沖縄返還50周年に思う
昭和の沖縄にとって忘れてはならない日があります。
6月23日沖縄戦終結の日と5月15日沖縄返還の日です。
50年前の1972年(昭和47年)のこの日、戦後27年間アメリカの統治下にあった沖縄が返還され、沖縄県としてスタートしました。
伊佐屋君が島根大学に入学したのが1967年、アメリカによるベトナム侵略・安保改定・沖縄返還・大学紛争など政治的課題が湧くように出て来た時代でした。
島根大学では、復帰前の沖縄県において、日本本土の大学への進学を支援するために設けられた「国費・自費留学生」が学んでいました。
「屋宜」「津波古」「古波蔵」「新垣」「宮里」「具志堅」、そんな沖縄らしい姓を持つ学生達です。
毎年、県内高校生へ進学テストを行い、50人近い合格者が北海道大学から鹿児島大学までの全国国立大学に入学しました。
この大学入試と授業料(生活補助)免除が国費制度で、入試だけの免除で生活費の自己負担が自費制度だそうです。
個人の希望はは入れられず、成績順で振り分けられたと聞きました。
本土との往来には「パスポート(渡航証明書)」が必要、通貨はドル・車は右側通行を始め米軍占領下にある沖縄の現実を聞き、自身の無知を恥じたものです。
アメリカ軍の占領支配下にあり、たえず戦争の危険にさらされていた沖縄において、’68年に、B52の撤去を要求し、県民の平和な生活を勝ち取るため広範な県民を結集して、「いのちを守る県民共闘会議」が結成され、’69年に全県ゼネスト実施が計画されました。
沖縄全県あげてのこの闘争は、広範な国民の注目を喚起し、全国津々浦々でこのゼネストに連帯する闘争がまきおこりました。
当時沖縄全県ゼネスト連帯の動きが広まり、学内のクラスやゼミでは自主的に討論が始めらました。自治会主催のでもだけでなく、学部や学科主催の自主的なデモが企画されました。
そんな時必ず歌われたのが「沖縄を返せ」(作詞:全司法福岡支部、作曲:荒木栄) の歌です。
♪ 固き土を破りて
民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が血と汗をもて
守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ
我等のものだ沖縄は
沖縄を返せ 沖縄を返せ ♪
(二番繰り返し)
« 2022 神鍋山野草を愛でる会 5月例会(ハチ北高原) | トップページ | 「沖縄へ返せ」 »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- 2024 沖縄戦「終結」の日に思う(2024.06.23)
- またまた「政治とカネ」(2023.12.24)
- ジュッテンニイイチ(再録)(2023.10.21)
- 2023 平和の詩(2023.06.24)
- ジュッテンニイイチ(2022.10.21)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント