1995.1.17 を忘れない
95年阪神淡路大震災から27年、コロナ禍で昨年ほどではないものの、いろいろ制約がある中で追悼行事が行なわれます。
都市震災として人や街に甚大な被害をもたらしましたが、いまはビルや住宅が建ち並び道や橋も整備され、外観上は震災の傷跡がほとんど見られません。
一方、死者 6,434人、負傷者 43,792人を始め心の傷跡はいまも、癒えるものではありません。
我が伊佐屋は同じ兵庫県に住み、兄弟2人が神戸に住んでいて、2人とも須磨区の北や北区だったので大きな被害は免れました。
母は当時日高町の社会福祉協議会の役員をしていた関係で、毎週のように炊きだしボランティアに神戸へ出かけていました。
日高町にはイベントで使うマロニエ鍋と呼ぶ大鍋があって、いつものように汁を作っていると、被災者の方が「美味しいお汁も嬉しいけど、この鍋でお風呂に入りたい」と言われた。人はお腹を満たすだけではすまないのだなあ」としみじみ話していました。
2009年1月17日の伊佐屋三木のblog「我が家の1.17」を再録します。
14年前の午前5時46分阪神・淡路大震災が起こった。その日の但馬は前々日から降り続いた雪で、積雪は40cmを超えていた。明け方に突然の揺れで目をさました。寝室が二階なのと、屋根に雪が積もっていたことで、左右の揺れで柱がみしみしと音を立てていた。揺れは止まず、ひょっとしたら家が倒れる心配も出てきた。隣室にいた高校生の娘も目を覚まし、私達の部屋に逃げ込んできた。急いで、テレビを付けると例のアナウンサーのうわずった声が、県南部の地震を告げていた。揺れが治まった後、雨戸を開けると満月が見えた。
同じ兵庫県に住んでいながら、100km以上も離れていて被害という被害はほとんどなかった。兄と妹が神戸に住んでいて、電話で「家財は一部壊れたりしたが、無事だから心配するな」との連絡があるも、以後不通。県中部に住んでいる大学生の娘に電話を入れるが、例によって留守。連休なので、どこかに遊びに出ているのだろう。後で聞くとテレビがベットの上に落ちていたらしい。
いつも通り出社すると、ワープロ本体の上に置いたプリンターがずれていた程度で、被害は皆無。豊岡が震度5と報道されたことで、県外の方々からお見舞いの電話を頂いた。遠くの親戚からも安否確認の電話が入る。近県なら都市の位置関係はわかるけど、離れれば離れるほどひとまとめに感じてしまう。
その後昼のニュースで、画像が提供され被害の一部を知ることができた。この時死者は200人を超すとのアナウンスがある。電話は繋がらず、ラジオとテレビだけが情報源でしかなかった。豊岡市では前日成人式が行われ、参加した新成人が、勤務に就くため神戸に帰り、被災し死亡した悲しいニュースを後で聞いた。この震災で最終的に、6,434人が亡くなった。
復興のシンボル曲『しあわせ運べるように』
作詞・作曲 臼井 真
歌 : 神戸市立港島小学校
阪神・淡路大震災からの復興を願って作られたすばらしい曲です。
公式サイト しあわせはこべるように
大震災から約2週間後に、当時中央区吾妻小学校に勤めていた臼井先生が作詞・作曲しました。
新潟県中越地震、東日本大震災のときも、歌われたと作者の臼井先生が述懐されていました。
歌詞の一部を地域の名に置き換え、涙を流しながら被災者を悼み、震災からの復興を誓われたのでしょう。
新潟県中越地震、東日本大震災のときも、歌われたと作者の臼井先生が述懐されていました。
歌詞の一部を地域の名に置き換え、涙を流しながら被災者を悼み、震災からの復興を誓われたのでしょう。
文字どおり「歌が人を勇気づける」ことが証明されました。
先日、「神戸市歌」にも指定されました。
先日、「神戸市歌」にも指定されました。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
僕は福岡でした。
遠く離れた兵庫がニュースで見るしかない知るしかない情報で錯乱してました。
電話が不通になったのが大きかったですね。
内定をいただいて春からお世話になる某金融機関の神戸支店に
この震災の約半月前に入行前のセミナーに行きましたが
その建物もこの震災で崩れてました。
投稿: 栄治 | 2022年1月18日 (火) 07時20分