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但馬物語

2017年11月 4日 (土)

辰鼓楼 平成の大修理 テレビ放映

今年5月から修理が始まり、先月24日に完成した出石のシンボル辰鼓楼の様子が地元兵庫のサンテレビの報道番組ニュースポートで3日夜に放映されました。
4回に渡る見学会に3回参加したのと山仲間の福岡建築設計士さんが主役の一人でもあり、しっかりチェックしました。
 
修理を終えた辰鼓楼              明治期に建てられた辰鼓楼
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福岡建築設計士さん             アドバイザーの田中さんと伊佐屋くん
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田中さんのインタビューの映像の中に、見学を終えて出てきた伊佐屋くんを発見しました。
 
また番組の中で辰鼓楼という名の由来が、すこし気になりました。
第1回目の見学会での説明では、「辰の刻(午前8時)に太鼓をならしたので辰鼓楼と名付けられた」とういう、結構信じられているガイドネタにに対し、「辰は刻(とき)という意味で、出石藩御用部屋日記にも残されている」でした。
 
出石町史編集に関わられた赤在義信さんの著書、「但馬の城下町 出石を歩く」には、時を知らせた時鐘について、出石藩御用部屋日記を引用した説明があります。
 
出石藩に委託された晶念寺の鐘は明治になって大太鼓に替わり、櫓さらに楼が建設されたことや時計が寄贈され、時を告げるだけでなく城下町のシンボルとなった歴史的経緯。
鐘や太鼓は辰の刻だけでなく、決められた時間に鳴らされていたことがわかります。
 
辰の刻に鳴らしたから辰鼓楼?       城下町のシンボルが復活
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それはともかく、出石城正面の追手門から、辰鼓楼とともに有子山と出石城を望む「絵になる風景」が復活しました。
辰鼓楼の平成大修理の見学の感想については、マイブログの見学レポートをクリックしてご覧ください。
 
 
 

2017年10月 7日 (土)

辰鼓楼 平成の大修理 第4回見学会

重要伝統的建築群保存地区(重伝建)選定十周年記念事業の一環として行われた、「辰鼓楼 平成の大修理」の完工が近づきました。

6月9日の第1回7月9日の第2回と記事にしましたが、10月7日に最終の見学会が実施されました。
周りのシートも外され足場だけが残っているので、外からも完工間近だとわかります。
 
 辰鼓楼修理工事を知らせるパネル
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工期は4月28日から10月20日まで、出石の一大イベントである「お城まつり」には改装なった辰鼓楼が市民や観光客にお目見えします。
 
三の丸側から                   見学受付の列
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開始1時間前から見学者の列ができ、私がゲットしたのは67番の札、その後もどんどん増えて、150人近くになっていました。
 
設計監理・施工・建築指導の三方         正面入り口       
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見学の前に福岡設計士さんから、辰鼓楼の概要に続き、修理前の状況と修理工事について説明がありました。
地震に耐え50年は持つことを考え、基礎や柱、梁や外壁など交換や補強工事がなされています。
外壁板も当時の写真から推測できる明治期の24cm幅に戻されました。
火災にも気を配り、自動火災報知設備はもちろん外観を配慮して屋根瓦に配線した避雷針も設置されました。
 
施工担当の大木本社長から伝統建築を施工する職人(大工等)の確保の苦労があり、伝統建築を担当する職人さんや技術の継承が必要なことが強調されました。
 
伝統建築の指導役、田中定さんから水平レベルと垂直レベルなど技術面の苦労のほか、辰鼓楼を作った先代の職人の工夫が話されました。
 
               外壁と土台
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芯柱付近                   30cmのコンクリート基礎と平成修理の焼き印
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筋交い                      耐震のため対角線状にブレース
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「平成仮設材」の焼き印            「平成29年度年度修保」の焼き印
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梁と柱のズレも一部残る            4階 時計の裏側
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                  4階からの眺め
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過去3回見学して、「地震や台風・風雪に耐える建物を残してきた先人の気概と業」と「出石のシンボル・伝統的建築を守り、後世に伝えようとする関係の方々の気概と技術力」が感じられました。
創建から140数年、昭和初期の大修理からも80年以上経っていて修復記録や図面がほとんど残っていない状況で、その場その場で対応する作業でしたでしょう。
今回の修理の記録は後世に残り、辰鼓楼をさらに引き継ぐ貴重な資料となります。
 
最終仕上げがなされ、あらたな辰鼓楼がお目見えするわけですが、黒っぽい外壁だったのが褐色に変わっています。
黒く見えたのは焼き板を使用していたのではなく、腐食止めのクレオソートを塗り返されたからのようです。
今回は焦げ茶色の防腐防虫塗料が塗られていて、本来のものに近い感じになるそうです。
出石城正面の追手門から、辰鼓楼とともに有子山と出石城を望む「絵になる風景」がもうすぐ復活します。
 
 

2017年7月15日 (土)

辰鼓楼 平成の大修理 第2回見学会

6月9日、「辰鼓楼 平成の大修理」を記事にしました。

外板をすべて取っ払った骨組みの状態で、辰鼓楼 修理見学会の2回目が行われました。
心柱の基礎下の空洞や2階の梁取り付け工法、鴨居と敷居跡から4階の窓がかっては嵌め殺しだったこと、窓上の漆喰壁の下地が竹木舞でなく「髭」と呼ばれる麻糸を使った板が使われていることなど、昭和4年以来の解体調査結果が報告されました。
 
改修現場で説明                  正面入り口
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芯柱の金輪継ぎ            上階も骨組みだけ
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補強された基礎                  筋交いで補強
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出石城の古材利用                釿(ちょうな)跡が残る袴部の柱
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明治4年創建から、当時の材料や技法で幾度かの修理を経て今日の姿があることがわかります。
この日の見学者は約70名、第3回の見学会は9月9日(土)で修理中の状況が見学できるでしょう。
平成の大修理の完工は10月中が予定され、11月3日のお城祭りには新装なった櫓が姿を現します。
 

2017年6月 9日 (金)

辰鼓楼 平成の大修理

明治4年創建の時計台、但馬國出石の城下町のシンボルとして親しまれた「辰鼓楼-しんころう」のの大修理が計画され、修理前の第1回現場見学会に出かけてきました。

大手門から                     お城側から
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創建から140数年、昭和初期の大修理からも80年以上経っています。
見学に先だって出石振興局の田口さんから歴史の説明、建築士の福岡さんから建物の詳細図をもとに建物の概要と修理工事の説明がありました。
 
まず、田口さんから・・・・
 
「辰鼓楼は藩士の登城を告げていた」「辰の刻(午前8時)に太鼓をならし、形が鼓に似ているので辰鼓楼と名付けられた」とういう、結構信じられているガイドネタに対し、「創建の明治4年には出石藩も廃止され藩士もいなかった」「辰は刻(とき)という意味で、辰鼓という言葉は出石藩御用部屋日記にも残されている」との説明に少しびっくり。
 
・ 明治2年まで約280年間、1日12回鐘で時を告げていた昌念寺にかわって太鼓で刻を知らせるようになった
・ 明治14年、札幌時計台と同年に機械式の時計が設置された(初代オランダ製)
・ 明治27年、機械式の新時計に替わった(二代目)
・ 明治40年、屋根も当初のこけら葺きから瓦葺きに替わった
・ 昭和51年、電気式の時計に替わった(三代目)
 
福岡建築士さんから・・
 
・ 外壁は数度張り替えているが、主要な軸組は当初材で、大きな梁などは出石城の廃材が使われている(不要な穴が空いている)
・ 芯柱は塔のように突き抜けていなくて4階床下まで、コンクリート補強された基礎に下に約50cmの空洞があるのは当初は掘立柱だったのが腐食して接ぎ木や補強がなされたとおもわれる
・ 屋根は昭和59年に修理済みなので、基礎と軸組を残して半解体工法でおこない、外壁や4階窓は全面取り替えとなる
・ 基礎のコンクリート補強や鋼製筋交いなどの耐震補強、避雷設備、火災警報設備など耐久性が重視される
 
その後5人の組に分かれて1階から4階まで見学させてもらいました。
辰鼓楼の中に入ったのは初めて、階段に子どもの落書きがあったりして、昔は男の子の探検場所だったのでしょう。
 
1階内部                      接ぎ木された芯柱と基礎下の穴
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機械式時計のゼンマイ              ずっしり重い2個の錘(おもり)
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落書き                   錘をつり下げた穴
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               4階 電気式時計と鐘
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アンプ                        スピーカー
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消防団の半鐘も健在           消防信号ルール
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退役した機械式の時計の錘や歯車・鐘、現役の電気式時計設備など、今と昔が残されているのも興味深いものでした。
 
4階からの眺め                  昭和4年の修理(パンフレット)
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地元の方のお話しでは、「毎日、午前8時と午後1時に太鼓、夕方には釣り鐘の音が録音テープで流されている」そうです。
この日の見学者は58名、4階でテレビ局、見学後新聞社の取材を受けました。
寝る前にサンテレビの「NEWS PORT」で一瞬ですが、ヘルメット姿の私が登場したのを確認しました。
(翌10日付け毎日新聞但馬版にコメントも紹介されていました)
 
見学会は第2回7月15日、第3回9月9日、第4回は竣工前の10月7日に計画されていて、さっそくスマホのスケジュールに入れておきました。
 
 

2017年5月26日 (金)

出石㐂らく文庫 開店です

城下町出石に手作りの古本店が22日(日)開店しました。

半月ほど前の読売新聞但馬版、12日の神戸新聞但馬版に開店準備の様子が、サンテレビの「NEWS PORT」 で開店が報道されました。
 
手がけたのは50年前の高校生、団塊世代で67~68歳の出石高校OBです。
普段から気の合う仲間が集まっていたようですが、「飲んでるだけでは しゃあないやろう」ということで、「本があるから古本をやろう」と民家を利用した古本屋を計画されました。
 
出石に活字文化を育てたいのとサロン的な雰囲気にして、気楽に立ち寄って文化的時間を過ごしてもらいたいとのお気持ちのようです。
このメンバーのうちの二人は、但馬山友会の山ともで、私も図書を提供させていただきました。
伊佐屋三木のblog2の記事 → 終活準備図書整理編をクリックでどうぞ、左端の戻るボタン「←」で元の記事に戻ります。
 
開店のお知らせ               サンテレビ「NEWS PORT」 23日(月)
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「気張ると後が大変なので、気楽にのんびりと長く」ということで、当面は週一回 土曜日のみ、10時から16時までの営業です。
サロンスペースもあって格安の珈琲(100円~)、手作りお菓子も販売されます。
 
城下町出石に「出石㐂らく文庫」はよく似合います。
同じ団塊世代として、七人のサムライ達の心意気にエールを送ります。
迎える方も訪れる方も「㐂らく」な雰囲気を大切にして、のんびり長く続けられることを期待しています。 
 「出石㐂らく文庫」の場所 → 出石町本町95  をクリック。
 
Mさんの句?                    洒落たしおり
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2017年1月29日 (日)

2017 但馬の自然を考える会 事例発表

毎年おこなわれる但馬の自然を考える事例発表会に参加しました。
3団体による事例発表と香住高校の高校生による「ラムサール条約湿地の調査・保全活動」の発表もあって、山の会や山野草の会、野鳥の会、ジオの関係者などのお顔が多く見られました。
事例発表は「論より証拠」、パソコンとプロジェクターを活用し写真が多かったことで理解しやすいものでした。
 
カタクリの保護活動              田結・戸島湿地の生き物調査
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「西但馬の自然を考える会」から、香美町小代渓谷のバイケイソウなど稀少植物についてたくさん紹介があり、豊かな自然と多様な生物の存在に驚かされました。
ある稀少植物は「花を咲かせると存在が判り、盗掘に遭うので咲く前に摘み取ってしまう」という住民の言葉が印象的でした。
 
「南但馬の自然を守る会」からはカタクリの保護活動の報告で、但馬では三川山に次いで2例目の存在が朝来市立脇で確認されました。
カタクリは兵庫県のレッドデータCランク準絶滅危惧だそうです。
当時町道整備工事が予定されたこともあって、工事期間中は移転などの保護措置をとえ、り、その後はカタクリが生育できる環境作りに取り組まれました。
落葉広葉樹林下での環境づくりも進められる中で、新たな場所に進出が見られる一方でシカによる食害も出て、シカ網による生育地の囲い込みがなされています。
 
兵庫ウスイロヒョウモンモドキを守る会」からは、生息地である中国山地の全域から絶滅が進み、僅かに残った養父市高丸山の保護活動が報告されました。
10円玉大のヒョウ柄の羽をもつ小さな蝶で、環境省のレッドリストでは絶滅の危険性が極めて高い「絶滅危惧1A類」 に指定されています。
生息地である草原が減少していること、人の手(草刈り)入らなくなったこと、エサとするオミナエシがシカの食害などで減ったこと、すべて人の生活と密接に繋がっていることがわかります。
守る会など保護団体で餌となる植物をシカ食害から守る鹿網を設置したり、オミナエシの繁殖活動、チョウから採卵し人工飼育をするなどの活動で、昨年7月に2年ぶりに確認されたことが報告されました。
 
稀少動植物の生育環境が人間の経済や生活の変化に大きく影響されていることと、シカによる食害が大きな問題となっています。
但馬の山歩きをしていて、下草やササが生い茂っている場所が丸ハダカになって遠くまで見通しきくのに驚ろかされます。
 
「コウノトリも含めて稀少動植物をコロニー化して守るだけでは問題解決にならない」と、厳しいご意見は長年シカ被害を調査し警鐘を鳴らし続けている神鍋のTさん。
さっそく、今朝の新聞記事、「円山川右岸道路の斜面が崩れた」ことは「シカよる食害と踏み荒らしに起因するものに違いない」と電話が入りました。
 
一昨年開催された「但馬のシカ被害を考える会」に参加したとき、発表の中の「森が壊れてきている」「人によって壊されつつある自然にシカがとどめを刺している」この言葉が身に染みます。
 
 

2017年1月26日 (木)

但馬の自然を考える会 事例発表会

「但馬は県下でもっとも自然環境に恵まれていますが、それでも近年は絶滅が危惧される動植物が増えています。その中でも、生物多様性の保全や育成活動をがんばっている活動団体がおられます。(略)」

そんな活動発表会が1月28日(土)に開催されます。
 
   案内チラシ(マウスON、1クリックで拡大します)
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今回は「神鍋山野草を愛でる会」の事例発表はありませんが、興味深い顔ぶれなので参加してみます。
 
 

2016年12月17日 (土)

瑞風が城崎温泉に立ち寄ります

JR西日本が「トワイライトエキスプレス瑞風(みずかぜ)」を走らせる計画を発表し、受付を始めました。

キャッチコピーは  2017年・春 美しい日本をホテルが走る~上質さの中に懐かしさを~
 江原駅にある瑞風のポスター
20161214_163121 但馬の駅でも瑞風のポスターが張り出され、城崎温泉に立ち寄ることが宣伝されています。
 
1泊2日の片道タイプ(山陽コース下り・上り、山陰コース下り・上り)と、2泊3日で山陽・山陰を巡る周遊コースの計5コースが用意され、山陰コース下りは始発が大阪駅・京都駅で、山陰本線経由、終着は下関駅となっています。
1日1回、立ち寄り観光が実施され、このコースが城崎温泉に立ち寄ります。
 
運行開始は6月17日(土)、申込みは来年1月31日(火)まで、郵送またはホームページで、申込み多数の場合は抽選となります。
 
本来鉄道の売りは、「早くて便利と大量輸送の経済性」ですがさにあらず、11両編成で定員はたったの130名。
目の玉が飛び出るような料金を払ってもシルバー世代を中心に「のんびりゆったりそして豪華でリッチ」が人気で、申込多数でまず抽選となるでしょう。
整備新幹線の延伸やリニア計画が進められる一方で、こんな旅が求められる時代になったのですね。
 
 

2016年12月15日 (木)

2016 温泉総選挙 城崎温泉

うるおいプロジェクトが主催し、環境省と観光庁が後援する「温泉総選挙2016」が発表されました。(今回が1回目)

環境大臣賞は島根県松江市の玉造温泉、以下8つの部門賞があり、城崎温泉が「インバウンド賞」の1位を獲得したと報道されました。
温泉総選挙には温泉を持つ全国104市町村から125の温泉地が応募があったそうです。 
受賞のポイントは『昔から受け継がれている城崎の「おもてなし」の姿勢と取り組みが、評価されました!この4年間で外国人観光客が30倍に増加しています』とのこと。
(2111年の外国人宿泊客1,118人が2015年に34,318人になったようです)
 
大都市や観光地でインバウンドが増加している中で、城崎温泉も町なかだけでなく外湯でもアジア系だけでなく西洋人を見かけます。
還暦同窓会で友人が「ある外湯では温泉を楽しむ習慣がない外国人の方が多かった」とびっくりしていました。
(外国人向けサイトVisit Kinosakiには入浴方法(How to use  Onsen)がイラスト付きで記載してあります)
 
豊岡市が外国人向け宿泊サイト「Visit Kinosaki(ビジット キノサキ)」を開設したり、バス会社が城崎温泉駅前に外国人向けツアーを企画する案内所「SOZORO」(そぞろ)」を開設したこと、外湯や旅館などが外国人向けサービス「フリーWI-FI」を整備したのも貢献したとされます。
官民一体の活動で、温泉情緒溢れる城崎温泉にもっと外国人客が訪れてもらいたいものです。
 
詳しくは記事の下線の項目をクリックするとそれぞれのホームページにリンクします。
(各ホームページの戻るボタンでこのブログに戻れます)
 
 

2016年11月12日 (土)

豊岡市 歴史文化遺産ウオーク

2013年から「ふるさと豊岡再発見の旅 城郭コース」だったのが、「城跡探訪」、「城跡見学会」と呼ばれたり、今年は「歴史文化遺産ウオーク」となりました。

1回目は歴史講演会「豊岡の二大城」、2回目は加陽城跡・千眼寺城跡見学、3回目は進美寺城でした。
案内には向日置から7kmの健脚コースなので、万全の体調でお越しくださいとなっています。
 
向日置に集合                   竪堀あと
Pb120228 Pb120235
 
郭あと                       土塁あと
Pb120236 Pb120237
山復8合目にある日前山(にちぜんざん)進美寺(しんめいじ)は行基が開いたとされる天台宗の古刹で、山頂には白山権現が祀られています。
南北朝期には天台宗比叡山延暦寺の末寺として要塞化され、但馬における南朝方の拠点、進美寺城、白山城が築かれています。
 
進美寺城主郭?              進美寺観音堂
Pb120239   Pb120242
 
                    白山城・白山神社
Pb120251 Pb120249
 
                   掻上城あと
Pb120260 Pb120269
 
北側、空港、来日岳、右端 水生城    南西、川を挟んで宵田城跡
Pb120272 Pb120247
 
配布資料
Pb120274 お天気は快晴、進美寺城、白山城、掻上城の3城からなる城跡群と対岸の宵田城を始め、岩山城、尾根伝いに浅間寺城が見渡せます。
進美寺城跡は南北朝時代の築城とはいうものの、曲輪群、堀切、竪堀の存在から戦国期の特徴が残っていることで、時代に応じて再利用されているようです。
文献や伝承、遺構などからそれぞれの時代に思いを馳せる城跡探訪でした。
 
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