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2021年8月14日 (土)

戦争の呼び方

日本や日本人にとって忘れてはならない日が近づきます。

世界的には「第二次世界大戦」と呼ばれ、1941年以降の欧米特にアメリカに関わる戦争を私たちは「太平洋戦争」と教わりました。
P8120140_2 日中戦争(支那事変)で亡くなった伯父と叔父の墓)
日本が世界的規模の戦争に突入した端緒となった中国侵略は当初満州事変・上海事変そして支那事変と呼びました。
戦争と名づけられたのは米英と開戦した1941年に、「大東亜戦争」と呼ぶようになってからです。

東京大学教授で歴史学者の加藤陽子さんは、事変と呼んだのは「アメリカの中立法」と関係があるとされています。
互いに交戦中の国に対して、アメリカからの武器や軍需物質の輸出を禁じるというもので、石油や製鉄材料をアメリカからの輸入に依存している日本にとって戦争という名は避けたかったと分析されています。

最近では「アジア・太平洋戦争」という呼び方が増えてきました。
昭和6年の満州から中国全土への軍事的進出である「日中戦争」と、「南方と太平洋」で繰り広げられた米英との戦争と合せた15年間を表現するには、「アジア・太平洋戦争」がより正確に表していると思います。

直接的にはアメリカの攻撃で、降伏に追いやられても、15年にわたる中国人の抵抗と戦いが日本の敗戦を決定づけました。
真の勝者は、侵略者に対し頑強に抵抗し、欧米の参戦を招き、日本の敗戦で独立自立を勝ち取った中国、朝鮮をはじめとするアジア諸国でした。

日中戦争における日本軍の戦死者は47万人といわれ、戦争全体では、日本軍関係が230万人と民間人80万人が亡くなっています。
そのうち約90%が1944年(昭和19年)以降ということは、戦争の終結を長引かせ多くの犠牲強いた軍部・政治家・天皇の責任は重大です。
府市場区も含め近隣の戦死者は、昭和19年以降がほとんどで、マニラ・ビルマ・レイテなど南方で亡くなっています。

もう一つ思うに、「敗戦」であるにもかかわらず「終戦」との表現が一般的になっています。
「終戦」では被害・加害・責任がはっきりせず、75年経っても、中国・韓国・北朝鮮との友好の妨げになる歴史認識の違いを生んでいます。
アジアとりわけ中国が主戦場となった事実を、正確に表現し認めることからこれからのあるべき姿が見えてきます。



 

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文化(歴史・芸術ほか)」カテゴリの記事

コメント

1週間ほど前CSでたまたま観かけた映画「戦争と人間」
三部作とは知らずに観はまってしまい。。。
6日は広島原爆記念日、9日は長崎の平和記念日、今日は終戦記念日ですね。

貴兄のブログ、久しぶりに拝見しました。
毎年、この時期になるとNHKスペシャルが放映されます。昨日も「銃後の女性達」を見て、我が国の先に大戦に関わる総括ができてなく、なんでも都合よく曖昧に終わらせる国民性が内外の信用を大きく失っていることを嘆きます。まずは事実を客観的に認め、唯一の被爆国として誠意のある外交に努め、主体性を発揮することが、この物騒な国際情勢に対処するうえで大事なこととつくづく思いますね。

先日、ひさしぶりに帰省して、同期生の中から豊岡に航空自衛隊を誘致するのが一番の過疎化対策だとの話には、閉口しました。
悠々とコウノトリ舞う豊岡を、オスプレー飛ぶ故郷にしては断じていけません。
周りに海上・陸上基地があり、その上に空さえも軍事基地化することだけは体を張って反対です。

岡本さん コメントありがとうございます。

この時期になると「戦争特集」が組まれ、新たな事実を知って驚くことがあります。
実家が御寺院とのこと。当地でも墓地に埋葬されている戦死者のほとんどが敗戦の1~2年前に集中しています。しかも、空襲と沖縄戦以外は中国大陸及び南方戦線はたまた海洋上で亡くなっています。おまけに戦地では戦闘死ではなく餓死と病死が多かったと聞きます。この戦争の性格を物語っています。
団塊世代の私たちは実体験はないものの、「語り部」のバトンを引き継ぎたいものです。

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