国府物語

2023年2月18日 (土)

植村直己冒険賞に野村良太さん(続)

今日の新聞に、植村直己冒険賞を受賞した野村良太さんの記事が載っています。

   しんぶんA(2月18日総合版)クリックで拡大します
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こちらの記事も、野村さんの人柄や冒険の動機がよく表現されています。
コロナウイルス感染も静まりつつあるので、6月3日の授賞式の夜には、出身地国府地区の住民の手作りのお祝い会が3年ぶりに開かれることでしょう。

 

   

 

  

2023年2月17日 (金)

植村直己冒険賞に野村良太さん

第27回受賞者が発表され、登山家でガイドの野村良太(28歳)さんが選ばれました。

私の住む町で植村直己さんの出身地である豊岡市がふるさとの兵庫県豊岡市が世界を舞台に活躍する冒険家に毎年贈っていて、植村さんがマッキンリーで消息を絶った2月に発表されます。
今年も植村さんの母校明治大学紫紺館で記者発表され、同時に母校府中小学校で5年生らが集まり、東京とテレビ電話中継されました。

    朝日新聞但馬版記事(2月17日)
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北海道の成り立ちは大陸から分かれた東側の北米プレートが、西側のユーラシアプレートにめくれ上がるように乗り上げて、日高山脈を造りだしたと聞いています。それによって、西部と東部に大きな地理的違いが生まれました。

評価されたのは、北海道の背骨ともいえる北の宗谷岬から南の襟裳岬までの分水嶺を、冬季単独縦断する冒険です。
「世界を舞台に活躍する冒険ではない、北海道での活動が認められて嬉しい」とは野村さんの弁です。
6月3日に豊岡市日高町で授賞式と講演会が行なわれる予定です。




    

2022年4月10日 (日)

櫻・桜・さくら・サクラ・Sakura

満開だった国府桜づつみの桜 が散り始め、時折吹く優しい風に「花吹雪」が舞っています。
4月7日の神戸新聞但馬版に国府桜づつみの桜が掲載されたこともあって、多くの花見客が訪れています。
出石城や清滝の桜も見事ですが、ここの良いところは・・・・・

・20年を超す330本の桜のトンネルが楽しめる。
・車の通行がなく、安心して片道1.5㎞の長い桜並木をウオーキングできる。
・特に中段はシートを広げて弁当を食べるのに最適である。
・各所に駐車場が整備され、期間中は中央下水処理場のトイレが使用できる

花吹雪舞う国府桜づつみ
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< 桜 名言集 >

● 年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず 
   (唐詩選)
● 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
   (在原業平朝臣)
● 願わくは花の下にて春死なん、その如月の望月の頃
   (西行法師)
● 花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは・・咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ (徒然草 137段)
● 明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは
   (親鸞聖人)  
● 散る桜 残る桜も 散る桜
   (良寛和尚)
● 花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ
   (漢詩 井伏鱒二訳)
● 世の中は、三日見ぬ間の桜かな
   (大島蓼太)
● ♪桜の花の下で見る夢にも似てる人生さ・・♪
   (石原裕次郎 我が人生に悔いはなし 二番)
● 春は夜桜、夏には星、秋に満月、冬には雪。それで十分酒は美味い
    (比古清十郎/るろうに剣心)


 

 

   
     

2022年4月 6日 (水)

2022 こくふ桜づつみ満開です

連日20度近い好天の中、国府ふるさと公園や府市場伊智神社から中央浄化センター、西芝樋門までの3kmの桜が満開を迎えました。
合併前の日高町が1999年に堤防補強と憩いとふれあいの場として桜や紅葉を中心に植えました。
20年を過ぎると桜も大きくなり、サトザクラやソメイヨシノが開花すると桜のトンネルが出来上がっています。

レンギョウ & コゴメバナ(ユキヤナギ)
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ふれあい公園には家族連れと高齢者施設の方も
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神鍋・蘇武の連山 & ウオーキングコース
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中段から桜のトンネル
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堤防補強を兼ねて、内側の法面を広く取り、様々な花木が植えられていて利用者を楽しませてくれます。
府市場伊智神社から西芝樋門までの1500mを、春・夏・秋・冬の4ブロックに分け、各種サクラ・モミジなど約2,200本、芝生約2.300㎡が植えられています。

春ブロック : アセビ・サツキ・ヤマブキ・ツツジなど
夏ブロック : クチナシ・アベリア・ウツギなど
秋ブロック : ハナカイドウ・ドウダンツツジ・ハギなど
冬ブロック : ウメ・サザンカ・ツバキなど

ゆったり流れる円山川の上郷橋の河畔林を、さらに歩きながら四方を眺めると、南から進美寺山、須留岐山、高竜寺岳・法沢山、大師山、三開山、剣蛇ヶ岳、西へ矢次山、大岡山、神鍋山、蘇武岳、妙見山など東但馬の山々が見渡せます。


2022年2月13日 (日)

こくふ桜づつみからの山並み

久しぶりに日が差す雪の朝、「こくふ桜づつみ歩キングコース」から西に広がる山並みです。
どちらも左から、但馬妙見山1139m・蘇武岳1074m・大岡山662mで、画像にありませんが、さらに北へ矢次山568m・但馬空港へと続きます。
中央から右付近の太い雪筋が、奧神鍋スキー場です。

ゆったり流れる円山川の上郷橋付近の1kmにわたる河畔林が、川を挟んで東方向は、進美寺山361m・須留岐山450m。
上郷や中筋の山が邪魔をしていますが、桜づつみを移動するにつれて、床尾山843m・大師山・東里ヶ岳664m・高竜寺ヶ岳697m・法沢山644m・三開山202m・剣蛇ヶ岳422mそして来日岳567mまで但馬北東部のほとんどの山々が望めます。

     中央浄化センター付近から(手前はソーラーパネル基地)
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     府市場伊智神社付近から
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桜づつみの堤防はアスファルト舗装がしてあります。車の通行は禁じられていますが、堤防直下の堀、野々庄、西芝に駐車場所が設けられていて、ここに停めてウオーキングと景色が楽しめます。

マイブログ記事 「桜づつみ 春」 ← クリックしてご覧ください。
   〃    「こくふ花街道 桜づつみコース」 ← クリックしてご覧ください。

※ どちらも画面左上の戻るボタン「←」で元の記事に戻れます。

 

 

     

2022年1月23日 (日)

冬の蘇武岳・神鍋山・大岡山

桜堤から眺める冬の蘇武岳・神鍋山・大岡山
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蘇武岳上部は樹木がないので、積雪の時は白い皿を伏せたように見えるのが山頂です
ということは山頂から伊佐屋も含む国府の町並みが見えます。

国府桜づつみ歩キングコース & 桜並木

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堤防補強を兼ねて、内側の法面を広く取り、様々な花木が植えられていて利用者を楽しませてくれます。
春は梅に始まり、ツバキ・アセビ・ユキヤナギ・レンギョウ・ソメイヨシノ・八重桜・ドウダンツツジ・ボケ・クチナシ・アジサイ秋にはハギ・桜の間に植わっているモミジが、紅葉を楽しませてくれます。
ゆったり流れる円山川の上郷橋の河畔林を、さらに歩きながら四方を眺めると、南から進美寺山・須留岐山、高竜寺岳・法沢山、大師山、三開山、剣蛇ヶ岳、西へ矢次山・大岡山・神鍋山・蘇武岳・妙見山など但馬の山々が見渡せます。
自宅近くを流れる円山川の上郷橋から西芝水門まで、絶好の散歩コースで、ここから眺める景色が大好きです。

片道3.5kmで上郷橋から往復すると7kmの「豊岡市歩キングコース」に指定されています。

 

 

 

2022年1月13日 (木)

承久の乱 オトウマツリ(婆焼き) 

通称「婆焼き」と称され、4月14日(旧暦3月14日)に、松を立て周囲を竹で囲いお鉢を作り、上部に老婆に見立てた人形を縛り付けて、焼き捨てるという珍しい火祭りが行われます。

今もこの伝統を受け継いでいるのは国府地区松岡区だけで、「お柱まつり」と呼ばれ、村を二分してそれぞれ隔年で当番を担当しています。

祭りの由来は、・・・
但馬(豊岡市高屋)に雅成親王(後鳥羽上皇第四皇子)が流刑となり、その後を追って、雅成親王の妻、幸姫が京の都からやってきました。その時、幸姫は懐妊の身で急に産気づき、この地で王子を生み落としました。しかし、産後のひだちが悪く、一刻も早く親王のところまで行きたいと、ある老婆に「高屋まであと何日かかりますか」とたずねたところ、老婆は意地悪く「高屋まで九日通る九日市、十日通る豊岡、その先は人を取る一日市で、合わせて20日はかかる」と答えました。 これを聞いた幸姫は、「3日歩けば気力が尽きてしまうほどなのに、これ以上到底生きる望みがありません」と、王子を残し円山川に身を投げてしまいました。
 その後、毎年洪水が起き、村人を苦しめたため、その霊を祀ったのが始まりと伝えられています。竹と藁で鉢型の土台を作り、その上部に「御柱松(おたいまつ)」を立て、老婆に見立てた藁人形をくくりつけ、焼き捨てるという奇祭です。』(但馬の百科事典より)

         松岡婆焼き(2014年撮影)
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乱後、破れた後鳥羽上皇は隠岐島、順徳上皇は佐渡島にそれぞれ配流されました。
後鳥羽上皇の皇子の雅成親王(六条宮)、頼仁親王(冷泉宮)も但馬国、備前国へ配流され、雅成親王の但馬配流にまつわる史実を起源としているのが、婆焼き伝説です。

もともと将軍源実朝が暗殺された直後、鎌倉幕府から雅成親王を次期将軍に迎えたいとする要請が出されますが、後鳥羽上皇はこれを拒絶します。
「歴史のIF」が許されるなら親王は4代将軍として朝廷と鎌倉幕府の橋渡し役になられたかも知れません。いずれは両者の衝突は避けられなかったでしょうが・・・・・。
それでも後鳥羽上皇の死後に幕府から親王の赦免が出された記録が残っています。

春先の気候でこの時期には、強い南風が吹いたり、円山川に水害が多く発生することに対する安全と豊作を願う「火祭り」が、故事を元にした祈りに変わったという説もあります。

かっては上郷・土居・府市場・野々庄・芝の各区でも同様な行事がありましたが、僅かに伊佐屋の住む府市場区が「お塔まつり」として残っていて、我が伊佐屋もその講の一員です。
府市場で続けられた「お塔まつり(婆焼き)」も、令和元年を期に「お塔講」を解散しました。
これは別の機会に記事にします。
   
  
  

2022年1月10日 (月)

鎌倉殿の13人と但馬

9日からNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まりました。
あいにく山歩きグループ「TeamF1b」の新年会と重なり見逃しましたが、今週土曜日の再放送に期待します。
便利な世の中になったもので、朝ドラなど再放送以外に一挙放映もあるようで、一体視聴率とはどんな意味があるのかと疑問を持ちます。

ドラマの主人公となる両雄、北条義時と後鳥羽上皇の争いのクライマックスは「承久の乱」ですが、御家人13人衆も大きな役割を果たします。
「新撰組!」、「真田丸」に続き、大河三作目の脚本は三谷幸喜さん、「基本的に史実に忠実なんです。史実ではっきりしない部分を想像力でまかなうのです」と話されています。
想像力の中に三谷さん得意のユーモアを含むエンターテイメント性を持たせてくれるのを期待しましょう。

ところで、「承久の乱」に関わる史実をもとに、豊岡市いや国府地区に今なお引き継がれている行事が残っています。
つい2年前には伊佐屋もかかわっていました。それはまた別の機会に・・・・・。





2018年1月12日 (金)

珍しい冬晴れ

昨日から冬晴れが続いています。

気温は低く冷たい風が吹き付け、つららが下がり、田んぼや水たまりには薄氷が張っています。
まるで播州にきたかのようなお天気です。
明日から雪が降るようで、束の間の冬晴れを楽しみました。
 
桜堤から西と南方向の眺め
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近くを流れる円山川の堤防が散歩道になっていて、東西南北の山々が見渡せます。
 
サザンカ咲く堤防 春には桜並木      大岡山
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神鍋スキー場と左奧に蘇武岳        但馬妙見山
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ご覧のように、里には雪がありません。
除雪車の出動は一度も無く、雨は降るものの穏やかな年末年始でした。
その一方でスキー場には雪が積もり、それなりに賑わっています。
 
昨年山に積もったのは1月中旬からで、2月は大雪が降りました。
「里にはほんのちょっとだけ、山にはしっかりと」、いまのところそんな都合のよい冬となっています。
 
 
 

2017年4月14日 (金)

婆焼き オトウマツリ

通称「婆焼き」と称され、4月14日(旧暦3月14日)に、松を立て周囲を竹で囲いお鉢を作り、上部に老婆に見立てた人形を縛り付けて、焼き捨てるという珍しい火祭りが行われました。

今もこの伝統を受け継いでいるのは国府地区松岡区だけで、村を二分してそれぞれ隔年で担当しています。

祭りの由来は、1300年頃、但馬(豊岡市高屋)に雅成親王(後鳥羽上皇第四皇子)が流刑となり、その後を追って、雅成親王の妻、幸姫が京の都からやってきました。その時、幸姫は懐妊の身で急に産気づき、この地で王子を生み落としました。しかし、産後のひだちが悪く、一刻も早く親王のところまで行きたいと、ある老婆に「高屋まであと何日かかりますか」とたずねたところ、老婆は意地悪く「高屋まで九日通る九日市、十日通る豊岡、その先は人を取る一日市で、合わせて20日はかかる」と答えました。 これを聞いた幸姫は、「3日歩けば気力が尽きてしまうほどなのに、これ以上到底生きる望みがありません」と、王子を残し円山川に身を投げてしまいました。
 その後、毎年洪水が起き、村人を苦しめたため、その霊を祀ったのが始まりと伝えられています。竹と藁で鉢型の土台を作り、その上部に「御柱松(おたいまつ)」を立て、老婆に見立てた藁人形をくくりつけ、焼き捨てるという奇祭です。(但馬の百科事典より)

         松岡婆焼き(2014年撮影)
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1221年の承久の変で鎌倉幕府と後鳥羽上皇が闘い、敗れた朝廷側の雅成親王の但馬配流にまつわる伝説を起源としています。
この政変は鎌倉時代武家政権への上皇方のクーデターで有名ですが、その影響が但馬の地に残り、引き継がれているのは興味深いものです。

春先の気候でこの時期には、強い南風が吹いたり、円山川に水害が多く発生することに対する安全と豊作を願う「火祭り」が、故事を元にした祈りに変わったという説もあります。

かっては上郷・土居・府市場・野々庄・芝の各区でも同様な行事がありましたが、僅かに伊佐屋の住む府市場区が「お塔まつり」として残っていて、我が伊佐屋もその講の一員です。

国府村誌上巻には「頭屋祭(オトウマツリ)」とし、5ページに渡る記述があります。

 

「オトウマツリ」が松岡では「お柱祭り」、上郷では「御祷祭り」、府市場では「お塔まつり」の字を充てています。
それぞれの思いや松を使った鉢や柱の形を「トウ」に置き換えたのでしょう。

私が住んでいる府市場区では、村の有力者が出資をして「お頭田」を所有し、その年貢や売買後の利息で、祭りの経費をまかなっていた記録が残っています。

そんな府市場も11軒の講員では祭りの実施が難しくなり、昭和39年に婆焼きの鉢作りを止め、十二所大権現の軸にお参りし会食する形式で祭りを引き継いできました。

もう一つの婆焼き祭り」 ← 府市場婆焼きはクリックでご覧ください

       府市場婆焼き(お鉢焼き・2004年)
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その後有志の協力も得て1988年に鉢作りを復活させ、以後5年ごとに婆焼きを行ってきたものの、2004年を最後に鉢作りを止める結果となりました。
松岡区以外は講員のみで行ってきた祭り行事を、祭神「十二所大権現」を祀るご当所松岡区を挙げて取り組んできたことが「婆焼き」が今日まで残った理由でしょう。
地域の過疎化と高齢化で、伝統ある祭りそのものの存続が危ぶまれる時代になりました。

 

 

 

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