府市場七地蔵めぐり(五)天菴(智文寺)延命地蔵
薬師堂や地蔵塔から約60メートル西の区有墓地に添って、大きなお地蔵さまがおわします。
国府村誌中巻・近世編に記述があり、合併前に発行された「ひだか辞典」に、三丹(但馬・丹波・丹後)で一番大きなお地蔵さまと記されています。
身の丈6尺(約2m)に及ぶ延命地蔵尊で、もちろん府市場七地蔵の中で最大の大きさです。
<天菴(てんあん・智文寺)>
・天菴 出石の見性寺住職智文が、近隣の篤志家や地元の支援を受け、隠居寺として
安政六年に郷里国府市場に建立された。
菴とは小さな家、粗末な家という意味で、近年では三代羽賀徳明尼が住まわれ、
庵主さんと呼ばれていた。
徳明尼死去の後、無住寺になり荒廃した智文寺は、平成27年(2015年)に形を
変えて再建された。
智文寺の歴史については、「伊佐屋三木のblogの2013年 智文寺の歴史」をクリックでどうぞ。
再建された天菴(智文寺)と延命地蔵 & 本尊(木造釈迦三尊)
・延命地蔵
座像 全跏趺坐(ぜんかふざ)
文久三年(1863年=江戸末期)
高さ六尺(約2m)、左手に宝珠、右手に錫杖
台座の銘と燈籠に、天菴造立が安政六未七月
鰐口には文久元年(1861年)とあり、二人の女性の戒名が記されている。
地蔵堂堂宇は、関連する寺院(見性寺・頼光寺・善応寺 )と篤志家によって
平成十六年に改築された寄進札が置かれている
地蔵堂 & 延命地蔵尊
地蔵と蓮台を乗せている台座周囲は、〇〇信士、〇〇信女という多くの戒名がびっしり刻まれていて供養塔の性格を帯びています。
(四)の地蔵塔でも触れたように、両者は見性寺 第14世霊鳳智文和尚に関係しています。
江戸後期の寿永七年(1854年)、安政六年(1859年)にこれだけの像や堂を作り上げる信仰心と経済力に驚かされます。
・台座銘
安政六未七月
天菴開闢
天菴造立
寒外智庭信士
燈籠(安政六年未歳八月吉日)
・燈籠銘 獻燈
赤木甚太夫
安政六年未歳八月吉日(1859年=江戸後期)
金拾両燈明金 尾張名古屋 釈尼妙〇
鰐口
・鰐口銘 国府市場 天菴
文久元辛酉八月廿一日
空山惠光信女
無着相珎信女
十六羅漢(〇〇〇〇〇尊者)? 手に払子(ほっす)や巻物
燈籠が天菴造立と同じ安政六年(1859年) 、地蔵堂に下げられている鰐口が文久元年(1861年) 、地蔵本体が文久三年(1863年)です。
いまでは一体として置かれていますが、後で並べたことになりますね。
地蔵建立は文久三年(1863年)とありますが、首切り地蔵の一体には「文久三亥九月」(1863年=江戸後期)と刻されています。
奇しくも同じ年のようですね。
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