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2016年8月18日 (木)

旧高橋村 開拓団集団自決

豊岡市立日本モンゴル民族博物館で企画展『満州「大兵庫開拓団と高橋村』が開催されています。
敗戦直後の昭和20年8月17日、現地のホラン川に飛び込むなどして298人が犠牲となりました。

日本モンゴル民族博物館                企画展パンフ
P8180032 Img_20160819_0_2
 
一宮神社の「殉難者之碑」
Img_20160819_0002_4 豊岡市但東町旧高橋村の開拓団103世帯、479人が大陸に渡り、ソ連軍侵攻や現地人の 襲撃に遭い、敗戦直後の8月17日、現地のホラン川に集団入水しました。
大人子供を合わせ298人が犠牲となり、病死なども含め345人が大陸で命を落としました。
 
当時の資料や関係者の証言、現地の写真などが展示されていて、開拓団が大陸に送られた時代背景や高橋村が開拓団に選ばれた理由、開拓の様子や集団自決の状況、引き揚げ後の村民の生活が展示されています。
 
関係者の証言で、集落毎に戸数を割り当てられ否応なしに移住が決められた様子がわかります。
国策によって強制された開拓団の悲惨な状況が伝わってきて、あらためて計画の無謀さと冷酷さを感じます。
 
①戦争遂行のため食糧増産を満州の地に求め、主要食料を十分生産できる「適正農家」とそうでない「過小農家」に分け、「過小農家」に満州への分村を求めています。
 
②年表を見ると高橋村が対象として指定されたのが昭和18年秋で約400戸が満州に渡ったのが昭和19年春でした。
その頃イタリアは降伏し、南方での敗北が続き敗戦が色濃くなっています。
さらに、補充団員25名が送られたのが昭和20年4月でドイツが降伏する直前です。
 
③開拓団に避難命令が下った8月13日から過酷な逃避行が始まり、敗戦を知り暴徒の襲撃に遭うなどして苦難の上、4日後には呼蘭河で集団自決を決行しています。
 
④生存者にも厳しい拘留生活と、帰国した119人にも生活の苦労が待っていました。
 
満蒙開拓団の悲劇は残留孤児問題も関連してある程度知っていましたが、かくまでとはとあらためて不明を恥じました。
71年経って体験者が少なくなり風化しつつある今こそ、戦争の悲惨さ・残酷さ伝えることの大切さを痛感しました。
                               
企画展『満州「大兵庫開拓団と高橋村は9月20日まです。
兵士としてではなく、開拓民として村単位で蒙った戦争被害の実態を是非知って欲しいものです。
 
 

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コメント

いろいろ見方や考え方、
その方向から歴史的観点っていうのは違うかもしれませんが、
事実として史実を捉えないといけない話ですね。

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