経済・政治・国際

2022年10月21日 (金)

ジュッテンニイイチ

「今日は何の日?」と、ラジオから聞こえてきます。私にとって印象的な二つを挙げておきます。

<国際反戦デー>
1966(昭和41)年に当時の日本労働組合総評議会(総評)はアメリカのベトナム戦争介入に反対する全国ストライキを計画し、この日を統一行動の日として、日本と世界の労働団体や平和団体に共闘を呼びかけました。
以後この日は、『国際反戦デー』と呼ばれ、大規模なデモや集会が繰り広げられ、世界各地でも行われました。

我々団塊世代で学生期(1966年~1970年)にベトナム戦争を見聞きしたものにとって、この日は「ジュッテンニイイチ」と呼び、特別な感慨があります。
戦争が終結したのが1975年。67年から70年までの学生時代、私だけでなくクラス仲間の多くが、10.21反戦デモに参加したものでした。

<学徒出陣>
またこの日、太平洋戦争が始まって2年後の昭和18年兵力不足を補うため、徴兵猶予されていた文科系の学生を在学途中で徴兵し、学徒出陣の壮行会を明治神宮外苑の陸上競技場で文部省主催で行い、2万数千人の学徒が雨の中を行進しました。
一方観客席では6万数千人の女学生が動員されこれを見送りました。雨が降りしきる中、競技場も観客席も雨具は使用していません。
この壮行会から敗戦までに出陣した学徒は、10万人とも言われています。

● 東条英機首相の訓辞「・・諸君が悠久の大義に生きる、ただ一つの道なのであります・・」
● 学生代表の答辞「・・生等もとより生還を期せず・・」

『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-1) (6分23秒)
『学徒出陣』 昭和18年 文部省映画(2-2) (8分37秒)

<画面上左端の「←」ボタンでもとの記事に戻ります>

今年8月に揃ってお盆の里帰りをした娘1の家族、孫2君が高等部2年生になりました。
(爺 : 来年度は受験だけど、文系理系のどっち?)
(孫2: 文系にしたよ)
(爺 : エッ!!文系なら、在学中でも戦争に動員されるぞ!理系に変更できないの?)
(孫2: もう無理!理科社会の選択科目を文系にしたから)
ひと足早く入学する娘2の孫1ちゃんがスタンドで、娘1の孫2君の行進を見送るなんて。 冗談で済めばよいのですが・・

8月8日放送のNHKスペシャル「そして、学徒は戦場へ」を見ました。埋もれていた資料と生き残った学生、それを観客席で見送った女子学生の心の動きが描かれていました。

むろん理系に進んでも戦争に関係なく生きられるわけではありません。
理学・工学・医学・薬学・農学が、人を殺し傷つけ都市や生活を破壊することに使われました。
今やオールドリベラリストの仲間入りをした団塊世代ですが、「ジュッテンニイイチ」の心を忘れないようにしたいものです。

 

 

 

     

2022年8月10日 (水)

安倍元首相狙撃事件の影響

9月27日に閣議決定された安倍元総理の国葬に対する新聞及びマスコミの調査が出ました。
早かった共同通信社を始め、JNN、NNNと読売新聞、日経新聞などすべて国葬を評価しないが評価するを上回りました。
筋金入りの保守系新聞の「産経新聞」調査でも46パーセントの人が否定的です。
岸田首相の当初の見込みとは違い、「国葬」でありながらも国論を二分する問題となってしまったのです。
これからさらに反対が増える根拠として・・・・・

①山上容疑者の母が旧統一原理にのめり込み、家族も財産もすべて失った苦難の人生に対する同情。
②旧統一原理の霊感商法・信者に対する寄付強制など反社会的な実態が暴かれてきた。
③旧統一原理と安倍氏及び安倍派との結びつきと、自民党全体に関係が広がっていることが明らかになってきた。

安倍氏が最長の8年8カ月、首相の重責を担ったことと安倍政治の評価はまったく別問題です。政治的にも経済的にも「安倍政治」に批判も多く、「モリ・カケ・サクラ」問題は長期政権からくる驕りであり、国政の私物化でした。

政治家であり元総理を手製銃で射殺という事件の社会に与えた影響は大きいもので、決して許されるものではありません。
ただ、結果として・・・・

①旧統一原理の実態が暴かれ、国民の批判が広がってきて教団運営に打撃となった。
②自民党による教団を利用した票と金集めに批判が出て、関係見直しが不可避となった。

「母親が信仰する世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に恨みを持ち、安倍氏が旧統一教会とつながりがあると思い襲撃した」のが動機とされます。
山上容疑者はそこまで読んでいなかったと思いますが、結果として教団及びその応援者に手ひどい打撃を与えることになりました。


 

 

2022年7月25日 (月)

安倍元総理の国葬に反対します

岸田内閣は参議院選挙中奈良市で、自民党候補者の応援中に銃撃され死亡した安倍元首相の国葬を、9月27日に実施することを決定しました。
そもそも国葬とは?戦前を除けば天皇は別として、昭和42年の吉田元総理しかなく、この時も法的根拠がないと批判を受け、以後実施されていません。

民主主義国家として、許されることがないテロで犠牲になった安倍氏を悼むのは、万人共通の思いでしょう。
その思いを利用して、ろくな議論もせず、政治家として安倍氏の活動を全面賛美する国葬として、国民や地方自治体・学校・関連団体に強制するのは許されません。

犯人が、「世界平和統一家庭連合」(旧世界基督教統一神霊協会=統一教会)への恨みを安倍氏に向けたのが犯行の動機と自供しています。
この組織は私の学生時代から、反共産主義の活動を続けていた「国際勝共連合」と一体とされています。当時から教団の始祖文鮮明と安倍氏の祖父岸信介氏との近さは知られていました。

旧統一教会の霊感商法、多額寄付の強制、教祖指名の合同結婚式など社会的不正義があらためて暴かれ、安倍氏を始め自民党右派政治家との浅からぬ関係も明らかになりました。
実態がわかるにつれて、「国葬」に対する疑問や反対の声が大きくなっています。

2007年4月から2015年5月まで8年間の記録である「伊佐屋三木のblog」で「安倍」と検索すると12記事、その続編の「伊佐屋三木のblog2」では、なんと25の記事が出てきます。
平和を望み、憲法9条を大切にする伊佐屋にとって、対外的には「アメリカ依存」「富国強兵」、内政面では「弱肉強食」の安倍政治とは相容れぬ存在なのです。

かっての佐藤栄作氏のように、「自民党、国民有志による国民葬」として自前でおやりなさい。
その際には、遠い豊岡の地から合掌し死を悼むことにしましょう。

 

 

 

  

 

2022年6月23日 (木)

沖縄戦「終結」の日

昭和の沖縄にとって忘れてはならない日があります。
1972年5月15日 沖縄が日本へ返還された日です。 
ブログ記事 →「沖縄返還50周年に思う
そしてもう一つ、1945年6月23日 沖縄戦終結の日です。

8月6日や9日が何の日か知らない若い世代が増える中で、沖縄戦について本土では更に知られていません。
沖縄県民にとっても日本国民にとっても忘れてはならない日として、過去の「沖縄戦」の記事をもう一度振り返ってみます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1945年の6月23日、沖縄戦で組織的な戦闘が「終結」したとされる「慰霊の日」です。
80日にもおよぶ地上戦で、住民の4人に1人およそ20万人もの犠牲者を出しました。

県花 デイゴ
Deigo 南方各地の占領地を失った日本に、4月1日アメリカ軍が沖縄に上陸し地上戦が行われました。
沖縄に配置された第32軍は、本土侵攻を遅らせるため住民を強制的に徴用し、多くの犠牲者を出しました。
すでに長年の徴兵で残されたのは中高年・女性・子供など非戦闘員でした。
沖縄県民にとって、日本軍は守ってもらえるどこるか、攻めてくる敵に対して軍への全面協力を強制され、投降は許されませんでした。

本土も東京・大阪を始めとする大空襲や広島長崎への原爆投下で大きな被害を出しましたが、沖縄戦で住民が追い込まれたむごい「時間稼ぎ」の使命と悲惨な被害を知るにつけ、それを命じ実行させた罪の大きさは決して許されるものではありません。
「敗戦」後もアメリカの統治下に置かれ、「施政返還」後も基地に囲まれて生きる沖縄は、ずっと過酷な状況に置かれています。

<昭和20年6月6日、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将の海軍次官あて電報>
(電文は文語のため口語訳を引用)

「沖縄県民かく戦えり!」

「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを!」

沖縄県民の実情に関して、報告は本来県知事より報告すべき事だが、県には既に通信力はなく、第三十二軍指令部(牛島中将の最高司令部)も通信余力がない。
県知事の依頼を受けたわけではないが、沖縄の現状を見過ごすに忍びないので、私大田司令官が知事に代わってご緊急に報告する。

敵が沖縄に攻撃開始以来、陸海軍とも防衛戦闘に精一杯で、県民を顧みる余裕は殆どなかった。
しかし、私の知る限り県民は青壮年の全てを防衛召集に捧げた。
残りの老幼婦女子は、相次ぐ砲爆撃で家屋と全財産を焼き出され、軍の作戦の邪魔にならない小防空壕に避難、しかも爆撃、風雨に晒される窮乏生活にあまんじた。
しかも若い婦人は率先して軍に協力し、看護婦、炊事婦はもとより、砲弾運び、斬り込み隊をを申し出る者すらあった。

所詮、敵が来たら老人子供は殺され、婦女子は拉致され毒牙にかかってしまうと、親子生き別れになり娘を軍営門に捨てる親もいる。
看護婦に至っては、軍移動に際し、衛生兵は既に出発した後なのに、身寄りのない重傷者を助けて、その行動は真面目で一時の感情で動いているとは思われない。更に軍の作戦大転換があり遠隔の住民地区が指定されると、輸送力がないのにもかかわらず、夜間、雨の中を自給自足しながら移動するものもいた。

要するに、陸海軍が沖縄に進駐して以来、県民は終始一貫して物資節約を強要され、ご奉公の心を抱き、遂に勝利する事無く、戦闘末期には沖縄島は形状が変わるほど砲撃され草木の一本に至るまで焦土と化した。
食料は六月一杯を支えるだけしかないという。

沖縄県民はこのように戦った。
沖縄県民に対して後世になっても特別の配慮をお願いする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


沖縄戦の実情を語り継ぎ、平和への思いを新たにする機会でもあります。
ましてやこれ以降、沖縄は占領状態におかれ、復帰後も日本の米軍基地の7割に囲まれ苦しんでいます。
県土面積に占める米軍基地の割合は10.2%を占めて、嘉手納基地は3,700mの滑走路2本を有し、約100機の軍用機が常駐する極東最大の空軍基地です。

辺野古への移転対象となる普天間基地など、面積でいえば嘉手納基地の僅か0.2%に過ぎません。
基地の危険性を除去するには辺野古への移転でなく、普天間の基地機能を分散するなどして撤去しかありません。

玉砕前に沖縄県民に対して『沖縄県民斯ク戦ヘリ』の電文で「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を願った海軍陸戦隊司令官大田実少将、その後の政治はこの言葉に応えているとはとうてい思えません。

 

 

  

2022年5月16日 (月)

「沖縄へ返せ」

5月15日は沖縄本土復帰の日。50年前の1972年(昭和47年)のこの日、戦後27年間アメリカの統治下にあった沖縄が返還され、沖縄県としてスタートしました。
ところがせめて本土並みを希望した県民にとって、銃剣とブルドーザで住民の土地を奪う基地づくりが始まり、負担はさらに増えました。

私が大学生の頃、ベトナム反戦・沖縄返還運動が平和を愛し正義を尊ぶ学生の重大関心事であり、運動に連帯してよく歌ったのが「沖縄を返せ」でした。

最近歌詞の一部を変えて歌われていることもあるそうです。

♪ 民族の怒りに燃ゆる島 →  ♪ 県民の怒りに燃ゆる島

本土と沖縄で考えがかけ離れてしまい「県民」とした方が、今の沖縄の思いをより強く伝えられるのでしょう。翁長前知事が問いかけた「甘えているのは沖縄ですか?本土ですか?」の言葉が胸に染みます。

♪ 沖縄を返せ 沖縄を返せ → ♪ 沖縄を返せ 沖縄へ返せ

日本の総面積の0.6パーセントの沖縄に、70%の米軍基地が集中している現状が変わらぬことに、もはや本土との「連帯感」はなく、アメリカ政府と他人事のように考えている本土に向けて叫んでいるような気がします。

     

 

2022年5月15日 (日)

沖縄返還50周年に思う

昭和の沖縄にとって忘れてはならない日があります。
6月23日沖縄戦終結の日と5月15日沖縄返還の日です。

50年前の1972年(昭和47年)のこの日、戦後27年間アメリカの統治下にあった沖縄が返還され、沖縄県としてスタートしました。

伊佐屋君が島根大学に入学したのが1967年、アメリカによるベトナム侵略・安保改定・沖縄返還・大学紛争など政治的課題が湧くように出て来た時代でした。

島根大学では、復帰前の沖縄県において、日本本土の大学への進学を支援するために設けられた「国費留学生」が学んでいました。
「屋宜」「津波古」「古波蔵」「新垣」「宮里」「具志堅」、そんな沖縄らしい姓を持つ学生達です。
本土との往来には「パスポート(渡航証明書)」が必要、通貨はドル・車は右側通行を始め米軍占領下にある沖縄の現実を聞き、自身の無知を恥じたものです。

アメリカ軍の占領支配下にあり、たえず戦争の危険にさらされていた沖縄において、’68年に、B52の撤去を要求し、県民の平和な生活を勝ち取るため広範な県民を結集して、「いのちを守る県民共闘会議」が結成され、’69年に全県ゼネスト実施が計画されました。
沖縄全県あげてのこの闘争は、広範な国民の注目を喚起し、全国津々浦々でこのゼネストに連帯する闘争がまきおこりました。

当時沖縄全県ゼネスト連帯の動きが広まり、学内のクラスやゼミでは自主的に討論が始めらました。自治会主催のでもだけでなく、学部や学科主催の自主的なデモが企画されました。

そんな時必ず歌われたのが「沖縄を返せ」(作詞:全司法福岡支部、作曲:荒木栄) の歌です。

♪ 固き土を破りて 
 民族の怒りに燃える島 沖縄よ

 我等と我等の祖先が血と汗をもて
 守り育てた 沖縄よ

 我等は叫ぶ沖縄よ 
 我等のものだ沖縄は

 沖縄を返せ 沖縄を返せ ♪

(二番繰り返し)

 



2021年11月 3日 (水)

日本国憲法公布日

11月3日は日本国憲法が公布された日で、文化の日として祝日です。
それまでの11月3日は、明治節と呼び明治天皇の誕生日で、その遺徳を偲ぶための祭日でした。公布をこの日にしたのは、何か関係があるのでしょう。
その後半年の周知徹底期間を設けて5月3日に施行され、この日を憲法記念日として祝日としました。
公布と施行の両日とも祝日としたのは、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の三原則をもとに、新生日本を象徴する重大事だったからです。

高校時代は、1946年を覚えるのに「いくよろしく」と覚えていました。
コロンブスのアメリカ大陸発見の1492年を「いよ!くにがみえる」と覚えた語呂合わせにぴったりでした。

先日の衆議院議員選挙で、改憲・加憲を問わず自民・公明・維新が発議に必要な3分の2を超えたことは残念なことでした。
来年には参議院議員選挙が行なわれ、ここで改憲勢力が3分の2を超えるといよいよ改憲が現実となります。

特に自民は当初「占領軍による押し憲法」と批判し、9条を改定し自衛権放棄や戦力不保持の条項削除・、自衛隊の明記を主目的としました。
最近は災害など「緊急事態対応」を加えること大きく取り上げ、他の政党も新型コロナウイルス感染拡大時の緊急事態対応を課題にしています。
改憲勢力の本当の狙いは、中国・北朝鮮を仮想敵国として、それに見合う戦力を保持する体制づくりです。
明らかに憲法に違反する「敵基地攻撃能力」保有について、選択肢として検討するとし、軍事費の大幅増も主張しています。

日清・日露戦争に続く昭和のアジア・太平洋戦争で諸外国に多くの犠牲を与え、日本国民も財産や父や母、夫や子供を失いました。
新憲法が施行されたとき、国民の多くが戦争放棄の宣言に「もう誰も殺さなくてよい、誰にも殺されない」と喜んだことは印象的です。
政治的思惑や利害で曲げられることなく、公布・施行当時の思いを新たに、日本国憲法とその精神を「いくよろしく」引き継ぎたいものです。

参考までにマイブログ「日本国憲法施行70年」(2017年)をクリックしてご覧ください。




2020年12月22日 (火)

天網恢々疎にして漏らさず(鶏卵疑惑編)

自民党衆議院議員で、元農林水産大臣の吉川貴盛氏が体調不良を理由に議員辞職しました。
表向きの理由は体調不良とのこと、本当の理由は、鶏卵業者から大臣室で500万円を受け取った疑惑の捜査が進んでいることであることは明白です。
同時に菅内閣の内閣官房参与を務める西川公也元農林水産大臣が参与を辞任しました。
これも鶏卵大手業者の「アキタフーズ」から現金の供給を受けたことに関わっているとされます。
鶏卵の生産流通に政治が大きく関与していることも初めて知りました。

ここで注目すべきは、この鶏卵疑惑が発覚した経緯です。
例の衆議院議員で元法相河井克行・参議院議員杏里氏の選挙買収事件捜査の過程で、福山市のアキタフーズを捜索し押収した資料に記録がありました。
もし買収事件の捜査が行なわれなければ、この事実は明らかにならなかったことでしょう。

吉川氏は二階派の事務総長で菅総理選出の立役者、党の選挙対策委員長代行をつとめています。
西川氏も安倍内閣で農林水産相を務め、前回選挙で落選しながら安倍・菅内閣の内閣官房参与を務めています。
一方安倍元首相が国会審議の過程で「桜夕食会」の政治資金問題も検察が捜査中で、 安倍元首相の任意聴取も行なわれました。

天網恢々疎にして漏らさず」は以前にも記事にしました。
老子の言葉で、「天の網は広大で目が粗いようだが、悪人は漏らさず捕まえる。つまり、天罰が下る」という意味です。

「金の力で国会の議席を買う」、「平気で賄賂を受け取る」「繰り返し国会で嘘をつき、責任を秘書に押しつける」、いったいこの国の政権党自民党はどうなっているのでしょう。
「巨悪を捕まえ、天罰を下す」には、天のお裁きに期待するのではなく、国民が声を上げ真相を究明し、選挙で厳しい審判を下すしかありません。


 

  

2020年10月15日 (木)

議論のすりかえ、居直り

学術会議会員の任命で、6人を拒否したことが問題となっています。
菅総理は「総合的俯瞰的観点で」と訳がわからない答弁でごまかし、内閣府も「人事のことは言えない」と説明を拒否しています。
それどころか問題をすりかえ、内閣として行政改革の対象としたり、自民党が作業チームを作って「在り方」の検討までを始めました。

かって学術会議は、「軍事的安全保障研究に関する声明」を出して、大学学術機関が軍事安全研究に参加することに反対を表明しました。

日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、また1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。・・・・・(2017年3月24日 前半部分)

また、会員の中に、「集団的自衛権の解釈変更」「米軍基地の辺野古への移転」「秘密保護法」「安保関連法」に反対を表明する者が続きました。

菅内閣と自民党は、政権や政策に異を唱えるも者に圧力をかけ、政権に協力させることを狙って、敢えて「学問の自由」という虎の尾を踏みつけたのです。

学術会議に限らず国や公共の組織の見直しは行なわれるべきです。
見直すとしても、まず組織全体で自己解決の方向を見つけ出すのを待つのが筋です。
それを自分たちの企みや失敗に居直り、この際政府や自民党に批判的な学者を脅し、閉め出そうとしてます。

安倍から菅へ、「リニュアール」とは名ばかりで、「なんも変わっとらんがね」。
7年超に渡って続いた安倍政治の「富国強兵」「弱肉強食」路線を支えた菅官房長官と麻生財務大臣、二人が中心となる新内閣に期待できるはずはありませんね。



2020年6月23日 (火)

沖縄戦「終結」の日に思う(再々録)

75回目の6月23日がやってきました。
朝からテレビやラジオで話題になっています。
8月6日や9日が何の日か知らない若い世代が増える中で、沖縄戦について本土では更に知られていません。
沖縄県民にとっても日本国民にとっても忘れてはならない日として、一昨年載せた「沖縄戦」の記事をもう一度振り返ってみます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1945年の6月23日、沖縄戦で組織的な戦闘が「終結」したとされる「慰霊の日」です。
80日にもおよぶ地上戦で、住民の4人に1人およそ20万人もの犠牲者を出しました。

南方各地の占領地を失った日本に、アメリカ軍が沖縄に上陸し地上戦が行われました。
沖縄に配置された第32軍は、本土侵攻を遅らせるため住民を強制的に徴用し、多くの犠牲者を出しました。
すでに長年の徴兵で残されたのは中高年・女性・子供など非戦闘員でした。
沖縄県民にとって、日本軍は守ってもらえるどこるか、攻めてくる敵に対して全面協力を強制され、投降は許されませんでした。

本土も東京を始めとする大空襲や広島長崎への原爆投下で大きな被害を出しましたが、沖縄戦で住民が追い込まれたむごい「時間稼ぎ」の使命と悲惨な被害を知るにつけ、それを命じ実行させた罪の大きさは決して許されるものではありません。
その後アメリカの統治下に置かれ、「施政返還」後も基地に囲まれて生きる沖縄は過酷な状況に置かれます。

今審議中の安倍内閣が進める「安全保障関連法案」、一括という出し方も中味もすべて異常としか考えられません。
集団的自衛権の行使とは、他国への攻撃に対し、自国が直接攻撃されていなくとも実力を行使するものです。

もちろん憲法9条第2項によって他国を攻撃する交戦権は認められていません。
また集団自衛権の行使とは、ある意味で軍事同盟の要素を持ち、戦争に巻き込まれることを現実のものとします。
法案が通過し米軍への「支援」の状況が生まれれば、真っ先に狙われるのは米軍基地が集中する沖縄です。

昨年の沖縄知事選・地方選挙・衆議院選で党派を超えた「オール沖縄」が勝利したのは、平和と安全を願う県民自らが意思と行動を示したものでした。

<昭和20年6月6日、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将の海軍次官あて電報>
(電文は文語のため口語訳を引用)

「沖縄県民かく戦えり!」

「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを!」

沖縄県民の実情に関して、報告は本来県知事より報告すべき事だが、県には既に通信力はなく、第三十二軍指令部(牛島中将の最高司令部)も通信余力がない。
県知事の依頼を受けたわけではないが、沖縄の現状を見過ごすに忍びないので、私大田司令官が知事に代わってご緊急に報告する。

敵が沖縄に攻撃開始以来、陸海軍とも防衛戦闘に精一杯で、県民を顧みる余裕は殆どなかった。
しかし、私の知る限り県民は青壮年の全てを防衛召集に捧げた。
残りの老幼婦女子は、相次ぐ砲爆撃で家屋と全財産を焼き出され、軍の作戦の邪魔にならない小防空壕に避難、しかも爆撃、風雨に晒される窮乏生活にあまんじた。
しかも若い婦人は率先して軍に協力し、看護婦、炊事婦はもとより、砲弾運び、斬り込み隊をを申し出る者すらあった。

所詮、敵が来たら老人子供は殺され、婦女子は拉致され毒牙にかかってしまうと、親子生き別れになり娘を軍営門に捨てる親もいる。
看護婦に至っては、軍移動に際し、衛生兵は既に出発した後なのに、身寄りのない重傷者を助けて、その行動は真面目で一時の感情で動いているとは思われない。更に軍の作戦大転換があり遠隔の住民地区が指定されると、輸送力がないのにもかかわらず、夜間、雨の中を自給自足しながら移動するものもいた。

要するに、陸海軍が沖縄に進駐して以来、県民は終始一貫して物資節約を強要され、ご奉公の心を抱き、遂に勝利する事無く、戦闘末期には沖縄島は形状が変わるほど砲撃され草木の一本に至るまで焦土と化した。
食料は六月一杯を支えるだけしかないという。

沖縄県民はこのように戦った。
沖縄県民に対して後世になっても特別の配慮をお願いする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

コロナ禍で従来のような追悼式はできないと聞きますが、沖縄戦の実情を語り継ぎ、平和への思いを新たにする機会でもあります。
ましてやこれ以降、沖縄は占領状態におかれ、復帰後も日本の米軍基地の7割に囲まれ苦しんでいます。
県土面積に占める米軍基地の割合は10.2%を占めて、嘉手納基地は3,700mの滑走路2本を有し、約100機の軍用機が常駐する極東最大の空軍基地です。

辺野古への移転対象となる普天間基地など、面積でいえば嘉手納基地の僅か0.2%に過ぎません。
基地の危険性を除去するには辺野古への移転でなく、普天間の基地機能を分散するなどして撤去しかありません。

玉砕前に沖縄県民に対して『沖縄県民斯ク戦ヘリ』の電文で「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」を願った海軍陸戦隊司令官大田実少将、その後の政治はこの言葉に応えているとはとうてい思えません。

 

 

 

 

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