2017 涸沢・穂高紀行 Ⅱ (三木隊)
涸沢小屋の夜は、「部屋は超満員。部屋から半身はみ出して寝ている人や廊下で寝る人はあちこちに、もっと凄いのは階段に腰掛けて寝ている人が数人います。テラスに出るとハーフムーンと満天の星、真上にオリオンの三つ星が輝き、明日の好天を保証してくれています。トイレから帰ってくると寝場所がなくなっているので、両横を押し広げて確保します。」
明けやらぬ涸沢の10月1日(日)午前3時半に部屋の電気が点灯しました。
次の目的地、奧穂高岳や北穂高岳に登る人がさっそく準備を始めています。
落石事故で命を落とす人も出て、北ア遭対協がヘルメットの着用を勧めていることもあって、持参している人がずいぶん増えました。
チームF1Bでは、来た道を下る三木隊はノーヘル、奧穂高岳から前穂高岳を目指す植村隊はヘルメットを持参しています。
(写真はクリックで拡大して絶景をお楽しみください。拡大した写真右上の×ボタンで元に戻ります)
日の出は5時44分、予報は晴れ 2回目、4時半の朝食
奧穂高岳へ登りは、吊り尾根を経て前穂高岳を目指す植村隊5名は朝4時には出発し、ご来光やモルゲンロートは途中のザイテングラートで楽しんだことでしょう。
涸沢の朝
モルゲンロート(朝焼け)
前穂高岳 奧穂高岳
三木隊1名は朝焼けを十分楽しんだあと、6時半に涸沢小屋を出発し、標高約2500mの合流地点から、パノラマコースをぐるりと回り涸沢ロッジへ下りました。
涸沢岳 北穂高岳
2017 涸沢の紅葉
ビュースポット 涸沢ロッジのテラス 三木隊1名
2009年、2012年に続く3回目となる涸沢の紅葉をゆっくり楽しんだあと下山を始めました。
時間が経つにつれ、紅葉を楽しんで下る人と、これから登って楽しもうとする人で混雑してきました。
土曜は無理として日曜泊りに「○○○ツーリズム」の何本かのツアーとすれ違いました。
「上り優先」などと暢気なことをいっていたらいつまでも下れません。
分岐の横尾で昼食をとり、本日の宿泊地明神池横の嘉門次小屋についたのが3時頃で、さすがに2夜連続の寝不足が堪えました。
穂高よさらば♪ 明神橋
嘉門次小屋到着 囲炉裏部屋
40分かけるイワナの塩焼き 猟銃とウエストン寄贈のピッケル
風情のある佇まい 夕食は小屋前の食堂
今回は総隊長の植村さんの奨めで、早々と「嘉門次小屋」を予約しました。
小屋の創設者上条嘉門次氏は、上高地を世界に広く称賛し、登山の楽しみを日本人に紹介した英国人宣教師ウォルター・ウェストンの案内人として名を知られています。
ウエストンは登山を日本に浸透させた功労者として、梓川沿いの広場にレリーフが掲げられ、毎年「ウエストン祭」が開かれています。
130年の歴史を持ち、四代目が引き継ぐ小屋で、4部屋30人収容の小規模ですが、初代の面影を残す囲炉裏とじっくり時間をかけるイワナの塩焼きで有名です。
オリジナル「嘉門次」 焼きイワナと野菜の天ぷら
オリジナルの清酒「嘉門次」も美味しかったし、イワナの塩焼きも40分近くかけて炭火でじっくり焼かれ、頭から尻尾まで食べることができます。
お風呂も用意されていて汗を流すことができ、部屋は満室でも一人に布団一枚があてがわれ、やっと手足を伸ばして寝ることができました。
小規模ながら風情ある昔ながらの山小屋は、どこよりも思い出になる小屋でした。
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