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2015年12月11日 (金)

水生山長楽寺の彫刻群

「つづら折れの段々」を登って最初に目に入るのが仁王門。
仁王門柱には、弘法大師のお言葉「虚しく往きて実ちて帰える」が掲げられています。
仁王門                   正面に麒麟
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欄間に龍                  こちらは狗
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中門に獏                 裏門は鳳凰
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仁王門をくぐって正面にあるのが庫裏・持仏堂で十一面観音立像はここに祀られています。
庫裏・持仏堂                十一面観音立像
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         木鼻正面に獅子、横手に獏、水引虹梁の下に龍
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右手奥の鐘楼横の石段を上がると本堂薬師堂(瑠璃殿)です。
行基自らが彫刻したとされる薬師如来像が祀られています。
江戸後期、寛政3年(1791年)の建築で、向拝や建物内部外部に多くの彫刻が施されていて、豊岡市指定 有形文化財に指定されています。
          薬師堂(瑠璃殿)
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彫刻は内部の欄間に「彫物師 丹州栢原住人 中井言次 同名清次」と銘があり、中井権次一統の4代目の作と思われます。
向拝正面に中井の龍           笈形?蛙股?
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向拝の虹梁と手挟               側面木鼻にしかみと象
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薬師堂の内部は普段は入れないのですが、夢テーブル委員会の社寺探訪グループでお願いし、拝観させて頂きました。
ご本尊 薬師如来像           欄間彫刻
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                        中井言次の銘   
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中井一統の手による彫刻が残されている日高町の社寺では、日前山進美寺山、布金山隆国寺、神門神社が知られていますが、ここ水生山長楽寺のものは見事なものです。
 
開創1300年の古刹でありながらも、毛利方垣屋豊続の拠点として織田信長の命を受けた秀吉・秀長に天正6年と8年の2度にわたり攻められ伽藍は焼かれ荒廃しました。
侵略者の目線でかって但馬征伐と呼ばれましたが、但馬侵攻に表現が変わりました。
 
寺に残る由緒では「戦乱で荒廃し暫く村裡に移ったが、江戸中期の正徳寛政年間に再建した」とあります。
但馬を舞台とした中央政権と毛利の争いに多くの文化財が失われたことは戦国乱世とはいえ残念なことでした。
そんな中でも200年後には本堂を中心とした堂宇を再建した檀徒や民の力に感心させられます。
 
 

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