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府市場物語

2018年7月21日 (土)

ツバメの巣立ち

17日観音まつりの夜、怖い思いをしたツバメのヒナが無事育ちました。

観音まつりの際は5羽のヒナがひしめき合っていましたが、21日の朝、大きな羽音とともに一斉に巣立ちました。
 
17日の巣                     21日の巣
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卵を産みヒナが育つ前にカラスが襲います。
その様子は、伊佐屋三木のblog 「ツバメ受難」 をクリックしてご覧ください。
今年も巣を壊されましたが、次を生み育てているのです。
 
春先からやってきて、巣作り・子育てで楽しませてくれたツバメも子の巣立ちを終えると、軒先から姿を消します。
そのツバメがお盆を過ぎると、日が沈む頃に群れをなし、円山川の葭(よし)原に降りてきます。
「ツバメの塒(ねぐら)入り」と呼ばれ、このねぐらに集結した群れが最大になると今度は、南に向けて一斉に旅立つそうです。
遅く巣立ちしたヒナたちはそれに間に合うよう体力をつけなければなりません。
 

 

2018年7月17日 (火)

2018 手辺の観音まつり

昨日17日は府市場観音まつりで、私の所属する二隣保が当番を務めました。

18日が観音さまの縁日であることから、前日の夜からおまつりします。
 
観音堂                        堂内
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堂内にツバメの巣があって、5羽のヒナがひしめき合っています。 
一度カラスに襲われヒナを 食べられたのは確認しましたが、次を生み育てているのです。
親鳥は心配げに外で様子を見守っています。
 
普段は静かなのに大勢が押しかけて、鉦を鳴らしご詠歌をお供えする賑やかさにはびっくりしていることでしょう。
一晩だけなので辛抱してもらうしかありません。
 
        身動きせずにひたすら耐えるツバメの雛たち                   
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この観音さまは十一面千手観音さまで、正面からは見えませんが、頭の周りに10体の観音さまが飾られています。
製作時期も作者も不詳で、御丈は40cm、内陣も厨子も閉扉していることで、いつまでも神々しいお姿のままです。
脇侍として右に不動明王、左の弘法大師の石仏が配置されています。
昭和14年に土地と堂宇を寄進され移設してから79年、内部も傷みが目立ってきました。
 
              十一面千手観音立像
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不動明王                 弘法大師 
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7月17日は府市場の観音祭り、昭和の中頃までは「手辺の観音さん」と呼ばれ、国府市場(こうのいちば)の「薬師さん」、土居の「川濯(かわすそ)さん」、府中新の「六地蔵さん」が近隣のお祭りでした。
 
今までは「観音さん」が終われば梅雨明け間近、いよいよ夏の到来ということでしたが、今年は10日前に梅雨が明け、猛暑の中でのお祭りとなりました。
 
 
 

2018年3月27日 (火)

府市場桜の開花

神鍋山野草を愛でる会の観察から帰ってくると公民館横の桜が開花していました。
他に稲荷堂にも桜がありますが、伊佐屋菜園への通り道であり、伊佐屋観察員が勝手に標準木と決めています。
 
府市場妙見堂の桜
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10日後の来週末にランニングチームF1Bの花見を予定しています。
まだまだ温かい天気が続き、当日まで保たないでしょう。
やはり「団子」が主役になりそうです。
 
 

2018年2月 3日 (土)

2017 伊智神社節分祭

伊智神社の例祭としては、元旦祭・節分祭・秋祭りの三つがあげられます。
 
積雪なしの伊智神社
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節分とは各季節の分かれ目を意味しますが、立春の節分である2月3日は冬から春に向かうことで、神様へのお参りや豆まき行事で、邪気を追い払い、一年の無病息災を願う行事として引き継がれてきました。
今年は積雪もほとんどなく、神社には大きな火が焚かれました。
府市場区にはどんど焼きがないので、この日に正月飾りを持参して焼きます。
 
昔はあちこちで節分の夕方に「ムクロ打ち」「虫封じ」という行事があったと聞きます。
お隣上郷区では、「ムクロもちどけどけ~丹後の方へいけいけ!」
夏栗区では「ヌカ虫送った~丹後のかたへいけいけ!」
山宮区では「ムクロもち送った~丹後の方へいけいけ!」や榧の木の葉の先に雑魚を挟んで出入り口に置き、悪霊が来ないように祈ったとされています。
 
ムクロとはモグラのことで、畦を壊されたり、トンネルを掘られて作物を枯らされたり、相当手を焼いていました。
 
ヌカ虫も米ぬかに発生して米を台無しにしてしまいます。
どちらも農家にとって大敵、子供たちが金だらいやバケツを叩いてはやしたてたそうで、送り先を「丹後の方」と共通しているのはおもしろい。
七草時期の「鳥追い」も稲など穀物を食べる害鳥として追い払います。
 
最近では恵方巻き(巻き寿司)を食べることが習慣化して、新聞チラシには各種の太巻きとイワシ'が並んでいます。
ヒイラギや榧の木の枝葉にイワシの頭を刺して玄関にぶら下げる魔除けは古くからの習慣ですが、新旧入り交じった混習に違和感がなくなりました。
 
伊智神社にお参りした際に、本社・日吉社・五社にお供えを載せた三宝が置かれていましたが、向きがおかしいので当番に指摘しておきました。
どこの家でも在ったはずの三宝も飾られることがないのか、神様を主体にお供えする向きも気にされることもなくなったのは少し寂しいですね。
 
 

2018年2月 2日 (金)

府市場 玄さんの元気教室

シルバーネタですが、一昨年6月開設以来1年半続いている元気教室です。

主催は府市場寿会、昨年度までは府市場老人クラブと称していました。
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毎週火曜日午後1時半から場所は区公民館で、豊岡市提供の「元気もん体操」のDVDにしたがって約30分間のメニューです。
 
①準備体操(ストレッチ)
②ボールを使ったオーちゃんの筋トレ(内ももの引き締め・ボールつぶし・腹筋)
③玄さんの筋トレ(スロースクワット)
④歩(あ)るキング体操
⑤整理体操(ストレッチ)
 
多いときは13~14人、少ないときは5~6人の参加です。
終わったあとは、コーヒーを飲みながらおしゃべりタイム。
女性中心なのでついついお菓子が出てきて、運動によるカロリー消化が無に帰すことがあります。
老年者主体なのでダイエットに気を遣うよりも、体を動かすことを習慣化することが大事です。
お菓子は運動後のコミュニケーションツールとして「必要欠くべからず」もののようで、遠慮せずに頂いています。
 
 
 

2018年1月25日 (木)

どんど焼きあれこれ

Img_20180125_0001_2 豊岡市広報2月号に但東町栗尾区の「どんど焼き・五升餅」の記事がありました。
小正月に近い1月14日に近くの田んぼで、竹で組んだやぐらに火を燃やすのと餅挟みに大きな餅(五升餅)を挟んで焼いていました。
 
もともとどんどとは、元旦にお迎えした「年神様を炎で天にお送りする行事」といいます。
持ち寄った正月飾りや注連縄 (しめなわ) などを焼き、この火の粉を浴びたり、餅を焼いて食べると健康に過ごせるという願いもあります。
 
そういえば、1月14日に揖保川添いの道を南に下る際に集落毎に河原で櫓を組んで準備していたのを見ました。
 
どんど焼きはところによって「左義長」と呼ばれたり、七日正月前後の8日に行われたりいろいろですが、正月明けの行事に神を敬い、無病息災や五穀豊穣・子孫繁栄を願う人々の心は共通しています。
 
ところで伊佐屋の住む府市場区に「どんど焼き」行事は聞いたことがありません。
どんどや虫送りの火祭り、モグラ(ムクロ)打ちなど古い行事が残っていないのは、早くから市が開かれ、商屋が立ち並んだ府市場(手辺の)地域性が影響しているのでしょうか。
それと商売の盛衰とともに人の移動が多く、地域行事が受け継がれにくかったことも関係があるかも知れません。
 
 

2018年1月 7日 (日)

我が家から見るモルゲンロート

今朝、裏庭から西の空を見ると大岡山が赤く染まっています。

モルゲンロートとはドイツ語で朝焼け、山では夕焼け=アーベンロートとともによく使われます。
昨年10月、北アルプス涸沢で見たモルゲンロートは素晴らしいものでした。
 
大岡山の朝焼け                 東の空
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「夕焼けは晴れ、朝焼けは雨」というがごとく、東の空が晴れていて、西から雨になる可能性が高いようです。
今日7日、兵庫北部の予報は終日曇り、夜中を過ぎる頃から雨、明日は一日中雨の予報です。
 

2017年4月14日 (金)

婆焼き オトウマツリ

通称「婆焼き」と称され、4月14日(旧暦3月14日)に、松を立て周囲を竹で囲いお鉢を作り、上部に老婆に見立てた人形を縛り付けて、焼き捨てるという珍しい火祭りが行われました。

今もこの伝統を受け継いでいるのは国府地区松岡区だけで、村を二分してそれぞれ隔年で担当しています。
 
お柱まつり 婆焼き」の由来については  ← クリックしてご覧ください。
 
                松岡婆焼き(2014年撮影)
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1221年の承久の変で鎌倉幕府と後鳥羽上皇が闘い、敗れた朝廷側の雅成親王の但馬配流にまつわる伝説を起源としています。
この政変は鎌倉時代武家政権への上皇方のクーデターで有名ですが、その影響が但馬の地に残り、引き継がれているのは興味深いものです。
春先の気候でこの時期には、強い南風が吹いたり、円山川に水害が多く発生することに対する安全と豊作を願う「火祭り」が、故事を元にした祈りに変わったという説もあります。
 
かっては上郷・土居・府市場・野々庄・芝の各区でも同様な行事がありましたが、僅かに伊佐屋の住む府市場区が「お塔まつり」として残っていて、我が伊佐屋もその講の一員です。
 
国府村誌上巻には「頭屋祭(オトウマツリ)」とし、5ページに渡る記述があります。
「オトウマツリ」が松岡では「お柱祭り」、上郷では「御祷祭り」、府市場では「お塔まつり」の字を充てています。
それぞれの思いや松を使った鉢や柱の形を「トウ」に置き換えたのでしょう。
 
私が住んでいる府市場区では、村の有力者が出資をして「お頭田」を所有し、その年貢や売買後の利息で、祭りの経費をまかなっていた記録が残っています。
そんな府市場も11軒の講員では祭りの実施が難しくなり、昭和39年に婆焼きの鉢作りを止め、十二所大権現の軸にお参りし会食する形式で祭りを引き継いできました。
 
もう一つの婆焼き祭り」 ← 府市場婆焼きはクリックでご覧ください
 
                  府市場婆焼き(お鉢焼き・2004年)
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その後有志の協力も得て1988年に鉢作りを復活させ、以後5年ごとに婆焼きを行ってきたものの、2004年を最後に鉢作りを止める結果となりました。
 
松岡区以外では講員のみで行ってきた祭り行事を、祭神「十二所大権現」を祀るご当所松岡区を挙げて取り組んできたことが「婆焼き」が今日まで残った理由でしょう。
 
地域の過疎化と高齢化で、伝統ある祭りそのものの存続が危ぶまれる時代になりました。
 
 

2017年1月30日 (月)

旧橋上組愛宕講の始まりは手辺大火

伊佐屋の住む府市場区は家屋敷が東西に広がっていて、西部を手辺、東部を国府市場(こうのいちば)にほぼ二分されています。

国府という地名から但馬の国の国府との関連、市場からも商業中心地だったことが伺えます。
その手辺も上下の組が別れていて、「橋上組」が今の1・2隣保に相当します。
 
大正時代の手辺の町並み(菅村駅一氏「匂うふるさと」より) クリックで拡大します
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橋上組には当時何処の区でもおこなわれていた「伊勢溝」とは別に独自に「愛宕講(あたごさん)」として火伏せの行事が続けられていました。
時期は1月23日またはその頃ですが、当番家に集まり一同でお参りしたあと、飲み食いをしながら夜通し火の用心の夜回りをしていました。
 
近年は新年会も兼ねて、場所も料理屋でご馳走を食べカラオケで騒ぐスタイルとなりましたが、その前に公民館に戸主が集まり愛宕大神にお参りすることは続けています。
「愛宕神社火災防護攸」のお札をいただき、お祀りし一同揃ってお参りする意味」とは?
この2~3年で代替わりが進んだことで、講の由来や意義を知るものも少なくなりました。
また戸主以外の家族にも「愛宕講」を知ってもらいたいものです。
とかく新年会に偏りがちな風潮を少し危惧して、自分なりにまとめた資料を配付しました。
 
愛宕講の由来と今日的意義 → 「atagokou-yurai.pdf」をダウンロード
 
歴史ある「伊勢講」と大正の手辺大火の教訓から始まった「愛宕講」が融合して今日まで引き継がれています。
昨年の12月22日に発生した糸魚川大火災は、台風並みの南風で多くの被害が出たことは記憶に新しいところです。
「火を使うことで生活する人間にとって、火事との闘いは宿命のようなものです。
火元だけでなく隣近所の財産や生命を失うことになりかねない悲惨な出来事です。
手辺大火から100年の時を経て、お祭りの意味を知る人も少なくなりましたが、時代が変わっても火事の恐ろしさや行事本来の意味を忘れずに火の用心に努めたいものです。」


2016年7月17日 (日)

2016 府市場観音まつり

7月17日は祇園祭の宵山で知られていますが、当地ではこの日が観音さまの縁日に当たることから、お祭りが行われます。
観音堂はわが家の北隣で、区内西側5隣保が交替でお世話することになっていて、今年は4隣保が当番でした。
昔は公民館が建てられている旧堤防上にありました。
近くの伊佐屋菜園の地番は「土手外」となっていることで、堤防が大きく移動しているのがわかります。
昭和14年に府市場出身の篤志家の寄付で現在地に移築されました。

観音堂                        祭壇
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観音菩薩は地蔵菩薩とともに身近な仏様で、特に般若心経の最初に登場することで知られています。
私の子供のころは、夜店が数店並び、盆踊りも行われたことがありました。
親戚を呼び合ってご馳走を食べる習慣もありましたが、今はお参りの人も少なく、僅かに10名程度の観音講メンバーによる西国三十三所御詠歌がお供えされる程度です。
 」
               ご本尊 観音菩薩           
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脇侍 弘法大師              脇侍 不動明王
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但馬では養父市「広谷観音まつり」が有名で、昭和初期には賑わっていたものが一時廃れました。
その後復活して、山車が練る曳山(ひきやま)巡行や華やかな傘踊り、造り物の展示でにぎあっています。
調べたところ当村のご本尊は千手観音で、高さは約90cmほど、気高いお顔が印象的です。
但馬で観音様は、城崎町温泉寺と新温泉町相応峰寺のご本尊がともに十一面観音で、時代も古く有名です。
 
三十三年毎にご開帳の秘仏も霊験あらたかかも知れませんし、西国三十三カ所の観音さまもありがたいかも知れませんが、身近におわし毎年お顔を拝がめる観音様こそ大事にしたいものです。
 

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