どんど焼きあれこれ
小正月に近い1月14日に近くの田んぼで、竹で組んだやぐらに火を燃やすのと餅挟みに大きな餅(五升餅)を挟んで焼いていました。
もともとどんどとは、元旦にお迎えした「年神様を炎で天にお送りする行事」といいます。
持ち寄った正月飾りや注連縄 (しめなわ) などを焼き、この火の粉を浴びたり、餅を焼いて食べると健康に過ごせるという願いもあります。
そういえば、1月14日に揖保川添いの道を南に下る際に集落毎に河原で櫓を組んで準備していたのを見ました。
どんど焼きはところによって「左義長」と呼ばれたり、七日正月前後の8日に行われたりいろいろですが、正月明けの行事に神を敬い、無病息災や五穀豊穣・子孫繁栄を願う人々の心は共通しています。
ところで伊佐屋の住む府市場区に「どんど焼き」行事は聞いたことがありません。
どんどや虫送りの火祭り、モグラ(ムクロ)打ちなど古い行事が残っていないのは、早くから市が開かれ、商屋が立ち並んだ府市場(手辺の)地域性が影響しているのでしょうか。
それと商売の盛衰とともに人の移動が多く、地域行事が受け継がれにくかったことも関係があるかも知れません。
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コメント
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かつて僕の子どもの頃は
大晦日に正月明けて15日頃、
そして節分となんどかした覚えがあります。
それに学校行事としても。
今ではすっかりみることもなくなりました。
餅を焼いたりみかんを焼いたり、
雪の降る中を楽しんだ記憶があります。
区内の家1軒づつワラを集めたりしたものですが
今は集めるワラもないようで。。。
投稿: 栄治 | 2018年1月26日 (金) 07時38分