辰鼓楼 平成の大修理 テレビ放映
今年5月から修理が始まり、先月24日に完成した出石のシンボル辰鼓楼の様子が地元兵庫のサンテレビの報道番組ニュースポートで3日夜に放映されました。
4回に渡る見学会に3回参加したのと山仲間の福岡建築設計士さんが主役の一人でもあり、しっかりチェックしました。
修理を終えた辰鼓楼 明治期に建てられた辰鼓楼
福岡建築設計士さん アドバイザーの田中さんと伊佐屋くん
田中さんのインタビューの映像の中に、見学を終えて出てきた伊佐屋くんを発見しました。
また番組の中で辰鼓楼という名の由来が、すこし気になりました。
第1回目の見学会での説明では、「辰の刻(午前8時)に太鼓をならしたので辰鼓楼と名付けられた」とういう、結構信じられているガイドネタにに対し、「辰は刻(とき)という意味で、出石藩御用部屋日記にも残されている」でした。
出石町史編集に関わられた赤在義信さんの著書、「但馬の城下町 出石を歩く」には、時を知らせた時鐘について、出石藩御用部屋日記を引用した説明があります。
出石藩に委託された晶念寺の鐘は明治になって大太鼓に替わり、櫓さらに楼が建設されたことや時計が寄贈され、時を告げるだけでなく城下町のシンボルとなった歴史的経緯。
鐘や太鼓は辰の刻だけでなく、決められた時間に鳴らされていたことがわかります。
辰の刻に鳴らしたから辰鼓楼? 城下町のシンボルが復活
それはともかく、出石城正面の追手門から、辰鼓楼とともに有子山と出石城を望む「絵になる風景」が復活しました。
辰鼓楼の平成大修理の見学の感想については、マイブログの見学レポートをクリックしてご覧ください。
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コメント
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なかなかない建造物ですね。
ニュースでもバンバン取り上げられてましたね。
投稿: 栄治 | 2017年11月 6日 (月) 08時59分