アジア・太平洋戦争終戦80年の日 (伊佐屋のアジア・太平洋戦争)
8月15日はアジア・太平洋戦争の終戦の日とされ、国を挙げて戦没者追悼行事が行われ、今年が80年目」となります。
この戦争でアジア・太平洋地域で2,000万人以上、日本国民も軍人230万人、民間人80万人、合計310万人の死者がでています。
伯父と叔父の墓碑
私の家でも、日中戦争の最中、昭和13年と14年に、次男伯父と四男叔父の二人を中国大陸で失いました。戦死が開戦初期だったことで、地区を挙げての慰霊を受け、妻は「靖国の妻」、祖父母は2人の息子をお国に捧げた「靖国の父と母」として、靖国神社臨時大祭に招かれています。
四角柱に頭部が方錘型の独特な形態になっていて、柱のぐるりに出自、学歴・仕事歴、入隊の時期、軍での働き、戦死の場所など故人の歴史が刻まれています。普通は出自と応召日と部隊名、死亡日と場所だけです。これほど記録された墓石は珍しいものです。
どちらも中国大陸を転戦し、伯父は中国軍に囲まれた白兵戦で、叔父は交戦中に相手迫撃砲が命中して戦死と記しています。
一軒の家に二人、13年と14年に連続しているのは稀なことで、残された妻と幼な子、父母の悲しみは想像を絶するものでしょう。授与された勲章や靖国の英霊としての扱いも、戦死の悲哀が誉れに替わるはずはありません。
さらに過去の病で徴兵猶予されていた三男が、18年に勤務先の中国開封で現地招集されています。幸い生きて21年4月に復員することができましたが、あわや三人目の戦死者となるところでした。おかげで私たち兄弟がこの世に生を受けることができました。
この間、20年には戦死した伯父の遺児〇子が伊佐屋家で病死しています。
祖父は子・妻・兄弟・孫と何人を見送ったことでしょう。
これが「伊佐屋のアジア・太平洋戦争」です。
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敗戦から80年、アジア諸国への「植民地支配と侵略」の歴史から学ぼうとせず、再び「富国強兵」の道を歩もうとするアジア隣国敵視、対米追随の政治に強い危惧を抱きます。
7月の参議院選挙では、先の大戦をアジア開放のための「大東亜戦争」と呼び、国民主権の憲法を変え、核兵器の保有さえ認める参政党が14議席を得ました。
差別と排外につながる「日本人ファースト」のスローガンも、危険な考え方です。
過去の戦争いや歴史において、他国からの脅威を理由に有事体制を強め、衝突へと突き進んできました。今も戦争と名がついていませんが、世界で殺し合い、壊し合いが行われています。
芸術文化も同様です。日本の芸術を海外に紹介するのは、日本人が何に悩み、何に苦しみ、何に喜んできたのかを世界の人々に伝えることにほかなりません。軍事力や経済力といった目に見える力以外に、国家が行使しうる外交力のことを「ソフトパワー」といいます。観光と芸術は、日本が有する最大のソフトパワー、安全保障の一環です。・・・・





























