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2020年7月29日 (水)

2020 伊佐屋菜園梅雨明け前

例年と較べて1週間から10日間ほど梅雨が明けるのが遅れています。
湿気を含んだ高い気温で一部の作物は生育がよいのですが、菌の繁殖を助け野菜の病気が広がりつつあります。
また、日照時間が少ないことは成熟が遅れます。
スイカ・メロン・キュウリ・ナス・ピーマンなど、周りの農家さんも苦労しているようです。

湿気が好きなサトイモ & ショウガ

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葉ネギ & 岩津ネギ
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芽出しが揃った七夕豆 &  移植後のセロリ
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小豆より4~5日早く播いた「七夕豆」が芽出しは不揃いでしたが、補植のお陰でなんとか揃いました。

        育苗中のイチゴのポット苗
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イチゴは残して置いた株からでたランナーをポットに移して育てます。
10月中旬の定植まで、大事に育てます。

 

  

  

   



  




2020年7月28日 (火)

美方大納言小豆栽培記 Ⅱ

例年より少し早めの21日(火)に播種した美方大納言小豆が揃って芽を出しました。
他の豆と違って芽出しが容易で、梅雨が終わり焼け付くような太陽の下でも大丈夫です。
今年は梅雨が長引き、たっぷり水分の供給を受けています。
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カラスなどに食べられることはありませんが、ネキリムシやコガネムシの幼虫が地中から出てきて根を切ることがあります。
一定の大きさになってその心配がなくなると、2本立ちにします。

2020年7月24日 (金)

庭の草花 2020 7月下旬編

ぐずついたお天気が続きます。
例年になく遅かった梅雨明けも、間近と思われます。
蒸し暑いお天気も困りますが、明ければ熱中症との闘いが始まります。
ナデシコやオミナエシ・キキョウなど秋の七草も見られるようになりました。

ナデシコ & オミナエシ
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キキョウ & ホトトギス
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ヒオウギ & ヒメヒオウギズイセン
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リアトリス  & ワレモコウ(吾亦紅=吾もまた紅なり)
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ミソハギ & ユリ
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カセンソウ & ノウゼンカヅラ 
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ゴーヤ & ミニトマト
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アサガオ & ダリア 
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厳しい暑さに耐えて咲く花も、しっとり水を含んで瑞々しく咲く花も、その場その時健気に生きています。

   


    



2020年7月21日 (火)

美方大納言小豆栽培記 Ⅰ

梅雨明けも間近、七夕豆や小豆の播種時期になりました。
但馬の香美町美方区(旧美方郡美方町)小代地区で長年引き継がれ、特産品のとち餅やきんつばなど和菓子に利用されています。
他に有名なのが丹波大納言で、発祥の地丹波市春日町東中の三尾山登山口に立派な石碑が建てられています。

大納言の名は、「あずきの中で特に大粒な特定の品種群は、「大納言」と呼ばれ、流通・加工上、普通のあずき品種とは区別されています。その名前の由来は、この品種群のあずきは、大粒なだけではなく、煮たときに皮が破れにくい特徴を持ち、いわゆる「腹切れ」が生じにくいことから、切腹の習慣がない公卿の官位である「大納言」と名付けられたと言われています」(公益法人日本豆類協会HP)


小豆の種 & やや深めに播種
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植え付け完了 & 栽培ごよみ
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我が家でも、ぜんざい、赤飯 だけでなく、お盆の団子、正月の餡餅などに利用しています。

祖父の秀蔵が伊佐屋菓子店を営んでいた昭和の時代では、伊佐屋の羊羹として近隣に名を馳せたと聞きます。
祖母の出身地八鹿町上八木を訪ねる際は、必ず手辺で収穫した小豆を信玄袋に入れて土産にしたと聞きます。

豆類は連作をきらうので、伊佐屋では父の代から、ジャガイモを栽培した場所に、石灰や元肥を施して植えることにしています。
30cm間隔で4粒播いて、芽が出揃うと2本立ちにします。
その後追肥や2度の土寄せ、カメムシなどの防除を行ない、11月には収穫し、天日干し乾燥、選別など手間暇をかけて製品にします。

 

 

 

2020年7月18日 (土)

黒鶴栽培記 Ⅲ

6月7日に黒鶴を、15日に丹波黒を播種して、1回目の土寄せを6月27日に行ないました。
7月の半ばに2回目の土寄せと追肥を行ないます。

   黒豆の土寄せのポイント
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土寄せ前 & 本葉のすぐ下まで寄せる
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   追肥と土寄せが終わった伊佐屋菜園B
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寄せる前に追肥としてPK化成(リンとカリ)をすき込み、クワで第一本葉のすぐしたまで土を寄せします。
埋もれたところから不定根が出て、根張りをよくして倒伏防止にもなるそうです。

黒豆では賛否両論ある方法ですが、エダマメと同様「摘心」をテストとして行ないました。
本葉が6枚程度になったとき芯をを摘んで、脇芽を出させ収穫を増やす方法です。
区別のために目印がしてあるので、収穫期に効果のほどがわかるはずです。

これで作業の半分は終わり、リスクがあるとしたら3年続けた連作障害です。
今後はカメムシなどの防除に気を遣います。


 

 

   

 

2020年7月17日 (金)

府市場七地蔵めぐり(八)番外編(たたり田)

七地蔵を年代順に並べると・・・

①観音堂横       寛政四子五月日      (1792年=江戸後期)
②薬師堂南       寛政五丑七月吉日     (1793年=江戸後期)
③善応寺参道      文化三丙寅        (1806年=江戸後期)
④地蔵塔        嘉永七年甲寅載      (1854年=江戸末期)
⑤天菴(延命地蔵尊) 旧智文寺、文久三年亥   (1863年=江戸末期)
⑤首切り地蔵      文久三亥九月         (1863年=江戸末期)
⑦円山川堤防      不明
          
P7090036 古くからすべての民、とりわけ子供を守る仏として庶民に親しまれており、あちこちに置かれています。
薬師如来や観音菩薩や寺院の近くに大きな石仏や堂が造られたのは、江戸時代後期となってからがほとんどです。
農村経済の発展が背景にあったのでしょうが、それまでは縁があったり信仰心の厚い民が路傍に置いた小さな石仏だったでしょう。

首切地蔵に関連して、近くの三角田(たたり田)について触れておきます。

高生平野を分ける山陰線の東南に面した農地で、三角形の形から「三角田」と呼ばれていて、子供の頃から「祟(たた)り田」として、大人からいわれを聞いていました。
耕作者が死んだり事故などの不幸が起き、引き継いだ者も同様の目に遭うことで、祟りがあるとして放置されていました。

首切地蔵との関連は不明ですが、前述の「国府ものがたり」には、国府村誌の記述に「サイ塚という塚があり、明治初年に取り除かれたと記している」とあります。
死者や墓を縁起の悪いものとして忌み嫌い怖れる気持ちと、病気や事故など偶然の事象が重なり合ってこうなったのでしょう。

三角田(たたり田の位置)昔は八代道といった
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現在の三角田(たたり田)
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平成7年から平成15年まで、兵庫県が主体となり、細分化されていた圃場を大規模化する整備が行なわれました。
その時、この三角田の所有者が豊岡市になったようです。(府市場岡ノ後263番1 604㎡)

豊岡市にとっても遊休地の活用及び売却は緊急の課題であり、何度か公売にかけたものの成立したという話しは聞きません。
いまでも写真のように放置されている状態です。





 

2020年7月16日 (木)

府市場七地蔵めぐり(七)首切地蔵

七番目のお地蔵さまは、「首切地蔵尊」です。
場所は村中から遠く離れて、山陰本線を越えて更に西側で、田んぼの真ん中にポツンと堂が立っています。

<首切地蔵尊> 
・場所   高生(たこう)平野の真ん中あたり、圃場整理によって市道が付け替えられた
      ことで、田んぼの中にぽつんと残った形になった。

・立像   四体、身丈、30cm、総丈45cmから50cm(本像)
      右から中央破損のため不明、 次に合掌 文久三亥九月(1863年=江戸末期)、
      次は合掌 昭和五十六年辛酉年春、宝珠と数珠 明治四十二年、酉◯七月、

・由来   平成二十年国府地区公民館の編による「国府ものがたり」には、国府村誌に
      「明治の中ごろ、ここから出土した土器の中に多数の人間の歯が納められており、
      そこを首切り塚というようになった。
      よって塚を弔うためにお地蔵さまを祭ったの
ではないか。
      従ってこのお地蔵さまを首切り地蔵と呼んでいる。
」とあります。

      ほかの伝承では近くにある水上代官所における罪人の処刑場だったいう説と
      近隣の村が水争いをしたとき、相手の首を切って殺したことから名がついた説。

・堂の改築 昭和五十六年、縁がある村人数人が相談し、手辺・国府市場はもとより、
      土居部落まで寄付を募った。従来の三体に一体を加え四体となる。

    首切地蔵と三角田の位置(元は市道で繋がっていた)
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田んぼの中の地蔵堂 & 四体(元は三体だった)     
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中間部欠損のため不明 & 合掌 文久三亥九月(1863年)
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宝珠に数珠(明治四十二年七月)& 合掌(昭和五十六年)
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地蔵盆のおまつり(縁のある家だけでお祭り)
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なお、刻字がある中で一番古いお地蔵さまは、文久三年で、(六)の智文寺の延命地蔵尊と同じ年です。
江戸時代後期になって、農村経済に余裕が出てきたのでしょう。

 

     
  

2020年7月15日 (水)

府市場七地蔵めぐり(六)円山川堤防

七地蔵めぐり第六弾は区内から外れて円山川堤防のお地蔵さまです。
四体あるお地蔵さまは、銘や刻字がなく年代不詳で、ささやかな供養仏とみえます。
図にあるように以前は三ヶ所で祭られ、昭和四十一年に現在の場所に合祀されました。

昭和中期の国府市場町並み & 堂の墨書き(昭和四十一年)
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円山川堤防地蔵四体
   
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お地蔵さまの前掛けを取ると、虫が卵を生んでいました。
ブラシでこすっても落ちません。

両手に宝珠
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合掌 & 左手に宝珠、右手に数珠
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銘や刻字もなく昭和四十一年に三ヶ所を現在の場所に合祀するまでは、路傍に置かれたお地蔵さまだったようです。
思うに円山川の水難事故で亡くなった方々、特に児童の供養佛ではないでしょうか?
踏切や道路交差点、川沿いなど危険がいっぱいの場所にお地蔵さんが祭られているのに気づきます。

観音・薬師の堂や区内の寺に縁がある場所には、深い宗教心と経済力に基づいて寄進されたお地蔵さまが目立ちます。
そんななかで、円山川堤防のお地蔵様はすこし意味合いが違うように思われました。

円山川堤防の府市場伊智神社から西芝八代川水門まで、桜づつみ花回廊として豊岡市指定の歩キングコースにもなっています。
散歩の合間にこのお地蔵様に手を合せていらっしゃる姿をよく見かけます。

 

 

     

2020年7月14日 (火)

府市場七地蔵めぐり(五)天菴(智文寺)延命地蔵

薬師堂や地蔵塔から約60メートル西の区有墓地に添って、大きなお地蔵さまがおわします。
国府村誌中巻・近世編に記述があり、合併前に発行された「ひだか辞典」に、三丹(但馬・丹波・丹後)で一番大きなお地蔵さまと記されています。
身の丈6尺(約2m)に及ぶ延命地蔵尊で、もちろん府市場七地蔵の中で最大の大きさです。

<天菴(てんあん・智文寺)>
      
・天菴   出石の見性寺住職智文が、近隣の篤志家や地元の支援を受け、隠居寺として
      安政六年に郷里国府市場に建立された。
      菴とは小さな家、粗末な家という意味で、近年では三代羽賀徳明尼が住まわれ、
      庵主さんと呼ばれていた。
      徳明尼死去の後、無住寺になり荒廃した智文寺は、平成27年(2015年)に形を
      変えて再建された。

智文寺の歴史については、「伊佐屋三木のblogの2013年 智文寺の歴史」をクリックでどうぞ。

再建された天菴(智文寺)と延命地蔵 & 本尊(木造釈迦三尊)
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・延命地蔵 
               座像 全跏趺坐(ぜんかふざ)
      文久三年(1863年=江戸末期)
      高さ六尺(約2m)、左手に宝珠、右手に錫杖
      台座の銘と燈籠に、天菴造立が安政六未七月 
      鰐口には文久元年(1861年)とあり、二人の女性の戒名が記されている。

      地蔵堂堂宇は、関連する寺院(見性寺・頼光寺・善応寺 )と篤志家によって
      平成十六年に改築された寄進札が置かれている

      
地蔵堂 & 延命地蔵尊

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地蔵と蓮台を乗せている台座周囲は、〇〇信士、〇〇信女という多くの戒名がびっしり刻まれていて供養塔の性格を帯びています。
(四)の地蔵塔でも触れたように、両者は見性寺 第14世霊鳳智文和尚に関係しています。
江戸後期の寿永七年(1854年)、安政六年(1859年)にこれだけの像や堂を作り上げる信仰心と経済力に驚かされます。

・台座銘
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      安政六未七月
      天菴開闢
       天菴造立
      寒外智庭信士 

燈籠(安政六年未歳八月吉日)
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・燈籠銘  獻燈
      赤木甚太夫
      安政六年未歳八月吉日(1859年=江戸後期)
      金拾両燈明金  尾張名古屋 釈尼妙〇

鰐口
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・鰐口銘  国府市場 天菴
      文久元辛酉八月廿一日
      空山惠光信女
      無着相珎信女

十六羅漢(〇〇〇〇〇尊者)? 手に払子(ほっす)や巻物
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燈籠が天菴造立と同じ安政六年(1859年 、地蔵堂に下げられている鰐口が文久元年(1861年) 、地蔵本体が文久三年(1863年)です。
いまでは一体として置かれていますが、後で並べたことになりますね。

地蔵建立は文久三年(1863年)とありますが、首切り地蔵の一体には「文久三亥九月」(1863年=江戸後期)と刻されています。
奇しくも同じ年のようですね。


 

 

 


2020年7月13日 (月)

府市場七地蔵めぐり(四)薬師堂向い地蔵塔

薬師堂の南西向いに、堂はありませんがもう一体のお地蔵塔があります。

<薬師堂向い(地蔵塔)>
・座像   全跏趺坐(ぜんかふざ)、定印を結ぶ 身丈約80cm
           台座(蓮台)を載せた六角柱にそれぞれに刻字
・造立   嘉永七〇〇甲寅載(1854年=江戸末期)

総高3m超の地蔵塔 & 定印結び(両手の手のひらを上にして腹前上下に重ね合わせ)
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・正面   經王(一字・一石・一禮)塔
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・左一面       村内有縁無縁
          絶家諸精霊
      為  俊翁良智信士   菩提
          潤光恵妙信女

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・二面   發(発)願主
      見性寺霊鳳叟(おきな)
      (見性寺は出石町の曹洞宗寺院)
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・三面   世話方
      惣村中(村人すべて)
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・四面   嘉永七〇〇甲寅載(1854年=江戸末期)
      季春吉日造〇
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・五面   〇以〇〇〇〇〇一切
      我等興衆生皆共成仏〇
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見性寺は出石町の曹洞宗寺院であり、この地蔵さまは、(五)で登場する天菴(てんあん:菴は庵の異体字)(安政六年=1859年)より、五年早く建立されています。
二面にあるように發願主が見性寺霊鳳叟(おきな) となっのていることから、天菴を造立する前に供養塔として建立されたことが類推されます。
霊鳳とは見性寺 第14世霊鳳智文和尚のことで、篤志家や村人の力を借りて故郷である国府市場に隠居のための菴(後に智文寺)を造立しました。

このお地蔵さんは、昭和の頃「いぼ地蔵」と呼ばれていて、いぼに効果があるとの言い伝えがあります。

2020年7月12日 (日)

府市場七地蔵めぐり(三)薬師堂南

府市場村の西部を手辺(てへん)、東部を国府市場(こうのいちば)と呼んでいます。
明治から昭和にかけて祭礼の屋台やだんじりなどはそれぞれが所有していました。
仏様も手辺に観音堂、国府市場に薬師堂が置かれ、前述のように昭和十四年、浜田さくさんによって土地と堂が寄進されています。

<薬師堂南>
・立像   6体、身丈(頭丈)35~39cm、総丈63cm~67cm、
      右から合掌、両手で宝珠、平成仏は宝珠と錫杖、両手で錫杖、両手で宝珠、
      最後に右手宝珠と左手数珠、
・正面刻銘 延命地蔵尊
・造立時期 寛政五丑七月吉日(1793年=江戸後期)
・願主   當(当)村  仁左衛門
・再建移転 平成五年八月
      太平洋戦争、国府市場戦没者六人の供養像を加え六体となった。

身丈約一尺、総丈約二尺で、すべて立像ですが、持物がそれぞれ異なっています。
以前は少し東側にあったものを、薬師堂改築(方向移転)によって西に移動し現在地となりました。

薬師堂南地蔵堂 & 六地蔵尊
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寛政五年の地蔵尊 & 平成五年安置の地蔵尊
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刻字がある中で一番古いのは、観音堂横の地蔵(寛政四年)の翌年に、同じく府市場村の仁左衛門さんによって寄進されています。
平成仏は、輪光背を背に左手に宝珠、右手に錫杖のスタンダードスタイルです。

合掌 & 両手で宝珠
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両手で錫杖 & 左手宝珠・右手に数珠
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薬師堂北の十二体のお地蔵さま & 浜田さくさん寄進碑
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平成五年に改築したとき、一体増やして六地蔵としたのは、仏教でいうところの「六道」(衆生が業によって生死を繰り返す六つの世界)、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道 に現れて救うという地蔵信仰に基づいたものでしょう。

以前からあったであろう破損したお地蔵さまは、薬師堂北側に十二体が集められています。

 

 

 

   

2020年7月11日 (土)

府市場七地蔵めぐり(二)善応寺参道

<善応寺参道の延命地蔵尊>

七地蔵めぐりの第二弾は、善応寺参道入り口の延命地蔵尊です。
このお地蔵様は、台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組まれています。(半跏=はんか)
ほかのお地蔵さまは、比較的小ぶりなものは立像、大きな像となると座像です。

・座像   半跏趺坐、三尺(約100cm)、左手に宝珠、右手に錫杖
      錫杖と宝珠を持つお姿で左足を垂れて半跏するのが、延命地蔵のスタイルとか。

善応寺参道 & 半跏(はんか)のお地蔵さま
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・正面刻字  奉讀誦 
        延命地蔵
        菩薩經
        一千巻
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・左面   文化三丙寅(1806年=江戸後期)
              年
六月十八日
      善應寺〇 
      良順代訴?(祈)
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・右面   施主
      府市場村
      上町新村
      善男子等
      丹後久美〇
      〇屋治〇
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観音堂横のお地蔵さま(1792年)に14年遅れて造立され、天菴跡の延命地蔵尊6尺(約2m)に次ぐ大きさで、りっぱなお地蔵さまです。
左面の文字から善応寺にご縁があり、右面に丹後久美浜の方も加わっていることがわかります。
このお地蔵様は、お寺も所属する第五隣保がお祭りされています。

 

 

2020年7月10日 (金)

府市場七地蔵めぐり(一)観音堂横

<観音堂横>
・座像    全跏趺坐(ぜんかふざ)、46cm、左手に宝珠、右手に数珠、
・正面刻銘 供養佛(養の羌と艮が上下でなく、左右に書かれている) 
・造立年月 寛政四子五月日(寛政四年のねずみ年 1792年=江戸後期)記録では最古
・願主    仁左衛門
・他に四体の破損地蔵あり

地蔵堂 & ご本尊
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「養」の上下が左右に分かれる & 欠損した4体の地蔵        
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願主の仁左衛門さんは、翌寛政五年に薬師堂南の地蔵さんも寄進されています。
観音堂はもとは、現公民館がある土手に置かれていたが、約八十年前の昭和十四年に移築されました。
お地蔵様もその時一緒に移築されました。

桑畑だった土地七十坪と堂宇が、府市場出身で大阪市の「浜田さく」刀自(年輩女性の尊称)から寄進されました。
「浜田さく」さんは、国府市場の薬師堂も同年に寄進されています。
お家が堂島の米相場で儲けられたのではないかと古老が話していました。

幼少期に手辺に住んでいた菅村駅一さんの著書「匂うふるさと}に当時の手辺の家並みが書かれています。
現在の公民館があるところは堤防の高台だったことがわかります。
信号がある国道は、堤防に沿って付け替えられています。
かしや(いざや)とあるのが我が家で、当時は土居に抜け江原に通じるメイン道路でした。

    大正時代の手辺村家並み (クリックで拡大します)
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浜田さくさん寄進碑 & 観音堂に移してお祭り
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お隣の観音堂のお祭りは、祇園祭と同じ七月十七日の宵から手辺の第一から第五隣保が持ち回りでお祭り、お講の方々がご詠歌を捧げます。

地蔵盆の八月二十三日には、隣の観音堂にご本尊を移して中学生が担当しお祭りしています。 

 

2020年7月 9日 (木)

府市場七地蔵めぐり

お地蔵さまはすべての民を救済してくださり、関西では子供を守る仏として、府市場でも8月23日の「地蔵盆」には子供たちが主役で、お団子をお供えしお祭りしてきました。
2005年(平成17年)から子供中心の「地蔵盆」を「地蔵まつり」と変えて、区全体で取り組み、バザーを用意し、区民の懇親・交流をはかる夏祭りとなりました。

雨に咲くクチナシ
P7100057 新型コロナウイルスの関係で、今年の祭りは中止が決まりましたが、普段通りの飾り付けをして、子供によるお祭りは行なわれます。

それぞれご縁があるお地蔵様をお飾りしお祭りするのですが、地蔵盆を機に区内全部のお地蔵さんに親しんでもらうため、子供育成会で「七地蔵めぐりスタンプラリー」を企画中です。

七ヶ所にあるお地蔵様の「いわれ」を教えて欲しいとの依頼があり、写真を撮り、像や礎石に刻まれた文字を調べてみました。

死者への供養と現世と来世の救いを求める願いがこもっているのですが、中には「首切り地蔵」という物騒な名前がついたお地蔵さまが祭られています。

また、18体のお地蔵さまも様々です。
持物は、両手に何も持たず手の印だけ、両手に宝珠のみ、錫杖だけ、宝珠と錫杖、宝珠と数珠、何も持たず合掌があります。
お姿は、立像、座像、半跏像(片足を垂れてもう一方の足を組む)があります。
明日から七回に渡って「府市場七地蔵」を巡ってみます。

 

  
 

 

 

    

2020年7月 7日 (火)

今はふれあわない

緊急事態から少し落ち着きを見せたものの、経済や交流が元に戻りつつある中で、都市部に感染者が増え第2波が心配されます。
新型コロナ感染対策で地域の会議や行事の見直しや中止が相次いでいます。
豊岡市では「出石お城まつり」や「永楽館歌舞伎」など、11月実施予定の秋行事中止が決まりました。

国府地区でも各種会議は書面議決か中止、体育行事ではソフトボール・ソフトバレー、他に観桜会(桜を見る会)や植村直己冒険書受賞者を囲む会が中止されました。
また、地域の小中学校運動会中止を受け、メイン行事でもあった地区の「ふれあい運動会」の中止も決まりました。
春行事から夏祭り行事へ、そして運動会や秋祭りなど秋行事まで見直し又は中止する方向で検討されています。

府市場区も、3月の敬老会が中止され、4月の定期総会が書面による議決に変更され、8月23日の区主催夏祭り行事「地蔵まつり」の中止が決まりました。
もうすぐ開催される地区区長会で、10月11日(日)の秋祭りも大幅な見直しがなされることでしょう。

雨で透明になったサンカヨウ('15ハチ北)
Img_2126 過疎が進み、生活スタイルの変化で人との関係が希薄になりつつある地域にとって、「ふれあう」ことは、年代や職業などが異なる仲間や繋がりを増やす、防犯上も防災上も大切なものです。
その「ふれあい」が「密」としてリスクを生むコロナ禍は、人の健康だけでなく地域の「健康」を脅かすものですが、「治療薬も予防薬もない今は、ともかく触れあわないこと」しかありません。

府市場区の秋祭りについて今後検討されますが、感染防止に配慮してだんじり曳行や酒食の接待をやめ、神事のみ執り行うことになるでしょう。
そうなると、昭和63年秋の昭和天皇重篤による祭行事の自粛以来32年ぶりとなります。






 

 

 

  

2020年7月 5日 (日)

SHARPマスク当たったけど

7月1日の午後に、【第10回ご当選のお知らせ】シャープ マスク MA-1050ご購入手続きのご案内として、『第1回~第10回までにご応募いただいた方の中から、厳正なる抽選の結果、ご当選されましたのでお知らせいたします。』とのメールが来ました。

シャープホームページから
Title_1 4月27日から販売開始して、毎回100倍を超える申込でしたが、増産もあって第10回は100倍を切っているようです。
抽選は、第1回目から応募していれば、自動的に対象となり、毎週水曜日に行なわれる抽選に当たれば当選通知メールが届きます。
すでに応募した方は、自動的に次回の抽選対象となります。

すでに7月に入っていてマスクも手に入りやすくなってきました。
メイドインジャパンのマスク品質は魅力でも、今となると価格の高さで二の足を踏みます。
価格は¥2,980(税抜き)+送料、支払いはカードのみで、送料を入れると税込みで3,938円となり、1枚あたり約80円となります。

三重県の多気工場のクリーンルームで生産されていて、マスク左下に「SHARP」のロゴが入っています。
NETでは、どさくさに紛れて作られた?中国製が、1枚あたり10円を切って販売されています。

運試しもあって第1回から申し込みましたが、10回目で当選とはさほど運がよいとは思えません。
申込締切りは6日午後5時とのこと、値段が高すぎて申込は見送ります。


 

   

2020年7月 3日 (金)

2020 コウノトリの親子 山本巣塔の記録

30日から1日にかけて巣立った山本巣塔のコウノトリの親子が揃って餌をあさっていました。
前日の2日は子供2羽が巣塔に戻っていました。

こちらは父(足輪なし) & 母と子供
P7030016 P7030010

               4羽勢揃い(背後の山は南方向:須留岐山)
                P7030023
 
今年は2月22日(土)のペアリング開始から、7月3日の家族勢揃いまで4ヶ月と10日の観察でした。
過去1年だけ繁殖がなかったと記憶していますが、毎年2~3羽が巣立っています。

<伊佐屋三木のblog & 伊佐屋三木のblog2 山本巣塔の記録>

↓ それぞれクリックしてご覧ください  戻るボタン(←)で元の記事に帰ります。

・2007年6月      豊岡市日高町山本地区の田んぼにケージを作ってつがいを試験放鳥
・2012年7月13日 (金)  山本巣塔のヒナが巣立ちしました(3羽)
・2013年7月 2日 (火) 山本人工巣塔 コウノトリの巣立ち(3羽)
・2014年5月24日 (土) 山本巣塔コウノトリすくすく育ってます(3羽)
・2015年5月19日 (火) 2015 コウノトリ 山本巣塔 育雛中(2羽)
・2016年5月14日 (土) 2016 コウノトリ 山本巣塔 抱卵中 (無精卵0)
・2017年7月 2日 (日) 2017 コウノトリ 山本巣塔 巣立ち(2羽)
 (2017年6月 8日 (木) コウノトリ 山本巣塔 足輪装着 )
・2018年6月19日 (火) 2018 コウノトリ 山本巣塔 巣立ち(3羽)
・2019年8月13日 (火) 2019 コウノトリ山本巣塔 巣立ち(3羽)

2007年の試験放鳥から最初の巣立ちまで5年かかりました。
巣立ちまで確認していない年もありますが、私の計算では19羽となりました。
2016年を除き、このペアは産卵から孵化、巣立ちまで、子育て上手の仲のよい夫婦です。









 



    



2020年7月 1日 (水)

2020 コウノトリ 山本巣塔 巣立ち

28日に「巣立ち間近」と書いたところ、30日に1羽、残りの1羽も巣立ちました。

もぬけの殻の日高町山本巣塔
P7010047 P7010049
巣立ったとしても、しばらくは巣塔に戻ったり寝るようです。
以前ウオッチャーにお聞きしたところ、巣から飛び立っても地面に降りず巣に戻った場合は、巣立とは判定しないそうです。

2019年に巣立ったのは3羽、仕切り直しのため8月17日頃でした。
2020年は産卵は3個と推定されましたが、巣立ちまで成長したのは2羽でした。
この時期、国府平野の田んぼは中干しのため水を抜くので、カエルや水生昆虫が捕りやすくなります。
親のすねかじりから、自前の調達となったのです。
シラサギやアオサギに混じって、コウノトリの子供たちも餌取りに励むことでしょう。



 

   

    

今日は半夏生

今日は「半夏生(ハンゲショウ)」と呼ばれ、七十二候の一つです。
Img_20200701_0001 「夏至から11日目を言い、関西ではから半夏生にタコを食べる習慣がある」とスーパーのチラシに書いてあります。

モーリタニア産に較べて本場明石産が100グラムあたり2割高くなっています。
タコを食べる理由としては、稲の根がタコの足のようにしっかりと張って豊作になりますように、という願いが込められていると言います。

伊佐屋菜園ではキュウリの最盛期で、6本の苗から毎日6~7本の収穫があります。
冷蔵庫に昨日買った北海道産のタコがあるので、タコとキュウリの酢の物が夕食に出ることでしょう。

わが家の庭に咲くハンゲショウも盛りを迎えています。
花期に葉が白くなるのは、虫媒花であるために虫を誘う必要から このように進化したといわれています。
葉が白化する植物は,猫が大好きなマタタビも同じです。

ハンゲショウ & マタタビ
P6300209_20200701081401  P6230174
昨日6月30日は一年の前半の終日として、「夏越しの祓い」神事で茅の輪くぐりがニュースとなっていました。
後半の初日である半夏生も、前半の終日の祓い行事も、季節の動きや植物の変化を農事など生活と結びつける先人の知恵です。

 

 

 

 

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