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2016年2月 7日 (日)

府中小学校の思い出 「まくり」編

タイトルだけでわかる人は中高年です。
昨日のニュースで、文部科学省が新小学生らを対象に行われてきた寄生虫卵検査(ぎょう虫検査)を、新年度から学校での健康診断の必須項目から外すことが報道されました。

  昭和中期、府中小学校正門と校舎(小山 譲)
  P7040004tt

 

団塊世代にとって小学時代の怖い・嫌な経験は「まくり」の思い出でしょう。
飲みにくかった脱脂粉乳の思い出などの比ではありません。
当時は回虫検査と呼び、虫下しの薬を全校児童が飲むことが義務づけられました。

時間は朝御飯を抜いてお腹をすかせた昼前、場所は小使い室(校務員室)横の手洗い場でした。
原料の海草を煎じて作る「まくり」は吐き気を催すほど独特なきつい匂いがします。
先生が金杓でお汁茶碗に注いだものを一気に飲み干すのです。
上手にこぼして減らす奥の手も使いましたが、すぐに見つかり注ぎ足されてしまいます。

昭和20年代から30年代の野菜作りの大事な肥料は下肥で、畑に穴を掘って下肥を保存する家もありました。
(さすがに裸足のゲンにあったような下肥集めの仕事はありませんでした)
トイレもすべてくみ取り式で、充分に熟成?させた糞尿を肥桶で背負い畑の野菜にかけていて、畑には新聞紙や紙くずがあちこちに残っていたのを覚えています。
糞尿に紛れ込んだ回虫の卵が野菜を通じて口に入り、また畑に戻るという循環サイクルが繰り返されるのです。
あとで下肥を使わないで化学肥料だけで育てたものを清浄野菜と呼ぶようになりました。

回虫が腸に寄生すると食べた栄養分が吸収され、身につかず青びょうたんの体になるといわれました。
「まくり」を飲むと翌日には消化器に寄生しているミミズに似た白い回虫が肛門から排泄されたのでしょうが、怖くて覚えていません。

昭和の後期になると対象は回虫からぎょう虫に変わり、娘達は「青色パッチ」を肛門に貼って検査して陽性だった子だけ、医者に薬を処方してもらうようになりました。
時は移って平成28年、平成12年から行われた下水道の整備も進みシャワートイレが普及し衛生環境が変化しました。
経済成長にともなって衛生環境も農業環境も大きく変わったことで、寄生虫検査も終わりを告げることになります。

 

 

 

 

 

 

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コメント

えらい目にあったものですね。幸か不幸か私はこの経験がなく、「まくり」なるものも知りません。隣合った小学校でも駆除の仕方が違ったのでしょうか?検便と称してマッチ箱に便を入れて学校へ持っていくのですが、何を勘違いしたのかマッチ箱にフルに詰めてきた奴がいて、臭くて閉口したことを覚えています。

僕も記事で読みました。
九州の方ではまだ残すようなことも書かれてました。

まくりの原料はカイニンソウ(海人草)で、岐阜では「カイジンソウ」と呼んでいて、飲んだあ口直しのドロップがもらえたとか。
吐き気を催す匂いといい、排出されるおぞましい回虫といい、恐ろしい体験でした。

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