋駿河守豊続が城主としてしられ、日高町にある本家垣屋の楽々前(ささのくま)城は今年、宵田城は以前見学しました。
豊続は毛利方として但馬で最後まで豊臣と戦った武将ですが、後に秀吉軍に与し因幡攻めに貢献したことで許されて領地を与えられています。
轟(青葉)城は標高147mに主郭があり、火伏せの神で知られる秋葉神社が鎮座しています。
室町期に築城された山城が戦国期、天正期に改修され、大規模な郭、堀切、竪堀・畝状竪堀が見られます。
城山                     参加者証
P8230086 Pb290039
奧に畝状竪堀               帯郭
Pb290018 Pb290022
土塁跡                   主郭、秋葉神社
Pb290040_2 Pb290036_2
白狐に乗る秋葉三尺坊大権現       ロープをくだって堀切・竪堀見学
P8230109_2 Pb290029_4
主郭跡では講師の西尾先生から、城郭の説明とともに野田合戦、水生古城の戦い、宵田表の合戦など戦国時代の但馬を巡る毛利対織田豊臣の攻防の説明を受けました。
天正期に信長の命を受け毛利討伐を狙い播磨侵攻と同時に但馬平定を狙う秀吉と、ここを失えば因幡・伯耆・出雲・石見へと軍を進められるのを恐れる毛利方吉川など政治的に駆け引きを重ね、有力国人を奪い合います。
もともと毛利の影響が強い但馬において、どちらに与するか国人・地侍は大いに悩んだものでしょう。
天正8年の秀吉・秀長軍による第二次但馬侵攻でさすがの垣屋豊続も軍門に下り翌年の小代一揆鎮圧で但馬が平定され、鳥取城落城で因幡も秀吉に降りました。
 
但馬の山城は約350、豊岡市には156ヶ所といわれまだまだネタは尽きません。
今年3年目を迎える城郭探訪も来年も継続して頂けるようなお話しでした。
 


      

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コメント


久しぶりにお邪魔いたします。

先日、冒険館のフォーラムに参加しました。

その折、燻箱設計名人、そば打ち名人のお二人にお会いしました。

その内、新そばを打って下さるそうです (o^-^o)

「植村村」の住人には達人が揃っています。
私もそばをたまに打ちますが、達人の足元にも及びません。

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