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2019年8月19日 (月)

2019 小豆栽培 Ⅲ(番外編)

小豆栽培が我が家にとって欠かせないのは、祖父が営んでいた「伊佐屋菓子舗」と関係があります。
マイブログ記事 → 伊佐屋菓子店のお菓子Ⅰ伊佐屋菓子店のお菓子Ⅱ
小豆は羊羹や饅頭など和菓子に欠くことができないものです。
我が家はジャガイモの栽培跡に必ず小豆を植え、収穫すると親戚にも配っていました。

軒先に掛けていた看板と和菓子製造用銅鍋
P1040530 P1040506

アジア太平洋戦争が激化して物資の不足が進み、菓子材料である小麦・小豆・大豆など手に入らなくなりました。
特に砂糖が入らないのが決定的な打撃でした。
当然菓子屋は休業状態となり、戦後の復興が進み少しずつ手に入るようになったときは、祖父秀蔵が脳の病で倒れてしまいました。

三男だった父は中国で商社の仕事をして、丙種ながら18年に現地召集されたものの、大きな戦闘を経験せずに中国で敗戦を迎えました。
昭和の初めにブラジルに渡った長男は苦労を重ねつつ家族をもうけ、いまでは三世が家族の中心となり四世まで繋がっています。

次男・四男は戦死、三菱の造船技師だった五男は仕事の無理がたたって結核で病死、男児で唯一残った父が伊佐屋を継ぐことになりました。
21年に中国から復員してきた父に菓子製造の技術はなく、祖父秀蔵の病と死とともに伊佐屋菓子舗は廃業となりました。

もちろん自給は無理でも和菓子材料として大切だった小豆も作れずに、芋やカボチャなど量のある作物を優先して作った苦い思い出が、その後の伊佐屋の小豆に対するこだわりを生んだのでしょう。



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コメント

深い小豆物語ですね。。。

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