経済・政治・国際

2024年12月 4日 (水)

中村哲氏の死から5年 百の診療所より一本の用水路

Img_20241205_0001 豊岡市で開かれた「憲法カフェ映画会」に参加してきました。

~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡~
「彼が遺した文章と記録映像をもとに、現地活動の実践と思索をひも解く

アフガニスタンで長年、人道支援に携わってきた医師の中村哲さんが銃撃されて亡くなってから12月4日で5年になります。
当初は医師として現地で診療を行っていた中村医師ですが、途中で水路建設に方針変更しました。

「百の診療所より、一本の用水路が必要である」
「飢えと貧困が病気を生む」と白衣を作業着に変えて、干ばつに苦しむこの地に井戸を掘り、川の水を引いて水路を作る事業を進め、砂漠を穀倉地へと変える取り組みを続けました。




PMS/ペシャワール会提供動画

 

 

 

    

 

2024年11月21日 (木)

兵庫知事選挙結果 驚きと心配

17日投票の兵庫知事選挙で、議会で不信任を受けた斎藤前知事が当選しました。選挙前や中盤の選挙情勢をひっくり返した驚きの結果でした。

この選挙でかってない異例現象が起きました。N党候補者の立花氏が、自分の当選を望まず、斎藤候補が当選するための運動をしたことです。演説で「僕に(票を)入れないでくださいね」強調しています。
立花氏のポスターが張られていたのは、旧日高町内で市役所日高支所前だけ、「元明石市長のパワハラを思い出せ」の文字だけでした。
斎藤候補は他候補と違い、2丁の拳銃を手に入れたのです。

豊岡市では選挙戦も以前のまま、候補者の宣伝カーも滅多に来ませんでした。大都市中心に起こった「SNS選挙」が理解できません。若者だけでなく、広い年齢層が選挙情報にSNSを利用しているのも信じられませんでした。
NHK出口調査で30パーセントが「SNSや動画サイト」を参考にしていて、この70%が斎藤候補に投票したと回答しています。
期間中に立花氏の動画アップが100本、再生が1500万回とされています。

そういえば今はスマホを誰でも持っている時代です。他のマスメディアと違い、SNS発信は「中立」の立場をとる必要はありません。
「中立」を装う既存のマスコミを尻目に、シンプルで大量に繰り返されるフェイク情報がリアルと混ざりあい斎藤氏への投票につながったのでした。投票率は55.7%。2021年の前回選41.1%を大幅に上回りました。
SNSで「斎藤氏ははめられた」「斎藤氏は公益通報違反にあたらない」などが繰り返し流され、自死した元県民局長や他候補への中傷が行われ、斎藤氏の当選に大きな役割を果たしました。

早速当選した斎藤知事は会見で、「公益通報への対応は法的に問題ない」、パワハラとされる県市職員への行為も「業務上必要な指示だった」と信任を盾に居直る姿勢を見せています。

この動きは形を変えて今後広がるでしょう。マスメディアを否定し、ネットで対立と分断をあおる手法は、すべては8年前の「トランプ戦略」から始まりました。
これに味を占めたで輩も出るけど、同じ手は何度も通用させてはなりません。人も組織も学習するでしょう。

インターネット情報の真偽を見極めること。ネットの脅威やルールを理解し、一方的な意見にとらわれない複眼的視点をもつこと
ネット情報を、適切に判断・運用できる能力(ネットリテラシー)も大切です。
それができないとなるとこの国はどうなるか心配です。

 

 

 

    

2024年10月29日 (火)

2024 衆議院議員選挙結果に思う

裏金問題の影響もあって、自公が過半数を大きく割り込むこととなりました。第2次安倍政権から続いた自民一強時代はこれで終わるでしょう。

それぞれの党が選挙を戦って結果を受けて、政策や政治姿勢で連立・連携するのが民主主義先進国のスタイルです。いろいろ問題がありながらヨーロッパ諸国はそれを体験しています。
私の一押しの党が、裏金問題や裏公認問題を暴いて、存在感を発揮した割に議席を減らし、政権批判票の受け皿になりませんでした。
今朝の朝日川柳に衆議院選をテーマにした句がありました。

・赤旗のふんどし借りて勝ち戦(三重県 毎熊伊佐男)
・共産党風を起こして飛ばされる
(埼玉県 栢野正則)

今回議席を伸ばした党は、10歳代・20歳代から30歳代に支持を受けたことが躍進の原因とされます。
裏金問題だけでなく、円安・原油高による物価の上昇は、実質賃金が上がらない働く者や高齢者や生活者にとって何より切実な問題でした。
議席を伸ばした党の生活防衛の絞ったシンプルな訴えが受け入れられたのです。
弱者の立場を守り、経済政策や国民の生活重視ではどこにも負けない共産党ですが、裏金追及で名を馳せたが故に、届きにくかったのでしょう。

また、SNSを武器にした政党・団体が、政策や政治姿勢を訴えるのに成功しました。
ホームページだけでなく、X・youtube・Instagram・Facebook・tiktokは広い年齢層の情報ツールとなりました。選挙戦術が紙媒体や電話からネット戦に移動・変化していることが明らかになりました。

国民は「手取りを増やす。」をスローガンに掲げ、公約に消費税の5%への当面の引き下げ、社会保険料の軽減、電気代の値下げなどを盛りこんだ。れいわは、消費税廃止に加えて、「季節ごとの10万円のインフレ(物価高)対策給付金」を提唱。国民は公示前の4倍の28議席を、れいわは3倍の9議席を得た。 (朝日新聞29日朝刊)

共産党田村智子委員長が記者会見で「若い世代の中に党への支持を作っていかなければならない」と述べ、立て直しを急ぐ考えを示しました。

来年には参議院議員選挙が行われます。政治改革はもちろん生活目線をより重視し、SNSを日常的に活用し、広い世代の支持獲得に力を注いでもらいたいものです。




 

 

 

 

2024年6月23日 (日)

2024 沖縄戦「終結」の日に思う

79回目の6月23日がやってきました。
朝から新聞やテレビ、ラジオで話題になっています。
昭和の沖縄にとって忘れてはならない日があります。
1972年5月15日 沖縄が日本へ返還された日です。 
ブログ記事 →「沖縄返還50周年に思う
そしてもう一つ、1945年6月23日 沖縄戦終結の日です。

8月6日や9日が何の日か知らない若い世代が増える中で、沖縄戦について本土では更に知られていません。
沖縄県民にとっても日本国民にとっても忘れてはならない日として、過去の「沖縄戦」の記事をもう一度振り返ってみます。

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1945年の6月23日、沖縄戦で組織的な戦闘が「終結」したとされる「慰霊の日」です。
80日にもおよぶ地上戦で、住民の4人に1人およそ20万人もの犠牲者を出しました。

県花 デイゴ
Deigo 南方各地の占領地を失った日本に、4月1日アメリカ軍が沖縄に上陸し地上戦が行われました。
沖縄に配置された第32軍は、本土侵攻を遅らせるため住民を強制的に徴用し、多くの犠牲者を出しました。
すでに長年の徴兵で残されたのは中高年・女性・子供など非戦闘員でした。
沖縄県民にとって、日本軍は守ってもらえるどこるか、攻めてくる敵に対して軍への全面協力を強制され、投降は許されませんでした。

本土も東京・大阪を始めとする大空襲や広島長崎への原爆投下で大きな被害を出しましたが、沖縄戦で住民が追い込まれたむごい「時間稼ぎ」の使命と悲惨な被害を知るにつけ、それを命じ実行させた罪の大きさは決して許されるものではありません。
「敗戦」後もアメリカの統治下に置かれ、「施政返還」後も基地に囲まれて生きる沖縄は、ずっと過酷な状況に置かれています。

<昭和20年6月6日、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将の海軍次官あて電報>
(電文は文語のため口語訳を引用)

「沖縄県民かく戦えり!」

「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを!」

沖縄県民の実情に関して、報告は本来県知事より報告すべき事だが、県には既に通信力はなく、第三十二軍指令部(牛島中将の最高司令部)も通信余力がない。
県知事の依頼を受けたわけではないが、沖縄の現状を見過ごすに忍びないので、私大田司令官が知事に代わってご緊急に報告する。

敵が沖縄に攻撃開始以来、陸海軍とも防衛戦闘に精一杯で、県民を顧みる余裕は殆どなかった。
しかし、私の知る限り県民は青壮年の全てを防衛召集に捧げた。
残りの老幼婦女子は、相次ぐ砲爆撃で家屋と全財産を焼き出され、軍の作戦の邪魔にならない小防空壕に避難、しかも爆撃、風雨に晒される窮乏生活にあまんじた。
しかも若い婦人は率先して軍に協力し、看護婦、炊事婦はもとより、砲弾運び、斬り込み隊をを申し出る者すらあった。

所詮、敵が来たら老人子供は殺され、婦女子は拉致され毒牙にかかってしまうと、親子生き別れになり娘を軍営門に捨てる親もいる。
看護婦に至っては、軍移動に際し、衛生兵は既に出発した後なのに、身寄りのない重傷者を助けて、その行動は真面目で一時の感情で動いているとは思われない。更に軍の作戦大転換があり遠隔の住民地区が指定されると、輸送力がないのにもかかわらず、夜間、雨の中を自給自足しながら移動するものもいた。

要するに、陸海軍が沖縄に進駐して以来、県民は終始一貫して物資節約を強要され、ご奉公の心を抱き、遂に勝利する事無く、戦闘末期には沖縄島は形状が変わるほど砲撃され草木の一本に至るまで焦土と化した。
食料は六月一杯を支えるだけしかないという。

沖縄県民はこのように戦った。
沖縄県民に対して後世になっても特別の配慮をお願いする。

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沖縄戦の実情を語り継ぎ、平和への思いを新たにする機会でもあります。
ましてやこれ以降、沖縄は占領状態におかれ、復帰後も日本の米軍基地の7割に囲まれ苦しんでいます。
県土面積に占める米軍基地の割合は10.2%を占めて、嘉手納基地は3,700mの滑走路2本を有し、約100機の軍用機が常駐する極東最大の空軍基地です。

辺野古への移転対象となる普天間基地など、面積でいえば嘉手納基地の僅か0.2%に過ぎません。
基地の危険性を除去するには辺野古への移転でなく、普天間の基地機能を分散するなどして撤去しかありません。

先日の沖縄県議会選挙で、沖縄在住の孫娘にデニー知事与党への投票を勧めました。高校修学旅行に訪れた印象とテレビドラマ「Dr.コトー診療所」の影響もあって沖縄を選んだのでしょう。

たぶん投票は初めてです。自民2人が当選し知事支持派が1人落選しました。与党にとって厳しい結果となりましたが、これを機会に沖縄の現状と未来、政治とのかかわりを勉強してもらいたいものです。

 

 

  

2023年12月24日 (日)

またまた「政治とカネ」

赤旗に白旗あげる自民党」(埼玉県 吉澤満雄) 12月21日の朝日川柳。

自民党の主要派閥に政治資金パーティ券の裏金疑惑が連日報道されています。19日には安倍派・二階派事務所に強制捜査が入りました。
ことの始まりは11月の「しんぶん赤旗日曜版」報道です。これに反応したのが、「政治オンブズマン 上脇神戸学院大学教授」の刑事告発です。
上脇教授は、X(旧ツイッター)の「上脇に国民栄誉賞を」との讃辞に、一番最初に探した人がえらいと答えています。

裏金疑惑の証拠を突き止めた「しんぶん赤旗」山田記者は、パーティ券を100万円も買っているのに記載していない。脱法的な手口だと分かってきたのでコツコツ調べた。上脇先生が告発してくれたから検察も動かざるを得なかった」  どちらも立派です!

国民に対しなんの説明もしない無責任な派閥幹部と総裁、金まみれの自民党、報告書の記載漏れという形式犯に終わらせてはなりません。
こんな政治家たちに国民一人あたり250円・総額315億円余りの 「政党助成金」を支払わされているのです。
こんどこそ「政治とカネ」を曖昧にせず、金権腐敗の元である企業・団体献金を禁止し、実質的な寄付である政治資金パーティをやめるさせるべきです。自民党は口をつぐんで白旗はまだ揚げていないのです。

驚き、怒る心を忘れてはいけない」高橋純子(朝日新聞 論説委員:多事争論より)






2023年10月21日 (土)

ジュッテンニイイチ(再録)

今日は10月21日です。私にとって記憶に残っているのは、「ジュッテンニイイチ」の言葉の響きです。
「専守防衛」を投げ捨て、敵基地攻撃能力保有に舵を切った岸田内閣の大軍拡は始っています。
「学徒出陣」から80年を迎えたた今年、ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ無差別報復攻撃など、戦争の種が尽きぬ今だからこそ歴史に学ぶことは大切です。
マイブログに何度か登場しましたが、思いを新たにするために、昨年の記事を再録します。

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「今日は何の日?」と、ラジオから聞こえてきます。私にとって印象的な二つを挙げておきます。

<国際反戦デー>
1966(昭和41)年に当時の日本労働組合総評議会(総評)はアメリカのベトナム戦争介入に反対する全国ストライキを計画し、この日を統一行動の日として、日本と世界の労働団体や平和団体に共闘を呼びかけました。
以後この日は、『国際反戦デー』と呼ばれ、大規模なデモや集会が繰り広げられ、世界各地でも行われました。

我々団塊世代で学生期(1966年~1970年)にベトナム戦争を見聞きしたものにとって、この日は「ジュッテンニイイチ」と呼び、特別な感慨があります。
戦争が終結したのが1975年。67年から70年までの学生時代、私だけでなくクラス仲間の多くが、10.21反戦デモに参加したものでした。

<学徒出陣>
またこの日、太平洋戦争が始まって2年後の昭和18年兵力不足を補うため、徴兵猶予されていた文科系の学生を在学途中で徴兵し、学徒出陣の壮行会を明治神宮外苑の陸上競技場で文部省主催で行い、2万数千人の学徒が雨の中を行進しました。
一方観客席では6万数千人の女学生が動員されこれを見送りました。雨が降りしきる中、競技場も観客席も雨具は使用していません。
この壮行会から敗戦までに出陣した学徒は、10万人とも言われています。

● 東条英機首相の訓辞「・・諸君が悠久の大義に生きる、ただ一つの道なのであります・・」
● 学生代表の答辞「・・挺身以て頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を期せず・・」

『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-1) (6分23秒)
『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-2) (8分37秒)

<画面上左端の「←」ボタンでもとの記事に戻ります>

今年8月に揃ってお盆の里帰りをした娘1の家族、孫2君が高等部2年生になりました。
(爺 : 来年度末は受験だけど、文系理系のどっち?)
(孫2: 文系にしたよ)
(爺 : エッ!!文系なら、在学中でも戦争に動員されるぞ!理系に変更できないの?)
(孫2: もう無理!理科社会の選択科目を文系にしたから)
(爺 : ・・・・・・・・・・・)

ひと足早く入学する娘2の孫1ちゃんがスタンドで、娘1の孫2君の行進を見送るなんて。 冗談で済まないかも知れません。

8月8日放送のNHKスペシャル「そして、学徒は戦場へ」を見ました。埋もれていた資料と生き残った学生、それを観客席で見送った女子学生の心の動きが描かれていました。

むろん理系に進んでも戦争に関係なく生きられるわけではありません。
理学・工学・医学・薬学・農学が、人を殺し傷つけ、都市や生活を破壊することに使われました。
今やオールドリベラリストの仲間入りをした団塊世代ですが、「ジュッテンニイイチ」の心を忘れないようにしたいものです。

 

 

 

     

2023年6月24日 (土)

2023 平和の詩

8月6日や9日が何の日か知らない若い世代が増える中で、沖縄戦について本土ではもっと知られていません。
沖縄戦終結の23日に、沖縄県民にとっても日本国民にとっても忘れてはならない日として、糸満市摩文仁にある県平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が開かれました。

今回は政治情勢に大きな変化が見られます。
岸田内閣は「反撃能力(敵基地攻撃能力)」の保有を決め、軍事費の大増額、仮想敵国を定め、アメリカ依存の集団防衛をさらに明確にしました。
4年ぶりにコロナ禍前の規模で営まれた沖縄全戦没者追悼式に、玉城デニー知事の「平和宣言」、岸田総理のあいさつのほかに、沖縄に住む小・中・高世代から募集された「平和の詩」が読み上げられました。
ロシアによるウクライナ侵攻など、争いが今なお絶えない世界に向け、平和を願う思いを込めました。

      「今、平和は問いかける」
つくば開成国際高校(那覇市)3年の平安名(へいあんな)秋さん(17)

2013年(10年前)伊佐屋三木のblog記事 → 平和の詩「へいわってすてきだね」

1945年の6月23日、沖縄戦で組織的な戦闘が「終結」したとされる「慰霊の日」です。
80日にもおよぶ地上戦で、住民の4人に1人およそ20万人もの犠牲者を出しました。
 
南方各地の占領地を失った日本に、4月1日アメリカ軍が沖縄に上陸し地上戦が行われました。
沖縄に配置された第32軍は、本土侵攻を遅らせるため住民を強制的に徴用し、多くの犠牲者を出しました。
すでに長年の徴兵で残されたのは中高年・女性・子供など非戦闘員でした。
沖縄県民にとって、日本軍は守ってもらえるどこるか、攻めてくる敵に対して軍への全面協力を強制され、投降は許されませんでした。
 
本土も東京・大阪を始めとする大空襲や広島長崎への原爆投下で大きな被害を出しましたが、沖縄戦で住民が追い込まれたむごい「時間稼ぎ」の使命と悲惨な被害を知るにつけ、それを命じ実行させた罪の大きさは決して許されるものではありません。
「敗戦」後もアメリカの統治下に置かれ、「施政返還」後も基地に囲まれて生きる沖縄は、ずっと過酷な状況に置かれているのです。 

   


      

2022年10月21日 (金)

ジュッテンニイイチ

「今日は何の日?」と、ラジオから聞こえてきます。私にとって印象的な二つを挙げておきます。

<国際反戦デー>
1966(昭和41)年に当時の日本労働組合総評議会(総評)はアメリカのベトナム戦争介入に反対する全国ストライキを計画し、この日を統一行動の日として、日本と世界の労働団体や平和団体に共闘を呼びかけました。
以後この日は、『国際反戦デー』と呼ばれ、大規模なデモや集会が繰り広げられ、世界各地でも行われました。

我々団塊世代で学生期(1966年~1970年)にベトナム戦争を見聞きしたものにとって、この日は「ジュッテンニイイチ」と呼び、特別な感慨があります。
戦争が終結したのが1975年。67年から70年までの学生時代、私だけでなくクラス仲間の多くが、10.21反戦デモに参加したものでした。

<学徒出陣>
またこの日、太平洋戦争が始まって2年後の昭和18年兵力不足を補うため、徴兵猶予されていた文科系の学生を在学途中で徴兵し、学徒出陣の壮行会を明治神宮外苑の陸上競技場で文部省主催で行い、2万数千人の学徒が雨の中を行進しました。
一方観客席では6万数千人の女学生が動員されこれを見送りました。雨が降りしきる中、競技場も観客席も雨具は使用していません。
この壮行会から敗戦までに出陣した学徒は、10万人とも言われています。

● 東条英機首相の訓辞「・・諸君が悠久の大義に生きる、ただ一つの道なのであります・・」
● 学生代表の答辞「・・生等もとより生還を期せず・・」

『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-1) (6分23秒)
『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-2) (8分37秒)

<画面上左端の「←」ボタンでもとの記事に戻ります>

今年8月に揃ってお盆の里帰りをした娘1の家族、孫2君が高等部2年生になりました。
(爺 : 来年度は受験だけど、文系理系のどっち?)
(孫2: 文系にしたよ)
(爺 : エッ!!文系なら、在学中でも戦争に動員されるぞ!理系に変更できないの?)
(孫2: もう無理!理科社会の選択科目を文系にしたから)
ひと足早く入学する娘2の孫1ちゃんがスタンドで、娘1の孫2君の行進を見送るなんて。 冗談で済めばよいのですが・・

8月8日放送のNHKスペシャル「そして、学徒は戦場へ」を見ました。埋もれていた資料と生き残った学生、それを観客席で見送った女子学生の心の動きが描かれていました。

むろん理系に進んでも戦争に関係なく生きられるわけではありません。
理学・工学・医学・薬学・農学が、人を殺し傷つけ都市や生活を破壊することに使われました。
今やオールドリベラリストの仲間入りをした団塊世代ですが、「ジュッテンニイイチ」の心を忘れないようにしたいものです。

 

 

 

     

2022年8月10日 (水)

安倍元首相狙撃事件の影響

9月27日に閣議決定された安倍元総理の国葬に対する新聞及びマスコミの調査が出ました。
早かった共同通信社を始め、JNN、NNNと読売新聞、日経新聞などすべて国葬を評価しないが評価するを上回りました。
筋金入りの保守系新聞の「産経新聞」調査でも46パーセントの人が否定的です。
岸田首相の当初の見込みとは違い、「国葬」でありながらも国論を二分する問題となってしまったのです。
これからさらに反対が増える根拠として・・・・・

①山上容疑者の母が旧統一原理にのめり込み、家族も財産もすべて失った苦難の人生に対する同情。
②旧統一原理の霊感商法・信者に対する寄付強制など反社会的な実態が暴かれてきた。
③旧統一原理と安倍氏及び安倍派との結びつきと、自民党全体に関係が広がっていることが明らかになってきた。

安倍氏が最長の8年8カ月、首相の重責を担ったことと安倍政治の評価はまったく別問題です。政治的にも経済的にも「安倍政治」に批判も多く、「モリ・カケ・サクラ」問題は長期政権からくる驕りであり、国政の私物化でした。

政治家であり元総理を手製銃で射殺という事件の社会に与えた影響は大きいもので、決して許されるものではありません。
ただ、結果として・・・・

①旧統一原理の実態が暴かれ、国民の批判が広がってきて教団運営に打撃となった。
②自民党による教団を利用した票と金集めに批判が出て、関係見直しが不可避となった。

「母親が信仰する世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に恨みを持ち、安倍氏が旧統一教会とつながりがあると思い襲撃した」のが動機とされます。
山上容疑者はそこまで読んでいなかったと思いますが、結果として教団及びその応援者に手ひどい打撃を与えることになりました。


 

 

2022年7月25日 (月)

安倍元総理の国葬に反対します

岸田内閣は参議院選挙中奈良市で、自民党候補者の応援中に銃撃され死亡した安倍元首相の国葬を、9月27日に実施することを決定しました。
そもそも国葬とは?戦前を除けば天皇は別として、昭和42年の吉田元総理しかなく、この時も法的根拠がないと批判を受け、以後実施されていません。

民主主義国家として、許されることがないテロで犠牲になった安倍氏を悼むのは、万人共通の思いでしょう。
その思いを利用して、ろくな議論もせず、政治家として安倍氏の活動を全面賛美する国葬として、国民や地方自治体・学校・関連団体に強制するのは許されません。

犯人が、「世界平和統一家庭連合」(旧世界基督教統一神霊協会=統一教会)への恨みを安倍氏に向けたのが犯行の動機と自供しています。
この組織は私の学生時代から、反共産主義の活動を続けていた「国際勝共連合」と一体とされています。当時から教団の始祖文鮮明と安倍氏の祖父岸信介氏との近さは知られていました。

旧統一教会の霊感商法、多額寄付の強制、教祖指名の合同結婚式など社会的不正義があらためて暴かれ、安倍氏を始め自民党右派政治家との浅からぬ関係も明らかになりました。
実態がわかるにつれて、「国葬」に対する疑問や反対の声が大きくなっています。

2007年4月から2015年5月まで8年間の記録である「伊佐屋三木のblog」で「安倍」と検索すると12記事、その続編の「伊佐屋三木のblog2」では、なんと25の記事が出てきます。
平和を望み、憲法9条を大切にする伊佐屋にとって、対外的には「アメリカ依存」「富国強兵」、内政面では「弱肉強食」の安倍政治とは相容れぬ存在なのです。

かっての佐藤栄作氏のように、「自民党、国民有志による国民葬」として自前でおやりなさい。
その際には、遠い豊岡の地から合掌し死を悼むことにしましょう。

 

 

 

  

 

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