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2016年9月29日 (木)

白馬岳を目指します

地元の若手と中高年による「チームF1B」も活動を始めてはや7年になります。
当初はランニングが主で、各市町のマラソン大会参加から駅伝参加・山登りなどアウトドア全般に広がってきました。
 
山歩きのメイン行事である今年の遠征は白馬岳、人気のルートである大雪渓が9月から通行禁止となりました。
冬に雪が少なく、ルートにクレバスが目立ち危険とのことです。
ということで栂池から小蓮華岳経由の縦走となり、健脚組は白馬岳登頂後白馬山荘に泊まり、白馬三山の杓子岳~白馬鑓ヶ岳を猿倉へ下ります。
コースタイムは一日目は7時間、二日目は8時間に及ぶコースです。
例によって2度のミーティングでお酒をいただきながら、ビデオ観賞やコースの確認と装備の分担を終えました。  
また今回は体力と年齢に応じた別のショートコースも設定しました。
 
私は2013年に加藤文太郎山の会の白馬縦走以来2回目です。
秋雨前線の影響で微妙なお天気ですが、50代が主力なので元気なのと、山経験が豊富なUさんのリーダーシップで楽しい山旅になるでしょう。
 
因みに昨年は槍ヶ岳、一昨年は常念岳でした。

<2013白馬岳紀行より>
 
白馬大池からの登り            小蓮華山への登り(坂の上の雲のラストシーン)
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登頂写真                     劔岳に虹、小屋の左奧に杓子・白馬鑓
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天狗菱                       大雪渓を下る
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2013年の白馬岳紀行は6回に分けて記事にしています。
白馬大池にデジカメを落としたことで、後半は携帯カメラで撮りました。
お暇な方はクリックでご覧ください。
記事に移行後は左端の戻るボタン(←)で戻れます。
 
 
 
 

2016年9月27日 (火)

御嶽山噴火から2年

2年前の今日御嶽山が噴火し、58人の犠牲者を出し5人が行方不明となっています。
山に登るものとして、前年に御岳に登ったものとしてこの災害は他人事ではありません。

紅葉真っ盛りの9月末、週末の土曜日でかつ晴天、昼食時間の山頂付近での大噴火は、人が集まるのを狙い撃ったとも思えるほどでした。
登頂の充実感の中、雄大な景色を眺めながらお弁当を広げていた人がかなりいたでしょう。
誰を怨むこともできない自然災害に対し、「神様はむごい仕打ちをなさる」これが実感でした。
 
噴火の前年(2013年)の7月末でしたが、但馬山友会の遠征登山で御嶽山に登りました。
朝7時には田の原登山口から登り始め、山頂についたのが正午前でした。
 
山頂の賑わい               宿泊した「御岳頂上山荘」
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2013年「伊佐屋三木のblog」の記事 ↓ クリックでどうぞ! 
 
・「木曽御岳紀行Ⅱ」                 
 
信仰の山らしく途中のあちこちに霊神碑(仏像や石碑)が建立され、王滝口と黒沢口の両登山道には2万基超が建立されていたのが印象的でした。
噴火は落ち着いたものの、火口からおおむね1km以内は立ち入り禁止が続きます。
楽しかった山行を思い出しつつ、「犠牲者を悼み、悲劇を繰り返さない」ことを祈ります。
 
 

2016年9月24日 (土)

2016 神鍋山野草を愛でる会 9月例会

9月後半例会は24日(土)に「兵庫県立人と自然の博物館」と共催で行われました。
彼岸で連休とあっていろいろな行事が重なりますが、長雨が続く中、「神鍋植物ハイキング 秋の花を愛でる」のにうってつけの晴天となりました。

(いずれの写真もマウスON、クリックで拡大してお楽しみください)

観察風景                     クサノオウ
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ツユクサとハチ                 ツクバネ
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シュロソウ                    キバナアキギリ

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センニンソウ               栃本溶岩瘤 二段滝
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ハダカホウズキ                 サラシナショウマ
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終点:八反の滝
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この日愛でた野草は約40種、「人と自然の博物館」の高野主任研究員が同行され、類似種との見分け方など専門的な観察法を教えていただきました。
続く長雨でかってないほど増水した溶岩流コースでしたが、植物ハイキングでより着実に秋が深まっているのが感じられました。

 

 

 

 

2016 秋彼岸

秋雨前線と台風16号のおかげで、ほんとによく降りました。
稲刈りも一段落し、稲が残っている圃場のほうが少なくなりました。
畑では長雨の影響で、野菜の成長が後れています。
19日から彼岸に入りやっとお天気になった23日、お墓参りをしてきました。
 
仏教国日本では春分の日と秋分の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので彼岸と此岸がもっとも通じやすい日になると考えられ、この時期に先祖供養をするようになりました。
我らが暮らすのが此岸(しがん)、ご先祖さまおわすのが彼岸(ひがん)で、知人・友人や社会の横関係と異なり、ご先祖や家族・子孫の縦の関係をあらためて認識する日となります。
若い人はともかく年配の方でも「我が家の宗旨には彼岸のお参りはありません」と仰る方があります。
仏教をもとにしている家なら宗旨以前の問題ですね。
 
伊佐屋墓地                   お仏壇
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彼岸との関係をわかりやすく教えてくれるお寺が小野市の浄土寺さんでした。
有名なのが国宝 浄土堂におわす「阿弥陀三尊立像」で、鎌倉時代の仏師快慶作の三尊は規模の大きさや形式はもとより、彼岸の時期にお堂の蔀戸からさし込む西日が阿弥陀さまと両脇の観音・勢至の菩薩のお姿を浮かび上がらせる光景はとくに有名で、西方浄土よりお迎え下さる阿弥陀如来はまさに来迎図そのものです。 
 
極楽山浄土寺(兵庫県小野市)
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阿弥陀三尊立像
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「時あたかも彼岸の中日、真西に沈む夕日がお堂の蔀(しとみ)戸から入り、床に反射して天井に届き、さらに反射して阿弥陀三尊を浮かび上がらせるという手の込んだ建築手法に驚きを感じます。彼岸の夕方に訪れたのはまさにこれを見んが為でした。」
 
どちらかといえば信心が薄い伊佐屋にとってこれは衝撃でした。
百の言葉に依るのでなく、浄土堂と阿弥陀三尊を通して極楽や西方浄土を説く建築手法と仏師の役割は大きいものです。
 
播磨には、一乗寺(加西市)、朝光寺(加東市)、鶴林寺(加古川市)、すべて国宝をお持ちのお寺です。
齢を重ねると仏のお姿に思わず手を合わせるようになりますね。
「百聞は一見にしかず」、訪れてみてください。
 
 

2016年9月23日 (金)

「山歩き」カテゴリーを分けました

マイブログ記事は必ず「カテゴリー」に分類しています。

カテゴリーとは難しく「範疇」などと訳されていましたが、「部門」や「ジャンル」に置き換えていただくとわかります。
 
従来からトレッキングも含めて山登りに関するものを「山歩き」のカテゴリーに入れていましたが、記事数も多くなったので、「但馬山友会」「加藤文太郎山の会」に関係する記事を独立させました。
 
ブログ画面の左から二段目から「但馬山友会」や「加藤文太郎山の会」を選んでいただくと関連する記事が出てきます。
「山歩き」の記事で残るのは府市場区を中心とするランニングチーム「チームF1B」の活動か兄弟・家族、そして私の単独行と「山講釈」くらいでしょう。
 
2007年からの初代ブログ「伊佐屋三木のblog」(izayamiki)も同様な処理をしました。
画面右側にあるサイト内検索も便利ですが、より絞り込みができると思います。
 
 

2016年9月19日 (月)

いけんの日 制定1年

9月19日は安倍政治のもとで、とんでもない記念日になりました。
 
記念日の認定と登録を担当する日本記念日協会が「9.19いけんの日(平和への思いを忘れない日)」と決めました。
昨年9月19日戦争法(安保関連法)が強行採決されてから1年が経ちました。
そんな記念の日に「戦争をさせない・9条壊すな!但馬行動」に参加してきました。
日本記念日協会の『法案を「違憲」とする声、自分の「意見」を持ち「異見」を聞く大切さを訴える声が多く、「いけんの日」と名付けた。法律への賛否は分かれても平和を願う気持ちは同じと考え、「平和への思いを忘れない日」と付記した』を実践してきました。
 
集会風景                    駅前までデモ
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豊岡市役所前
20160919_144833 秋雨前線の影響で霧雨が降るあいにくのお天気でしたが、80人くらいでしょうか、何人かの見知った顔の中に高校時代の担任K先生が、「平和遺族会」の旗を持って参加されていました。  
当時から変わらぬ平和を求める姿勢に頭が下がります。
集会で採択されたアピールに戦争法廃止とともに、今年の参院選の一人区すべてで成立し効果を上げた「野党共闘」の継続求めたのは切実な願いです。
一方法案成立後は南スーダンPKOに派兵されている自衛隊の武器使用拡大が懸念されるように運用が現実のものとなっています。
「誰も殺さない」「誰にも殺されない」願いは人として当然の心でしょう。
 
戦争法については、過去に何度かブログ記事で取り上げてきました。
(それぞれクリックで記事が開き、画面の左端の(戻るボタン)で元に戻ります)
 
不幸な時代の始まり (9月19日)
9・19 いけんの日(11月25日)
 
戦争法の運用が現実味を帯び、さらに改憲の動きが活発となっています。
19日は「敬老の日」、私も含めて参加者の大半が該当します。
8月29日の「安保関連法案反対兵庫パレード」にはとても及びませんが、「9.19いけんの日(平和への思いを忘れない日)」として「子や孫を守るため声を上げる」ことの大切さを感じました。
 
 
 

2016年9月18日 (日)

国史跡 有子山城跡 清掃作業

但馬の城で国史跡は、此隅山城、有子山城、竹田城、八木城の4城跡です。

中でも有子山城跡は戦国大名山名氏の城として山頂に築かれた大規模な山城です。
 
有子山城跡                    縄張り図(整備作業用)
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18日(日)山名氏城跡保存会の清掃作業に参加してきました。
普段から歴史講演会や城跡探訪でお世話になりながら、城跡清掃に参加できずに心苦しく思っていました。
今にも降りそうな不安定なお天気にもかかわらず、阪神や播州からの参加も含めて約30名が、草刈り機・鎌・鉈・剪定ハサミ持参で集まりました。
清掃は本丸や尾根伝いに続く郭や石垣・通路などの草木の除去を中心に行いました。
 
主郭から北方向の眺め             「戦闘(清掃)開始」の雄叫び
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                主郭の石垣周りを念入りに清掃
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郭や通路の草刈り                小さな歴史家が登城
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                      作業終了 
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作業後、主郭の隣にある「千畳敷」と呼ばれる櫓や居館あとなど135m×50mの壮大な遺構を見学しました。
 
                       千畳敷
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有子山主郭まで、出石城の最上部の稲荷郭から約40分、急登箇所もあります。
戦国期や織豊期の壮大な遺構が見られるのと出石城下から豊岡盆地に広がる眺めはすばらしく、登りの苦労を忘れさせてくれます。
 
最近有子山を見上げると、肌色がかった石垣がよく見えるのに気がつきます。
山名氏城跡保存会による定期的な手入れによるものです。
僅かな時間でしたがその一端が担えて気分よく帰路につきました。
 
今朝の朝日新聞但馬版に清掃作業が載っています。
 

2016年9月17日 (土)

庭の草花 2016 9月編 Ⅱ

秋らしくなりました。
人の感覚よりも庭の草花は着実に秋を迎えています。
草花にとってきびしい冬を前に、行く秋を彩るはかなさを感じさせます。

ムラサキツユクサ               タマスダレ

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シンビジウム(鉢植)                イリオモテアサガオ
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オミナエシ                      キバナコスモス
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ヒャクニチソウ                    ハナトラノオ
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フヨウ                          ツユクサ
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フジバカマ                        
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キョウカノコ                      まだ頑張っているゴーヤ
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2016年9月15日 (木)

2016 中秋の名月

2016年の中秋の名月は9月15日、あいにく秋雨前線の影響で南部は雨、北部は曇りな
がらも時折満月が見られるとのことでした。
15夜だということを寝しなに思い出して、慌てて空を見上げるとなんとか見られたので、デジカメの手持ち夜景モードを使って写してみました。
もちろんお団子もススキも用意してありません。
   
古代から太陽や月には神が宿るとされ、日本は月の満ち欠けで時間や季節を感じ、生活の中に取り入れてきました。
そして中秋の名月は夏から秋への交代時期として特別に位置づけられているようです。

二階から屋根越しの月       家の前にあるドコモアンテナ越しの月
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猛暑を嘆いていましたが、今年は台風のおかげか順調に秋が訪れてきました。
秋のことを「白秋」と呼び、順に「玄冬」・「青春」・「朱夏」と色づけます。
山用語で秋は「山粧う」、順に「山眠る」・「山笑う」・「山滴(したた)る」といいます。
 
秋にぴったりの「さわやか」という表現は、俳句で秋の季語なので天気予報では秋以外には使わないと聞きました。
初夏は「すがすがしい・・・」「心地よい・・」と表現するそうです。
「すがすがしい」は季語ではないので、一年中使えることから、初夏のよい天気を呼ぶのにふさわしいとのこと。
何気なく使っている言葉ですが、それなりにルールがあることを知りました。
 
秋雨前線が張り出している中、台風16号の影響が心配されます。
「爽(さわ)やかな」秋のお天気はまだ先のようです。
 

2016年9月13日 (火)

2016 伊佐屋の米作り 籾摺り編

稲刈り後乾燥機に入れて一晩乾燥させると今度は籾摺りです。

乾燥機から隣の籾摺り機へホースで流し込みます。
 
2号乾燥機(1反用)と籾摺り機    ホースで籾摺り機にはき出し
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玄米になると自動計量機で測って袋詰めし、隣のリフターで腰の高さに持ち上げてくれます。
その後は車で運搬し伊佐屋の米倉?に積み込むだけで、摺り始めて30分で終了です。
今後は都度必要量の玄米を作業場の精米機で精米すれば白米の出来上がり。
 
玄米を計量し袋詰め           倉庫に保管
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いっぱしの農家気取りで報告していますが、伊佐屋は府市場営農組合で最少の米作り農家です。
大規模農家を主とする運営に異を唱えて退会も考えましたが、小農家に対しても心配りしてもらえるようになりました。
 
「米という字は八十八とも読めて、その数の手間がかかっている」といって、米作りの苦労と感謝の気持ちを表します。
機械化・システム化で手間はずいぶん減りましたが、その心は受け継いでいきたいものです。
 

2016年9月12日 (月)

2016 伊佐屋の米作り 稲刈編

朝から遅くても午後は雨という微妙な予報に伊佐屋の稲刈りを行いました。

刈るのは専業農家のSさん、一昨年から耕耘・田植え・稲刈りの機械仕事をお願いしています。
今年劇的に変わったのはコンバインから直接軽トラに乗せた籾コンテナーへ移し、農作業場にある乾燥機に投入したことです。
 
伊佐屋圃場                 コンバインから籾コンテナーへ
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営農組合では数年前から行われていましたが、我が家はいったん籾袋に入れて近くの農家の乾燥機で乾燥したのち農作業場に運び込んで籾摺りしていました。
いわゆる「横持ち」が2回減ったわけです。
 
軽トラを農作業場に横づけ      ホースで乾燥機と接続
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おかげでコンバインが稼働し始めたのが11時半、籾コンテナーから乾燥機に移し終えたのが12時半、距離が近いということもあって正味一時間で稲刈り終了です。
 
籾の投入                  乾燥後は隣の籾摺り機で玄米に
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営農組合が乾燥機4台を購入し、体制を整えたのが数年前。
省力化が一番なのと、稲刈りのあと籾のままJAカントリーに渡すだけなら価格は低いままですが、乾燥し玄米までにして渡すと付加価値がつくことが魅力のようです。
 
劇的に省力化が進み楽になった反面、副産物として夜通し運転する乾燥機の騒音と粉塵と籾殻(スクモ)の処理が出ています。
限られた期間のことなので今のところ近隣とのトラブルになっていませんが、今後は対策が必要となるでしょう。
 
 

2016年9月11日 (日)

2016 あぐりキッズの稲刈り

5月末にあぐりキッズのお田植え を記事にしました。
絶好の稲刈り日和の日曜日、収穫期を迎えた稲刈りが始まりました。

お田植えキッズが、今度は稲刈り鎌を持って手刈りします。
P9110170 JA職員や大人が見まもる中、一生懸命刈っています。
一方隣の圃場ではコンバインが稼働中です。
刈った稲は待機しているコンバインに投入して籾にするのですが、刈るときの「ザク!」とした感触や稻藁の匂いは子供たちの記憶に残ることでしょう。
 
労働集約産業の最たる農業も機械化が進み、コンバインで刈って籾にして、近くの農作業場の乾燥機に投入し、翌日には籾摺りして玄米ができあがります。
 
かくいう我が家も娘たちに農業体験はさせていませんが、小学5年生になると学校の実習田で体験するようです。
「農は食の基本」「米作りの基本である田植えと稻刈り」は子供たちにぜひ体験してもらいたいものです。
 
 

2016年9月10日 (土)

歴史文化遺産講演会 豊岡の二大城

2013年から「ふるさと豊岡再発見の旅 城郭コース」を受講して、4年目の今年も申込みました。
20160910_134232 第1回は「講演会 豊岡の二大城」、講師は但馬城郭研究の第一人者 西尾孝昌氏(山名氏城跡保存会会長)です。
 
豊岡市立歴史博物館では、企画展「知られざる!豊岡の二大城」が開催されています。
あまり聞き慣れない言葉でしたが、豊岡二大城とは出石城と豊岡城を指し、城郭は明治期に壊されていますが、城跡や城下町が残っています。
山上にある山名氏の有子山城と江戸期に整備された山の下の出石城は有名で、何度か勉強したことがありますが、一時間半の講演で印象的だったのは豊岡城と城下町した。
 
1615年の「一国一城令」によって、但馬の城は出石城と決められ、豊岡城は豊岡陣屋とされましたが、室町期の木崎城、織豊期の豊岡城の遺構や城下町が残っています。
城山となる「神武山」には城と館が建てられ、五角形の天守台まで築かれていました。
天守台は昭和中期に豊岡市の貯水タンクが建設され本丸の一部とともに壊されました。
西尾先生による縄張り図や残されている絵図の比較から、小規模ながらも京極家の入部以来、陣屋居館・内郭・外郭や城下町の整備がなされています。
 
また豊岡高校(旧制豊岡中学)がその後、明治初期に遙拝所が置かれ神武山と呼ばれた城山の南に位置していて、江戸期の武家屋敷をこわし内堀を埋めて建てられているいるのがわかります。

  旧制豊岡中学校校舎と神武山(昭和12年、進叔父の卒業アルバム)
  Scn_0001
学んでいた頃は気がつかなかったことですが、校舎を東西に走っている道が屋敷と内堀との境界だったのでしょう。
そういえば、グラウンドやテニスコート・プールも和魂ホールもこの道を隔てて一段下がったところにあります。
これらは内堀外の田んぼを埋め立てられたようです。
在学時もグラウンドから南は、現在家が立ち並ぶ桜町や昭和町などはなく、田んぼが広がっていましたね。
 
     昭和40年頃の豊岡高校全景 (小山譲 画)
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豊岡城については、豊岡藩といっても石高一万石から1万五千石、陣屋とされたこともあってさほど注目されることもなく、二大城といわれてもピンと来ませんでした。
この講演を通じて高校時代に弁当を食べたり、遊んだりして慣れ親しんだ神武山が、一層身近に感じられました。
詳しいことは豊岡市立歴史博物館、企画展「知られざる!豊岡の二大城 」と2012年に発行された小冊子「ぶらり豊岡の城下町」をご覧ください。
 
 

2016年9月 9日 (金)

2016 伊佐屋菜園9月編 Ⅱ

スイカやメロンのように場所をとるものや支柱やネットが必要なものの多い夏野菜の片付けがやっと終わりました。

枝葉や蔓は乾燥して燃やし、灰を肥料として活用します。
草木灰(そうもくかい)はカリウムと石灰分を含み、根が生育しやすくなり酸性土壌をアルカリ性にする効果もあります。
 
ダイコンやカブ・ニンジンなど根野菜は種を播きますが、苗を自分で育てて移植するものもあります。
水やりと防虫さえすれば種苗店やホームセンターで苗を買うより断然安くつきます。
 
移植直前のハクサイ苗         少し虫にやられたキャベツ
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成長途中のタカナ             昨年収穫したニンニク種球
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9月を過ぎて彼岸まで畑仕事が一番忙しくなります。
一方家裏の稲も刈り頃を迎え、お天気と相談しながら収穫時期を見計らっています。
 
 

2016年9月 6日 (火)

2016 但馬山友会 青葉山 693m

<日本海の絶景と変化に富んだ縦走コース>
 
丹後と若狭にまたがる標高693mの青葉山は「若狭富士」と呼ばれ、東西の二峰を持つ美しい山です。
ちょっぴりスリルがあるロープ場やハシゴもあり、山頂から日本海の絶景が望めます。
 
若狭の高浜町中山寺から東峰693mへ、ハシゴやロープ場を登り降りして西峰692mを経由して、丹後舞鶴市の松尾寺へ下山する東から西への縦走コースです。
台風12号の影響で心配したお天気も当日は晴れときどき曇りの登山日和、35度近い猛暑も雨を覚悟していたのに較べれば贅沢は言えません。

受付終了後も追加申しこみが続き、ゲスト参加もあってほぼ満席となりました。
内訳は男性15名、女性22名、最近女性の参加が増えています。
 
貸し切りバス利用                 車窓から青葉山
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登山届け提出                  登山開始
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総勢37名                     展望所から若狭湾・小浜湾
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猛暑と大人数のため登りはゆっくりペースで、コースタイムを3割方オーバーしています。
可憐な山野草があちこちに見られる山ですが、ただひたすらに登ります。
10時30分から登り始めて展望所到着が11時40分、出発が早かったこともあって眼下に絶景を眺めながら昼食タイムです。
 
 若狭湾・小浜湾・さらに奧へ敦賀湾
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ちょっぴりスリルの馬の背           東峰:青葉神社到着
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ハシゴ場                      岩壁のロープの先に舞鶴市と舞鶴湾
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              要注意箇所
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大師洞                 西峰山頂 記念写真
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東峰は展望はなく小休憩のあと、ハシゴ場やロープ場が続き、アップダウンや岩壁をトラバースしながら西峰に到着。
岩場を登り展望所に立つと、眼下に内浦湾、西に丹後半島、北東には能登に続く山並みが展望できます。
さらに南には丹後山地の山々が一望できます。
皆さん案内にあった「変化に富んだコースと絶景」に満足されたことでしょう。
 
岩を登り展望所                  内浦湾の絶景
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 南側 高浜町と丹波の山々
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松尾寺への下りはコースタイム1時間。
ロープや階段などよく整備されていて順調に下りました。

ハシゴやロープを慎重に下る         下山場所:松尾寺(まつのおでら)
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下山場所は西国三十三箇所29番札所の松尾寺
ご詠歌は そのかみは 幾世経ぬらん 便りをば 千歳もここに 松の尾の寺
各自トイレをお借りし、本堂に感謝のお参りをしてきました。
   
この山旅には、来日岳奉仕作業登山でご一緒したKさんが体験参加、「加藤文太郎山の会」から4名がゲスト参加されました。
「山の会」の名だたる健脚の4人にとって、登りのゆっくり歩きは驚かれたことでしょう。
これを機に両会の交流が深まることを期待しています。
 
次会例会は、9月25日、但馬空港から戸牧を折り返す里山歩きです。
担当役員さんには、倒木整理などコース整備していただいています。
 
 

2016年9月 1日 (木)

2016 伊佐屋菜園9月編 Ⅰ

台風10号の影響で不安定だった天気も、安定してきました。

秋になると家庭菜園が一気に忙しくなります。
まず夏野菜の片付け、長丁場のナスやピーマン・シシトウを除いて片付け、はびこっている雑草を根から抜き取ります。
秋冬野菜の種まきや植え付けに備えて石灰を撒き、土壌の中和をはかり、作物によって堆肥や油粕・米ぬかと化成肥料を加え、耕耘し畝をたてると一段落です。
 
    片付けが終わった伊佐屋菜園
    P8310165_2
これから収穫を迎えるのは七夕豆・アズキ・サトイモ・サツマイモ・黒豆・ショウガ・ネギ。
ハクサイやキャベツ・ブロッコリー・タカナはポットで育苗し、ダイコン・カブ・ニンジン・京菜
は種を播きます。
ニンニク・ラッキョウは収穫したものの中からよいものを植えつけます。
イチゴはランナーからポットで育て、10月に移植します。
仕事が現役の時は早朝と夕方、土日が勝負でしたが、リタイア後は時間がたっぷりあるので菜園仕事を楽しんでいます。

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