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但馬物語

2018年4月27日 (金)

温泉まつり 城崎・温泉寺開山忌行事

ひょんなことで「但馬民俗芸能応援隊」に入れて頂いて、「おまつり探検隊」の活動にときどき参加しています。
「おまつり探検隊」は但馬各地の民俗芸能を訪れ、文書や映像にまとめ文書やホームページ「但馬民俗芸能」で発信しています。
 
今回のおまつり探検は45回目、24日(火)に行われた城崎・末代山温泉寺開山忌行事に参加しました。
温泉寺を開山した道智上人の祈願によってお湯が湧き出て、温泉が開かれたとされます。
午前10時に城崎駅から「開山忌」の看板をつけた軽トラックを先頭に、御詠歌講の夫人方、温泉寺住職を始めとする近隣の真言宗僧侶の方々・奉賛会委員・観光協会役員がそれぞれ行進しながら七つ湯をめぐり、湯祈祷が行われます。
 
あいにくの雨で、道智上人像をの乗せた輿が出座できなかったのと数十人を超える稚児行列がありませんでした。
 
雨の城崎温泉駅前                行列が出発            
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                さとの湯前の湯祈祷
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先導車(道智上人は出座なし)        雨の駅前を行進
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地蔵湯前                        登録有形文化財の橋
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散華                        いただく沿道の人々
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柳青める大谿川                 露店も賑やか
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柳湯                        一の湯
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御所の湯での湯祈祷              四所神社に参拝
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まんだら湯 道智上人像           鴻の湯へも
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七つの湯を巡ったあとは、ロープウエイにて温泉寺へ。
大正14年の北但大震災で城崎市街地は壊滅状態でしたが、山中にある温泉寺だけは被害がほとんどなく、文化財が守られたそうです。
12時から道智上人墓前法要、午後1時からご開帳記念大法会が行われます。
 
温泉寺案内                    本堂 大悲殿
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温泉寺境内                    道智上人墓前法要
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ご開帳のポスター
P4240307_3 温泉寺本堂に祀られる本尊「十一面観音菩薩立像」は秘仏となっていて、普段は「お前立ち」を拝むことになります。
観音様のご開帳は33年ごとと決まっていて、温泉まつりの時だけ開扉され、扉越しに一部のお姿を拝むだけでした。
 
今回は特別に平成30年4月23日から3年間ご開帳され、2mを超すお姿を身近に拝することができます。
天平時代、(約1300年前)の作だそうです。
 
絶えるまもなく降り続く雨で、皆が楽しみにしていた華のある稚児行列が中止となったのが残念でしたが、温泉まつり・温泉寺開山忌の諸行事を初めて見学して、全国でも名高い城崎温泉の歴史と伝統に触れることができました。
次回のおまつり探検は、7月15日(日)新温泉町諸寄の「麒麟獅子舞」が予定されています。
 
 
 
 

2018年2月16日 (金)

植村直己冒険賞に荻田泰永さん

今年で22回となる植村直己冒険賞の受賞者に、北極冒険家の荻田泰永(おぎたやすなが)さん(40歳)が選ばれ、直己さんの母校明治大学紫紺館で記者発表されました。

同時に、植村さんの母校府中小学校で、6年生らが集まり、東京とテレビ電話中継されました。
私も但馬山友会として案内を受けて、小学校での発表会に参加してきました。
 
現在の府中小学校                 国道沿いの看板
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植村直己さんの生まれは1941年(昭和16年)、干支で言えば辛巳(かのとみ)、この年生まれの男の子には「○己」とつけた名が多いと聞きます。
へびとなる巳を、読みそのままで(おのれ)を意味する己と変えたのでしょうか。
 
伊佐屋が住む隣村の上郷で生まれ育ち、府中幼稚園、府中小学校、府中中学校、豊岡高校まで13年間を7年遅れで追いました。
 
質問に答える荻田泰永さん          児童代表からお祝いの言葉
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今回の受賞の冒険内容は、「南極点無補給単独徒歩到達」、昨年11月から今年の1月までの50日かけた日本人初の冒険でした。
 
選考委員の西木さんから、賞も22回を超え、「日本人初」、「前人未踏」などの冒険結果だけでなく、冒険の志を評価する流れとなっていること。
荻田さんは、北極冒険家として15回、うち2回は北極点を目指し、さらに環境が違うあらたな世界である南極点に挑んだ冒険の志が評価されたと報告がありました。
 
荻田さんは質問に答えて・・・
 
・名誉ある賞を頂いて身の引き締まる思いである。
・第4回の受賞者大場満郎さんが企画する冒険ウォークに参加したのが冒険の始まりで、大場さんの受賞を聞いたとき、まさか自分が受賞するとは思わなかった。
・植村さんの謙虚で人なつこい性格で信頼関係を築いてくれたことで、アラスカの現地スタッフがその後の冒険家達を支えてくれていること。
・南極と北極は氷に覆われているのは同じでも、大陸と海の違いは大きい。
北極には動きがあり、流れきしむ音も凄い。一方南極は高度差があるのと生物いないのと風音以外なく、景色も単調だった。
・今後の目標は、やり残した北極点を目指したいのと、冒険の心を持つ若者を応援したい。
 
私がイメージする冒険家は、直己さんと重なって訥弁の方なのですが、荻田さんは話し上手な方で、記者さんの質問にわかりやすくはっきり答えていました。
 
北極冒険家荻田泰永のウエブページ (ブログもリンク)」 ← クリック
 
「かって大場さんが自分にしてくれたように、若者の冒険を応援することも考えたい」とは立派です。
人から受けた恩を別の人に送る「恩送り」という言葉を思い出させてくれました。
 
授賞式と記念講演は6月2日(土)が予定されていますが、残念ながら但馬山友会例会で大山夏山開きに参加しています。
 
 
 

2018年1月20日 (土)

㐂らく文庫 繁盛中

出石で調べたいこともあって、昨年5月にオープンした㐂らく文庫を訪ねてきました。

平成の大修理が終わった辰鼓楼       㐂らく文庫入り口              
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場所は出石の町なか本町95番地、雰囲気のよい町屋風の建物が並ぶ一角に店を構えています。
店の窓に「古本を売っています。店内で読めます。コーヒーもあります。50円からあるよ」と書いたポスターが貼ってあります。
ちょっと上品すぎて目立たない感じです。
 
                 本が並ぶ書棚
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オープン以後何回か訪れると先客がいらっしゃいます。
そのたびに本の数が増えていて、俳句や山の本などテーマ別のコーナーもあります。
 
古物商許可が必要なので、買い取りはしていないとお聞きしました。
売れる以上に無償で提供してもらえる本が多く、ありがたい反面整理が大変なようです。
場所に困って廃品回収で捨てられる本もここで救われているのでしょうが、求める人に売って生かすのが㐂らく文庫の使命ですね。
 
山友Mさんの句も                俳句と山のコーナー
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サロンスペース
P1200028_2 開店は週1回土曜日の10時から午後4時まで、観光客が行き交う通りから少し離れていて目立ちにくい場所でもあり、人目を引く工夫が要るように思いました。
 
城下町出石に「出石㐂らく文庫」はよく似合います。
読書ファンだけでなく、町歩きで疲れた方も一休みできる場所として、㐂らくに利用してもらいたいものです。
 
㐂らく文庫の場所は 出石町本町95  ← クリックでどうぞ。
 
 
 

2017年11月 4日 (土)

辰鼓楼 平成の大修理 テレビ放映

今年5月から修理が始まり、先月24日に完成した出石のシンボル辰鼓楼の様子が地元兵庫のサンテレビの報道番組ニュースポートで3日夜に放映されました。
4回に渡る見学会に3回参加したのと山仲間の福岡建築設計士さんが主役の一人でもあり、しっかりチェックしました。
 
修理を終えた辰鼓楼              明治期に建てられた辰鼓楼
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福岡建築設計士さん             アドバイザーの田中さんと伊佐屋くん
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田中さんのインタビューの映像の中に、見学を終えて出てきた伊佐屋くんを発見しました。
 
また番組の中で辰鼓楼という名の由来が、すこし気になりました。
第1回目の見学会での説明では、「辰の刻(午前8時)に太鼓をならしたので辰鼓楼と名付けられた」とういう、結構信じられているガイドネタにに対し、「辰は刻(とき)という意味で、出石藩御用部屋日記にも残されている」でした。
 
出石町史編集に関わられた赤在義信さんの著書、「但馬の城下町 出石を歩く」には、時を知らせた時鐘について、出石藩御用部屋日記を引用した説明があります。
 
出石藩に委託された晶念寺の鐘は明治になって大太鼓に替わり、櫓さらに楼が建設されたことや時計が寄贈され、時を告げるだけでなく城下町のシンボルとなった歴史的経緯。
鐘や太鼓は辰の刻だけでなく、決められた時間に鳴らされていたことがわかります。
 
辰の刻に鳴らしたから辰鼓楼?       城下町のシンボルが復活
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それはともかく、出石城正面の追手門から、辰鼓楼とともに有子山と出石城を望む「絵になる風景」が復活しました。
辰鼓楼の平成大修理の見学の感想については、マイブログの見学レポートをクリックしてご覧ください。
 
 
 

2017年10月 7日 (土)

辰鼓楼 平成の大修理 第4回見学会

重要伝統的建築群保存地区(重伝建)選定十周年記念事業の一環として行われた、「辰鼓楼 平成の大修理」の完工が近づきました。

6月9日の第1回7月9日の第2回と記事にしましたが、10月7日に最終の見学会が実施されました。
周りのシートも外され足場だけが残っているので、外からも完工間近だとわかります。
 
 辰鼓楼修理工事を知らせるパネル
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工期は4月28日から10月20日まで、出石の一大イベントである「お城まつり」には改装なった辰鼓楼が市民や観光客にお目見えします。
 
三の丸側から                   見学受付の列
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開始1時間前から見学者の列ができ、私がゲットしたのは67番の札、その後もどんどん増えて、150人近くになっていました。
 
設計監理・施工・建築指導の三方         正面入り口       
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見学の前に福岡設計士さんから、辰鼓楼の概要に続き、修理前の状況と修理工事について説明がありました。
地震に耐え50年は持つことを考え、基礎や柱、梁や外壁など交換や補強工事がなされています。
外壁板も当時の写真から推測できる明治期の24cm幅に戻されました。
火災にも気を配り、自動火災報知設備はもちろん外観を配慮して屋根瓦に配線した避雷針も設置されました。
 
施工担当の大木本社長から伝統建築を施工する職人(大工等)の確保の苦労があり、伝統建築を担当する職人さんや技術の継承が必要なことが強調されました。
 
伝統建築の指導役、田中定さんから水平レベルと垂直レベルなど技術面の苦労のほか、辰鼓楼を作った先代の職人の工夫が話されました。
 
               外壁と土台
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芯柱付近                   30cmのコンクリート基礎と平成修理の焼き印
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筋交い                      耐震のため対角線状にブレース
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「平成仮設材」の焼き印            「平成29年度年度修保」の焼き印
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梁と柱のズレも一部残る            4階 時計の裏側
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                  4階からの眺め
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過去3回見学して、「地震や台風・風雪に耐える建物を残してきた先人の気概と業」と「出石のシンボル・伝統的建築を守り、後世に伝えようとする関係の方々の気概と技術力」が感じられました。
創建から140数年、昭和初期の大修理からも80年以上経っていて修復記録や図面がほとんど残っていない状況で、その場その場で対応する作業でしたでしょう。
今回の修理の記録は後世に残り、辰鼓楼をさらに引き継ぐ貴重な資料となります。
 
最終仕上げがなされ、あらたな辰鼓楼がお目見えするわけですが、黒っぽい外壁だったのが褐色に変わっています。
黒く見えたのは焼き板を使用していたのではなく、腐食止めのクレオソートを塗り返されたからのようです。
今回は焦げ茶色の防腐防虫塗料が塗られていて、本来のものに近い感じになるそうです。
出石城正面の追手門から、辰鼓楼とともに有子山と出石城を望む「絵になる風景」がもうすぐ復活します。
 
 

2017年7月15日 (土)

辰鼓楼 平成の大修理 第2回見学会

6月9日、「辰鼓楼 平成の大修理」を記事にしました。

外板をすべて取っ払った骨組みの状態で、辰鼓楼 修理見学会の2回目が行われました。
心柱の基礎下の空洞や2階の梁取り付け工法、鴨居と敷居跡から4階の窓がかっては嵌め殺しだったこと、窓上の漆喰壁の下地が竹木舞でなく「髭」と呼ばれる麻糸を使った板が使われていることなど、昭和4年以来の解体調査結果が報告されました。
 
改修現場で説明                  正面入り口
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芯柱の金輪継ぎ            上階も骨組みだけ
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補強された基礎                  筋交いで補強
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出石城の古材利用                釿(ちょうな)跡が残る袴部の柱
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明治4年創建から、当時の材料や技法で幾度かの修理を経て今日の姿があることがわかります。
この日の見学者は約70名、第3回の見学会は9月9日(土)で修理中の状況が見学できるでしょう。
平成の大修理の完工は10月中が予定され、11月3日のお城祭りには新装なった櫓が姿を現します。
 

2017年6月 9日 (金)

辰鼓楼 平成の大修理

明治4年創建の時計台、但馬國出石の城下町のシンボルとして親しまれた「辰鼓楼-しんころう」のの大修理が計画され、修理前の第1回現場見学会に出かけてきました。

大手門から                     お城側から
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創建から140数年、昭和初期の大修理からも80年以上経っています。
見学に先だって出石振興局の田口さんから歴史の説明、建築士の福岡さんから建物の詳細図をもとに建物の概要と修理工事の説明がありました。
 
まず、田口さんから・・・・
 
「辰鼓楼は藩士の登城を告げていた」「辰の刻(午前8時)に太鼓をならし、形が鼓に似ているので辰鼓楼と名付けられた」とういう、結構信じられているガイドネタに対し、「創建の明治4年には出石藩も廃止され藩士もいなかった」「辰は刻(とき)という意味で、辰鼓という言葉は出石藩御用部屋日記にも残されている」との説明に少しびっくり。
 
・ 明治2年まで約280年間、1日12回鐘で時を告げていた昌念寺にかわって太鼓で刻を知らせるようになった
・ 明治14年、札幌時計台と同年に機械式の時計が設置された(初代オランダ製)
・ 明治27年、機械式の新時計に替わった(二代目)
・ 明治40年、屋根も当初のこけら葺きから瓦葺きに替わった
・ 昭和51年、電気式の時計に替わった(三代目)
 
福岡建築士さんから・・
 
・ 外壁は数度張り替えているが、主要な軸組は当初材で、大きな梁などは出石城の廃材が使われている(不要な穴が空いている)
・ 芯柱は塔のように突き抜けていなくて4階床下まで、コンクリート補強された基礎に下に約50cmの空洞があるのは当初は掘立柱だったのが腐食して接ぎ木や補強がなされたとおもわれる
・ 屋根は昭和59年に修理済みなので、基礎と軸組を残して半解体工法でおこない、外壁や4階窓は全面取り替えとなる
・ 基礎のコンクリート補強や鋼製筋交いなどの耐震補強、避雷設備、火災警報設備など耐久性が重視される
 
その後5人の組に分かれて1階から4階まで見学させてもらいました。
辰鼓楼の中に入ったのは初めて、階段に子どもの落書きがあったりして、昔は男の子の探検場所だったのでしょう。
 
1階内部                      接ぎ木された芯柱と基礎下の穴
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機械式時計のゼンマイ              ずっしり重い2個の錘(おもり)
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落書き                   錘をつり下げた穴
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               4階 電気式時計と鐘
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アンプ                        スピーカー
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消防団の半鐘も健在           消防信号ルール
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退役した機械式の時計の錘や歯車・鐘、現役の電気式時計設備など、今と昔が残されているのも興味深いものでした。
 
4階からの眺め                  昭和4年の修理(パンフレット)
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地元の方のお話しでは、「毎日、午前8時と午後1時に太鼓、夕方には釣り鐘の音が録音テープで流されている」そうです。
この日の見学者は58名、4階でテレビ局、見学後新聞社の取材を受けました。
寝る前にサンテレビの「NEWS PORT」で一瞬ですが、ヘルメット姿の私が登場したのを確認しました。
(翌10日付け毎日新聞但馬版にコメントも紹介されていました)
 
見学会は第2回7月15日、第3回9月9日、第4回は竣工前の10月7日に計画されていて、さっそくスマホのスケジュールに入れておきました。
 
 

2017年5月26日 (金)

出石㐂らく文庫 開店です

城下町出石に手作りの古本店が22日(日)開店しました。

半月ほど前の読売新聞但馬版、12日の神戸新聞但馬版に開店準備の様子が、サンテレビの「NEWS PORT」 で開店が報道されました。
 
手がけたのは50年前の高校生、団塊世代で67~68歳の出石高校OBです。
普段から気の合う仲間が集まっていたようですが、「飲んでるだけでは しゃあないやろう」ということで、「本があるから古本をやろう」と民家を利用した古本屋を計画されました。
 
出石に活字文化を育てたいのとサロン的な雰囲気にして、気楽に立ち寄って文化的時間を過ごしてもらいたいとのお気持ちのようです。
このメンバーのうちの二人は、但馬山友会の山ともで、私も図書を提供させていただきました。
伊佐屋三木のblog2の記事 → 終活準備図書整理編をクリックでどうぞ、左端の戻るボタン「←」で元の記事に戻ります。
 
開店のお知らせ               サンテレビ「NEWS PORT」 23日(月)
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「気張ると後が大変なので、気楽にのんびりと長く」ということで、当面は週一回 土曜日のみ、10時から16時までの営業です。
サロンスペースもあって格安の珈琲(100円~)、手作りお菓子も販売されます。
 
城下町出石に「出石㐂らく文庫」はよく似合います。
同じ団塊世代として、七人のサムライ達の心意気にエールを送ります。
迎える方も訪れる方も「㐂らく」な雰囲気を大切にして、のんびり長く続けられることを期待しています。 
 「出石㐂らく文庫」の場所 → 出石町本町95  をクリック。
 
Mさんの句?                    洒落たしおり
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2017年1月29日 (日)

2017 但馬の自然を考える会 事例発表

毎年おこなわれる但馬の自然を考える事例発表会に参加しました。
3団体による事例発表と香住高校の高校生による「ラムサール条約湿地の調査・保全活動」の発表もあって、山の会や山野草の会、野鳥の会、ジオの関係者などのお顔が多く見られました。
事例発表は「論より証拠」、パソコンとプロジェクターを活用し写真が多かったことで理解しやすいものでした。
 
カタクリの保護活動              田結・戸島湿地の生き物調査
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「西但馬の自然を考える会」から、香美町小代渓谷のバイケイソウなど稀少植物についてたくさん紹介があり、豊かな自然と多様な生物の存在に驚かされました。
ある稀少植物は「花を咲かせると存在が判り、盗掘に遭うので咲く前に摘み取ってしまう」という住民の言葉が印象的でした。
 
「南但馬の自然を守る会」からはカタクリの保護活動の報告で、但馬では三川山に次いで2例目の存在が朝来市立脇で確認されました。
カタクリは兵庫県のレッドデータCランク準絶滅危惧だそうです。
当時町道整備工事が予定されたこともあって、工事期間中は移転などの保護措置をとえ、り、その後はカタクリが生育できる環境作りに取り組まれました。
落葉広葉樹林下での環境づくりも進められる中で、新たな場所に進出が見られる一方でシカによる食害も出て、シカ網による生育地の囲い込みがなされています。
 
兵庫ウスイロヒョウモンモドキを守る会」からは、生息地である中国山地の全域から絶滅が進み、僅かに残った養父市高丸山の保護活動が報告されました。
10円玉大のヒョウ柄の羽をもつ小さな蝶で、環境省のレッドリストでは絶滅の危険性が極めて高い「絶滅危惧1A類」 に指定されています。
生息地である草原が減少していること、人の手(草刈り)入らなくなったこと、エサとするオミナエシがシカの食害などで減ったこと、すべて人の生活と密接に繋がっていることがわかります。
守る会など保護団体で餌となる植物をシカ食害から守る鹿網を設置したり、オミナエシの繁殖活動、チョウから採卵し人工飼育をするなどの活動で、昨年7月に2年ぶりに確認されたことが報告されました。
 
稀少動植物の生育環境が人間の経済や生活の変化に大きく影響されていることと、シカによる食害が大きな問題となっています。
但馬の山歩きをしていて、下草やササが生い茂っている場所が丸ハダカになって遠くまで見通しきくのに驚ろかされます。
 
「コウノトリも含めて稀少動植物をコロニー化して守るだけでは問題解決にならない」と、厳しいご意見は長年シカ被害を調査し警鐘を鳴らし続けている神鍋のTさん。
さっそく、今朝の新聞記事、「円山川右岸道路の斜面が崩れた」ことは「シカよる食害と踏み荒らしに起因するものに違いない」と電話が入りました。
 
一昨年開催された「但馬のシカ被害を考える会」に参加したとき、発表の中の「森が壊れてきている」「人によって壊されつつある自然にシカがとどめを刺している」この言葉が身に染みます。
 
 

2017年1月26日 (木)

但馬の自然を考える会 事例発表会

「但馬は県下でもっとも自然環境に恵まれていますが、それでも近年は絶滅が危惧される動植物が増えています。その中でも、生物多様性の保全や育成活動をがんばっている活動団体がおられます。(略)」

そんな活動発表会が1月28日(土)に開催されます。
 
   案内チラシ(マウスON、1クリックで拡大します)
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今回は「神鍋山野草を愛でる会」の事例発表はありませんが、興味深い顔ぶれなので参加してみます。
 
 
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