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2022年1月 7日 (金)

鳥追いと七草がゆ(豊作と無病息災を願う)

豊作と無病息災を願う、これが人の願いの原点ですね。

正月の期間を、松の内(まつのうち)と呼び、一般には7日までです。
七日の朝に食べる七種粥(あるいは、七草粥とも)が、松の内の最後の行事で正月飾りを片付けます。(浄土真宗の我が家では門松も注連縄も飾りません)

七草粥のいわれは、本来は無病息災・健康長寿だったのが、正月のご馳走で酷使した胃をいたわり休ませる説が有名です。
と同時に「鳥追い行事」の意味もあるとされます。
子供の頃、父が菜を刻む時、まな板を叩いて大きな音をさせ、「唐土(とうど)の鳥が、日本の国に渡らぬうちに七草そろえ・・・・・と唱えていたのを覚えています。
害鳥を追い、疫病が流行せぬことを願った厄除けの一種でしょう。

香住の長井村出身で島根大学教授でもあった農学者 榎勇氏著の『北但馬 ムラの生活誌 昭和初期の歳事と民俗』に「鳥追い」(1月6日)と「七草」(1月7日)として当時の長井村の様子が記されています。

榎勇氏著 「北但馬 ムラの生活誌」
P1080007この本は544ページに及び、「戦前の農業や農家の生活を実際に体験し、かつ農学の研究者でもあるという稀な経歴をもつ著者が、生まれ育った北但馬(兵庫県)のムラの一年間の農家にまつわる歳事と民俗を綴った貴重書。多数の写真と図版を付す。」と紹介されています。著者は昭和4年生まれ、昭和22年生まれで同じ城崎郡に育った私にとって、農・食・歳事・遊びなど体験したほとんどが詳しく記載されていて勉強になります。

七草粥は有名ですが「鳥追い」は余り知られてないので、Wikipediaで調べてみると・・・
七種は、前日の夜に俎に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。
歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある』 と記されています。どうやら前夜に菜を叩いて鳥を追い、翌日粥を食べたようです。

春の七草は「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ、これぞ七草」と覚えました。

 

 

  

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コメント

七草がゆ、、、深いですね(^-^;

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