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2019年1月30日 (水)

神鍋高原スノーシュウオーク

冬の但馬には珍しい快晴の予報に神鍋山に出かけました。

数日前の雪で各ゲレンデとも滑走可能、平日でもありお客は少ないものの好天下の滑走を楽しんでいました。
アップ神鍋中央ゲレンデは、消防本部、地元消防団、警察が救助訓練を、自衛隊員のスキー訓練も行なわれていました。

アップ神鍋中央ゲレンデ
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救助訓練中                   自衛隊スキー訓練
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神鍋山山頂コース                ウサギではない テン?
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山頂休憩所                    貸し切りランチ
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南東方向:手前ブリ山、左奧に床尾山     南:粟鹿・青倉・朝来山、右前とんがり山
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左:万場スキー場、右:奧神鍋スキー場   噴火口
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北西:三川山                   白菅山ではなかった
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マイスノーシュー                  裏面
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登りはトレースが残っていたのでらくちん歩行、山頂から少し散策して噴火口を一周し、ゲレンデ隅を直降で戻りました。
簡単に言えば、スキーやスノーボードは雪面を滑る道具、スノーシューは逆に滑らないための道具、日本古来の和かんじきに対し西洋かんじきと呼びます。
滑る快感は得られませんが、少々の傾斜も何のその、下りにも威力を発揮します。


以前は氷ノ山や瀞川山にも登りました。
膝を痛めてから、晴れかつ無風しかも低山に限って年1~2回程度登場します。

 

2019年1月27日 (日)

暖冬でしょうか? 2019

今シーズンの初雪は12月28日に報告しましたが、大寒も過ぎたにもかかわらず、雪なしの暖かい日が続きました。

冬型も強まった26日になると、気温も下がり雪がちらつき豊岡市に大雪警報が出ました。
積雪は7~8cmといったところで、除雪車の出動基準(15cm以上)には至らず、27日朝4時過ぎに警報が解除されました。
明日明後日と雪マークはあるものの冬型の気圧配置は崩れ、ヤマ場は去ったようです。
 
今朝の積雪
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Uターンして35年になりますが、その年の58~59豪雪には泣かされました。
今までの経験では1月の10日~大寒の20日頃、2月に入って節分時期と、「建国記念日」前後にまとまった積雪があるようです。
それを過ぎると雪は降るものの、ほとんど積もることはなく、日も長くなり春が近づくのがわかります。
 
昨日からの雪で、一部を除き営業できなかった神鍋スキー場も営業を始めました。
北近畿豊岡道の日高神鍋高原インターも共用開始となり、京阪神からもさらに便利になりました。
立春を過ぎるまで安心はできませんが、どうやら暖冬のようです。
「山に多く、里には少し」、そんな身勝手な願いを聞き届けてもらいたいものです。
 
 

2019年1月25日 (金)

高生平野の小麦畑

我が家の西、高生平野(国府平野)に青々とした小麦畑が広がっています。

以前から「減反」のために転作され、減農薬大豆や米粉用の米を作っていた圃場です。
一時はソバを作っていた頃もありましたが、播種時期に雨が降ったり地味が肥えているせいか収穫は思わしくなく、ゼロに近い年もありました。

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昨年暮れに発足した農業法人府市場農産では、無農薬白大豆を中心に慣行白大豆・慣行小豆・減農薬米粉の栽培などの栽培を予定しています。
(慣行というのは農薬や化学肥料、化学土壌改良剤などを使う栽培です

国が都道府県に生産量を割り振る「減反政策」は17年度をもって廃止になりましたが、大豆などに転作するすると、転作補助金が支給されます。
今年度も秋の収穫期に向けて、大豆の収穫に使う汎用コンバインや乾燥施設や・選別機など大きな投資が予定されています。

ただ豆類にはつきものの、連作障害を緩和する意味もあって、裏作として小麦を栽培していると聞きました。

もっとも小麦にも連作障害があるようです。
それに較べて米は連作可能で、アレルギーを引き起こすこともなく、日本の風土や生活に適した究極の主食と言えます。

6月頃になると青々と育つ稲と収穫時期を迎えて黄金色に染まる「麦秋」の見事な対比が見られます。
小麦の収穫を終えると無農薬白大豆などが作付けされる予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年1月23日 (水)

アコンカグアへの挑戦(続)

山の師匠Uさんにアコンカグア登頂の時期とその時の様子をお聞きしたところ、返事が返ってきました。

1983年(大学4年生)15日に登頂しました。

当初は単独で挑むつもりでしたが、ペルー滞在中に、故長谷川恒夫さんがツアーガイドで同じ時期に入山することが分かり、また先輩の知り合いがアシスタントで同行している事もあり、一緒に行こうか誘われて帯同しました。
4200mのベースキャンプに到着後1日休養して、単独で登頂してきました。

ベースキャンプからは、6000m付近でビバーク、翌日登頂してBCまで下山しました。
その後はツアーのお手伝いをしておりましたが、他の方は天候や高度順応不足で約5800m付近まででした。
自分はそれまでに4800m・6300mと2山登ってたので高度順応が出来ていてスムーズに登れました。
帯同のお陰でお酒や贅沢な食事を頂けました。

「5800m・6300mの2山」とは、ヒマラヤでしょうか?
アコンカグア登頂成功率は20~30%で、高山病をいかに克服するかということと、天候に恵まれるかどうかが、大きなカギといわれます。
大学山岳部現役で体力があり、高度順応もできていたうえに、天候にも恵まれ、速攻で登頂に成功した強運の持ち主です。
学生で植村直己さんの甥ということで、山仲間に可愛がられ、お酒や贅沢な食事にあずかっています。

なお、叔父植村直己さんは、翌年の1984年2月12日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしましたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となりました。
同年4月植村さんの功績を伝え、国民栄誉賞が授与されました。
 
 
 

2019年1月22日 (火)

アコンカグアへの挑戦

プロスキーヤーの三浦雄一郎さん(86歳)が、南米大陸の最高峰6,961mの登頂を6,000mの地点でドクターストップがかかり、登頂を断念しました。

三浦さんは2013年にも80歳でエベレスト登頂に成功しました。
それ以前にエベレストの標高8,000m地点からスキー滑降に成功したり、世界7大陸の最高峰からスキー滑降に成功したことでも知られています。

登頂中止の決断は同行した大城和恵医師の判断と勧告にしたがったとされています。
大城さんは日本初の国際山岳医、著書「登山外来へようこそ」で、登山におけるリスクと予防や緊急時の対応など山を歩く私たちにとって知っておくべき知識の数々を教えてくれます。

マイブログ「リスクに対応する登山知識」←をクリックでどうぞ!

三浦さんは、高齢に加え心臓に持病を抱えている身で、持ち前の体力とチームの準備やサポートで登頂を目指しましたが、同チームの次男豪太さんらに南米大陸最高峰アコンカグア登頂の夢を託して下山を受け入れたといいます。

アコンカグアの名は、私にとってちょっぴり身近なものです。
一つは「チームF1B」の山登り隊のU隊長が学生のころ登頂したと聞いていました。
いま一つは但馬山友会の仲間で、百名山も完登されたS女子が、2002年に登頂を目指すも、5,950m地点で降り止まぬ雪のため登頂を断念したという記録を読みました。

登頂を目指すには、事前の訓練や装備、現地に入っても高度順化訓練などなど、想像以上の「努力や思い」の積み重ねがあったことを考えると、「勇気ある決断」と片付けるのは複雑な気がします。 

 

2019年1月13日 (日)

伊佐屋の成人式

成人の日は明日14日であっても、都合がつきやすい今日13日(日)に式典が行なわれるようです。

 

豊岡市でも今日開催され、午後1時25分~3時15分に成人式の様子が中継配信されます。

 

昨年の様子を見てみると、新成人の服装は女子は晴れ着に白のストール、男子は背広ネクタイがほとんどでした。

 

 

 

 

我が身を振り返ってみると、時は1967年(昭和42年)1月15日、場所は松江市民会館で成人式が行われました。

 

学生ながらも松江市民となっていた私は、新成人として招待されていましたが、会場入り口で仲間とベトナム反戦・沖縄返還を求めるビラを撒いていたように記憶しています。

 

好景気に沸く日本で、前年のビートルズ来日に浮かれることなく、国内外の社会的矛盾の深まりを懸念して、新成人としてアピールしたかったのでしょう。

 

 

 

 

娘1の場合、合併前で1月は雪が多くスキー場のかきいれ時と重なるため、11月3日に行われていました。

 

まだ大学生だったので、この日に帰郷して出席しました。

 

「親のすね囓りの分際で振り袖は許さない。一張羅のスーツで出席しなさい」との頑固親父の一喝で、娘1はスーツで出席しました。

 

後で写真を見るとスーツは100人超の女子の中で2~3人、少しかわいそうな気もしましたが、かえって目だってよかったかも知れません。

 

 

 

 

娘2の場合3年後でしたが、こちらは嫁さんの実家が孫娘達にと拵えてくれた晴れ着を着ました。

 

これは従姉妹が順番に着用しました。

 

 

 

 

孫1娘の場合、もうすぐ14歳、6年後は成人式を迎え、孫2君はその1年後です。

 

まだどちらもすね囓り中でしょう。

 

 

それぞれどんな出で立ちをするのかわかりません。

 

 

 

 

爺やの1967年から孫1の2015年まで約半世紀、時代も大きく変わり祝い方も変わりました。

 

ところによって10歳で「2分の1成人式」をしたり、80歳で還暦後の「第2次成人式」が行なわれるとか。

 

 

少子高齢化の時代、成人式も「1生に1度のこと」ではなく、2度も3度もあるかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年1月 9日 (水)

ハルの納骨が終わりました

昨年9月28日に亡くなった飼い犬ハルを伊佐屋墓地に納骨してやりました。

収骨しないはずでしたが、ちょっとした手違いで骨をいただきました。
我が家の墓地は祖父母の代まで個々の墓を設けていて、父母から中央の先祖代々墓に葬るようになりました。
ペットも初代のコロ、2代の晋平と墓地の片隅に葬り、目印の小石をおいていました。
3代目のハルも片隅には変わりありませんが、我が家で一番古い享保墓石の奧に葬ってやりました。
目印も小石ではなく、銘は無いものの少し目立つようにしました。
直接に死因は9月7日の交通事故で、足腰の骨を折る重傷にもかかわらず20日間頑張りました。
明日1月10日は生きていれば満14歳の誕生日を迎えるところでした。
 
伊佐屋墓地                     ハルの墓
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「ハル」は仮の名でこの犬は歴とした日本犬 小型柴犬で血統書付きです。
鳥取県三朝町で、父:錦紅王号、母:紅菊姫号の間に生まれ、「文美姫号」と呼びます。
 
                2018 元気な頃のハル
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雌犬ながら伴侶に恵まれず、子を生むことはありませんでした。
毎朝夕の散歩が楽しみで、いろいろな思い出を残してくれました。
墓地は伊佐屋菜園Bと花畑のすぐ隣です。
散歩や農作業の都度ご先祖さまともどもお参りできます。
 
 

2019年1月 8日 (火)

2019 年男あれこれ

今年は6回目の年男です。

干支でいうと「亥」、漢字が動物の形をあらわしていて、他には「巳」(ヘビ)だけだそうです。

干支は中国に起源を持ち、彼の地では「猪」(ブタ)年とされ、日本では「亥」(イノシシ)とされています。
仏教上の理由で殺生を禁じられていた日本では養豚などはなく、野に生息する猪(イノシシ)となったのでしょう。
 
仏教で禁じられた五戒の中に、殺生戒と飲酒戒があります。
猟師は兎や熊・鹿・山鳥など野生動物を獲って生活していました。
庶民も猪のことを「山鯨」(ヤマクジラ)と呼んで、滋養のつくものとして食べていました。
上方落語「池田の猪買い」は有名です。
お寺など修行場で「般若湯」(はんにゃとう)と置き換えて酒を飲んだのも同じですね。
戒めとして守りながら、生活の中に取り込んでしまう日本人の柔軟さです。
イスラムではこうはいきません。
 
干支とくに十二支は、その年に生まれの性格をあらわすとして話題になります。
私などは、「猪突猛進」そのものと言われた時期もありました。
ところで、先日の区役員選挙で選ばれた11人中5人が亥年生まれでした。
府市場区が猪突猛進することがないよう「Watch」しなければなりませんね。
 
ずっと昔、ABCラジオ「おはようパーソナリティ」の中村鋭一氏(故人)が番組でいう言葉です。
山よりでっかいシシは出ん!」=所詮物事には限りがあり、それほど心配しなくてもよいたとえだそうです。
 
 
 
 
 

2019年1月 7日 (月)

七草粥(かゆ) 鳥追い歌

今日は7日、我が家の朝食に粥(かゆ)が出ていました。
「七草がゆ」のつもりで、我が家で採れたスズナ・スズシロなどが入っています。
由来は年末から正月にかけて酷使した胃をいたわり休ませることにあるといいます。
物が少ない昔でもその必要性が言われたのに、ましてやメタボ社会の現代、春の七草を粥に入れて胃を休める意味はますます大きくなります。

春の七草は「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ、これぞ七草」と覚えました。
 
子供の頃、父が菜を刻む時、まな板を叩いて大きな音をさせ、「唐土(とうど)の鳥が、日本の国に渡らぬうちに七草そろえ・・・・・」と唱えていたのを覚えています。
害鳥を追い、疫病が流行せぬことを願った厄除けの一種でしょう。
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昨日体重計にのると、通常より2kg増しの数値がでました。
油断して年末年始に美食を重ねてしまいした。
また2ヶ月前から膝関節が痛み、運動を控えたこともあるでしょう。
少し日数をおくと痛みは少しずつ和らいできました。
あとは飲食を控えて運動を続けながら、身にまとった「厄=錘(おもり)」を外してやることです。
 
冬場は但馬を出て、播磨や阪神での山歩きも楽しみです。
なによりも3月からのシーズン到来に備えて、オフの体力作りに取り組みましょう。
 
 
 
 
 

2019年1月 5日 (土)

庭の草花 2019 新春編

年末に降った雪も消え、足元が広くなりました。

庭には千両・万両というお宝と難転という縁起ものが実を一杯つけています。
年末から元旦に咲くロウバイの咲くのが今年は遅れています。
 
ロウバイ
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センリョウ 
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マンリョウ                      ナンテン
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サザンカ                       スイセン 
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葉ボタン
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シンビジウム                   シクラメン
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2月に入るとピンクのネコヤナギやコウバイが 続きます。
気象庁のまとめによると2018年の台風発生数は29個(平年25.6個)、最大風速54m以上の「猛烈な強さの台風」が7個(観測史上最多)でした。
また夏の「災害級の暑さ」も何度か経験し、熱中症対策で塩飴が品不足になりました。
「災」なんて漢字が一年をあらわすのは御免蒙りたいです。
 

2019年1月 2日 (水)

86歳の挑戦

但馬山友会の大先輩であるHさんが、元日の朝日新聞「声」に掲載されました。

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私の知るかぎりHさんが、正月に掲載されたのがこれで3回目です。
 
●2014年1月 「81歳の挑戦 マラソンと登山
●2017年1月 「84歳 マラソン・富士山再挑戦
 
文中に「昨年2月の故障で、日本アルプス登山はあきらめて氷ノ山など低山登山は続け・・・・。今年こそはハーフマラソン完走と3度目の槍ヶ岳登頂を夢見て・・・」とあります。
ランニングや筋トレの後、毎日20分のストレッチを続けている」とも。
 
氷ノ山(1510m)を低山扱いとは、驚いてばかりいられません。
因みに但馬山友会で氷ノ山の各コースのグレードは中級から健脚です。
私もランニングは無理でも、但馬山友会行事の初級と中級行事の完登を目指します。
 
 
 
 
 

2019年1月 1日 (火)

2019 元旦

2019年元旦は晴天で始まりました。

初日の出も7時過ぎに見られたのでしょう。

右から神鍋山(スキー場)蘇武岳、但馬妙見山
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まずは神様に                  続いてご先祖さま
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先祖のお墓にも                  最後に氏神さまへ
暮れから娘2家族が帰っていて、初スキーを楽しみ、夜はトランプや百人一首、ポンジャンで盛り上がりました。
 
 
 

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