辰鼓楼 平成の大修理 第4回見学会
重要伝統的建築群保存地区(重伝建)選定十周年記念事業の一環として行われた、「辰鼓楼 平成の大修理」の完工が近づきました。
6月9日の第1回、7月9日の第2回と記事にしましたが、10月7日に最終の見学会が実施されました。
周りのシートも外され足場だけが残っているので、外からも完工間近だとわかります。
辰鼓楼修理工事を知らせるパネル
工期は4月28日から10月20日まで、出石の一大イベントである「お城まつり」には改装なった辰鼓楼が市民や観光客にお目見えします。
三の丸側から 見学受付の列
開始1時間前から見学者の列ができ、私がゲットしたのは67番の札、その後もどんどん増えて、150人近くになっていました。
見学の前に福岡設計士さんから、辰鼓楼の概要に続き、修理前の状況と修理工事について説明がありました。
地震に耐え50年は持つことを考え、基礎や柱、梁や外壁など交換や補強工事がなされています。
外壁板も当時の写真から推測できる明治期の24cm幅に戻されました。
火災にも気を配り、自動火災報知設備はもちろん外観を配慮して屋根瓦に配線した避雷針も設置されました。
施工担当の大木本社長から伝統建築を施工する職人(大工等)の確保の苦労があり、伝統建築を担当する職人さんや技術の継承が必要なことが強調されました。
伝統建築の指導役、田中定さんから水平レベルと垂直レベルなど技術面の苦労のほか、辰鼓楼を作った先代の職人の工夫が話されました。
外壁と土台
芯柱付近 30cmのコンクリート基礎と平成修理の焼き印
筋交い 耐震のため対角線状にブレース
「平成仮設材」の焼き印 「平成29年度年度修保」の焼き印
梁と柱のズレも一部残る 4階 時計の裏側
4階からの眺め
過去3回見学して、「地震や台風・風雪に耐える建物を残してきた先人の気概と業」と「出石のシンボル・伝統的建築を守り、後世に伝えようとする関係の方々の気概と技術力」が感じられました。
創建から140数年、昭和初期の大修理からも80年以上経っていて修復記録や図面がほとんど残っていない状況で、その場その場で対応する作業でしたでしょう。
今回の修理の記録は後世に残り、辰鼓楼をさらに引き継ぐ貴重な資料となります。
最終仕上げがなされ、あらたな辰鼓楼がお目見えするわけですが、黒っぽい外壁だったのが褐色に変わっています。
黒く見えたのは焼き板を使用していたのではなく、腐食止めのクレオソートを塗り返されたからのようです。
今回は焦げ茶色の防腐防虫塗料が塗られていて、本来のものに近い感じになるそうです。
出石城正面の追手門から、辰鼓楼とともに有子山と出石城を望む「絵になる風景」がもうすぐ復活します。
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コメント
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説明会の説明以上に、
スタッフが考えている以上に、
上手にまとめていただきました。
今後の資料作りに役立ちそうです。
有難うございました。
投稿: F | 2017年10月10日 (火) 09時14分
Fさま
過分なお言葉ありがとうございます。
工事関係者はもちろんでしょうが、歴史的事業に立ちあえたことに感謝しています。
4回にわたり工事の進捗を公開され、歴史遺産を市民と共有することを目指された行政の方々にも敬意を表します。
最終仕上げと工事報告書の作成が残っているでしょうが、まずはお疲れさまでした。
投稿: izayamiki | 2017年10月10日 (火) 21時41分