文化(歴史・芸術ほか)

2024年8月18日 (日)

第3回落語甲子園

 甲子園球場では全国高校野球大会が佳境を迎えています。
同じ兵庫県の出石町で「第3回全国落語甲子園」が開かれ、サポーターとして昨年に続き参加してきました。
こちらは、バットとグローブの代わりに扇子と手ぬぐい、ユニフォームは着物と足袋・ぞうり姿です。
場所は城下町出石で、明治後期に建てられた近畿に現存する唯一の芝居小屋 「永楽館」です。

   開会式:演者10人が勢揃い(全国子ども落語大会HPより)
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参加申込者から10人が選ばれ、それぞれ上方落語や江戸落語から演目を選びます。
近畿以外に、東は茨城県や東京から、西は山口県と福岡県から参加です。
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古典落語をベースに、登場人物や筋・オチを工夫して13分の持ち時間内にまとめるのに苦労が要ります。
皆さん芝居小屋の下手から三味線と太鼓の出囃子にのって、登場する姿は堂に入ったものです。 「めくり」をめくったり、座布団をひっくり返したり、「膝隠し」、「見台」をセットしたりする「お茶子」は小学生の銀河亭空くんが、初登場ながら落ち着いて務めていました。

審査員は入場者全員で、入場時に受け取ったピン球3個を演者と演目が書かれた箱に入れます。

最優秀賞(第1位)   春乃そよかぜ 「稽古屋」(兵庫・高2)
優秀賞(第2位)     独楽家なおい丸 「動物園」(大阪・高3)
豊岡市長賞(第3位)  錦亭だい吾 「鈴ヶ森」(鳥取・高3)

春乃そよかぜ さんは地元出石の出身で、昨年「鷺とり」の演目で豊岡市長賞(3位)に続いて、ついに最優秀賞を獲得しました。
昨年の最優秀賞受賞者 独楽家なおい丸 さんは惜しくも2位でした。
「動物園」も面白いけど、彼の実力からして他の演目なら勝てたと思いました。

来年の第4回落語甲子園は8月24日(日)に開催されます。
こちらの甲子園は、ラジオ・テレビの中継はなく、実際に足を運んで高校生たちの熱演をお楽しみください。

 

 

 

2024年6月16日 (日)

2024 全国子ども落語大会

 今年も出石永楽館で「全国子ども落語大会」が開かれ、16日の決勝大会を観賞してきました。今年で7回を数え参加者の範囲も広がっています。北海道、東京、静岡、三重、和歌山からも。
「子ども落語大会」は北海道、大阪、宮崎でも開かれているそうです。出石大会の特徴はなんと言っても、抜群の雰囲気を備える「芝居小屋永楽館」が会場であること。審査員が観客全員であることです。

プログラム表紙 & 会場は永楽館
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出演者一覧 & 決勝大会出場者8人
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優勝:ほしぞら亭きらりさん「ときうどん」
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2位:小僧亭丸之助君「転失気」
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最年少:小1 切磋亭たい君「寿限無」
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参加者一覧にあるように、上方落語の有名噺で、演目がかぶったりしてますが、それぞれ特徴のある噺に仕上げています。
予選の持ち時間10分、決勝は13分です。長い噺の筋やオチを変えることなく時間内に纏めなければなりません。私が投票した3人がいずれも上位3人に入っていました。見る目・聞く耳が長けてきた?証拠でしょう。

永楽館を拠点として出石・但馬に落語文化が根付いてきていますが、まだ空席もあります。
満員の観客の前で子供たちに磨いた技を披露してもらいたいものです。

サポーター登録(3千円)していて毎年入場券と大会のDVD が送られてきます。小学1年生から中学3年生まで幅広い年代の子どもたちが覇を競うのが面白いところです。

次は「第3回落語甲子園」が8月18日(日)、場所は永楽館で開催されます。








 

2023年8月21日 (月)

第2回落語甲子園 in出石

甲子園球場では全国高校野球大会が佳境に差し掛かっています。
同じ兵庫県の出石町で「第2回全国落語甲子園」が開かれ、サポーターとして昨年に続き参加してきました。
こちらは、バットとグローブの代わりに扇子と手ぬぐい、ユニフォームは着物と足袋・ぞうり姿です。

大会パンフ & プログラム
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会場は明治期の芝居小屋「永楽館」
Dsc_0016_2023082108300120人の参加申込から10人が選ばれ、それぞれ上方落語や江戸落語から演目を選びます。
近畿以外に、東は茨城県や群馬県・神奈川県から、西は山口県から参加です。

古典落語をベースに、登場人物や筋・オチを工夫して13分の持ち時間内にまとめるのに苦労が要ります。
皆さん芝居小屋の下手から三味線と太鼓の出囃子にのって、登場する姿は堂に入ったものです。

審査員は入場者全員で、入場時に受け取ったピン球を演者と演目が書かれた箱に入れます。
最優秀賞には「池田の猪買い(いけだのししかい) 」を演じた日日亭晴天丸(にちにちてい・せいてんまる)君が選ばれました。 第2回落語甲子園審査結果  クリックでご覧ください。

上方落語では知られた噺で、冷え症で困っているアホな男と、丼池の甚兵衛さん、産婆を呼びに急いでいる男、池田で猪打ちの六太夫との掛け合いが面白いお話しです。
登場人物ごとに合わせて変る表情や仕草と口調が面白く、つい話に引き込まれます
日日亭晴天丸君はたしか小6、中3で「子ども落語大会」にも参加していて、経験を積むごとにどんどんうまくなっています。
奈良県の高校2年生、来年は受験生となる彼に会うことができるのでしょうか?



2023年4月 2日 (日)

豊岡市の無料開放ピアノ


誰でも自由に弾けるピアノ(駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ)が話題になってから、豊岡市でも施設ピアノの無料開放が増えています。
横浜に住む孫2君は、4月から高等部3年生になります。
幼い頃からピアノを続けていて、音楽は満点をもらっていました。
学校の課題や受験勉強の中でも、毎日弾きたいそうです。
爺ちゃんは音楽が苦手で音符もろくに読めません。
二人の孫は小学校教員だった婆ちゃんに似たのでしょう。

そんな彼が彼岸のお墓参りに来てくれたので、さっそく「豊岡市無料ピアノ」で検索すると、6施設が出てきました。
豊岡市立博物館、豊岡市稽古堂、日高文化体育館、豊岡市民会館、但馬空港ピアノ、豊岡市美術館(伊藤清永記念館)です。

市役所・豊岡稽古堂 & 日高文化体育館
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豊岡市立博物館 & 但馬空港ピアノ(2021年)
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さすがにグランドピアノは、重厚な音が出ると喜んでいました。
残るは豊岡市民会館と出石の市立美術館(伊藤清永記念館)の2施設です。
大学受験が終わる来年春まで、宿題にしておくそうです。

 

 

2023年3月12日 (日)

東大寺 修二会 お松明編(再録)

今日12日は・お水取りが行なわれます。
3月2日に2018年の「若狭神宮寺のお水送り」を再録したので、東大寺修二会も再録します。

2016年3月、以前から興味があった修二会の行事見学のお誘いがありました。
古建築を研究するグループの企画です。

この見学会に向けて2月に「事前学習会」でDVDを見ながら特別に撮影された練行衆の行法を学びました。
当日の4日(土)マイクロバスにて出発、夕方に現地到着し二月堂の建築を学び、19時からお松明を見学後、21時から夜中まで練行衆によっておこなわれる堂内での行法に参加しました。
(修二会は1日から始まり、14日まで続き、12日に行われる「お水取り」が有名)

注意事項は堂内の外陣や局で行法を見学するので邪魔にならぬよう配慮することと、ともかく寒いので防寒対策と、堂内の灯明でススが付いたり、お松明の火の粉が飛ぶので上等な服は着ていかないことの3点でした。

二月堂 & 詰めかける参拝者
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若狭井(送られた香水が汲まれる) & お松明
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後でガイド役の先生から、内陣での行の途中、練行衆の一人がすねを骨折されたとお聞きしました。

東大寺修二会 お松明編 ←クリックで記事、左端の戻るボタン「←」で元記事

東大寺修二会 内陣参拝編←クリックで記事、左端の戻るボタン「←」で元記事

 

 

 

 

 

2023年3月 2日 (木)

2018 若狭神宮寺お水送り(再録)

東大寺の修二会・お水取りほど知られていませんが、関連行事である若狭神宮寺の「お水送り」に2018年に参加した時の記事です。
1日の修二会開始の翌日の2日に開催されます。
今年から手松明の奉納の一般参加が、3年ぶりに認められることになりました。

1日から奈良東大寺二月堂で「修二会」が始まり、一斉に新聞報道されました。
14日まで続き、12日に行われる「お水取り」が有名です。
今年で1267回を数える希有な伝統行事なのと、これが終わると春が到来することからも親しまれています。

神宮寺参拝口                    本堂と境内広場
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神事は11時から下根来八幡宮で営まれる「山八神事」から始まりますが、18時からの「修二会」に合わせて参拝者が続々本堂前の広場に集まります。

護摩横の中松明                 山伏姿の行者や白装束の僧侶が上堂
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修二会の始まり                  達陀の(だったん)
の行
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御香水を手に下堂                護摩焚き・祈祷
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大護摩に火が移され護摩焚きと祈祷へと続きます。
最後に大松明、中松明へ点火して、次に3千人といわれる手松明を持った参拝者に移されます。
約2km離れた鵜の瀬まで「御香水」を護りながら松明の列が、延々と続く様子はまさに幻想的です。

大松明へ                      手松明へ
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延々と続くたいまつ行列             遠敷川 鵜の瀬
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1日の爆弾低気圧による強風下なら縮小か中止となったでしょうが、2日は午後から晴れで、満天の星空にひときわ輝くオリオンと満月が厳かな神事を見守っているようでした。

中松明が入瀬                  鳥居越しに満月
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大松明、中松明に続き、手松明を持った参拝者の行列が遠敷川(おにゅうがわ)鵜の瀬に到着すると、護摩壇に移され祈祷が始まります。

参拝者で大混雑                 鵜の瀬の淵
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護摩焚き・祈祷
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21時前に護摩・祈祷が終わると対岸に移動し、ホラ貝の音と読経が響く中で、住職が剣で邪気を祓い、送水文を読み上げ、御香水を遠敷川に注ぎ入れます。

対岸へ移動                   水送り(御香水を遠敷川へ)
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御香水は10日後の12日、奈良東大寺の若狭井で汲み上げられます。
有名な「お水取り」と較べて、名は知っていても意外と知られていない行事ですが、近年ツアー参加者も多く、平日にもかかわらず数千人を超えているようです。
聞けば今日は神宮寺、明日は東大寺と神事を掛け持ちしたツアーもあるようです。

「若狭と奈良との縁は?」「遠敷川が流れるのは日本海小浜湾、なんで大和の奈良へ?」

お疑いはごもっともです。
「当地の伝承では、ある年、奈良市の東大寺二月堂の修二会で神名帳を読んで全国の神を招いたが、遠敷明神は漁で忙しかったため遅刻してしまった。そのお詫びとして、遠敷明神は二月堂の本尊である十一面観音にお供えの閼伽水を送ると約束したという。
白石から下った所にある鵜ノ瀬と呼ばれる淵は、二月堂の若狭井に通じているとされている」(森林の水PR館 小浜市神宮寺)

千早振る神代の昔、神力・法力は常人の想像を超えているのです。
友人2人を誘って片道2時間半で竜前臨時駐車に到着し、先に若狭一宮である若狭彦神社と若狭姫神社にもお参りしました。
平日なのでお参りの大半がリタイヤ組と見受けられました。
歳を重ねると神仏に手を合わせるようになるのは同じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年2月 1日 (水)

映画 ラーゲリより愛を込めて

たまたま岡山県日生の民宿に宿を取った関係で、お隣の赤穂シネマで観賞しました。
この映画は『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(原作:辺見じゅん)を映画化したものです。
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アジア・太平洋戦争の敗戦が決定的だった8月、旧ソ連はヤルタ協定に基づき、ドイツ降伏後に軍をシベリア鉄道経由で移動させ、約束の3ヶ月後に「満州国」に攻め入りました。

「三大国、すなわちソヴィエト連邦、アメリカ合衆国及びグレート・ブリテ
ンの指導者は、ソヴィエト連邦が、ドイツが降伏し、かつ、欧州における戦争が終了した後2箇月又は3箇月で、次のことを条件として、連合国に味方して日本国に対する戦争に参加すべきことを協定した」(ヤルタ協定・1945年2月11日)

間抜けな話で、この密約を知らず、日本政府は旧ソ連に欧米との戦争終結の仲介を依頼していたのです)

圧倒的な軍事力に蹂躙され、58万人近い軍人や軍属、民間人がシベリヤなどに移送され、強制労働させられました。
極寒の地、黒パンとカーシャ(汁だけの薄い粥)だけの貧しい食事、重労働の中で、次々と倒れ犠牲者の数は約5万8千人に上るといわれます。

仲間が次々と死んでいく絶望的な中でも、ダモイ(帰国)を信じて堪え忍んだ日本人達の物語です。
帰還が進む中でも、身に覚えのないスパイ容疑のため、とらわれ続け死んだ山本幡男の遺族が手にしたのが、母や妻・子供たちに宛てた4通の「遺書」です。(原作は6通)
極寒と飢餓と重労働のシベリア抑留中に死んだ男の「遺書」は、彼を慕う仲間達が厳しいソ連の監視網をかい潜り、分担して文字を暗記し、帰国後にそれぞれ遺族に口で伝えたのです。

収容所で飼い慣らしたイヌのクロが、最後の引き揚げ船・興安丸が港を離れた時、凍りく海の中に飛び込み船を追ってきました。
気づいた抑留者達や船長が救い上げた場面も涙を誘います。
(原作ではその後舞鶴で飼育され、子をなし余生を過ごしたそうです)

機会を作って是非ご覧ください。

兵庫県北部に唯一残った豊岡劇場が昨年8月に閉館してから半年経ち、閉館中の豊岡劇場(とよ劇)も、サポーターの募集が進、み3月25日に開館が決まりました。まだ目標資金の3分の2しか集まっていないそうです。もちろん私も協力します。






 

  

2022年12月30日 (金)

12月の絵額(雪)

12月中旬の初雪以降、我が家の絵額が雪一色に変わりました。

玄関正面壁(奈良法起寺) & 玄関入り口(三千院・わらべ地蔵)
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玄関右側面壁(出石城跡) & 居間(我が家から見た大岡山)
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すべて隣村上郷でアトリエを営む同級生、小山譲君の作品です。







2022年10月24日 (月)

2022 小山譲 秋の作品展

秋の作品展(個展)の案内がきました。
第7波が少しずつ落ち着きをみせ、ワクチンも3~4回の接種が進み、行動制限も緩和される中で作品展開催を決めたのでしょう。

案内ハガキ
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絵画教室の生徒もコロナ禍で減り、作品展も思うように開催できないようです。
コロナ禍で外食・旅行産業ばかりで無く、芸術の分野でも大きな影響を受けています。
また、今まで彼を支えてきたスポンサーが歳を取り、終活(物を増やさないで減らす)を考えだすのも影響するはずです。
人の心を豊かにする投資で、芸術家の生活に資する「ウインウイン」の関係が望まれます。

● 期   間 : 10月30日(日)~11月6日(日) 8日間
● 時   間 : 午前10時~午後6時
● 場   所 : アトリエ小山  クリック 日高町上郷653(頼光寺近く)
● 問い合わせ : TEL 0796-42-2970




   

 

 

2022年9月23日 (金)

傘寿記念写真展

同じ村の先輩が、傘寿を記念して写真展を開かれています。
撮り続けて60年、カメラも大きな変化がありました。
フィルムカメラからデジタルカメラへ、ピント合せも露出もシャッタ-スピードの調整もカメラが自動で行なうようになりました。
どんなに便利になっても、「伝えたいことを伝える心」が大切ですね。

案内ハガキ
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● 日時 令和4年9月22日(木)~26日(月)

     10時~18時まで

● 会場  アトリエ小山 ← クリックで地図が出ます
     豊岡市日高町上郷653
     ☎ 0796-20-3373

 

 

 

  今日23日の朝日新聞朝刊の但馬版に紹介記事が載っています。
   Asahi220923     



    


    

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