旧橋上組愛宕講の始まりは手辺大火
伊佐屋の住む府市場区は家屋敷が東西に広がっていて、西部を手辺、東部を国府市場(こうのいちば)にほぼ二分されています。
国府という地名から但馬の国の国府との関連、市場からも商業中心地だったことが伺えます。
その手辺も上下の組が別れていて、「橋上組」が今の1・2隣保に相当します。
大正時代の手辺の町並み(菅村駅一氏「匂うふるさと」より) クリックで拡大します
橋上組には当時何処の区でもおこなわれていた「伊勢溝」とは別に独自に「愛宕講(あたごさん)」として火伏せの行事が続けられていました。
時期は1月23日またはその頃ですが、当番家に集まり一同でお参りしたあと、飲み食いをしながら夜通し火の用心の夜回りをしていました。
近年は新年会も兼ねて、場所も料理屋でご馳走を食べカラオケで騒ぐスタイルとなりましたが、その前に公民館に戸主が集まり愛宕大神にお参りすることは続けています。
「愛宕神社火災防護攸」のお札をいただき、お祀りし一同揃ってお参りする意味」とは?
この2~3年で代替わりが進んだことで、講の由来や意義を知るものも少なくなりました。
また戸主以外の家族にも「愛宕講」を知ってもらいたいものです。
とかく新年会に偏りがちな風潮を少し危惧して、自分なりにまとめた資料を配付しました。
愛宕講の由来と今日的意義 → 「atagokou-yurai.pdf」をダウンロード
歴史ある「伊勢講」と大正の手辺大火の教訓から始まった「愛宕講」が融合して今日まで引き継がれています。
昨年の12月22日に発生した糸魚川大火災は、台風並みの南風で多くの被害が出たことは記憶に新しいところです。
「火を使うことで生活する人間にとって、火事との闘いは宿命のようなものです。
火元だけでなく隣近所の財産や生命を失うことになりかねない悲惨な出来事です。
手辺大火から100年の時を経て、お祭りの意味を知る人も少なくなりましたが、時代が変わっても火事の恐ろしさや行事本来の意味を忘れずに火の用心に努めたいものです。」
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コメント
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愛宕さんのことは知ってましたが、
ただ単に火の神様としか認識してませんでした。
勉強になりました。
投稿: 栄治 | 2017年1月31日 (火) 07時26分