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5月後半の例会は神鍋溶岩流を山宮~石井~栃本~山宮までぐるっと一周します。
お天気は晴れ、気温は30度を超す予報です。
神鍋溶岩流マップ & 観察風景
初夏の溶岩流
ウツギ & キツリフネ
ヤマボウシ & ハルジオン
ミヤマナルコユリ & ハナイカダ
ハンショウヅル & フタリシズカ
エゴ & タツナミソウ
この日の観察の詳細は、 神鍋山野草を愛でる会公式ブログ ← クリックしてご覧ください(46種の花や木・野草が載っています)
次回の観察は6月14日(火)、神鍋山周辺の観察と特定外来生物「オオキンケイギク」の駆除を行います。
5月19日の記事で「孵化か?」を発信しました。
その後立ったり座ったりしているのを見かけましたが、23日に巣塔にヒナ鳥がいるのが確認出来ました。
山本巣塔
ヒナを確認
巣塔下の田んぼで水飲み & 帰巣
ヒナに水やり & 羽を広げると巣塔が収まる
いまのところヒナの数は確認出来ませんが、様子からすると複数いるようです。
10日も経てば巣から身を乗り出して餌をねだる姿が確認出来るはずです。
この日も世話をしているのは足環のないオスで、メスは遠く離れた田んぼで餌をとっていました。
コウノトリの郷公園のホームページ「野外繁殖情報」で、山本巣塔は「産卵」となったままですが、近々「孵化」の確認がなされるでしょう。
但馬山友会5月例会は、前半の丹波市の三尾山は欠席して、22日の三岳山(みたけさん)に参加してきました。
鎌倉後期から山岳霊場の歴史を持ち、福知山市の名山で839mの標高です。
「三岳青少年の家」(閉鎖中)駐車場に集合し、金光寺(きんこうじ)さん横の登山口から登ります。370mの登山口からの標高差469mとなり全行程3時間30分の「初級」設定です。
例会記録を調べてみると、2007年4月以来の三岳山で、近場であるにもかかわらず縁が薄かった山です。
三岳神社までは1時間、さらに山頂までは約30分のコースタイムで、膝腰に不安がある私でもなんとか登れそうです。
初夏から梅雨入りまでの安定した気圧配置で、連日お天気が続きます。
お天気もよく初級で登りやすいこともあって参加は47人、久しぶりの大人数でした。
登山口の金光寺さん & いきなりの急坂
スギ・ヒノキの植林帯 & コナラ・クヌギの自然林
新緑の林を進む
随所にマムシグサ & フタリシズカ
クリンソウ & ヤマシャクヤクの花後
タニギキョウ & ギンリョウソウ
「フタリシズカが咲いていますよ」と言うと、「えッ!一本だからヒトリシズカでは?」と返ってきます。名前は「フタリ」でも1から5本くらい花穂がつきます。この日の三岳山はお一人様がほとんどでした。
三岳神社(南北朝頃の蔵王権現)
急坂の連続 & 三岳山山頂(839m)
反射板がある山頂広場 & 方位と山名地図
但馬の山々・白く輝く但馬ドーム & 但東・丹後の山々
山頂からの眺めは立木が邪魔をしているもののまずまずです。
北に郷路岳・江笠山・磯砂山・高竜寺ヶ岳、北西には三角錐が見事な来日岳が霞んで見えます。
下りは同じ道をとりますが、急坂の連続なのとペースが速くなるのでついていくのが大変でした。所要時間は60分、13時前には登山口に到着しました。大人数が休憩するには8合目付近の三岳神社しかないほど平地部分の少ない山との印象を受けました。
また新緑の木立を吹き抜ける風が清々しく感じました。
担当リーダーはサブリーダーと一緒になって、下見を行ない例会を運営します。
駐車場やトイレの心配、コースタイムの設定、安全の配慮、山によってはエスケープルートを考えます。
当日は集合場所の案内や受付、会員の看護師さんが「救急処置物品」を携行し、サポートしていただきます。
今回はKさんが初リーダーを務め、4人のサブリーダーとともに、安全に留意しながらしっかり運営していただきました。
会員の皆さんが安心して登山が楽しめるのは、担当役員の尽力によるもので、解散前には必ず参加者全員が大きな拍手で「感謝と労い」の気持ちを届けます。
私はといえば参加するに当たって痛み止めを最大量服用し、最も不安な腰には消炎鎮痛シップを張り、コルセットまで装着しました。
下りは腰に少し痛みがきましたが、昨年の7月は腰の手術でベットに寝ていたことを思えば格段の進歩です。
手術をしても痛みは無くなりませんが、上手にコントロールしながら、初級レベルの例会なら参加できる自信がつきました。
5月も半ばを過ぎ、夏野菜の苗が活着から成長へと変化してきました。
一方、年越しのタマネギ、ニンニクが、収穫に向けた準備を始めています。
伊佐屋菜園(A)全景
ご覧のように国道や県道に挟まれ、東は円山川に面しています。
シカやイノシシは出ませんが、夜になると小動物獣が出てきます。
イチゴやスイートコーンは獣の大好物で、周囲を網で囲います。
西側 &東側。
気温25度から30度近くになると、夏野菜は一気に成長します。
杭を打ち支柱を立てたり、スイカやカボチャのようにシート張りや蔓を伸ばす作業が必要になります。
菜園(B)
菜園(B)にはネギ・エンサイ(空心菜)・サツマイモ・サトイモが植わっていて、6月初旬になると黒豆の早稲種(黒鶴)を播きます。
。
4月7日の「産卵推定」から1ヶ月半が経ちました。
豊岡市のあちこちの巣塔で孵化が確認されています。
ずっと座って卵を抱き続けていた山本巣塔のオスが立ち上がっていました。
孵化したの?ヒナ鳥は何羽?と気になりウオッチを続けました
♪田んぼの中の1軒屋♪ & 立ち上がっているオス
メスが帰巣 & 交代
しゃがみ込んだり立ち上がったり
高所の巣塔であるのでヒナの存在も数も確認できませんでした。
今後、しゃがみ込むことがなくなり、給餌行動をするのが見られるとヒナの姿も確認できるでしょう。
5月15日は沖縄本土復帰の日。50年前の1972年(昭和47年)のこの日、戦後27年間アメリカの統治下にあった沖縄が返還され、沖縄県としてスタートしました。
ところがせめて本土並みを希望した県民にとって、銃剣とブルドーザで住民の土地を奪う基地づくりが始まり、負担はさらに増えました。
私が大学生の頃、ベトナム反戦・沖縄返還運動が平和を愛し正義を尊ぶ学生の重大関心事であり、運動に連帯してよく歌ったのが「沖縄を返せ」でした。
最近歌詞の一部を変えて歌われていることもあるそうです。
♪ 民族の怒りに燃ゆる島 → ♪ 県民の怒りに燃ゆる島
本土と沖縄で考えがかけ離れてしまい「県民」とした方が、今の沖縄の思いをより強く伝えられるのでしょう。翁長前知事が問いかけた「甘えているのは沖縄ですか?本土ですか?」の言葉が胸に染みます。
♪ 沖縄を返せ 沖縄を返せ → ♪ 沖縄を返せ 沖縄へ返せ
日本の総面積の0.6パーセントの沖縄に、70%の米軍基地が集中している現状が変わらぬことに、もはや本土との「連帯感」はなく、アメリカ政府と他人事のように考えている本土に向けて叫んでいるような気がします。
昭和の沖縄にとって忘れてはならない日があります。
6月23日沖縄戦終結の日と5月15日沖縄返還の日です。
50年前の1972年(昭和47年)のこの日、戦後27年間アメリカの統治下にあった沖縄が返還され、沖縄県としてスタートしました。
伊佐屋君が島根大学に入学したのが1967年、アメリカによるベトナム侵略・安保改定・沖縄返還・大学紛争など政治的課題が湧くように出て来た時代でした。
島根大学では、復帰前の沖縄県において、日本本土の大学への進学を支援するために設けられた「国費・自費留学生」が学んでいました。
「屋宜」「津波古」「古波蔵」「新垣」「宮里」「具志堅」、そんな沖縄らしい姓を持つ学生達です。
毎年、県内高校生へ進学テストを行い、50人近い合格者が北海道大学から鹿児島大学までの全国国立大学に入学しました。
この大学入試と授業料(生活補助)免除が国費制度で、入試だけの免除で生活費の自己負担が自費制度だそうです。
個人の希望はは入れられず、成績順で振り分けられたと聞きました。
本土との往来には「パスポート(渡航証明書)」が必要、通貨はドル・車は右側通行を始め米軍占領下にある沖縄の現実を聞き、自身の無知を恥じたものです。
アメリカ軍の占領支配下にあり、たえず戦争の危険にさらされていた沖縄において、’68年に、B52の撤去を要求し、県民の平和な生活を勝ち取るため広範な県民を結集して、「いのちを守る県民共闘会議」が結成され、’69年に全県ゼネスト実施が計画されました。
沖縄全県あげてのこの闘争は、広範な国民の注目を喚起し、全国津々浦々でこのゼネストに連帯する闘争がまきおこりました。
当時沖縄全県ゼネスト連帯の動きが広まり、学内のクラスやゼミでは自主的に討論が始めらました。自治会主催のでもだけでなく、学部や学科主催の自主的なデモが企画されました。
そんな時必ず歌われたのが「沖縄を返せ」(作詞:全司法福岡支部、作曲:荒木栄) の歌です。
♪ 固き土を破りて
民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が血と汗をもて
守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ
我等のものだ沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ ♪
(二番繰り返し)
青々と茂った樹木の間を風が吹き抜けていくさまを「風薫る」と表現します。
連休後半から続いた好天気も明日から崩れるようです。
5月前半の例会は、春の気配が残るハチ北高原に出かけました。
フデリンドウ & ヒトリシズカ
はちまき展望台 & 白菅山~三川山~蘇武岳~金山峠
大幹林道 & 瀞川山(1039m)
イワカガミ
シカに食べられたサンカヨウ & サンカヨウの花
ミヤマカタバミ & ヤマルリソウ
この日の観察の詳細は → 「神鍋山野草を愛でる会公式ブログ」 ← クリックしてご覧ください
やはりハチ北の春はゆっくりで、早春のタムシバ、キンキマメザクラも残っていました。
お目当てのサンカヨウも、シカの食害あとが見られたものの、一応群落を形成していました。今後のことを考えると、何らかの保護が必要だと感じました。
今年あったものが年々少しずつ消えていくのは何度も経験しています。
次回は5月24日(火)、溶岩流で梅雨入り前の初夏の野草を楽しみます。
9日の「めざましテレビ」の中で、山本巣塔のコウノトリ夫婦の離婚が報道されました。
「コウノトリは赤ちゃんを運んでくるしあわせの鳥」、「夫婦仲がよく一生添い遂げる鳥」などと誉められていたはずのコウノトリです。
この春からオス(個体識別番号J0011号)の相手が17歳のメス(J0399号)から、12歳のメス(J0024)に変わったことが確認されました。
めざましテレビ画面
コウノトリ関係者からそれとなくお聞きして、4月23日の記事「抱卵交代」に触れています。
定期的にリモニタリングをされている方の情報では、メスが今年入れ替わっているそうです。
なんと!長年連れ添ったメスを追い出して、新しいメスと同居を始めたようです。
うらやましさと怖さの両方が・・・・・
昨年までのつがいの異常は、長年観察されている方には分かっているようでした。
先妻J0399の足環は、右脚が上から「青・黒・なし」で、左足は「黒・緑・緑」とされています。
後妻J0024の足環は、右脚が上から「黒・黒・なし」で、左足は「黒・緑・緑」とされています。
つまり、右脚の上が黒か青かの違いです。
その青も黒ずんでいるでしょうし、素人でも見分けがつかないのは無理ありませんね。
コウノトリの郷公園の発表では、2020年に日本の野外で暮らすコウノトリの数が200羽を超えました。
その大半が豊岡市域に住んでいて、巣の取り合い、ヒナへの攻撃、近親交配など問題が出ていると聞きます。
増殖に伴い生息域を広げてやることも大切ですね。
故郷(ふるさと)や どちらを見ても 山笑う (子規)
山の緑が鮮やかになり、「山笑う」状態になってきました。
コロナ規制のないゴールデンウイークですが、出かける予定もお客もありません。
嫁さんは家の周りの草取りとガーデニング、私は家庭菜園に精を出しています。
アッツザクラ
エニシダ & ヤエザキキンポウゲ
フクロナデシコ & ボタン
タツナミソウ
エビネ & クリンソウ
ウエルカムフラワー
モモイロタンポポ & クンシラン
スズラン & ジュウニヒトエ
クレマチス
ツツジ & 寄せ植え
ナルコユリ & ホウチャクソウ
コデマリ & オオデマリ
シンビジュウム & スパラキシス
シラン & マーガレット
ジャーマンアイリス & シラーカンパニュラータ
オオニソガラム & ワスレナグサ