映画 ラーゲリより愛を込めて
たまたま岡山県日生の民宿に宿を取った関係で、お隣の赤穂シネマで観賞しました。
この映画は『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(原作:辺見じゅん)を映画化したものです。
アジア・太平洋戦争の敗戦が決定的だった8月、旧ソ連はヤルタ協定に基づき、ドイツ降伏後に軍をシベリア鉄道経由で移動させ、約束の3ヶ月後に「満州国」に攻め入りました。
「三大国、すなわちソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及びグレート・ブリテンの指導者は、ソヴィエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後2箇月又は3箇月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきことを協定した」(ヤルタ協定・1945年2月11日)
(間抜けな話で、この密約を知らず、日本政府は旧ソ連に欧米との戦争終結の仲介を依頼していたのです)
圧倒的な軍事力に蹂躙され、58万人近い軍人や軍属、民間人がシベリヤなどに移送され、強制労働させられました。
極寒の地、黒パンとカーシャ(汁だけの薄い粥)だけの貧しい食事、重労働の中で、次々と倒れ犠牲者の数は約5万8千人に上るといわれます。
仲間が次々と死んでいく絶望的な中でも、ダモイ(帰国)を信じて堪え忍んだ日本人達の物語です。
帰還が進む中でも、身に覚えのないスパイ容疑のため、とらわれ続け死んだ山本幡男の遺族が手にしたのが、母や妻・子供たちに宛てた4通の「遺書」です。(原作は6通)
極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男の「遺書」は、彼を慕う仲間達が厳しいソ連の監視網をかい潜り、分担して文字を暗記し、帰国後にそれぞれ遺族に口で伝えたのです。
収容所で飼い慣らしたイヌのクロが、最後の引き揚げ船・興安丸が港を離れた時、凍りく海の中に飛び込み船を追ってきました。
気づいた抑留者達や船長が救い上げた場面も涙を誘います。
(原作ではその後舞鶴で飼育され、子をなし余生を過ごしたそうです)
機会を作って是非ご覧ください。
兵庫県北部に唯一残った豊岡劇場が昨年8月に閉館してから半年経ち、閉館中の豊岡劇場(とよ劇)も、サポーターの募集が進、み3月25日に開館が決まりました。まだ目標資金の3分の2しか集まっていないそうです。もちろん私も協力します。
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