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2015年12月29日 (火)

迎春準備 餅つき話

暮れの餅つきは迎春準備に欠かせません。
嫁さんの実家から届いた餅米に我が家で採れた小豆や白豆の餡が入った餡餅や海苔、海老、黒豆、昆布の五目餅、あわせて7臼を搗き(捏ね)あげました。

子供の頃は土間に臼を置き、竈で薪を使ってせいろで蒸し上げた餅米を移して杵で搗いていました。
まずは「小突き」といって杵で餅米を潰す作業に時間をかけ、そのあと搗き始めます。
片や手水と言っていましたが、餅の返し手を務めるのが母でした。
返し手はなるべく杵とりと離れないところに位置する「位置取り」も父のこだわりでした。
我が家の杵は重かったので、私が試しに搗いても手に合う代物ではありませんでした。
子供達は掘りコタツから首だけ出して搗きあがるのを待って、麺板の上で父が丸めてくれたものを頬張っていました。
搗く前に缶入りの食紅を加えると、見事な赤餅ができあがります。
麺板の上で餅を丸めたり、なまこ形や板状に伸ばしたり、餅花をつくったり菓子屋のせがれだった父の業は見事でした。
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我が家に餅つき器(餅捏ね専用器)が登場したのが昭和48年頃で、平成6年購入の二代目は蒸し捏ね両方ができる便利なもので、角形に切る餅切り機も早くから購入、丸餅専用の「まる餅くん」も数年前に購入しました。
菓子舗伊佐屋は戦後廃業したので、伊佐屋の跡継ぎたる私には業の伝承が無く、不器用を道具でカバーしながら孫や子が喜ぶ餅作りを続けています。
 
2010年の「餅つき記事」はクリックでどうぞ。
 

2015年12月27日 (日)

鎌倉山 行者道周回コース

積雪時期を迎えた但馬の山はほぼクローズ状態。

宍粟の山も同様でこれからは播磨・阪神地域に向かうことになります。
新春恒例のチームF1B初登りの下見に加西市鎌倉山に出かけました。
ふるさと兵庫100山にもあげられていて、特に行者道がお奨めとのこと。
チームF1Bの過去の初登りを調べると、2012年は高御位山、2013年明神山、2014年小野アルプス、2015年は白髪岳でいずれも阪神・播磨・丹波地域です。
暮れのミーティングでは和気アルプスを候補に挙げていてましたが、行き帰りに時間がかかるので、日の長い時期に考えます。


 
加西市観光まちづくり協会 「鎌倉山ハイキングマップ」
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ルートは行者道にこだわって、マップの一番下の「是行者道」の石柱からスタートして、左回りで石仏を巡り鎌倉山山頂まで縦走し行者道終点の「是鎌倉山」の石柱まで下ります。
是 行者道の石柱        愛宕神社
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自然林の道                普賢菩薩               
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加西の町並み              釈迦如来象
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目指す鎌倉山頂             快適な尾根歩き
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小天井460m            役行者石仏
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行者道と呼ぶように、二行者石仏から始まり不動明王、普賢菩薩、弥勒菩薩、釈迦如来、役行者、孔雀明王と如来・菩薩・王が勢揃い、おまけに断崖の岩場には大峰山風の「東ののぞき」、「西ののぞき」まで名がついています。
案内によると、古くから神々のふるさととして信仰されていて、江戸期には修験道として楽しまれた。明治期になって普光寺によって鎌倉山に連なる峰々に行者道が開かれ、近年地元の力でハイキングコースとして整備されたそうです。

東ののぞき
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柳峠315mまで下る          鎌倉山山頂 453m
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展望案内板                双眼鏡が備え付け
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鎌倉山山頂から南方向の眺め
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北方向:多可町             笠形山
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西方向:七種山・雪彦山         孔雀明王像
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山頂には孔雀明王が鎮座し、南は明石海峡・淡路島、姫路港まで見渡せます。
北には多可町の町並みや笠形山、西には西播磨の峰々が望めます。
出発してからゆっくり歩きで2時間半、昼休憩を取っていたら普光寺から登ってきた常連さんと出会い、この山で初めての会話を交わしました。
西脇在住の方で、交通事故に遭ってからリハビリを兼ねて毎日周辺の山に登っているそうで、土曜日は鎌倉山と決めているとのことです。
土曜日で晴天ながら年末の忙しい時期にのんびり山登りもないのか、本日お会いした最初で最後の人でした。
下りは西ののぞきに立ち寄りながら植林帯のジグザグ道を鎌倉寺・鎌倉神社を経て、「是鎌倉寺」の石柱がある登山口へ。

西ののぞき                 断崖に磨崖仏
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鎌倉寺                    鎌倉神社
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9月の槍ヶ岳から 右足全体の腫れと左膝間接痛に悩まされていて、11月の須留岐山以来の山行です。
こちらもリハビリを兼ね膝のサポーターとダブルストックが手放なせません。
 
1月9日に予定している新春登山は、もう一つの候補加西アルプス、善防山~笠松山のどちらかになります。
どちらも魅力的な山ですが、新年を迎え神仏に祈りを捧げながら峰々を巡る「鎌倉山・行者道」を提案することにします。
 
 


2015年12月24日 (木)

きよしこの夜 クリスマス休戦

今日はクリスマスイブ、子や孫と同居していない我が家にとって普段どおりの生活です。

有名な「きよしこの夜」はクリスマス用の賛美歌で、原詩はドイツ語。
タイトルは「Stille Nacht, heilige Nacht!」でこれを 英語にすると「Silent Night! Holy Night!」だそうです。
さらに和訳すると「静かな夜、聖なる夜」なのです。
101年前の1914年「きよしこの夜」を「第一次大戦で、塹壕をはさんだ独と仏英の兵士がクリスマスに戦闘をやめ、互いに歌い合ったエピソード」をある新聞のコラムで読みました。

「100年前の奇跡「クリスマス休戦」 第一次世界大戦中に敵同士がともに祝う」
 
これに似た話が竹山道雄原作で、2度映画化された「ビルマの竪琴」に出てきます。
(主役の水島上等兵は1回目は安井昌二、2度目は中井貴一でした)
第二次大戦のビルマ戦線で敗退を続け小屋に籠もった日本の小隊がイギリス軍に囲まれたとき、気付かないふりして小屋前の弾薬を積んだ荷駄を引き込みます。
それを水島上等兵が得意の竪琴で「埴生の宿」を奏でカモフラージュします。
さあ戦闘と覚悟したとき、周りから歌声が聞こえきます。
竪琴の音に合わせてイギリス兵士が歌う『ホーム・スイート・ホーム(埴生の宿)』でした。
小隊は敗戦の事実を知らされ降伏します。
無益な戦闘は回避されました。

戦争は人間によるもっとも悲惨で残酷で最悪な問題解決手段です。
そんな中で僅かに垣間見ることができた人間らしさでした。
 

2015年12月23日 (水)

実のなる木の始末

田舎では庭や畑があり、どこの家でも実のなる木を植えていました。
お年寄りから「桃栗3年柿8年、柚の大馬鹿18年」と聞いたことがあります。

この時期になると、真っ黄色な柚がたわわに実を付けているのが見られます。
もともと但馬は暖地系の柑橘類は育たず、柚だけが雪国に耐えうるものでした。
それがスダチ、早生ミカン、夏みかん、レモンなど、温暖化なのか品種改良か分かりませんが、あちこちで見られるようになりました。

そんな我が家で、切るか枯れるかして無くなったものにモモ・ブドウ・キウイフルーツ・イチジク・御所柿・早生ミカン・ユスラウメがあります。
父が植えた富有柿・梅・柚はまだ現役で、私の代で植えて残っているものに、サクランボ・スモモ・小梅・スダチ・キンカン・ポポーがあります。
伐採した大グミとナツメ
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12月になって大グミナツメを伐採しました。
ほとんど食べなくなったのと放置したために周りに迷惑となったことが理由です。
 
新たに朝倉山椒とレモンを植えました。
どちらも3年くらいで実を付けるそうです。
果樹だけでなく庭木も手入れもせずに放置すると大木に育ち手が付けられなくなります。
時間ができた今は毎年のように日当たりを考え収穫しやすいように低くすることを考えて剪定します。
お礼肥も忘れずにやり、そのおかげで毎年実をつけてくれます。
悩みは枝の始末ですが、乾燥させた後少しずつ燃やし灰にしてカリ肥料(草木灰)として使うことにしています。
 
切ってしまうのは一刻、育てるには時間と手間がかかります。
元気なうちはいいけど、跡継ぎがいなくなればどうしようと考える無いこともないけど、「まっいいか」で深く考えないことにしています。
お金や物が無い時代に、食料やおやつ替わりに実を食べてきた先祖からのDNAがまだ残っているようです。
 

2015年12月19日 (土)

2015 初雪

我が家から見える妙見山・蘇武神鍋連峰に雪は何度か降り、ついに里まできました。
麓の雪はすぐに溶けて、周りの高山や中央の奧神鍋スキー場ゲレンデが白く見えます。
 

左から妙見山・蘇武岳・神鍋山・右側手前が大岡山
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数センチ積もったのが18日朝でしたが、伊佐屋三木のblogで初雪を調べてみると・・・

・2010年 → 12月25日
・2011年 → 12月16日
・2012年 → 12月 6日
・2013年 → 12月 4日
・2014年 → 12月 6日

ということは今年は平年並みですね。

奧神鍋スキー場は12日から鉢伏スキー場も人工造雪ゲレンデでオープンし、自然雪のハチ北スキー場も18日にオープンしました。
昨年のスキー場は年末から雪がつもり、お正月から春まで滑走が可能でした。
里はと言えば除雪車の出動は2回程度、住民にとってありがたい年でした。
「山にはしっかり降って、里はほどほどに」これが雪国但馬の願いです。

2015年12月17日 (木)

植木の手入れ

7年前から庭木の剪定を自分でやるようになりました。
リタイヤすると時間は有り余り、年金生活に入ったのが主たる理由です。
まず、体裁は度外視して高い枝をばっさりと切って仕事がしやすいようにします。
その煽りを受けた玄関の松が不格好になり、人から枝が枯れたのですか?と聞かれます。
剪定前                   剪定後
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庭木の剪定はお盆前に住ませる家が多いのですが、松などは初夏にミドリ摘みして、初冬に剪定するのがよいとされます。
本やネットで調べながらの手探り剪定ですが、最後は「エイヤ!」で切ります。
離れてみると「枝を見て木全体を見ていない」を実感しながらも、「これでいいのだ」とい慰めています。

2015年12月15日 (火)

2015 庭の草花 初冬編

12月も半ばを過ぎると花がほとんど無くなります。
暖かいのはありがたいのですが、ダイコンやカブが大きくなり過ぎたり、エンドウが伸び過ぎて冬越しが心配になります。
葉ボタン                  サザンカ
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マンリョウ             マンリョウ(白)

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センリョウ                 ナンテン
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千両も万両も難転もそれぞれ縁起のよい名前で、迎春の添え物として使われます。

2015年12月13日 (日)

2015 加藤文太郎山の会忘年会

「加藤文太郎山の会」における2015年の活動を締めくくる忘年会に参加しました。
Pc120044_3豊岡駅から浜坂駅まで山陰ジオライナーで1時間半。
途中の駅ではカニ目当ての観光客が目立ちました。
11月は悪天候もあって昨年の2割減、過去10年で最低の漁獲と聞きます。
地元でも高いオスガニは手が出ませんが、数百円で手に入ったセコガニ(メス)の値段が高いのは困ります。
大事な観光資源としてカニの不漁は大いに気になるところです。

新温泉町制定の乾杯は日本酒で条例に基づいて、地酒「香住鶴」で乾杯から忘年会の始まりです。
今年の登山行事参加できたのは浜坂三山縦走だけで、大きな顔ではいられません。
入会して4年、30人を超える参加者にも顔なじみの方も多く山談義に花が咲きました。
和やかな雰囲気            漁港浜坂らしいご馳走
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燕から常念岳の縦走白馬岳南アルプス白峰三山縦走の思い出話しで盛り上がり、来年の遠征候補地も話題になりました。
体力不足で今年の鹿島槍ヶ岳縦走には参加できなかったので、シーズンオフの体力づくりに励んで是非ご一緒したいと思います。
 
 
 

2015年12月11日 (金)

水生山長楽寺の彫刻群

「つづら折れの段々」を登って最初に目に入るのが仁王門。
仁王門柱には、弘法大師のお言葉「虚しく往きて実ちて帰える」が掲げられています。
仁王門                   正面に麒麟
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欄間に龍                  こちらは狗
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中門に獏                 裏門は鳳凰
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仁王門をくぐって正面にあるのが庫裏・持仏堂で十一面観音立像はここに祀られています。
庫裏・持仏堂                十一面観音立像
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         木鼻正面に獅子、横手に獏、水引虹梁の下に龍
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右手奥の鐘楼横の石段を上がると本堂薬師堂(瑠璃殿)です。
行基自らが彫刻したとされる薬師如来像が祀られています。
江戸後期、寛政3年(1791年)の建築で、向拝や建物内部外部に多くの彫刻が施されていて、豊岡市指定 有形文化財に指定されています。
          薬師堂(瑠璃殿)
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彫刻は内部の欄間に「彫物師 丹州栢原住人 中井言次 同名清次」と銘があり、中井権次一統の4代目の作と思われます。
向拝正面に中井の龍           笈形?蛙股?
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向拝の虹梁と手挟               側面木鼻にしかみと象
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薬師堂の内部は普段は入れないのですが、夢テーブル委員会の社寺探訪グループでお願いし、拝観させて頂きました。
ご本尊 薬師如来像           欄間彫刻
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                        中井言次の銘   
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中井一統の手による彫刻が残されている日高町の社寺では、日前山進美寺山、布金山隆国寺、神門神社が知られていますが、ここ水生山長楽寺のものは見事なものです。
 
開創1300年の古刹でありながらも、毛利方垣屋豊続の拠点として織田信長の命を受けた秀吉・秀長に天正6年と8年の2度にわたり攻められ伽藍は焼かれ荒廃しました。
侵略者の目線でかって但馬征伐と呼ばれましたが、但馬侵攻に表現が変わりました。
 
寺に残る由緒では「戦乱で荒廃し暫く村裡に移ったが、江戸中期の正徳寛政年間に再建した」とあります。
但馬を舞台とした中央政権と毛利の争いに多くの文化財が失われたことは戦国乱世とはいえ残念なことでした。
そんな中でも200年後には本堂を中心とした堂宇を再建した檀徒や民の力に感心させられます。
 
 

2015年12月10日 (木)

長楽寺住職と歴史を語ろう

豊岡市立博物館で「水生山 長楽寺展」が開催され、イベントとして対談「長楽寺住職と歴史を語ろう」に参加しました。

ポスター                   対談風景
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住職は加西市出身で何年か前に縁あって長楽寺住職を継がれたとのこと。
真言の修行はもちろん、長楽寺や地域の歴史を積極的に学ばれているそうです。

小寺館長がスライドをもとに寺や建物・館内の展示物を紹介され、水生法印に説明を求める対談形式で進められます。
パンフレットの表紙にもなっている地蔵菩薩立像や本堂薬師如来座像、持仏堂の十一面観音立像、美術品として貴重な茶湯釜、釈迦涅槃図などの軸物が紹介されました。
本堂となっている薬師堂の彫刻が丹波柏原の彫り物師中井権次の手によるものであるとか兵庫県指定文化財散りツバキのことなど多彩に渡りました。
そのほか「段々あがりの長楽寺」の由来となるつづら折れの石段は昭和44年、京都市電の廃止に伴い敷石を譲り受けて敷設したことも初耳でした。
おかげ登りも5分あれば安全に登ることができ、下りも滑ることは無くなりました。
 
土曜日午後ですが長楽寺檀家の方や国府地区の方、歴史ファンが目につき、会場は満員で椅子が追加されるほどでした。
 

2015年12月 8日 (火)

水生山 長楽寺展 

国府地区上石の山腹にある水生山長楽寺は、真言宗の古刹。

山の入り口に置かれている長楽寺縁起には「当山は、奈良朝の和銅年間 行基菩薩により開創された寺で、ついで平安朝時代真如法親王巡錫のみぎり当山を真言宗に改められた。(後略)」と記され、開創1200年を迎えた真言宗よりさらに古いといわれます。
子供の頃府中幼稚園の最初の遠足は長楽寺、小学時代は長楽寺の花祭りが印象深く、山門から庫裏までのつづら折れの道に「段々あがりの長楽寺」として親しまれてきました。
長楽寺山門                縁起
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長楽寺山門                国府駅と国府平野
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          本堂瑠璃殿(薬師如来)
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豊岡市立博物館(4月から但馬国府・国分寺館を改称)で「但馬の古刹 水生山 長楽寺展 -- 千三百年の歴史と美術-- 」が開催されています。
会  期 : 27年11月12日から同28年3月15日まで
第一期 : 「長楽寺の歴史と文化」
第二期 : 「真言密教の美術」   に分かれて開催されます。
館名の変更を機に、古代だけでなく中世の地元豊岡の歴史や文化を取り上げて欲しいものです。

2015年12月 7日 (月)

智文寺再建 境内整備

府市場区にある智文寺、三代目の尼僧、徳明さんが亡くなったあと廃寺となり、上郷の頼光寺さんが管理されていました。
境内には三丹一といわれる延命地蔵が祀られています。
無住となったことで本堂や境内地の荒廃が進み、建て替えと境内地の整備が行われ、12月7日落慶法要が行われました。
 
寺の由来については、伊佐屋三木のblog記事「智文寺の歴史」をクリックでどうぞ。

智文寺境内                新本堂
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本堂釈迦三尊像              寶筺印塔
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           高さ6尺の延命地蔵尊
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本堂は小規模ながら寶筺印塔、延命地蔵尊と並んで配置され、周囲の樹木も伐採されてよく目立つようになりました。
100基に及ぶ区有墓地が隣接していることもあって、お参りが増えることでしょう。
寺で使われていた水道が、区によって墓地利用者の水場として設置されました。
隣接する広場で行われる夏祭りでも活用されるでしょう。
 

2015年12月 5日 (土)

モズの早贄(はやにえ)

梅やグミなどの尖った枝に見られますが、菜園の片付けをしていて竹支柱の枝先に見つけました。
冬に備えての備蓄だとか単なる本能だとか人間が憶測しますが、捉えた獲物のカエルや虫を食べるために木の枝に刺し、そのまま忘れてしまったのかも知れません。
つまり、たんなる忘れ物というのが伊佐屋説です。
蘇武岳・妙見山など1000m級の山が今朝白くなっていました。
11月に続いて2回目、古老曰く「山に三度降ると次は里に降る」、タイヤ交換、松の剪定、庭木の冬養生などまだまだ冬支度が残っています。
竹支柱の早にえ              スモモの早にえ
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<もずが枯れ木で>

作詞:サトウハチロー 作曲:徳富 繁 (1935年)

1 もずが枯木で鳴いている

  おいらは藁(わら)をたたいてる

  綿ひき車はお婆さん

  コットン水車もまわってる

2 みんな去年と同じだよ

  けれども足りねえものがある

  兄(あん)さの薪割る音がねえ

  バッサリ薪割る音がねえ

3 兄さは満州へ行っただよ

  鉄砲が涙で光っただ

  もずよ寒いと鳴くがよい

  兄さはもっと寒いだろ

この歌が作られたのは、満州事変を経て日中全面戦争に向かう時期でした。
情景が思い浮かびます。

2015年12月 2日 (水)

柿あれこれ

12月に入ると葉が落ちて、柿の赤い実がやけに目につきます。

私の子供の頃の秋のおやつは柿が中心でした。
小ぶりな久保柿、どっしりとした御所柿が植えてあり、いまのように高枝切りはさみがあるわけではないので、はさみ竹を利用して上手に収穫していました。
大屋根に上がらないと採れないほど大きくなった御所柿は家の新築時に伐採し、いまは富有柿3本が残っています。
田舎では子供達のおやつや間食として、どの家にも甘柿だけでなく、美濃・西条など渋柿も植えてつるし柿に加工していました。

放置されている柿            完売した我が家の柿
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現代になると子供も減り、おやつも何でも手に入るので食べなくなったこと、空き家が増えていることで放置されている木が目立ちます。
たくさんなった柿を放置することで木に負担がかかり、翌年は実が少なくなります。
また手入れをしないと枝がどんどん伸びて、手が届かなくなります。
特に手入れをしなかった我が家も柿農家さんの助言を得て、剪定・摘果に励んで数をコントロールした分大きな実になりました。
子供達や都会に住む兄弟に無料で押し売りしたところご覧のような完売状態です。

今年は「生り年」、雪の積もる時期にあちこちで「柿花火」が見られますが、それどころか我が家には「子守柿」も無くなってしまいました。木への負担を減らしお礼肥として油粕を与え来年に備えるとします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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