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2023年2月26日 (日)

2023 但馬山友会 活動スタート

2022年度は第7波、第8波のコロナ禍が続きながらも、感染対策をして活動が行なわれました。
16の例会で2つが雨天で中止、遠征登山(立山)も但馬地域に感染者が相次ぎ、一部の山小屋も閉鎖され中止されました。

新型コロナウイルス対策も見直しされ、マスク着用や5類への移行も決まり、新たなルールが検討されています。
山の活動でいえば、マスクの着用、車やバスの乗り合わせ、総会や例会の活動スタイルが見直されるでしょう。

総会風景 & 活動計画表
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救急対応講習 (三角巾等の使い方・リュックによる簡易搬送) 
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YさんとHさんの90歳コンビ

Dsc_0030_20230228085701会員最高齢は97歳のYさん、90歳のHさんと続きます。
Hさんは手負いの伊佐屋君とお付き合いいただいて、初級・低山中心です。

20日に会員の上谷さんが92歳で亡くなりました。
2001年に自然環境保護を目的とした「但馬自然保護協会」から、山や自然を楽しむ「但馬山友会」に移行したときの初代会長です。(因みに今回選出されたT会長は9代目です)
3年前までは、山登りは無理でも総会や納会に顔を見せて頂きました。
20年経って朽ち果てたものもあっても、上谷さんが山頂や途中に立てられた手作りの標識が残っています。長年の功績に感謝し、ご冥福をお祈りします。



「レジェンド4」右から前身の会会長、初代・2代・3代会長(令和元年納会)

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2001年から2009年までの9年間の会員は約300人で推移しましたが、その後徐々に減少し、2023年度は168人になりました。
発足から20人を超え、会員も高齢化してきたのが主な原因です。
3年続いたコロナ禍で活動が制限されたことも痛手でした。

山歩きには参加できなくとも、届く案内ハガキを見ながら、会の活動を見守っていらっしゃる会員もあります。
会には野鳥や山野草、森や樹木に詳しい方がいらっしゃいます。
登る楽しさに加え、ゆっくり歩きで自然に親しむことで、「山を楽しむ」例会運営を望みます。





2023年2月20日 (月)

花粉症が治った?

記憶の範囲では、中学生の頃(昭和36年頃)から花粉症の症状が出ていました。
3月のなかばになると、くしゃみが出て鼻が詰まり、鼻をかむと血が出たりして、5月に入ると嘘のように症状がなくなります。

その頃はまだ「花粉症」とは認知されておらず、のちに症状が多く報告されやっと「花粉症」なる言葉が出てきました。
戦後の大量なスギの植林や生活様式の変化によるアレルギー体質が増えたことにも起因しているそうです。
(因みに我が家は母の家系にアレルギー体質が見られ、私の子や孫にも一部でています)

松江でも大阪に住んでも、Uターンしてこちらに帰っても春になると発症します。
ところが、高齢者になると僅かに目のあたりがかゆくなる程度で、ほとんど症状がでなくなりました。
「花粉症が治った!」「早くから苦労をしたぶん、早く治るのだ!」と喜んでいたら・・・・

ネットのI耳鼻咽喉科の先生の記事に・・・・
「残念ながら、花粉症が自然に治ることはほとんど有りません。でも、ごく稀には自然に治る人が見つかり、(中略)花粉症が自然に治ったみたいと感じている方について述べさせて頂きます。
まず。高齢になると、花粉症の症状は徐々に軽くなっていきます。一部の方は70歳以上になると、症状が出なくなり、薬は必要なくなります。これは花粉を追い出すパワーが弱くなってきたからです。つまり元気がなくなってきたとも言い換えられます。花粉症としてはいいですが、新型コロナウイルや細菌などを追い出すパワーも減っており、重症化しやすくなっていることも意味していますので、喜んでばかりはいられません。」

かの、きんさんぎんさん姉妹が、長寿を祝われると、「嬉しいような、悲しいような」と仰った気持ちが少しわかります。
花粉症がひどい方、諦めずに気長に人生を続けてください。




2023年2月18日 (土)

植村直己冒険賞に野村良太さん(続)

今日の新聞に、植村直己冒険賞を受賞した野村良太さんの記事が載っています。

   しんぶんA(2月18日総合版)クリックで拡大します
  Img_20230218_0001   
こちらの記事も、野村さんの人柄や冒険の動機がよく表現されています。
コロナウイルス感染も静まりつつあるので、6月3日の授賞式の夜には、出身地国府地区の住民の手作りのお祝い会が3年ぶりに開かれることでしょう。

 

   

 

  

2023年2月17日 (金)

植村直己冒険賞に野村良太さん

第27回受賞者が発表され、登山家でガイドの野村良太(28歳)さんが選ばれました。

私の住む町で植村直己さんの出身地である豊岡市がふるさとの兵庫県豊岡市が世界を舞台に活躍する冒険家に毎年贈っていて、植村さんがマッキンリーで消息を絶った2月に発表されます。
今年も植村さんの母校明治大学紫紺館で記者発表され、同時に母校府中小学校で5年生らが集まり、東京とテレビ電話中継されました。

    朝日新聞但馬版記事(2月17日)
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北海道の成り立ちは大陸から分かれた東側の北米プレートが、西側のユーラシアプレートにめくれ上がるように乗り上げて、日高山脈を造りだしたと聞いています。それによって、西部と東部に大きな地理的違いが生まれました。

評価されたのは、北海道の背骨ともいえる北の宗谷岬から南の襟裳岬までの分水嶺を、冬季単独縦断する冒険です。
「世界を舞台に活躍する冒険ではない、北海道での活動が認められて嬉しい」とは野村さんの弁です。
6月3日に豊岡市日高町で授賞式と講演会が行なわれる予定です。




    

2023年2月15日 (水)

冴え返り

立春を過ぎて、少しずつ暖かくなって雪解けが進みました。
伊佐屋の住む里にも雪がほとんど見られなくなり、その極めつきが12日(日)の4月並の気温でした。
「冴え返り」は春の季語で、一度春と思わせるような暖かさから、厳しい寒さが戻ってくることをいいます。「寒の戻り」も同様に使われます。
15日はまさに「返り・戻り」で、里でも数センチの積雪がありました。

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近くの香美町・兎和野高原では、48cmの積雪を記録したとラジオが伝えていて、「春、未だ遠し」といったところです。
寒気がぶりかえして寒くなったり、緩んで暖かくなったりしながらそれでも着実に春がやってきます。

小学校卒業の時、可愛がっていただいた先生が、「冬来たりなば、春遠からじ」と書いた色紙を渡してくれました。「雪が溶けたら水になるのではなく、春になるのだよ」と言いながら・・・。

 

 

   

2023年2月 5日 (日)

雪中四友

私の友人が、ブログ記事「2023 庭の花々 真冬編」を見て、「雪中四友」が揃っていると教えてくれました。
雪中四友(せっちゅうのしゆう)とは、早春に咲く梅、蝋梅、山茶花、水仙の4つの花をさす言葉だそうです。もともと中国でできた言葉で、文人画に好んで描かれ、馥郁たる香気を持っているとあります。
何気なく庭にあるものを載せただけですが、おかげでまた一つ賢くなりました。



2023年2月 3日 (金)

2023節分 巻き寿司

節分に巻き寿司を、その年の恵方に向いて丸かじりする等という風習が広まりました。
'87年(昭和62年)に海苔業者が制定したもので、節分の夜に恵方に向かい巻き寿司を食べると幸せになるという言い伝えから生まれました。
今や全国に普及し豆まきと同様に、巻き寿司はエッセンシャルアイテムとなりました。

太巻きといえば兵庫県多可町の「マイスター工房八千代」の「天船(あまふね)巻きずし」が有名です。
節分当日も関西のテレビ各局で取り上げられるほどの人気店です。普段でも1日に2,000本を売り上げ 、節分には夜通し作り続けて14,000本を販売するそうです。
特大のキュウリ、焦げ目が入った卵焼き、高野豆腐・シイタケ・かんぴょうの5種類、具だくさんなのは数ではなく量ですね。

我が家も、年齢と経験は工房八千代に劣らぬ「伊佐屋マイスター」が巻き寿司を作ってくれました。
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Dsc_0003_20230204111001巷では具の中味も海鮮物やアボガドなども加わって、より豪華になっています。
昨年来の諸材料・経費の高騰で、一本あたりの価格も上がっています。

当家の具はシンプルな、卵焼き・かんぴょう・ニンジン・ちくわ・キュウリの5種類です。
口が小さく上品な私のために、食べやすいようカットしてくれます。


 

 

    

2023年2月 1日 (水)

映画 ラーゲリより愛を込めて

たまたま岡山県日生の民宿に宿を取った関係で、お隣の赤穂シネマで観賞しました。
この映画は『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(原作:辺見じゅん)を映画化したものです。
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アジア・太平洋戦争の敗戦が決定的だった8月、旧ソ連はヤルタ協定に基づき、ドイツ降伏後に軍をシベリア鉄道経由で移動させ、約束の3ヶ月後に「満州国」に攻め入りました。

「三大国、すなわちソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及びグレート・ブリテ
ンの指導者は、ソヴィエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後2箇月又は3箇月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきことを協定した」(ヤルタ協定・1945年2月11日)

間抜けな話で、この密約を知らず、日本政府は旧ソ連に欧米との戦争終結の仲介を依頼していたのです)

圧倒的な軍事力に蹂躙され、58万人近い軍人や軍属、民間人がシベリヤなどに移送され、強制労働させられました。
極寒の地、黒パンとカーシャ(汁だけの薄い粥)だけの貧しい食事、重労働の中で、次々と倒れ犠牲者の数は約5万8千人に上るといわれます。

仲間が次々と死んでいく絶望的な中でも、ダモイ(帰国)を信じて堪え忍んだ日本人達の物語です。
帰還が進む中でも、身に覚えのないスパイ容疑のため、とらわれ続け死んだ山本幡男の遺族が手にしたのが、母や妻・子供たちに宛てた4通の「遺書」です。(原作は6通)
極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男の「遺書」は、彼を慕う仲間達が厳しいソ連の監視網をかい潜り、分担して文字を暗記し、帰国後にそれぞれ遺族に口で伝えたのです。

収容所で飼い慣らしたイヌのクロが、最後の引き揚げ船・興安丸が港を離れた時、凍りく海の中に飛び込み船を追ってきました。
気づいた抑留者達や船長が救い上げた場面も涙を誘います。
(原作ではその後舞鶴で飼育され、子をなし余生を過ごしたそうです)

機会を作って是非ご覧ください。

兵庫県北部に唯一残った豊岡劇場が昨年8月に閉館してから半年経ち、閉館中の豊岡劇場(とよ劇)も、サポーターの募集が進、み3月25日に開館が決まりました。まだ目標資金の3分の2しか集まっていないそうです。もちろん私も協力します。






 

  

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