2023 平和の詩
8月6日や9日が何の日か知らない若い世代が増える中で、沖縄戦について本土ではもっと知られていません。
沖縄戦終結の23日に、沖縄県民にとっても日本国民にとっても忘れてはならない日として、糸満市摩文仁にある県平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれました。
今回は政治情勢に大きな変化が見られます。
岸田内閣は「反撃能力(敵基地攻撃能力)」の保有を決め、軍事費の大増額、仮想敵国を定め、アメリカ依存の集団防衛をさらに明確にしました。
4年ぶりにコロナ禍前の規模で営まれた沖縄全戦没者追悼式に、玉城デニー知事の「平和宣言」、岸田総理のあいさつのほかに、沖縄に住む小・中・高世代から募集された「平和の詩」が読み上げられました。
ロシアによるウクライナ侵攻など、争いが今なお絶えない世界に向け、平和を願う思いを込めました。
「今、平和は問いかける」
つくば開成国際高校(那覇市)3年の平安名(へいあんな)秋さん(17)
つくば開成国際高校(那覇市)3年の平安名(へいあんな)秋さん(17)
2013年(10年前)伊佐屋三木のblog記事 → 平和の詩「へいわってすてきだね」
1945年の6月23日、沖縄戦で組織的な戦闘が「終結」したとされる「慰霊の日」です。80日にもおよぶ地上戦で、住民の4人に1人およそ20万人もの犠牲者を出しました。南方各地の占領地を失った日本に、4月1日アメリカ軍が沖縄に上陸し地上戦が行われました。沖縄に配置された第32軍は、本土侵攻を遅らせるため住民を強制的に徴用し、多くの犠牲者を出しました。すでに長年の徴兵で残されたのは中高年・女性・子供など非戦闘員でした。沖縄県民にとって、日本軍は守ってもらえるどこるか、攻めてくる敵に対して軍への全面協力を強制され、投降は許されませんでした。本土も東京・大阪を始めとする大空襲や広島長崎への原爆投下で大きな被害を出しましたが、沖縄戦で住民が追い込まれたむごい「時間稼ぎ」の使命と悲惨な被害を知るにつけ、それを命じ実行させた罪の大きさは決して許されるものではありません。「敗戦」後もアメリカの統治下に置かれ、「施政返還」後も基地に囲まれて生きる沖縄は、ずっと過酷な状況に置かれているのです。
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