昨年の記事「戦後71年 敗戦の日」を再録します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8月15日はアジア・太平洋戦争の終戦記念日とされ、戦没者追悼行事が行われます。
ところが15日は天皇が日本国民に向けてラジオ放送された日でしかなく、日本政府がポツダム宣言受諾を英米に回答したのは8月14日とされます。
無条件降伏を受け入れた大日本帝国の敗北は、絶対主義天皇制と日本軍国主義の敗北で、単なる「終戦」ではなく正確に「敗戦」と呼ばれるのが筋だと思います。
国際的には降伏文書が調印された9月2日が連合国の「戦勝記念日」と設定されています。
それはともかくこの戦争でアジア・太平洋地域で2,000万人以上、日本国民も310万人の死者がでています。
伯父と叔父の墓碑
私の家でも、日中戦争の最中13年と14年に、伯父と叔父の二人を中国大陸で失いました。
戦死も初期だったことで、地区を挙げての慰霊を受け、妻は「靖国の妻」、祖父母は2人の息子をお国に捧げた「靖国の父と母」として、靖国神社臨時大祭に招かれています。
府市場区墓地の中でひときわ立派な墓碑が並び立っていて、子供の頃は誇らしくもありました。
一軒の家に2人、13年と14年に連続しているのはまれで、残された妻と幼な子、父母の秀蔵・民恵の悲しみは想像を絶するものでしょう。
授与された勲章や靖国の英霊としての扱いも、戦死の悲哀が誉れに替わるはずはありません。
敗戦から71年、アジア諸国への「植民地支配と侵略」の歴史から学ぼうとせず、再び「富国強兵」の道を歩もうとする安倍政治に強い危惧を抱きます。
また最近の若者の認識にも中国や朝鮮などに対する「嫌・反・憎」の気運が目立つようになりました。
中学・高校の歴史の授業は明治で時間切れ、口では反省を唱えながら昭和の歴史をほとんど教えてこなかった責任も重大です。
排外・愛国を強調し強い国を目指すトランプはアメリカだけに居るのではなく、日本にもいま育ちつつあることに不安を覚えるのは私だけではないでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北朝鮮とアメリカの恫喝合戦が続いています。
現体制の継続を保証させたい金正恩が、国連安保理の決議を無視して、核やミサイルの開発を進めています。
アメリカのイラク侵攻→フセイン政権の崩壊から学んだのです。
日米韓を敵視する金正恩ですが、安倍政権の最大の応援者でもあります。
安倍内閣が富国強兵・憲法改正・国政私物化などで批判を浴び、支持率が落ちそうになると決まって、核実験・ミサイル発射で「将軍さま」が助け船を出します。
そのたびに安倍内閣が軍事脅威を強調し、「防衛体制」の必要性を楯に求心力を取り戻しているのがよくわかります。
過去の戦争いや歴史において、他国からの脅威を理由に有事体制を強め、衝突へと突き進んできました。
米朝両国に自制を求めると同時に、前提条件を廃し、直接対話するのが緊張緩和の第一歩です。
疑心暗鬼に駆られる際限ない戦争準備に較べてこれほど崇高な政治行為はありません。
大学の先輩で石見銀山ガイドの会会長のAさんがよく引用するユネスコ憲章前文の冒頭。
「戦争は人の心の中で生まれものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」
さらに、ここがポイントだと続けて・・・・・
「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。・・・・・・」
対話を重ねる中でお互いを知り、理解することから始まります。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といいます。