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2016年10月 4日 (火)

師を悼む

高校3年の担任で卒業後もおつきあいをいただいたK先生が急逝されました。
青蹊書院の主宰者池田草庵の集まりで急に体調を崩され、救急搬送されたものの間に合わなかったとお聞きしました。

20161004_105439_3先生と親しかった豊岡高校18期の仲間と葬儀に出席してきました。
祭壇からいつも通りの先生が笑顔で迎えてくれました。

教員時代から平和を尊び社会正義を守る活動を実践され、卒業後は地域に親しみ、地区の子供たちと交流を続けられているとお聞きしていました。

 

直近では9月11日に「安保関連法制定1周年集会」でお会いし、挨拶すると、「この間の同窓会ありがとう!楽しかった!」と返していただきました。
お歳は召したもののお元気そうで例によって「平和遺族会」の幟を持って、前列付近で行進されていたのが印象的でした。

親族のご挨拶で、弟さんから先生の生い立ちや人となりをお聞きしました。

「満州事変で当主が戦死され跡継ぎがなかったご母堂の実家の姓を継がれたこと。」「子供時代から本が好きで、よく勉強されていたこと。」

「高等小学校を卒業するとき、学校から3度に渡って旧制豊岡中学校受験を勧められ、成績の優秀さと向学の心に、「家格」や資金を気にされながらも父上が進学を決断されたこと。」

戦後の学制改革で、移行した豊岡高校を卒業され広島大学(旧広島高等師範学校)に進まれ、卒業後教職に就かれたこと。
愚直と言えるほどの性格で争いを好まず、名利を求めず不器用に生きられたことなど、先生の人となりを偲ぶことができました。

中国侵略の端緒となった満州事変で義父を失ったこと、豊岡中学校在学時に学徒動員作業で6人の友を失ったこと、戦後間もなく被爆地の広島大学で学ばれたこと、軍国主義教育の反省からの民主教育への強い志などが、平和を尊び生涯をかけて実践された活動の原点だったように思えます。
戒名の4文字の中に先生がなにより求められた平和の「平」がありました。

3年9ホームの担任とししてだけでなく、卒業後もUターン後もいろいろお付き合いいただきました。
名利を求めず生涯かけて平和と社会正義の実現を目指してこられたことに敬意を表しつつ、お酒好きで話し好きだった先生の在りし日の姿を偲びつつお別れしてきました。

<マイブログのK先生関連の記事>
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コメント

3年の時数学を教えていただきましたが、その時は特筆すべきトピックスはありませんでした。卒業後の夏休み等で帰郷したとき、izaya、8HのT君、亡くなった9HのN君の4人でよく先生のお宅にお邪魔し酒を飲みながら歓談したことを思い出します。その時もご自分から話をされることはめったになく、楽しそうに教え子の話を酒を飲みながら聞いておられた先生でした。確か奥様とは学生結婚されたとのことで、「意外に手が早いな」と思ったことが印象に残っています。ご冥福をお祈り致します。

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