府市場七地蔵めぐり(七)首切地蔵
七番目のお地蔵さまは、「首切地蔵尊」です。
場所は村中から遠く離れて、山陰本線を越えて更に西側で、田んぼの真ん中にポツンと堂が立っています。
<首切地蔵尊>
・場所 高生(たこう)平野の真ん中あたり、圃場整理によって市道が付け替えられた
ことで、田んぼの中にぽつんと残った形になった。
・立像 四体、身丈、30cm、総丈45cmから50cm(本像)
右から中央破損のため不明、 次に合掌 文久三亥九月(1863年=江戸末期)、
次は合掌 昭和五十六年辛酉年春、宝珠と数珠 明治四十二年、酉◯七月、
・由来 平成二十年国府地区公民館の編による「国府ものがたり」には、国府村誌に
「明治の中ごろ、ここから出土した土器の中に多数の人間の歯が納められており、
そこを首切り塚というようになった。
よって塚を弔うためにお地蔵さまを祭ったのではないか。
従ってこのお地蔵さまを首切り地蔵と呼んでいる。」とあります。
ほかの伝承では近くにある水上代官所における罪人の処刑場だったいう説と
近隣の村が水争いをしたとき、相手の首を切って殺したことから名がついた説。
・堂の改築 昭和五十六年、縁がある村人数人が相談し、手辺・国府市場はもとより、
土居部落まで寄付を募った。従来の三体に一体を加え四体となる。
首切地蔵と三角田の位置(元は市道で繋がっていた)
田んぼの中の地蔵堂 & 四体(元は三体だった)
中間部欠損のため不明 & 合掌 文久三亥九月(1863年)
宝珠に数珠(明治四十二年七月)& 合掌(昭和五十六年)
地蔵盆のおまつり(縁のある家だけでお祭り)
なお、刻字がある中で一番古いお地蔵さまは、文久三年で、(六)の智文寺の延命地蔵尊と同じ年です。
江戸時代後期になって、農村経済に余裕が出てきたのでしょう。
« 府市場七地蔵めぐり(六)円山川堤防 | トップページ | 府市場七地蔵めぐり(八)番外編(たたり田) »
「府市場物語」カテゴリの記事
- 2024 府市場区秋大祭(2024.10.13)
- 府市場タヌキ(2024.02.06)
- 府市場区収穫感謝祭(秋ブラナイン)(2023.11.26)
- 手辺ソバ栽培中(2023.09.30)
- 2023 敬老の日(2023.09.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント