但馬情報特急

九条の会

  • 九条の会
    日本が誇る憲法第九条をまもり、平和な世の中を築くため行動します

suzuran写真館とミッキーの手まり

府市場物語

2017年4月14日 (金)

婆焼き オトウマツリ

通称「婆焼き」と称され、4月14日(旧暦3月14日)に、松を立て周囲を竹で囲いお鉢を作り、上部に老婆に見立てた人形を縛り付けて、焼き捨てるという珍しい火祭りが行われました。

今もこの伝統を受け継いでいるのは国府地区松岡区だけで、村を二分してそれぞれ隔年で担当しています。
 
お柱まつり 婆焼き」の由来については  ← クリックしてご覧ください。
 
                松岡婆焼き(2014年撮影)
Img_0952 Img_2912
Img_2926  P1010032
1221年の承久の変で鎌倉幕府と後鳥羽上皇が闘い、敗れた朝廷側の雅成親王の但馬配流にまつわる伝説を起源としています。
この政変は鎌倉時代武家政権への上皇方のクーデターで有名ですが、その影響が但馬の地に残り、引き継がれているのは興味深いものです。
春先の気候でこの時期には、強い南風が吹いたり、円山川に水害が多く発生することに対する安全と豊作を願う「火祭り」が、故事を元にした祈りに変わったという説もあります。
 
かっては上郷・土居・府市場・野々庄・芝の各区でも同様な行事がありましたが、僅かに伊佐屋の住む府市場区が「お塔まつり」として残っていて、我が伊佐屋もその講の一員です。
 
国府村誌上巻には「頭屋祭(オトウマツリ)」とし、5ページに渡る記述があります。
「オトウマツリ」が松岡では「お柱祭り」、上郷では「御祷祭り」、府市場では「お塔まつり」の字を充てています。
それぞれの思いや松を使った鉢や柱の形を「トウ」に置き換えたのでしょう。
 
私が住んでいる府市場区では、村の有力者が出資をして「お頭田」を所有し、その年貢や売買後の利息で、祭りの経費をまかなっていた記録が残っています。
そんな府市場も11軒の講員では祭りの実施が難しくなり、昭和39年に婆焼きの鉢作りを止め、十二所大権現の軸にお参りし会食する形式で祭りを引き継いできました。
 
もう一つの婆焼き祭り」 ← 府市場婆焼きはクリックでご覧ください
 
                  府市場婆焼き(お鉢焼き・2004年)
P1010015 P1010020
P1010019_2  P1010022
その後有志の協力も得て1988年に鉢作りを復活させ、以後5年ごとに婆焼きを行ってきたものの、2004年を最後に鉢作りを止める結果となりました。
 
松岡区以外では講員のみで行ってきた祭り行事を、祭神「十二所大権現」を祀るご当所松岡区を挙げて取り組んできたことが「婆焼き」が今日まで残った理由でしょう。
 
地域の過疎化と高齢化で、伝統ある祭りそのものの存続が危ぶまれる時代になりました。
 
 

2017年1月30日 (月)

旧橋上組愛宕講の始まりは手辺大火

伊佐屋の住む府市場区は家屋敷が東西に広がっていて、西部を手辺、東部を国府市場(こうのいちば)にほぼ二分されています。

国府という地名から但馬の国の国府との関連、市場からも商業中心地だったことが伺えます。
その手辺も上下の組が別れていて、「橋上組」が今の1・2隣保に相当します。
 
大正時代の手辺の町並み(菅村駅一氏「匂うふるさと」より) クリックで拡大します
Tehen
橋上組には当時何処の区でもおこなわれていた「伊勢溝」とは別に独自に「愛宕講(あたごさん)」として火伏せの行事が続けられていました。
時期は1月23日またはその頃ですが、当番家に集まり一同でお参りしたあと、飲み食いをしながら夜通し火の用心の夜回りをしていました。
 
近年は新年会も兼ねて、場所も料理屋でご馳走を食べカラオケで騒ぐスタイルとなりましたが、その前に公民館に戸主が集まり愛宕大神にお参りすることは続けています。
「愛宕神社火災防護攸」のお札をいただき、お祀りし一同揃ってお参りする意味」とは?
この2~3年で代替わりが進んだことで、講の由来や意義を知るものも少なくなりました。
また戸主以外の家族にも「愛宕講」を知ってもらいたいものです。
とかく新年会に偏りがちな風潮を少し危惧して、自分なりにまとめた資料を配付しました。
 
愛宕講の由来と今日的意義 → 「atagokou-yurai.pdf」をダウンロード
 
歴史ある「伊勢講」と大正の手辺大火の教訓から始まった「愛宕講」が融合して今日まで引き継がれています。
昨年の12月22日に発生した糸魚川大火災は、台風並みの南風で多くの被害が出たことは記憶に新しいところです。
「火を使うことで生活する人間にとって、火事との闘いは宿命のようなものです。
火元だけでなく隣近所の財産や生命を失うことになりかねない悲惨な出来事です。
手辺大火から100年の時を経て、お祭りの意味を知る人も少なくなりましたが、時代が変わっても火事の恐ろしさや行事本来の意味を忘れずに火の用心に努めたいものです。」


2016年7月17日 (日)

2016 府市場観音まつり

7月17日は祇園祭の宵山で知られていますが、当地ではこの日が観音さまの縁日に当たることから、お祭りが行われます。
観音堂はわが家の北隣で、区内西側5隣保が交替でお世話することになっていて、今年は4隣保が当番でした。
昔は公民館が建てられている旧堤防上にありました。
近くの伊佐屋菜園の地番は「土手外」となっていることで、堤防が大きく移動しているのがわかります。
昭和14年に府市場出身の篤志家の寄付で現在地に移築されました。

観音堂                        祭壇
P7170133 P7170132
観音菩薩は地蔵菩薩とともに身近な仏様で、特に般若心経の最初に登場することで知られています。
私の子供のころは、夜店が数店並び、盆踊りも行われたことがありました。
親戚を呼び合ってご馳走を食べる習慣もありましたが、今はお参りの人も少なく、僅かに10名程度の観音講メンバーによる西国三十三所御詠歌がお供えされる程度です。
 」
               ご本尊 観音菩薩           
P1000698   P7170128_2

脇侍 弘法大師              脇侍 不動明王
P7170126_2   P7170127_2
但馬では養父市「広谷観音まつり」が有名で、昭和初期には賑わっていたものが一時廃れました。
その後復活して、山車が練る曳山(ひきやま)巡行や華やかな傘踊り、造り物の展示でにぎあっています。
調べたところ当村のご本尊は千手観音で、高さは約90cmほど、気高いお顔が印象的です。
但馬で観音様は、城崎町温泉寺と新温泉町相応峰寺のご本尊がともに十一面観音で、時代も古く有名です。
 
三十三年毎にご開帳の秘仏も霊験あらたかかも知れませんし、西国三十三カ所の観音さまもありがたいかも知れませんが、身近におわし毎年お顔を拝がめる観音様こそ大事にしたいものです。
 

2016年6月10日 (金)

大衆演劇と食事会

府市場老人クラブ恒例の食事会が今年は演劇鑑賞も加わりました。

場所は奧城崎シーサイドホテル、「日本の渚百選」及び「快水浴場百選」に選ばれた青く美しい竹野浜海岸内にあります。

シーサイドに立地             海開きを待つ竹野浜
P6100057 P6100056

田植えが終わった「さなぼり」時期にこのホテルの恒例行事である大衆演劇は座長新川博也 「新川劇団」 でこの地では初公演だそうです。
劇団の総数は全国で130劇団以上存在し、全国各地にある大衆演劇専用公演の劇場・または、健康ランドやホテルなどで劇団員一行が時代劇を主とした公演をしているそうです。


まずまずの入り込み             公演横断幕
P6100048 P6100063

まずは会食                 幕間風景
P6100053_2 P6100064_2

3日で演目が変わり、この日一幕目は人情芝居、幕間、二幕目は舞踊歌謡ショーと続きます。
演じる役者と観客との距離が近く、芝居の内容も分かりやすく、臨場感溢れる雰囲気が生まれます。
以前新世界朝日劇場で観たことはありますが、鍛えられた芝居芸・歌や品のよい踊りの所作、眼ぢからに圧倒されました。

府市場老人会の次なる行事は6月25日、国府地区老連グランドゴルフ大会の参加が予定されています。
( 山歩き現役の私は当分グランドゴルフに登場することはありません )
 

2016年3月20日 (日)

老人会デビュー

1月の記事「老人の仲間入り」が現実のものとなりました。
一つは老人会への入会。
12日の総会が初お目見えでした。
対象者10人のなかで入会は3人、それぞれ思いがあるのでしょう。

続いて府市場区主催の敬老会が20日に開催されました。
87戸の集落で対象者は93人、体調などもあって参加者は36人で、初参加7人でした。

集合写真準備中            会食風景               
20160320_114052_2 20160320_115351_2

本日のご馳走              高校3年生を歌う
20160320_115407 20160320_130538_4

以前役員だった時主催者側で気を遣いましたが、この日ばかりはお客様。
新参者のくせに大きな顔で前列に陣取りしてたくさんおよばれしてきました。
団塊世代が高校2年の時に流行ったのが舟木一夫の「高校三年生」です。
敬老会と言えば民謡か演歌が歌われるのが、この年始めて自分世代の青春歌謡が登場しました。
次は反戦フォークが飛び出すかも・・・・。
時の流れを感じさせる敬老会でした。

2016年1月11日 (月)

老人の仲間入り

数えで70歳を迎えると、府市場区では二つのお誘いがあります。
一つは3月に行われる府市場区敬老会へのご招待です。
87戸の集落で敬老会対象が93名になると聞きました。
体調不良や施設入所の方を除いても会場はほぼ一杯になるでしょう。
当番隣保にお世話を頂き、会食をしながらアトラクションを楽しんだりします。
私の敬老会初デビューとなります。

もう一つは、老人会入会のお誘いです。
こちらは任意加入なので、現在のメンバーは34人にとどまってて、男性は少ないと聞きます。
数え70歳は早すぎるとか行事が煩わしい、役員になるのがイヤなど理由はいろいろで、結局区役員の卒業組が運営の中心となっているようです。

一般的に60歳~65歳は停年や年金支給などの節目となりますが、70歳を迎えると正真正銘の老人として扱われます。
昨日の区初総会懇親会でさっそく老人会長から入会のお誘いを受けました。
まだまだ先の話だと思っていましたが、腰や膝に持病を抱え脚の浮腫も加わって体も相応に歳をとってきました。
昭和22年(1947年)生まれは団塊世代、男女あわせて10人を超す老人が生まれます。正式なお誘いがあれば四の五の言わずに入れていただくことにします。

2016年1月10日 (日)

2016 府市場区初総会

年末年始になるとどこの行政区でも年度総会が開かれます。
我が村では「正月三が日を除いた最初の日曜日」と決まっていて、今年は10日が初総会日となります。
役員任期が2年のため今年は選挙がなく、1年間の活動報告や決算が報告され、原案どおり承認されました。
新しく入区した家族が3組、集合住宅を除くと87世帯、296人が暮らす府市場区です。
総会のあとは新年懇親会、幕の内弁当とお酒が振る舞われます。
20160110_114427 20160110_114243
役員からの参加呼びかけもあって例年になく、大勢が残って会食に参加していました。
1年任期の隣保役員も決まり、いよいよ府市場区の2016年が始まります。
 

2015年12月 7日 (月)

智文寺再建 境内整備

府市場区にある智文寺、三代目の尼僧、徳明さんが亡くなったあと廃寺となり、上郷の頼光寺さんが管理されていました。
境内には三丹一といわれる延命地蔵が祀られています。
無住となったことで本堂や境内地の荒廃が進み、建て替えと境内地の整備が行われ、12月7日落慶法要が行われました。
 
寺の由来については、伊佐屋三木のblog記事「智文寺の歴史」をクリックでどうぞ。

智文寺境内                新本堂
Pc070054 Pc070058
本堂釈迦三尊像              寶筺印塔
Pc070063  Pc070055_4
           高さ6尺の延命地蔵尊
Pc070057_2  Pc070068_2
本堂は小規模ながら寶筺印塔、延命地蔵尊と並んで配置され、周囲の樹木も伐採されてよく目立つようになりました。
100基に及ぶ区有墓地が隣接していることもあって、お参りが増えることでしょう。
寺で使われていた水道が、区によって墓地利用者の水場として設置されました。
隣接する広場で行われる夏祭りでも活用されるでしょう。
 

2015年11月17日 (火)

伊智神社物語

府市場区老人会秋総会にゲストとしてお呼びがかかりました。
数え70歳のメンバー資格ができるのは来年なので、今年は区の歴史について話せとのご指名です。
並み居る先輩方を前に歴史を話すなどおこがましく思いましたが、一番わかりやすい「伊智神社物語」として神社護持の歴史をスライドで紹介することにしました。

90戸近い大集落で対象者は90人近くいるにもかかわらずメンバーは34人、そのうち出席は22人と聞き驚きました。
数え70歳は早すぎるとか行事が煩わしい役員になるのがイヤなど理由はあり、結局区役員の卒業組が運営の中心となっているようです。
 
伊智神社は我が村の産土神で、式内社に位置づけられます。
元旦祭を始め節分祭・秋季例祭が執り行われ、日々の参拝など区民の尊崇を集めています。
Pb140091 Pb140001
Pb140092 Pb140093
Pb140094 Pb140095
Pb140096 Pb140097
Pb170062 Pb170061
Pb140100 Pb140099_2
Pb140101 Pb140102_2
恥ずかしい話しですが、昭和やそれ以前の資料がほとんど残っていません。
長年に渡って氏子総代を務められた方の知識経験だけに頼りきって、組織の基本である「分担と交代」を怠っていたのです。
現在の氏子総代に引き継ぎ資料はあるのかと聞くと、「平成以降の区総会提出資料以外はほとんどありません」と答えます。
かすかな望みの「語り部」もほとんど亡くなってしまい、頼りになるのは僅かに残った書き物と棟札・墨書・碑文くらいです。
よい機会なので神社の由緒と本殿や神輿、かって運行された屋台などの歴史を調べ纏めたいと思い、昔話同好会の調査と自分なりに調べたものをスライドで見ながらお話ししました。

写真を中心に60枚のスライドと拙い説明で40分。
資料作りに1日半かかりましたがよい勉強になったのと人に伝えることの難しさを感じました。

昔話同好会もメンバーが次々と亡くなり、休眠状態が続いています。
過去の区の伝承や文化財など調査記録も多く残っています。
そろそろ「調査する」ことから「記録を纏める」時期かも知れませんね。
 
 

2015年10月11日 (日)

2015 府市場秋祭り 本宮

11日(日)は本宮。
伊智神社ご神体を神輿に移して区内を渡御し、小学生以下と中学生によるだんじり二基がお供します。
神事                     ご神体を神輿に
Pa110668 Pa110672
お供衆                   神輿の出立   
Pa110675_2 Pa110705
お旅所                   未来の府市場衆
Pa110685_3 Pa110687_6
神輿に供奉する子供だんじり      左に小学生、右は中学生のだんじり
Pa110678 Pa110695_2
参道を帰着             恒例の奉納相撲
Pa110700   Pa110712_3
                餅まき風景
Pa110716_2 Pa110719

昼過ぎに雲が出て少し危ぶまれましたが、雨もなく区内二ヶ所のお旅所でご祈祷を受け滞りなく区内巡行が終わりました。
普段は主役の子供だんじり二基も、この日ばかりは神輿の脇役としてお供に励みました。

馬子にも衣装
Scn_0002

不肖私のお役は白丁代表として神社旗を掲げて輿の先頭に立ち誘導するお役目、私の白丁姿もこれで納めとなります。

振り返れば宮総代3期6年、副区長2期4年、当番隣保のお 世話役の時もあって白丁役を務めたのは過去2回だけ、3度目のお勤めはしっかり果たしたつもりです。

府市場伊智神社の護持の歴史は 伊佐屋三木のblogに6回にわたって纏めています                         

                     ↓ 
http://izayamiki.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-1594.html  クリックでどうぞ。

より以前の記事一覧

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

伊佐屋三木のblog

  • 伊佐屋三木のblog
    2007年4月から2015年5月まで8年間の記録です。 「サイト内検索」にキーワードを入れて検索すると過去記事が見られます。
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

神鍋山野草を愛でる会

無料ブログはココログ