郷社・気多神社の不思議 (終)
気多神社誌謎解きの答えかヒントがあるはずと思い、2003年(平成15年)発行の「気多神社誌」を手に入れて調べてみました。
165ページに及ぶ力作です。
(表紙絵は小山 譲氏、題字は小山宗男氏)
記述によると、本殿は、延宝五年(1677)に修営されました。「近世初頭における神社建築として形式もできばえも優れており、代表的な建築と言われている」とされ、棟札に「柿葺・入母屋造り、建坪十四坪八合」と記されています。
雪国で雨も多い当地で雨仕舞いに相当な苦労があったはずです。明治36年に本殿屋根葺き替え、併せて千木鰹木の工事 を行なったと書かれています。残念ながら当時の写真は残っていませんでした。
現在見ることができる本殿屋根は、60年前昭和39年の本殿屋根の銅板葺工事のものです。
屋根を葺き替えるには、千木や鰹木も外され新調されたでしょう。真ん中にある「置き千木」の由来は分かりませんが、両端の千木の外に鰹木が置かれているのは、ひょっとして間違えたのかと思われます。どちらも屋根の強度を向上させるための施工方法なので拘りが無かったのかも知れません。
こんなことを言うと、上郷区の方に叱られそうです。気多神社の不思議についてご存じの方ご教授願います。
参考までにお隣の伊智神社(府市場区)の屋根の写真を紹介しておきます。
大正4年(檜皮葺) & 昭和12年(柿葺き?)
昭和40年(銅板葺) 現在の伊智神社本殿
気多神社が39年、伊智神社が40年に銅板葺に替え、半世紀以上経って現在にいたっています。長持ちするものですね。
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