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2021年5月25日 (火)

北但大震災 ボランティアの先駆け

阪神淡路大震災で、住民同士の絆の大切さと今までにない形のボランティア活動が注目され、95年を「ボランティア元年」と呼ぶようになりました。

その先駆けともいえるボランティア活動が当地の記録に残っています。
96年前の1925年(大正14年)5月23日に豊岡や城崎など北但一帯を襲った地震は、多くの家屋が倒壊・焼失し、多数の負傷者や死者が出ました。

旧制豊岡中学校(現豊岡高校)には、但馬各地から一年生から五年生まで、567人が在校していました。
地震直後から寄宿舎生約80名と鉄道不通のため帰宅出来なかった遠距離通学生たちが中心となって倒壊家屋の下敷きになった死傷者の救出や消火、家財の搬出など、通学生も併せてた190人が活躍し、知事から感謝状が贈られたことが資料に残っています。

北但大震災で救命・消火の最前線で活躍した生徒が、その後作文を残しています。

・学校運動場が炊き出し場所になったり、被災者案内が 掲示されたり、阪神大震災と様子が似ています。
・円山川改修工事に来ていた朝鮮人労働者による救援活動に感動し、高く評価しています。
 
(3年前の関東大震災では、「朝鮮人が火をつけた」「暴動をおこした」などの流言が飛び、罪もない人達が、民間の自警団に殺されたこと  から考えると、地方では人間同士の助け合う心が発揮されています)

鳥取高等農学校(現鳥取大学農学部)の学生たちが、寮生大会で支援を決議し、身近にある農具を持って、鉄道が不通区間は徒歩で支援に駆けつけました。
 これは学校に無断で行動したことですが、学校側も不問に付しました。


平成16年10月台風23号により、豊岡市は大水害を蒙りましたが、このときも多くの方々の支援を頂きました。
災害自体は不幸なことですが、人がお互いを思い合うこと、そして助け合うことの大切さを教えてくれますね。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

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コメント

やはりこのように大事に伝え続けていくことが
いちばんの防災だと思います。

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