但馬丹後震災畵報 Ⅰ
円山川河口付近を震源とする「北但大震災」が起こったのが大正14年5月23日、今年で96年を迎えました。
当時の豊岡町・城崎町を中心に死者420名、全焼約1,700戸、全壊約800戸という大きな被害をもたらしました。
「畵報」には、「(前文省略)・・最初の大振動と共に城崎では百二十四戸、豊岡では一千五百八十三戸を焼き、両町はまったく全滅してしまったのである」と記されています。
翌5月に写真集「但馬丹後震災畵報」が、大阪毎日新聞社から発行されています。
(畵は画の旧字体)
代々府中郵便局長を努められているKさんからお借りしてきました。
豊岡小学校校庭に集まった避難者の群れ(右奥建物は旧制豊岡中学校本館?)
地蔵湯付近から眺めたの城崎温泉
「天災は忘れた頃にやってくる」(寺田寅彦の言葉とされる)こともあり、予知が全くと言っていいほどできない地震ですが、過去や歴史から学んでおきたいものです。
「災害の記憶を風化させることなく、防災・減災対策に生かす」として、例年開催されていた「北但大震災メモリアル写真展」も緊急事態宣言発令で中止されました。
(この写真展でも、「但馬丹後震災畵報」の写真が多く使用されています)
なお、「但馬丹後震災畵報」は、豊岡市立図書館に保存されているのと、国立国会図書館にも保存されています。
写真展で見られないなら・・・・・・
国立国会図書館デジタルコレクション 「但馬丹後震災畵報」← をクリックして検索してください。
62コマ全部が見られます。URLは https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/967851
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コメント
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やはり忘れないってことが大事ですね。
それは結局語り継いでいくほかないってことかと思います。
今朝の新聞に震源地近くの田結地区が出てました。
投稿: 栄治 | 2021年5月24日 (月) 07時10分