文化・歴史

2023年3月12日 (日)

東大寺 修二会 お松明編(再録)

今日12日は・お水取りが行なわれます。
3月2日に2018年の「若狭神宮寺のお水送り」を再録したので、東大寺修二会も再録します。

2016年3月、以前から興味があった修二会の行事見学のお誘いがありました。
古建築を研究するグループの企画です。

この見学会に向けて2月に「事前学習会」でDVDを見ながら特別に撮影された練行衆の行法を学びました。
当日の4日(土)マイクロバスにて出発、夕方に現地到着し二月堂の建築を学び、19時からお松明を見学後、21時から夜中まで練行衆によっておこなわれる堂内での行法に参加しました。
(修二会は1日から始まり、14日まで続き、12日に行われる「お水取り」が有名)

注意事項は堂内の外陣や局で行法を見学するので邪魔にならぬよう配慮することと、ともかく寒いので防寒対策と、堂内の灯明でススが付いたり、お松明の火の粉が飛ぶので上等な服は着ていかないことの3点でした。

二月堂 & 詰めかける参拝者
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若狭井(送られた香水が汲まれる) & お松明
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後でガイド役の先生から、内陣での行の途中、練行衆の一人がすねを骨折されたとお聞きしました。

東大寺修二会 お松明編 ←クリックで記事、左端の戻るボタン「←」で元記事

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2023年3月 2日 (木)

2018 若狭神宮寺お水送り(再録)

東大寺の修二会・お水取りほど知られていませんが、関連行事である若狭神宮寺の「お水送り」に2018年に参加した時の記事です。
1日の修二会開始の翌日の2日に開催されます。
今年から手松明の奉納の一般参加が、3年ぶりに認められることになりました。

1日から奈良東大寺二月堂で「修二会」が始まり、一斉に新聞報道されました。
14日まで続き、12日に行われる「お水取り」が有名です。
今年で1267回を数える希有な伝統行事なのと、これが終わると春が到来することからも親しまれています。

神宮寺参拝口                    本堂と境内広場
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神事は11時から下根来八幡宮で営まれる「山八神事」から始まりますが、18時からの「修二会」に合わせて参拝者が続々本堂前の広場に集まります。

護摩横の中松明                 山伏姿の行者や白装束の僧侶が上堂
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修二会の始まり                  達陀の(だったん)
の行
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御香水を手に下堂                護摩焚き・祈祷
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大護摩に火が移され護摩焚きと祈祷へと続きます。
最後に大松明、中松明へ点火して、次に3千人といわれる手松明を持った参拝者に移されます。
約2km離れた鵜の瀬まで「御香水」を護りながら松明の列が、延々と続く様子はまさに幻想的です。

大松明へ                      手松明へ
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延々と続くたいまつ行列             遠敷川 鵜の瀬
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1日の爆弾低気圧による強風下なら縮小か中止となったでしょうが、2日は午後から晴れで、満天の星空にひときわ輝くオリオンと満月が厳かな神事を見守っているようでした。

中松明が入瀬                  鳥居越しに満月
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大松明、中松明に続き、手松明を持った参拝者の行列が遠敷川(おにゅうがわ)鵜の瀬に到着すると、護摩壇に移され祈祷が始まります。

参拝者で大混雑                 鵜の瀬の淵
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護摩焚き・祈祷
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21時前に護摩・祈祷が終わると対岸に移動し、ホラ貝の音と読経が響く中で、住職が剣で邪気を祓い、送水文を読み上げ、御香水を遠敷川に注ぎ入れます。

対岸へ移動                   水送り(御香水を遠敷川へ)
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御香水は10日後の12日、奈良東大寺の若狭井で汲み上げられます。
有名な「お水取り」と較べて、名は知っていても意外と知られていない行事ですが、近年ツアー参加者も多く、平日にもかかわらず数千人を超えているようです。
聞けば今日は神宮寺、明日は東大寺と神事を掛け持ちしたツアーもあるようです。

「若狭と奈良との縁は?」「遠敷川が流れるのは日本海小浜湾、なんで大和の奈良へ?」

お疑いはごもっともです。
「当地の伝承では、ある年、奈良市の東大寺二月堂の修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、遠敷明神は漁で忙しかったため遅刻してしまった。そのお詫びとして、遠敷明神は二月堂の本尊である十一面観音にお供えの閼伽水を送ると約束したという。
白石から下った所にある鵜ノ瀬と呼ばれる淵は、二月堂の若狭井に通じているとされている」(森林の水PR館 小浜市神宮寺)

千早振る神代の昔、神力・法力は常人の想像を超えているのです。
友人2人を誘って片道2時間半で竜前臨時駐車に到着し、先に若狭一宮である若狭彦神社と若狭姫神社にもお参りしました。
平日なのでお参りの大半がリタイヤ組と見受けられました。
歳を重ねると神仏に手を合わせるようになるのは同じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年8月14日 (土)

戦争の呼び方

日本や日本人にとって忘れてはならない日が近づきます。

世界的には「第二次世界大戦」と呼ばれ、1941年以降の欧米特にアメリカに関わる戦争を私たちは「太平洋戦争」と教わりました。
P8120140_2 日中戦争(支那事変)で亡くなった伯父と叔父の墓)
日本が世界的規模の戦争に突入した端緒となった中国侵略は当初満州事変・上海事変そして支那事変と呼びました。
戦争と名づけられたのは米英と開戦した1941年に、「大東亜戦争」と呼ぶようになってからです。

東京大学教授で歴史学者の加藤陽子さんは、事変と呼んだのは「アメリカの中立法」と関係があるとされています。
互いに交戦中の国に対して、アメリカからの武器や軍需物質の輸出を禁じるというもので、石油や製鉄材料をアメリカからの輸入に依存している日本にとって戦争という名は避けたかったと分析されています。

最近では「アジア・太平洋戦争」という呼び方が増えてきました。
昭和6年の満州から中国全土への軍事的進出である「日中戦争」と、「南方と太平洋」で繰り広げられた米英との戦争と合せた15年間を表現するには、「アジア・太平洋戦争」がより正確に表していると思います。

直接的にはアメリカの攻撃で、降伏に追いやられても、15年にわたる中国人の抵抗と戦いが日本の敗戦を決定づけました。
真の勝者は、侵略者に対し頑強に抵抗し、欧米の参戦を招き、日本の敗戦で独立自立を勝ち取った中国、朝鮮をはじめとするアジア諸国でした。

日中戦争における日本軍の戦死者は47万人といわれ、戦争全体では、日本軍関係が230万人と民間人80万人が亡くなっています。
そのうち約90%が1944年(昭和19年)以降ということは、戦争の終結を長引かせ多くの犠牲強いた軍部・政治家・天皇の責任は重大です。
府市場区も含め近隣の戦死者は、昭和19年以降がほとんどで、マニラ・ビルマ・レイテなど南方で亡くなっています。

もう一つ思うに、「敗戦」であるにもかかわらず「終戦」との表現が一般的になっています。
「終戦」では被害・加害・責任がはっきりせず、75年経っても、中国・韓国・北朝鮮との友好の妨げになる歴史認識の違いを生んでいます。
アジアとりわけ中国が主戦場となった事実を、正確に表現し認めることからこれからのあるべき姿が見えてきます。



 

2021年3月 8日 (月)

東大寺 修二会・お水取り

2018年の「若狭神宮寺のお水送り」の次は、「東大寺 修二会・お水取り」です。

2016年3月、以前から興味があった修二会の行事見学のお誘いがありました。
古建築を研究するグループの企画です。

この見学会に向けて2月に「事前学習会」でDVDを見ながら特別に撮影された練行衆の行法を学びました。
当日の4日(土)マイクロバスにて出発、夕方に現地到着し二月堂の建築を学び、19時からお松明を見学後、21時から夜中まで練行衆によっておこなわれる堂内での行法に参加しました。(修二会は1日から始まり、14日まで続き、12日に行われる「お水取り」が有名)

注意事項は堂内の外陣や局で行法を見学するので邪魔にならぬよう配慮することと、ともかく寒いので防寒対策と、堂内の灯明でススが付いたり、お松明の火の粉が飛ぶので上等な服は着ていかないことの3点でした。

二月堂 & 詰めかける参拝者
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若狭井(送られた香水が汲まれる) & お松明
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後でガイド役の先生から、内陣での行の途中、練行衆の一人がすねを骨折されたとお聞きしました。

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それより、NHKBSプレミアムでお水取りが史上初中継されます。
生中継 闇と炎の秘儀 お水取り 〜奈良・東大寺修二会〜」
天下泰安・疫病退散を祈り、奈良時代から続く秘儀を史上初生中継

『コロナ禍の今年、感染症対策のため非公開で行われる東大寺修二会(しゅにえ)「お水取り」を、特別な許可を得て衛星3波同時に生放送する。奈良時代から連綿と受け継がれてきた深夜の秘儀を生中継するのは、史上初めて。
秘儀の中でもインドやペルシャの影響があるといわれる聖なる炎の儀式「達陀(だったん)」は衝撃的だ』(NHKホームページから)


第1部
03月13日 午後6:30 ~ 午後7:30 (60分)
第2部
03月13日 午後10:30 ~ 午前1:15 (165分)

詳しくは専用ホームページ ← で確認してください。

コロナ禍で現地見学がいろいろな制約を受ける中、史上初しかも生中継ですよ!
第2部は長丁場となるのでビデオ録画をセットしておきましょう。

もう一つおまけとして、私が興味を持ちお参りするきっかけとなった 
朝日新聞出版AERAのお水取り記事もご覧ください 

ダウンロード - 2015e3818ae6b0b4e58f96e3828ae8a898e4ba8b.pdf

 

 

 

  

 

 

 







 

 

 

 

 

 

 

    

2021年3月 5日 (金)

若狭神宮寺 お水送り

   奈良東大寺で修二会『お水取り』 が始まりました。
修二会は2週間に渡る様々な儀式・法要で構成される「炎と闇の行」といわれています。
この行事に先駆けて、3月2日、福井県小浜市の神宮寺で『お水送り』が行なわれました。

たぶん今年は新型コロナ感染防止でいろいろな制約を受けていることでしょう。
3年前のお水送り行事を思い出し、再録します。

本堂で達陀の(だったん)の行 & 護摩焚き祈祷→大松明・中松明へ
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鵜ノ瀬まで手松明で3千人が行進 & クライマックス遠敷川へ御香水をそそぐ
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2018年に参加した際のブログ記事 → 若狭神宮寺お水送り

をクリックしてご覧ください。 左端の戻るボタン「←」で元記事へ戻ります

 

 

 

 

     

 

2020年4月29日 (水)

市立図書館 貸出し再開

緊急事態宣言をうけて休館していた豊岡市立図書館日高分館から、27日にメールが届きました。

『図書館をご利用いただきありがとうございます。
ご予約の下記の資料がご用意できています。
4月30日(木)・5月1日(金)・2日(土)の3日間は、休館中ですが予約資料受取のみ対応します。[10時~18時]
※予約資料以外の貸出はできません
※期間中に来館が困難な方には、後日改めてお知らせします。』 

予約したものだけ受け取り可能とのこと、3冊が受け取れるようになります。

4月20日のマイブログ記事、「家に居て本を読もう」でも「読みたければ買って読んで」

「専用Netで予約してメールで連絡をもらい、引き取リに行くことで、頻繁に日高分館を利用していただけに、これは兵糧攻めのようなもので堪えます。館内で読むのは無理でも、窓口での接触ですむ、貸し出しを止めないでもらいたいものです。」

私の願いが通じました。 !(^^)!
貸し出しサービスは図書館機能の一部でしかありません。
順番待ちの図書もあるので、返却と貸し出しサービスだけは続けてもらいたいものです。

 

 

 

2020年3月 1日 (日)

2020 東大寺二月堂お水取り

3月1日に752年から続く伝統行事東大寺の修二会の本行が始まりました。

通称「お水取り」といわれ14日まで毎日行われます。
二月堂の懸けづくりの舞台をお松明が火の粉を散らし、それを身に浴びて功徳をえようとする信者や観光客の姿で有名です。
クライマックスの若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式は12日におこなわれます。

2月堂と大松明(1917年3月)
P3040082 P3040119  
3年前修二会のお松明と内陣参拝を体験しました。
特に内陣の参拝は地元の人でも何かつてがなければ叶うものではなく、貴重な体験でした。

マイブログ記事 → 東大寺 修二会 お松明編   東大寺 修二会 内陣参拝編

 

翌年、若狭神宮寺の香水を送る側の神事「お水送り」も経験しました。

護摩焚き・祈祷                遠敷川へお香水送りの神事(1918年2月)
P3020046 P3020140
マイブログ記事 → 2018 若狭神宮寺 お水送り

それぞれクリックしてご覧ください。

 

 

2018年12月 2日 (日)

映画「斬、」豊劇上映会

Img_20181203_0001_4


塚本晋也監督の、新作「斬、」(ざん)が放映されるにあたり、舞台挨拶とトークイベントが行なわれました。
 
レトロな雰囲気を残す豊岡劇場         トークショー
20181203_115314_2 20181203_113542
同じく塚本監督の作品で2015年に上映された「野火」でも、豊岡劇場に来館され、これが3回目といいます。
「野火」は大岡昇平の原作を映画化したもので、その時の舞台挨拶でも「野火の映画化を考えたのが20年前、時代が戦争に向かっている今、作らなければと考えた」と仰っていました。
 
「斬、」は「幕末の江戸近郊の農村を舞台に、太平の世が揺れ始めたことで、一人の浪人と周りの人々が巻き込まれる騒動を描き、生と死の問題に迫る作品。として興味深いものでした。
 
塚本晋也監督のサイン
Img_20181203_0002主演は池松壮亮、蒼井優で、塚本監督も池松演じる都築杢之進を追い詰める剣の達人役で出演されています。
聞けば「北辰一刀流玄武館」道場で基本所作を身につけられたとか、俳優としてのこだわりがうかがえました。
最後のシーンで池松演じる都築と塚本演じる澤村の斬り合いシーンは、「椿三十郎」のラストシーンと重なるほどの迫力でした。
 
疲弊する農村、混乱を極める幕政、身分制度の崩壊もからんで混迷する時期に、刀に凝縮された狂気が武力と結び、やがてテロ、斬り合い、戦争への繋がりが連想されます。
私には現代社会へのメッセージと感じられました。
 
最後にサインをいただくとき、「新憲法と一緒に生まれた団塊世代です。今の時代は戦争の現実味を感じさせます」というと、「その通りで、困ったことです」と返されました。
 
映画「斬、」は の上映は20日まで。 豊岡劇場で。
 
 
 

2018年11月26日 (月)

出石㐂らく文庫 営業中

久しぶりに出石㐂らく文庫を訪れました。
開店したのが昨年5月、手がけたのは50年前の高校生、団塊世代の出石高校OBです。
土曜だけの開店なので都合が合わないことが多く、久しぶりの訪問です。
3連休の中日で晴れ、城下町出石には車や人が溢れています。
 
観光センター前                   大手口付近
Pb240053 Pb240054
そんな人通りも一本外れれば静かなもので、落ち着いた町並みが続き、㐂らく文庫が面している通りは東西に走る本町通りです。
 
                     出石㐂らく文庫
Pb240060    Pb240070
 
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                   㐂らく文庫店内
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一杯50円のコーヒー               手作りケーキの試食販売
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お客は私を含めて2名、本はどんどん増えている感じで、並べきれないようです。 
雑然と並べるのではなく、ジャンル別にまとめたり、入れ替えたり工夫されています。
土曜のみの開店で、同級生が交代で店番を務めているとお聞きしました。
 
近くの出石資料館に立ち寄る途中のそば屋さんで、但馬では珍しい風景に会いました。
並んでいる人に聞くと、ミシュランガイド2016兵庫版に載ったり、「食べログ」で高位にランクされているからだそうです。
「行列ができているから、人気があり味に間違いない」という心理でしょう。
味音痴の私から見れば、何処も同じようなものです。
 
そば店の前の行列(午後2時)          (午後3時)
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出石そばと出石城だけでなく、町内には寺社や酒蔵、資料館、伝統的建築物が並び、ぶらり歩きの観光客も見られます。
歩き疲れて休もうにも休憩所が少なくて困るときがあります。
そんな方々の「お休みどころ」として、「㐂らく文庫」を利用してもらいたいと思いました。
 
㐂らく文庫の場所は 出石町本町95  ← クリックでどうぞ。
 
 
 

2018年9月22日 (土)

名草神社修復説明会

但馬妙見山(1,139m)の800mに鎮座し、「妙見さん」「妙見社」で知られる国の重要文化財・名草神社の拝殿と本殿の修復工事が始まって4年目となります。

ポスター                 バスの受付は満員
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2013年に但馬山友会の妙見山登山でお参りし、接待を受けたとき、破損状況を目の当たりにしました。 
 
大雪や強風で破損した本殿          石垣が破損し傾いた拝殿
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見学会受付                     素屋根をかぶった拝殿、奥が本殿
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2014年から修理が実施され、先に取りかかった拝殿は曳屋(ひきや)して石垣や土台を修復し、耐震工事もなされ、屋根を柿(こけら)で葺き替える工事が11月完成予定です。
拝殿が姿を見せるのはもうすぐのようです。
 
一方本殿は揚屋(あげや)を行ない、解体工事が進行中です。
重要文化財クラスとなると、以前のものに再現するのが基本で、まず調査がなされ、傷んだり腐ったりしたものも、必要箇所の交換にとどめてそのまま使用します。
調査の過程で、本殿の屋根が当初は銅瓦葺きだったのが、コケラに葺き替えられたこと、拝殿を1.8m南にずらして建て直していることが、以前の基礎が残っていたことでわかったそうです。
 
解体工事中の本殿               こけら葺き中の拝殿屋根
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解体中の本殿とこけら葺き屋根工事が進んでいる拝殿の両方を、足場から目の当たりできるのは、今回しかないとの触れ込みで、午前午後の2回で約130人が見学しました。
 
修理でなされた弁柄              仕上げは当初の丹塗り          
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細かい写真のNET掲載は控えて欲しいということで、遠慮しています。
 
解体中の本殿や屋根のこけら葺き作業の拝殿、柿(コケラ)の製作実演など1時間30分
の充実した見学でした。
 
柿(こけら)の製作            こけらに願いを込める参加者
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かっての神社は2013年の写真のように、くすんだ灰色の姿が心に焼き付いています。
柱や梁などに朱を中心に青や黄色、墨色などの彩色終わると、甦った当時の姿に「違和感」を覚えるかも知れません。
そのイメージの違いを心しておきましょう。
 
本殿は宝暦4年(1754年)、拝殿は元禄2年(1689年)建造されていて、数度の小修理や大修理がなされて264年後の今日まで引き継がれています。
過去・現在そして未来へと繋ぐ匠達の技と住民と地域の強い信仰の心が感じられました。
 
 
 
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