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2020年7月10日 (金)

府市場七地蔵めぐり(一)観音堂横

<観音堂横>
・座像    全跏趺坐(ぜんかふざ)、46cm、左手に宝珠、右手に数珠、
・正面刻銘 供養佛(養の羌と艮が上下でなく、左右に書かれている) 
・造立年月 寛政四子五月日(寛政四年のねずみ年 1792年=江戸後期)記録では最古
・願主    仁左衛門
・他に四体の破損地蔵あり

地蔵堂 & ご本尊
P7090006 P7090002

「養」の上下が左右に分かれる & 欠損した4体の地蔵        
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願主の仁左衛門さんは、翌寛政五年に薬師堂南の地蔵さんも寄進されています。
観音堂はもとは、現公民館がある土手に置かれていたが、約八十年前の昭和十四年に移築されました。
お地蔵様もその時一緒に移築されました。

桑畑だった土地七十坪と堂宇が、府市場出身で大阪市の「浜田さく」刀自(年輩女性の尊称)から寄進されました。
「浜田さく」さんは、国府市場の薬師堂も同年に寄進されています。
お家が堂島の米相場で儲けられたのではないかと古老が話していました。

幼少期に手辺に住んでいた菅村駅一さんの著書「匂うふるさと}に当時の手辺の家並みが書かれています。
現在の公民館があるところは堤防の高台だったことがわかります。
信号がある国道は、堤防に沿って付け替えられています。
かしや(いざや)とあるのが我が家で、当時は土居に抜け江原に通じるメイン道路でした。

    大正時代の手辺村家並み (クリックで拡大します)
    Tehen

浜田さくさん寄進碑 & 観音堂に移してお祭り
P7110059  P8230126_20200710101701

お隣の観音堂のお祭りは、祇園祭と同じ七月十七日の宵から手辺の第一から第五隣保が持ち回りでお祭り、お講の方々がご詠歌を捧げます。

地蔵盆の八月二十三日には、隣の観音堂にご本尊を移して中学生が担当しお祭りしています。 

 

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