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2024年2月29日 (木)

ニンニクの日

29日は肉の日として、語呂合わせで使われます。今日は4年に一度の2月29日、「ニンニクの日」とも読めます。
豊岡病院整形外科の定期健診を受けてお昼を過ぎたので、久しぶりに「餃子の〇〇」に立ち寄ったところ、うれしいハプニングがありました。

ニンニクデーの宣伝ポスター & 229円割引券
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この日、大手ドラッグ〇〇薬局の処方箋システムが一時機能しなかった、〇〇県警など4県の運転免許証が発行できない、〇ん〇生命の解約ができなくなったなどシステムトラブルがありました。当日中に復旧されたものの、システム更新時に暦の特別日が考慮されていなかったとしたらお粗末な話です。

そういえば、一斉にコンピュータが誤作動すると心配された「2000年問題」がありました。
当時、日付の年を西暦の下2桁だけを使うプラグラムが多数つくらましれた。2000年は下2桁の00となり、これは1900として計算されて、混乱を起こすとの心配でした。事前に分かっていたことでもあり、いろいろ対策が取られて大きな事故は報告されませんでした。

野球の基本で「バックアップ」を厳しく教えられます。野手のトンネル、ファンブルなどエラーに対し、他のプレーヤーが庇い合い傷口を広げないようにします。
今や生活や命・仕事にとコンピュータシステムの正常稼働が欠かせません
ヒューマンエラー、システムエラー対策にも、しっかりしたバックアップ体制が必要なのです。

 

    

2024年2月28日 (水)

2024 早春の花たち

「早春賦」が流れル時期になりました。
春を待ちわびる気持ちと期待と喜びが感じられる名曲です。春を感じるのは、気温、日差しの強さと高度、風の様子などがあるけど、花が蕾を膨らませ咲くまで人間は割と鈍感です。一方、植物は雪の下のこしらえを終え、徐々に芽を出し葉を伸ばし、花を咲かせます。動物は子育てに最適な温暖期に向けて繁殖準備をします。

ところで庭の花たちも、徐々に芽を出し花をつけています。

コウバイ & スイセン
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ネコヤナギ & ヒメリュウキンカ
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葉ボタン & シンビジウム
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2024年2月25日 (日)

2024 第24回但馬山友会総会

2024年度の活動が始ります。年度初めの総会で、新年度の活動計画と新しい役員を選出しました。
例会活動では、六甲全山縦走を3回に分けて実施することが計画されました。また、遠征登山は2度目の白山が提案されました。前回(2011年)は悪天候で、室堂に宿泊したものの山頂に登れなかったと聞いています。
昨年の立山と富士山と併せて3霊山と呼ばれる信仰の山です。花の山としても有名で、ハクサンフウロ、ハクサンイチゲ、ハクサンオミナエシ、ハクサンコザクラ、ハクサンチドリなどハクサンと名がつく花は、18種あると言われます。下界は酷暑時期でも、山では雪解け後の春真っ盛りの花々に会えることでしょう。

総会風景 & 退任役員へ感謝を込めて花束と拍手
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例会のうち3回を六甲全山縦走が占めるとほかの活動が狭まるので、3年掛けて計画したらどうかという意見が出ました。
これに対し「毎年歳を取るので、体力と気力があるうちに登りたい」との意見。どんどん高齢化する会の現状と会員の本音に納得です。

私は昨年17回の活動のうち参加できたのが10回でした。よく頑張ったと言いたいところですが、数回は遅れたり、エスケープしてリーダーや参加者に迷惑掛けました。皆と同じペースで登れないのが歯がゆいところです。
東部健康福祉センターでのトレーニングを重ね、初級レベルには参加したいと思っています。




2024年2月23日 (金)

ブログノート(ブログのステップアップ)

マイブログは、初代「伊佐屋三木のblog」 ( 2007年4月から2015年5月まで  1,681記事 )と2代目「伊佐屋三木のblog2( 2015年6月~現在まで 1,240記事 )の2本立てとなっていて、約17年間で2,921本の記事を書きためています。

どちらもココログのフリープラン(無料)で、提供されたディスク容量が2MBです。
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代目も、使用率97.25%で満杯状態となりました。
ココログが2022年から「フリープラン」の提供をやめたので、新たに無料プランを取得することはできません。

一つの方法は、過去記事か写真を削除すれば、ディスク容量が増えて継続することができます。ただ、マイブログは「記録性」を重視しているので、この方法はとりません。
選択肢としていろいろ考えた結果、
①3月から「伊佐屋三木のblog2」 を「広告ライトオプションプラン」に変更します。
②同じく「伊佐屋三木のblog」を「伊佐屋三木のblog1」と名を改めます。
 (1年以上更新が無ければ、記事の閲覧はできますが、記事の追加や編集ができなくなります)

利用状況 & プラン比較表
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「広告ライトオプションプラン」に変更すると・・・
①月額275円の料金が発生します。(年額3,300円)
②パソコンだけですが、広告表示がなくなります。(スマホはそのまま)
③提供されるディスク容量が1GB増えて、3GBになります。

1GB増は
従来のペースだとあと3年から4年(記事数にして600程度)持つと思います。その頃は80歳の大台を迎えます。
いつまで続けられるか分かりませんが、「安否確認」と「認知症予防」のために頑張ります。

プラン変更を申し込むのは、3月に入ってからです。ココログと私の契約が変わるだけです。
皆さんには何も変更はありません 。引き続きお付き合いをお願いします。



2024年2月16日 (金)

北近畿豊岡自動車道延伸(豊岡出石インター)

  豊岡病院5階デイルームからインター付近の工事
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 豊岡市戸牧にある豊岡病院に脳梗塞で入院している友人を見舞いました。5階デイルームから見る眺めは2~3年前と違って工事中の豊岡自動車道の「豊岡・出石インター」が見渡せます。

「八鹿氷ノ山インター」から「日高神鍋高原インター」「但馬空港インター」と北方向に開通し、「豊岡出石インター」が、2024年(令和6年)の秋に開通予定です。このICは写真のように豊岡病院に隣接していて、県北部の高度救急医療の拠点である豊岡病院へのアクセスが良くなります。計画では「豊岡北IC(仮称)」まで伸びて、国道178号線と繋がるとされています。

一方鳥取から岩美・浜坂・香住など一東西を結ぶ自動車道が、順次開通しています。丹後では京都縦貫道も整備が進んでいます。

自動車道と言えば有料とのイメージがありますが、この道路は一部区間(遠阪トンネル、普通車320円)を除き、すべて通行無料です。
通行料を徴収して建設費などを出す〇〇公社・公団方式ではなく、直接国費から建設費などを賄っているからだそうです。

遅まきながら丹後、但馬・鳥取と結ぶ日本海側の道路がネットワーク化され、毛細血管が静脈になりつつある感じがします。



 

 

      

2024年2月15日 (木)

冬越し野菜の追肥

10日から最高気温が10度越え、13日は17.度度、14日は19.5度、今日の予想は20度です。20日までは15度を超えるお天気が続くようです。
暖かいのはありがたいけど、日高町内の神鍋スキー場も含めて養父市、香美町のスキー場が雪不足で困っています。それに燃料費高騰が加わりダブルパンチです。

<雪不足・燃料費高騰への兵庫県の支援策>
兵庫県の斎藤知事が県内のスキー場を視察し、雪不足や燃料費の高騰を踏まえた支援策を発表しました。
燃料費高騰の対策費として県内のスキー場に最大500万円を支給し、地元の観光協会にはインターネットを活用したプロモーションの費用として、1団体あたり100万円を支給する支援策を発表しました。(神戸新聞より抜粋)

伊佐屋菜園では、雪が消え気温が上がった時期に、冬越し野菜の除草と追肥を行ないました。追肥は化成肥料中心ですが、イチゴなら油粕・米ぬか・草木灰など有機肥料をベースに、化成肥料を加えます。有機肥料を使うと果実の甘さが増すそうです。

イチゴ & タマネギ
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イチゴはこのあと一雨あてて、地温の上昇を助けて果実の汚れの防止に役立つマルチを掛けます。

エンドウ3種 & ニンニク

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近年野菜のマルチ掛けが増えてきました。雑草の防止となるのが一番の効用です。
他に土壌の乾燥を防いだり、地温の上昇を助け野菜の成長を促すことができます。 さらに、泥がはねて野菜や果実に付着することも防げます。ポリマルチの原料は石油・ポリエチレンなので、環境には負荷がかかります。
ただ、使い捨てするのではなく、できるものは繰り返し利用します。余地がある畑なら、防草シート代わりに使います。





2024年2月13日 (火)

2024 コウノトリ  番外編

マイプロフィール写真
1_20240213084401 もう一つのコウノトリネタです。
私がLINEで使っているプロフィール写真は、山本巣塔のコウノトリです。仲よさそうに2羽が写っていても、実は先妻と後妻(ひょっとして前夫)が争う壮絶な写真なのです。
一昨年に新聞やテレビで報道された大事件『コウノトリ、初の「破局」と「再婚」』、「一生添い遂げるはずが・・・」が有名になりました。

私が撮影した動画「2022 コウノトリ山本巣塔 空中戦 ← クリックしてご覧ください。

神戸新聞記事2022年5月6日  クリックすると記事がダウンロードできます
ダウンロード - e7a59ee688b8e696b0e8819ee8a898e4ba8b.pdf

今日の夫婦
P2130019 10日の記事で、「足環をつけている右が雌、左でつけていないのが雄ですね。立っているのは左足、「黒・緑・緑」と見えます。先妻か後妻かは右脚を見ないと判定できません。」と書きました。 
今日確認すると、左に立つのは足環がないオス、右の雌の右脚は「青・黒・なし」です。
ということは、先妻の「J0399」に間違いありません。

昨年この巣塔でヒナを孵化させたのは後妻の「J0024」でした。なぜかカラスや他のコウノトリとのバトルが続いていました。5月1日に「J0024」が怪我で郷公園に収容されたとの報告もありました。雄の「J0011」だけでは子育てができないとして、3羽のヒナが収容されたのです。
コウノトリのヒナが放鳥」 ← クリックしてご覧ください。

ウーン! 執念で先妻が雄と巣塔を取り戻したようです。 ご立派!!!










2024年2月10日 (土)

2024 山本巣塔 営巣準備

2月に入って山本巣塔にコウノトリのつがいが住み始めました。営巣準備でしょう。
2023年は3月に入ってからでした。

田に水を張っている訳は、「
農薬や化学肥料に頼らず、冬期や早期に湛水(たんすい/田んぼに水を張ること)し、深水管理(ふかみずかんり/田んぼの水深を深くすること)で栽培されるお米です。 この「コウノトリ育む農法」の田んぼには、さまざまな生きものと安全で安心なおいしいお米が同時に育まれます。」(豊岡市HP)「コウノトリ育む農法」で穫れたお米を「コウノトリ育むお米」と呼びます。
巣塔直下でコウノトリが生まれ育っている環境ならそうあるべきですね。

ところで、冬季湛水の写真に、コウノトリだけでなく、農道を散歩しながら鳥を見上げる広域農道を走る山陰線上り「特急きのさき12号(京都行)」が写っています。1時間後なら「特急こうのとり14号(新大阪行)」が走ったのに・・・・。
狙って取ったなら、中井精也氏クラスの鉄道写真です。  Y(^o^)Y 
バックの山々は手前は大師山、奥は左から法沢山、高竜寺ヶ岳、右端は東里ヶ岳かな?

手前は冬季湛水田 & 巣塔のペア
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足環をつけている右が雌、左でつけていないのが雄ですね。
立っているのは左足、「黒・緑・緑」と見えます。先妻か後妻かは右脚を見ないと判定できません。

2022年に「ペア交代事件」、2023年に巣塔が他のペアに襲われ「ヒナの救護」があったり、落ち着かない場所でもあります。 (それぞれクリックして記事をご覧ください)
巣作りするペアと生まれる子供たちにとって安全な一年になりますように!

 

 

 

    

 

2024年2月 7日 (水)

豊岡病院にWi-Fi設置を!

19年、20年と膝を人工関節に換える手術を豊岡病院で受けました。
入院中はメール通信、インターネット検索や動画・音楽などのスマホ利用が役立ちます。さらに役立つのがラジオ受信です。豊岡市を初め兵庫北部は山間地のためラジオが受信しにくいのです。スマホ経由なら多くの放送局が利用でき、クリアな音で聴けます。

その時も院内Wi-Fiがありませんでした。「使い放題プラン」に加入していない患者は、スマホ&タブレットのデータ超過による負担増が心配なのです。

最近、豊岡病院組合議会の議員さんに確認したところ、「当局は検討はしている段階で、設置の予定はありません」との答えでした。「何がネックとなるのですか?」と聞くと、「費用面だと聞いています」。患者及び外来者の利便性の向上に役立つことは認めているのでしょう。

どこが先に導入しているからということはあまり言いたくありませんが・・・・・

公立八鹿病院(HP) & 鳥取市立病院(HP)
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21年に入院手術を受けた京都大学付属病院でWi-Fiが利用できたので、コロナ最盛期の入院生活でもゆとりが出きました。
2021年8月1日の記事 「京大病院Wi-Fiの効用」  クリックしてご覧ください

豊岡病院利用者アンケート(令和3年度 調査結果 豊岡病院HP)
R3r4_20240207085401 「豊岡病院が改善すべきだと思われる点」のトップの2割弱に「通信環境(Wi-Fi・電波状況)」が挙げられています。(1位は「特になし」)令和2年・令和3年ともほぼ同じ結果です。

院内Wi-Fiは入院患者の利便性だけでなく、長~い待ち時間を耐える外来患者にも役立ちます。
待合室風景を見ると、ほとんどの人がスマホを操作しています。

もう一つ、豊岡病院は急性期病院だけでなく、災害時の基幹病院としての役割があります。
能登半島沖地震で、豊岡市や香美町・新温泉町に津波警報が出され、避難者がありました。津波だけでなく、震災被害が出た際に、豊岡病院が中心的役割を果たすにはWi-Fiは不可欠です。

将来、ラジオもAM放送からFMに移行するようです。そうなるとワイドFM付きのラジオでしか聴けなくなります。(スマホアプリで聴くならOKです)
患者及び外来者、災害時の緊急対応のすべてに役立つ、院内Wi-Fiの整備を求めます。


2024年2月 6日 (火)

府市場タヌキ

府市場に生息していた獣で、キツネアナグマアライグマを記事にしました。ついにタヌキの登場です。(イタチやテンはよく見かけます)
<それぞれ動物名をクリックして、確認してください。 移行した画面の左端(←)戻るボタンで記事に戻ります>

以下LINEによる2隣保住民への連絡です
2隣保付近に住みつくタヌキの相談です。鳥獣保護管理法により、捕獲または殺傷することをを原則として禁止しています。捕獲には行政の許可が必要です。ただ、タヌキは空家や人がいないガレージの天井や隅などに巣をして、つがいになると年間数頭の子供を生みます。雑食性で夜間行動します。見かけた場所は、2隣保市道の東側の溝や倉庫・ガレージ付近です。

皆さんにお尋ねします。タヌキによる実害があるのでしょうか?特に被害がないなら様子見したらどうでしょうか?大事なことは住みそうな場所をなくすること、餌になるものを放置しないことです。特に生ゴミの保管に注意してください。

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実害があったのか皆さんに尋ねると、大きな糞が残っていたことと、国道を挟んだ畑で一部食害があった程度です。(あくまでも状況証拠でしかありません)
今回のタヌキ、当初は親子の二匹でうろちょろしていましたが、その後はぐれてしまい今は親のタヌキだけが2隣保周辺をさまよっている状況だと思います。ただかなりの老タヌキで、逃げても人間が歩くスピードよりも遅く、目もほとんど開いてない状態でかなり弱っています。多分このままどこかで死んでしまうと思います。ですからしばらく様子見でいいと思います。」という暖かい意見も書き込まれました。目撃者は多く、やはりゆっくり歩いていたとのこと。

小動物捕獲檻
Dsc_0015_20240206082901 写真のように、府市場区農会所有の捕獲檻があります。餌はキャットフードが有効だそうですが、猫が入ることもあるけど、檻に入るだけで傷つかないのでリリースします。過去にアライグマの駆除に活躍しました。

意見を聞いた結果、被害が証明できず、「起訴猶予」とし、檻を返しました。
誰も殺生はしたくないので、このまま「天寿」を全うするまで見守ることにします。




  



 



2024年2月 5日 (月)

ブログコメントの規制

まず、昨日の「伊佐屋物語 三代話 編」の記述が崩れてしまいました。気になったところがあって、半分寝ながらスマホで修正したのがわるかったのでしょう。見た目は崩れても中身は変わらりません。「記述方式」を変えたりしながらそのうち直します。

ところで、昨年6月からコメントができない設定に変えました 


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,コメント欄をクリックすると以下の表示が出ます 

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マイブログは「伊佐屋三木のblog」 ( 2007年4月から2015年5月まで  1,681記事 )と「伊佐屋三木のblog2」 ( 2015年6月~現在まで 1,233記事 )を書きためています。

中にはネットマニアがいて、古い記事に書き込み、回答を求めてくる人もあります。コメントが入ると登録してあるメールに直ぐ届きます。もちろん削除もできます。
私の物知り風の講釈や政治的意見が気に入らない人もいます。

たまにしかないことでも、歳を取ると相手をする元気がなくなります。それともう一つ、こちらのメールアドレスが知られ、迷惑メールを送りつけられることもあります。そんな鬱陶しさから逃れるために「コメント投稿閉鎖」の設定に変えました。
いろいろ感想や励ましをいただく方には申し訳ありませんが、一方通行をお許しください。








2024年2月 4日 (日)

伊佐屋物語 三代話 編

三題噺ならぬ三代話とは、我が伊佐屋は一族の本家となり、私の曾祖父治郎市は長男でしたが、祖父秀蔵は6人兄弟の3男で家督を継ぎ、父素は9人兄弟の3男で継承、私が4人兄弟の2男で家を継いでいます。
戦後生まれの私はともかく、長子が家督相続するのが制度化されていた旧民法時代から、夭折など無しに3代続いて長子が家督を相続していない珍しいケースです。

三木医院(出石町本町・明治30年)
Photo_20240204091101 曾祖父治郎市の代、長男源吉は、医者になりたくて家出して県立長崎医学校(現長崎大学医学部)で勉強し、医師免許を取得して出石町で開業しました。その後子供3人を病で失い、夫婦とも病となり家系が絶えました。

当主の源吉が医者になって家を出たことで、伊佐屋は3男秀蔵(私の祖父)が家督を継ぎました。
当時次男久吉は養子に乞われ、3男秀蔵にお鉢が回ってきたのです。4男貞治家は病で断絶、5男彌市は旧制豊岡中学校2期生、日露戦争に将校として従軍し府中小前の凱旋記念柱に名が刻まれています。こちらの三木家は関東、関西でそれぞれ活躍されています。

祖父秀蔵の代、長男治秀が祖父と折り合いが悪かったのと、進取気鋭の人でもあり、昭和5年ブラジルに移民として渡りました。移民奨励策に応じたものの、聞くと見るのでは大きく違い、艱難辛苦して成功を収めました。3人の従兄弟もそれぞれ家族をもうけ、いまでは3世が家族の中心となり4世まで繋がっています。ジェットパイロットで活躍するM君もブラジル娘さんと結婚して女の子ができました。

2男伊和夫は愛知県で教師をしていましたが、日中戦争で1938年(昭和14年)に戦死、4男薫も戦死、5男進も病死し、生き残った3男の父素にお鉢が回ってきました。(この経緯は→「伊佐屋物語 反戦平和編 Ⅱ」 をクリックしてご覧ください。左端の「←」ボタンで、もとの記事に戻ります)

父素の代
、長男である兄が神戸に居るのですが、仕事の関係で帰郷がままならぬことがネックとなりました。こちらは2代続いた「反骨」とはならず、謹厳な銀行員でした。いろいろ相談のうえ、娘2の健康のこともあって2男の私がUターンして伊佐屋を継ぐこととなりました。

父は3代続いて長子相続でないことを気にして、家を建てかえるとき、井戸に責任をなすりつけ「長男不利の井戸」として、神主さんに祈祷をお願いしていました。

伊佐屋三木家系図(甥M君作成)
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私の代、子は娘2人、2人とも結婚してそれぞれ別姓になって都市部に住んでいます。
今度は長子どころか家督継承そのものができなくなる可能性が出てきました。(井戸へのお祈りは効かないのでしょうか?)
少子化、社会の変化・ライフスタイルの変化など、これからはこんな話は珍しく無くなってくるでしょうね。
個人情報と言っても、遠い過去の話であり、家族や一族の方々に知ってもらいたいと思い纏めました。戦後新民法が制定されるまでは家父長によって統率さ れる時代であり、男中心の話になりました。

 

   

2024年2月 3日 (土)

伊佐屋物語 反戦平和編 Ⅱ

軍国主義の時代が終わり、民主主義国家となった時期に生まれ、平和主義、国民主権、基本的人権が中心の憲法が制定されました。
同じ歳生まれの日本国憲法を活かし、9条を守ることを考えれば、反戦平和・社会正義を希求する立場になります。
ただ、ほかに伊佐屋三木家の悲しい物語があります。

伊佐屋家 戦没者二柱
Photo_20240203132501満州事変1931年(昭和6年)から始まって、支那事変(昭和12年)へと、日本と中国(中華民国)全面的な戦争状態に突入しました。
日本の中国侵略が、盧溝橋事件を経て自衛を口実に中国全土に拡大したです。
1938年(昭和13年)に4男の叔父薫24歳が、翌年に2男の伯父伊和夫29歳が、続いて中国戦線で戦死しています。

墓石の文章では、国府村吏員だった薫叔父が、中国山西省霊石縣呉家山頭で、戦闘中迫撃砲が命中して戦死しています。
東京大学農学部付属教員養成所(3年制)で学び、農業学校教員だった伊和夫伯父が、中国河北省易縣西方山地で、「匪賊」との激戦で戦死しています。
そのほか、5男進が1941年(昭和16年)に、23歳で結核によって病死しています。進叔父は旧制豊岡中学校を卒業後三菱造船所の設計課に勤務中、結核に罹患して伊佐屋に戻りました。
母たみの手厚い看護も及ばず、1941年(昭和16年)1月に死去、たみも看病で結核に感染し、追うように同年11月に病死しています。
1つの家で2人が続いて戦死し、もう1人も厳しい造船所勤務で結核に罹って家に帰されるのはある意味職場における「戦死」のようなもので、さらに看病の母も結核で亡くなるという悲しい伊佐屋家の物語です。

3男である私の父素は、商社勤務地である中国で招集されたものの、幸運にも生き残り伊佐屋に帰郷し後を継ぎました。
祖父秀蔵は復員した父に、「しいらが帰ってきた」とつぶやいたそうです。「しいら」(粃米)で、未熟米のことを表します。また、「しいら」は、当時安くて美味しくない魚と言われていて、このことかも知れません。いずれもひどい言葉です。

次男は兵庫蚕糸学校(現八鹿高等学校)から東大農学部教員養成所、5男は旧制豊岡中学校に進みましたが、3男の父は高等小学校(今の中学校)を出て、知り合いの瀬戸市の陶器所や大阪の印刷所に丁稚奉公しています。本音ではないでしょうが、期待の子を次々と亡くし、戦争を生きのびてやっと帰ってきた息子に対し、不器用な言い方で迎えた祖父の心は複雑なものだったのでしょう。

父は中国で綿花買い付けを行なっていた親戚に誘われて、大陸に渡り、済南・青島に勤務し、開封支店の責任者を務めて現地で召集されています。部隊勤務でも「支那語」が堪能だったので重宝されたそうです。

アジア太平洋戦争で、大空襲・沖縄戦・原爆と類を見ない戦禍は幾つもあるでしょう。
しかし昭和13年から16年にかけて家族4人を失うことになった伊佐屋の悲しい物語を知るにつけ、戦争への憎しみ、平和を求める心が強くなるのは当然です。


 

 

2024年2月 2日 (金)

伊佐屋物語 反戦平和編 Ⅰ

ブログの左端に「プロフィール」の項目があります。
文字どおりブログ作成者の自己紹介が書いてあります。私の場合は、加えて自分の平和への思いを書いています。

プロフィール
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平和への思いが強いのは、大学入学が1966年(昭和41年)で、アメリカによるベトナム侵略・安保改定・沖縄返還・大学紛争など政治的エポックを通じて、社会を考えた団塊世代でした。

当時は60年に結ばれた日米安全保障条約(日米安保)の改定期でもあり、その上沖縄県はまだアメリカの占領下にありました。
戦後27年間日本国憲法が適用されず、立法・行政・司法といった施政権は米国が握っていたのです。現在も、全国の米軍専用施設の7割が、国土面積の0・6%しかない沖縄に集中するなど、復帰時の問題は残されたままです。
それどころか日本政府がアメリカの対中軍事政策の片棒を担ぐことで、有事の際の最前線基地の役割が大きくなっています。

仮想敵国(中国・北朝鮮・ロシア)をつくり、侵攻に対する「抑止力」がアメリカ軍であり、日本の軍事力強化である。という考えは危険です。
矛盾の語源である「矛と楯」、我々は昭和の歴史でそれを学んだはずです。
「軍事には軍事」、「力には力」で対抗するのではなく、憲法9条の精神を守り、平和を願う外交努力による道を求めます。

 

2024年2月 1日 (木)

2024年1月場所

2月が始りました。ブログを書いた日を勝ちとして、1月は17勝14敗で勝ち越しました。

記事を掲載するのは勝ち負けではないので、気にすることはないのです。
とは言うものの、「終活年賀状」に、『私の安否確認は、ブログ「伊佐屋三木のblog2」をご利用ください。 <(_ _)>』と書いたので、少し気になり出しました。

「便りのないのは よい便り」(No news is good news.)といいます。それは若くて元気なうちです。
後期高齢者の仲間入りして、喜寿を過ぎた身に長期の「無音」は、即心配に繋がります。
ということで、これからは月勝負の勝ち越しを目標にします。

 

 

 

 

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