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九条の会

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文化・歴史

2018年1月15日 (月)

笑って学ぶ江戸時代 Ⅱ

豊岡歴史博物館の「ミュージアム寄席」第2回が13日に開催され、前回に続いて参加してきました。

20180113_134501288_2第2回のテーマは「江戸時代のお正月」、お正月の行事や遊びに関連する演目です。
まずは、「尼乃屋河鹿」さんの「初天神」です。
年の初め1月に開催される天神様の縁日にお参りした親子が繰り広げる飴屋・団子屋とのやりとりや子どもそっちのけでたこ揚げに興じる親父を面白おかしく体全体を使って演じられました。
 
 
20180113_135408066_2 次は「春乃そよかぜ」ちゃんの、「千早振る」、百人一首でも知られる在原業平の歌ですが、意味を問われ、知ったかぶりをする問答がおもしろい。
そよかぜちゃんは小学4年生と聞きびっくり、長くて難しい噺を立派に演じました。
 
 
 
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トリは「春歌亭丹馬」さんの「藪入り」です。
奉公に出した可愛い息子が3年ぶりに休暇をもらって家に帰った親の喜び驚くさまが表現されます。
学校もない当時、お店に奉公して礼儀作法・読み書き算盤まで学び成長する様子がわかります。
元ネタではまだまだ続くのですが、時間の関係で半分で終わったのが少し残念でした。
 
 
20180113_142948025最後に学芸員さんが登場し、資料も交えて「江戸時代のお正月」の説明がありました。
正月は年神様をお迎えし、正月飾りで身を浄め、三が日で新年を祝い、鏡開きに次いで小正月になると年神様を火に乗せて天に見送るどんど焼きの行事があります。
 
お参りでは「初観音」が18日、21日が「初大師」、25日が「初天神」、そして「初不動」の28日と縁日が続きます。
 
正月遊びも、百人一首・かるた・花札・福笑いなど室内行事に、羽根つき・たこ揚げ・コマ回しと外遊びもいろいろでした。
戦後に生まれ、古いしきたりや行事が残っていた昭和の中期を過ごしたものとして、楽しい思い出です。
 
パソコンやスマホ・ゲーム機が取って代わった現代、子供たちはどう過ごしているのでしょう。
「明治」だけでなく、「昭和」も遠くなりにけりですね。
 
第3回は2月24日(土)午後1時30分で、演目は「かぜうどん」と「延陽伯・(たらちね)」が予定されています。
 

2017年12月19日 (火)

笑って学ぶ江戸時代 Ⅰ

豊岡歴史博物館で「ミュージアム寄席」が16日に開催されました。

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第1回のテーマは「江戸時代の交通」で、当時の交通手段である駕籠と船です。
演目は、迷探亭小ん南さんが兵庫の港から乗り合う「兵庫船」、ろっ亭あいすちゃんが豆腐釜を担いで逃げる泥棒「釜泥」、トリは春歌亭丹馬師匠の住吉大社詣での客目当て「住吉駕籠」で、いずれもアマチュア「たんたん落語会」のメンバーです。
 
当時の乗り物と庶民の生活とのかかわりを面白おかしく演じられました。
寄席が終わったあとに、学芸員さんと演者の皆さんとのトークショーがあり、陸の乗り物である駕籠の種類や料金、駕籠かきは親方から駕籠を借りて働く制度など庶民の生業や生活が推し量られます。
 
一方海や川の乗り物の三十石船や金比羅船の様子は興味深いもので、定員や値段・所要時間・トイレの様子も話題になりました。
敷居が高いと思われがちな「豊岡歴史博物館」を身近のものにしたいとの企画でしょう。
 
それにしても春歌亭丹馬師匠はますます円熟味を増しています。
昨年の「こみゅにてぃ寄席」でお聞きした人情噺「井戸の茶碗」も素晴らしかったし、今回時間の関係で端折られた「住吉駕籠」も通しで聞いてみたかったですね。
 
春歌亭丹波さん                   トークショーで江戸時代のお勉強
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第2回は1月13日(土)テーマは「江戸時代のお正月」で、演目は「初天神」「看板の一」が予定されています。
 
 
 
 
 

2017年9月16日 (土)

講演 アメノヒボコの考古学

豊岡市立博物館では第41回企画展、「但馬一宮 出石神社の名宝」が開催されていて、同市学芸員仲田氏の講演「アメノヒボコの考古学」が開催されました。

通常の歴史学に較べて考古学は古墳・遺跡・土器などわずかに残されている断片などから当時の文化・生活など推測する難しい学問のようです。
『古事記』『日本書紀』に登場するアメノヒボコは新羅の王子で、太古に日本に渡来してきて、但馬や畿内に大きな影響を与えたとされています。
 
古墳時代の朝鮮半島情勢
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講演は古墳時代7世紀までの朝鮮半島情勢から始まりました。
それを踏まえて、朝鮮半島との交流・渡来人の関わりについて但馬出土の渡来系遺物である「鉄」、「土器」、「古墳」の写真資料をもとに話されました。
 
大陸から海続きの日本海側、但馬との交流は計り知れないものがあったと思われます。
渡来系の氏族である秦氏、出石町袴狭遺跡の遺物500点から人名と思われる90点のうち、69点が「秦氏」が記されているのも驚きです。
 
まとめとして、渡来人一世の痕跡は少なく、倭人化した二世以降の存在がうかがえるとのことでした。
アメノヒボコは「個人」なのかはたまた「集団」なのか、資料も少なく神話と遺構・遺物から推察するしかないようです。
 
いずれにしても朝鮮半島は大陸文化との交流窓口で、政治的・軍事的にも倭国に大きな影響を与えてきました。
 
<ユネスコ憲章>
 
「相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。・・・・・・」
 
日本と朝鮮半島、中国大陸の交流の歴史を考えると、現状は嘆かわしいものです。
この教訓を生かさないといけませんね。
 
 

2017年8月15日 (火)

戦後72年 敗戦の日

昨年の記事「戦後71年 敗戦の日」を再録します。

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8月15日はアジア・太平洋戦争の終戦記念日とされ、戦没者追悼行事が行われます。

ところが15日は天皇が日本国民に向けてラジオ放送された日でしかなく、日本政府がポツダム宣言受諾を英米に回答したのは8月14日とされます。
無条件降伏を受け入れた大日本帝国の敗北は、絶対主義天皇制と日本軍国主義の敗北で、単なる「終戦」ではなく正確に「敗戦」と呼ばれるのが筋だと思います。
国際的には降伏文書が調印された9月2日が連合国の「戦勝記念日」と設定されています。
 
それはともかくこの戦争でアジア・太平洋地域で2,000万人以上、日本国民も310万人の死者がでています。
 
伯父と叔父の墓碑
P8120140_2 私の家でも、日中戦争の最中13年と14年に、伯父と叔父の二人を中国大陸で失いました。
戦死も初期だったことで、地区を挙げての慰霊を受け、妻は「靖国の妻」、祖父母は2人の息子をお国に捧げた「靖国の父と母」として、靖国神社臨時大祭に招かれています。
府市場区墓地の中でひときわ立派な墓碑が並び立っていて、子供の頃は誇らしくもありました。
 
一軒の家に2人、13年と14年に連続しているのはまれで、残された妻と幼な子、父母の秀蔵・民恵の悲しみは想像を絶するものでしょう。
授与された勲章や靖国の英霊としての扱いも、戦死の悲哀が誉れに替わるはずはありません。
 
敗戦から71年、アジア諸国への「植民地支配と侵略」の歴史から学ぼうとせず、再び「富国強兵」の道を歩もうとする安倍政治に強い危惧を抱きます。
また最近の若者の認識にも中国や朝鮮などに対する「嫌・反・憎」の気運が目立つようになりました。
中学・高校の歴史の授業は明治で時間切れ、口では反省を唱えながら昭和の歴史をほとんど教えてこなかった責任も重大です。
 
排外・愛国を強調し強い国を目指すトランプはアメリカだけに居るのではなく、日本にもいま育ちつつあることに不安を覚えるのは私だけではないでしょう。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
北朝鮮とアメリカの恫喝合戦が続いています。
現体制の継続を保証させたい金正恩が、国連安保理の決議を無視して、核やミサイルの開発を進めています。
アメリカのイラク侵攻→フセイン政権の崩壊から学んだのです。
 
日米韓を敵視する金正恩ですが、安倍政権の最大の応援者でもあります。
安倍内閣が富国強兵・憲法改正・国政私物化などで批判を浴び、支持率が落ちそうになると決まって、核実験・ミサイル発射で「将軍さま」が助け船を出します。
そのたびに安倍内閣が軍事脅威を強調し、「防衛体制」の必要性を楯に求心力を取り戻しているのがよくわかります。
 
過去の戦争いや歴史において、他国からの脅威を理由に有事体制を強め、衝突へと突き進んできました。
米朝両国に自制を求めると同時に、前提条件を廃し、直接対話するのが緊張緩和の第一歩です。
疑心暗鬼に駆られる際限ない戦争準備に較べてこれほど崇高な政治行為はありません。
 
大学の先輩で石見銀山ガイドの会会長のAさんがよく引用するユネスコ憲章前文の冒頭。
 
戦争は人の心の中で生まれものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
さらに、ここがポイントだと続けて・・・・・
 
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。・・・・・・
対話を重ねる中でお互いを知り、理解することから始まります。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といいます。
 
 

2017年3月19日 (日)

東大寺 修二会 祈祷寶牘

P3190042_5 17日の土曜日東大寺二月堂から郵便が届きました。

開けてみると、修二会行法の無事満行の報告とお礼とのことで、「二月堂修二大法會御祈禱寶牘」のお札が入っていました。
「寶牘(ほうとく)」とはお札のことだそうです。
4日夜に内陣参拝をした折、若干の寄進したお礼でしょう。
 
修二会行法を満行すると今でも天皇にカビだらけのお餅とお札を皇居に持参し、報告するそうです。
「家内安全・身体健全」のご祈祷札は、仏壇でなく神棚に上げておきました。
東大寺手向山八幡宮を始め二月堂隣にも神社が共立しています。
明治期の廃仏毀釈(神仏分離)の荒波も勅願寺東大寺は別扱いとなったのでしょうか?
 
 

2017年3月12日 (日)

東大寺 修二会 内陣参拝編

塗塀の通路には結界が        次の出番を待つお松明
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闇に浮かぶ二月堂           登廊から二月堂
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内陣参拝証
P3040044 お松明に導かれて初夜上堂が行われ、事前に頂いた許可書を提出し入堂が許されます。
 
行をおこなうのは練行衆と呼ばれる11人の僧侶です。
あくまでも法会なので女性が入れるのは外側の「局(つぼね)」まで、格子越しに行を拝見することになります。
一方男性は外陣まで進むことができ、白麻の扉帳越しに内陣で行われている行を拝見します。
ほとんど照明がなく、何本かの灯明が暗闇を照らしてくれます。
菜種油が燃える時に出るススが周りに広がり、少し息苦しく付けたマスクが黒ずんできます。
2時間も居れば髪の毛も鼻の穴も黒くなります。
 
21時半ごろから大導師作法で神名帳、過去帳が読み上げられ、続いて声明が始まると、幕越しに映る影とともに想像力の世界が始まります。
声明を唱えながら内陣を木沓で駆け巡る足音や錫杖の鈴の音や板に膝を打ち付ける「五体投地」など、極めて動的な行が続きます。
  、
0時過ぎに休憩?が入り、廊下伝いに一度出てだけで外陣と正面の局で約4時間、行が終わって下堂となったのが1時過ぎでした。
大陸から仏教が伝えられて200年の奈良時代、松明のほかこの日は無かった「達陀(だったん)」の行などゾロアスター教(拝火教)要素も混じります。
火と水の融合を感じる修二会です。
 
12日(13日2時頃)のお水取りを終えて修二会は14日まで続き、関西では「お水取りが終わると春が来る」といいます。
兵庫県南部ではイカナゴを「春告げ魚」と呼びます。
雪国但馬は少し遅れて「初午大祭」が終わると春が来るのです。
 
 
 

2017年3月10日 (金)

東大寺 修二会 お松明編

記事が遅くなりましたが、修二会の見学報告です。

但馬出発が13時半、東大寺着が17時ごろ、19時のお松明見学、21時から二月堂内でおこなわれる練行衆の行法を見学します。
行が終わるのが夜中の1時頃という長丁場です。
 
東大寺南大門                   二月堂
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懸けづくりの舞台                 二月堂正面
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土曜日とあってお5時頃から松明目当の参詣客(見物客)が二月堂下の芝生に陣取り始めました。
予想では2万人程度が集まるとのこと。
 
大松明見学のベストポジションに待機する参詣客(舞台から撮影)
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                   若狭井(お水取りの場所)            
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増える一方の参詣客             二月堂からの夕日(中央・大仏殿、奧・生駒山)
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752年から1266回を数える伝統行事ですが、舞台で火のついた松明を振り回すのが修二会のシンボルとなっています。
入堂する足明かりとしてお松明が燃やされ、練行衆が二月堂の登り廊下を次々登って行きます。
松明は1人に1本ずつ焚かれ、この日は10本で12日のお水取りには11本となるそうです。
待機中に修二会の行法の内容や由来などの説明が日・英・中の3カ国語でありました。
 
回廊から上る大松明と舞台上の大松明   南西角の大松明
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お松明から燃え落ちた杉葉
P3050002 バスを連ね大松明目当ての観光客が目につきますが、毎年のように参詣し、ご利益がある火の粉を浴びるとのと、松明から燃え落ちた杉葉を持ち帰って家に祀る人があります。
約20分のお松明が終わると、一気に人が帰り始めます。
我々は付近で腹ごしらえし、21時から夜中まで続く行法に参加します。
 
 
 

2017年3月 2日 (木)

若狭神宮寺 お水送り

お水取り行事は春を告げる行事として特に有名です。

一方3月2日に若狭の国、小浜の神宮寺の「お水送り」は案外知られていません。
東大寺の「お水取り」に先がけて、神宮寺と遠敷川・鵜の瀬(うのせ)でおごそかに繰り広げられる伝統的神事で、遠敷川に注がれた「お香水」が10日かかって東大寺二月堂の「若狭井」に届くとされています。
 
奈良と若狭の深い関係にあったことを物語る歴史的な行事ですが、もとは神様のうっかりミスから始まったようです。
 
 東大寺を開山した良弁(ろうべん)僧正は、若狭小浜の下根来(しもねごり)(白石)出身とされ、大仏建立には当時若狭にて修行中のインドの渡来僧・実忠(じっちゅう)が招かれています。 天平勝宝 4(752)年、この実忠が東大寺二月堂を建立し、修二会(しゅじえ)を開いて全国の神々を招きました。ところが、遠敷明神が漁に夢中で時を忘れて遅刻(ちこく)しました。そのおわびに本尊(ほんぞん)に供えるお香水を若狭から送ると約束し、二月堂の下の岩をたたくときれいな水が湧(わ)き出したと伝えられます。そこでこの湧水(ゆうすい)に命名されたのが「若狭井」です。森林の水PR館より)
 
3月2日、神宮寺で汲まれた「お香水」は、各種神事や行を経て松明行列とともにの「鵜の瀬」まで運ばれ、住職が送水文を読み上げ、「お香水」は筒から遠敷川に注ぎ込まれます。
 
太古から続く奈良と小浜(オバマ)の絆 「お水送り」 ↓ をご覧ください 観光連盟福井県
   
今回は4日(土)から奈良「お水取り」を見学に行きます。
但馬から小浜神宮寺まで車で2時間半、来年はこの「お水送り」を見学するつもりです。
 
 

2017年3月 1日 (水)

東大寺二月堂 修二会の始まり

1日から東大寺の修二会の本行が始まりました。

通称お水取りといわれ14日まで毎日行われます。
二月堂の懸けづくりの舞台をお松明が火の粉を散らし、それを身に浴びて功徳をえようとする信者や観光客の姿で有名です。
クライマックスの若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式は12日におこなわれます。
 
東大寺ホームページ「修二会について」をご覧ください。
 
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大仏開眼の752年から始まり、1,266回を数えるといいます。
 
以前から興味があった修二会の行事見学のお誘いがありました。
古建築を研究するグループの企画で、過去に愛媛の銅山遺跡や大三島神社、姫路市の寺社、石清水八幡宮、三朝の三徳山投入堂などいろいろ連れていっていただきました。
この見学会は必ず資料と説明の方を手配していただけることと、今回は24日の「事前学習会」でDVDを見ながら特別に撮影された練行衆の行法を学びました。
 
4日(土)マイクロバスにて出発、夕方に現地到着し二月堂の建築を学び、19時からお松明を見学後、21時から夜中まで練行衆によっておこなわれる堂内での行法に参加します。
注意事項は堂内の外陣や局で行法を見学するので邪魔にならぬよう配慮することと、ともかく寒いので防寒対策と、堂内の灯明でススが付いたり、お松明の火の粉が飛ぶので上等な服は着ていかないことの3点でした。
 
 

2016年9月18日 (日)

国史跡 有子山城跡 清掃作業

但馬の城で国史跡は、此隅山城、有子山城、竹田城、八木城の4城跡です。

中でも有子山城跡は戦国大名山名氏の城として山頂に築かれた大規模な山城です。
 
有子山城跡                    縄張り図(整備作業用)
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18日(日)山名氏城跡保存会の清掃作業に参加してきました。
普段から歴史講演会や城跡探訪でお世話になりながら、城跡清掃に参加できずに心苦しく思っていました。
今にも降りそうな不安定なお天気にもかかわらず、阪神や播州からの参加も含めて約30名が、草刈り機・鎌・鉈・剪定ハサミ持参で集まりました。
清掃は本丸や尾根伝いに続く郭や石垣・通路などの草木の除去を中心に行いました。
 
主郭から北方向の眺め             「戦闘(清掃)開始」の雄叫び
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                主郭の石垣周りを念入りに清掃
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郭や通路の草刈り                小さな歴史家が登城
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                      作業終了 
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作業後、主郭の隣にある「千畳敷」と呼ばれる櫓や居館あとなど135m×50mの壮大な遺構を見学しました。
 
                       千畳敷
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有子山主郭まで、出石城の最上部の稲荷郭から約40分、急登箇所もあります。
戦国期や織豊期の壮大な遺構が見られるのと出石城下から豊岡盆地に広がる眺めはすばらしく、登りの苦労を忘れさせてくれます。
 
最近有子山を見上げると、肌色がかった石垣がよく見えるのに気がつきます。
山名氏城跡保存会による定期的な手入れによるものです。
僅かな時間でしたがその一端が担えて気分よく帰路につきました。
 
今朝の朝日新聞但馬版に清掃作業が載っています。
 
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