青春

2026年2月 3日 (火)

竹馬の友との別れと絶筆

竹馬の友とは子供のころから親しい友をいいます。
隣村に住む友人で絵描きの小山譲君が昨年10月に亡くなりました。1年半前に脳梗塞で倒れ療養中にガンを発症し、治療の甲斐なく丹波の病院で78歳の生涯を閉じました。

彼とは府中幼稚園、府中小学校、府中中学校、豊岡高校の同級で13年間一緒でした。おまけにお互いの叔父・叔母が結婚していることで、遠い親戚にもなります。
高校卒業後浪人生活を送る中、東京にいること以外連絡が取れず行方知れずとなって、20年以上も経って帰郷してきました。
好きな絵を独学で学び絵描きとして生計を立てると聞いて驚いたものです。私のブログには2009年 「小山譲 秋の作品展」から登場します。

2010年には個展直前に漏電事故で自宅とアトリエを焼失させ、家や作品・画材などすべてを失いました。
翌年には「アトリエ小山の再興」をはかり、以後画業もまずまずのようでした。
存命中は月に2度は訪れて、情報交換したり、運転ができない彼の雑用を引き受けたりしていました。

そんな縁もあり彼の作品を何点か購入して、玄関や居間に季節にふさわしいものを掲げることにしています。
気に入っているのは、我が家から西に広がる高生平野と大岡山など山並みを描いた冬景色です。

居間の油彩画(冬バージョン)
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彼が言うには「掛け軸と同じで春夏秋冬、季節にあった絵を掛け替えて楽しんで欲しい」そうです。
いまは絵額を取り換えるたびに、亡き友とのむかしを偲んでいます。

絶筆:上郷橋と円山川・河畔林と山並み(S家所蔵)
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昨年「大切な山の友と竹馬の友」のどちらも失いました。
油絵制作と購入の仲介の労を取った私ですが、昨年6月に納品され、絶筆となった50号の油絵を勝手ながら紹介します。

上郷橋を中心に手前から左奥に広がる河畔林、奥にゆったりとした山並み、手前に清らかに流れる円山川。どちらも私たちが生まれ育った故郷そのものです。

 

 

 

 

 

2024年12月12日 (木)

ラジオ深夜便 明日への言葉 歌声喫茶

今朝のラジオ深夜便を聞きましたか?途中で眼が覚めた人、深夜になってなかなか寝付けない人、この2条件に合致するのはほとんど高齢者で、いつからか私も仲間入りしました。
12日(木)朝午前4時5分から始まるインタビュー「明日へのことば」をそれとなく寝床で聞いていました。
「歌声喫茶70年-これからも響け」、歌声喫茶店長 齊藤隆さん 午前4時5分~約50分間で、~歌声文化・コロナ禍での奮闘・今後への思い~がテーマです。

オープニングが倍賞千恵子「下町の太陽」でした。エンディングは竹内まりやの「いのちの歌」でした。これは高田馬場に店が移ってからずっとリクエストナンバーワンだそうです。

懐かしいですね。社会人になって3度新宿のともしびに訪れたことがあります。人の歌をろくに聞かずに終わると拍手したり、自分が歌う歌を探すのに夢中になったりしがちなカラオケ文化とは違います。
コロナ禍では、店の運営形態からカラオケ喫茶以上の苦労があり、閉店を余儀なくされたそうです。 2年前に多くの仲間の支援をうけ、高田馬場で再出発されました。
「歌声喫茶ともしび」のホームページ ← (クリック) 

歌声は大学時代に巡り合って、人とのつながり(連帯感)、仲間といる安心感、歌を通じて共感しあうことを教えてくれました。

NHKラジオ聞き逃しサービスで1週間聞くことができます。(クリック) →  明日へのことば「歌声喫茶70年-これからも響け」







         

2024年7月29日 (月)

2024 山陰旅行 島根大学運動部OB・OG会

 28日松江市で、島根大学に’65年から’69年までの5年間に在籍した仲間たちの、運動部同窓会が開催されました。2009年、2013年に続いて3回目の開催です。
それぞれ歳を重ねて後期高齢者が大半を占めるようになりました。これが最後の同窓会となると思いつつ、夫婦で参加しました。

参加者31人 & 橘ふみ 松江市会議員による歓迎のご挨拶
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歓迎の挨拶は橘ふみさんです。橘夫妻の娘さんで2児の母です。島大法文学部法学科卒業、父祥朗君の後を継いで日本共産党から松江市会議員に立候補し、3年前に当選しました。両親のサポートをうけて、1年生議員でも会派を代表して議会や市当局と対応されているそうです。
この会は入学年次と学部と名前だけを名札に書きます。学生運動華やかな時期に留年生も少なからずいて、卒業成否と卒業年を問うとややこしくなるからです。

一言で終わらないスピーチ & フィナーレは肩組んで「歌声」
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集合写真 & 2次会
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当時はアメリカによるベトナム侵略・安保改定・沖縄返還・大学紛争など政治的エポックが重なりました。
60年に結ばれた日米安全保障条約(日米安保)の改定期でもあり、その上沖縄県はアメリカの占領下にありました。このような時代背景が若者に、「不正義」「不平等」を憎み、「平和や民主主義」「人権」に対する考えを育むようになりました。

特に69年は大学改革をめぐって、学生集会・団体交渉・抗議デモと続き、「全共闘」ブームに乗った一部の跳ね上がり学生が、学部をバリケード封鎖して「大学解体」を叫びました。
一方ではバリケード封鎖に反対し、大学当局との団体交渉を通じて改革の実現を求めた「島根大学民主化運動」の仲間がいました。
今回は「島根大学民主化運動部」の仲間たちの集まりでした。




2024年5月26日 (日)

喜寿記念同窓会

1年遅れの「府中小・中学校 喜寿記念同窓会」が開催されました。
いつの頃からかオリンピックの年に開催することとなっていて、前回の「古希記念同窓会(2016年)」から8年ぶりの開催です。
本来開催予定の2020年は、ご承知のように新型コロナウイルス感染最盛期のため見送られました。8年のブランクは大きく、在籍者は100人を超えても、物故者が2割、本人又はパートナーの体調不良で参加できない仲間が増え、前回より減って17人の参加でした。

歓談 & 近況報告
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校歌の代わりに「ふるさと」を肩組んで歌う

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万歳三唱 & 記念写真
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参加人数は少なかったものの、「最後の同窓会」とあって皆さんの思いはひとしおでした。
懸命に働き子育てを終え、親を見送り、今度は老いとの闘いの最中です。
「病気と手術・入院の話しはやめよう」との声に、懐かしい小・中学校の思い出を話し合いながら、楽しい時間を過ごすことができました。

長年お世話した幹事団もこの日解散を決めました。
「また会う日」はもう無い友もあるでしょうが、「元気で頑張ろう」と笑顔で別れました。




 

2023年11月 1日 (水)

豊岡高校18期 喜寿記念同窓会

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我々の高校在籍が’63年から’67年です。
’50年代から'60年代にヒットしたアメリカや イギリスなどのポピュラー音楽を「オールディーズ( Oldies) 」と呼んで、中高年に根強い人気があります。当時、江利チエミ・雪村いずみ・弘田三枝子・九重佑三子ほか日本人歌手が日本語でカバーしてヒットしていた時代でした。
一方青春歌謡のジャンルで、舟木一夫、橋幸雄、西郷輝彦の御三家の歌が巷にあふれていました。

前回は2016年「古希記念同窓会」でした。今年数え七十七を迎えることから「喜寿記念同窓会」として城崎温泉で開催され、関東や関西から76人が集まりました。同窓会も今回で10回目となり、たぶんこれが最後ということで私も出席しました。
128人だった前回から減って、名簿上は76人で「㐂」には届きませんでした。

梨ワインで乾杯 & 校歌をうたう
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亡くなった師や友も増えました。子育てを卒業し、両親を見送ると今度は自身や配偶者が体調を崩し参加できないとの返事もありました。
歓談タイムは、仕事や子供の話が多かった時期を過ぎ、持病・入院・手術歴がメインで、ちょっぴり趣味が話題となりました。
驚いたのは、息子や娘が独身で相手を探している友も数人ありました。子育てが今も続いているのです。

クラスで写真 & 万歳で締める

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1947年(昭和22年)生まれは267万人で、前年の1946年(昭和21年)は157万人、100万人まで減ったのが2015年(平成27年)、直近の2022年(令和4年)は77万747人となり、初めて80万人台を割り込みました。なんと私たちの3分の1以下です。

団塊世代のトップバッターとして学校は寿司詰め、受験も就職も競争に明け暮れたような気がします。年金を受給する世代になると年金問題が、医者にかかるようになると医療費問題、これから要介護世代になると介護問題が取り上げられ目の敵(かたき)にされます。

激動の昭和、変動の平成を懸命に生き、令和になって人生の仕上げの時期を迎える私たちです。
丈夫な体に生み育ててくれた両親やともに頑張った家族に感謝しつつ、何よりも、頑張った自分を誉めてあげましょう。



 



 

2023年9月 2日 (土)

多芸多才の人

当然これは私のことではありません。
島根大学1年先輩で、教育学部を卒業し高槻市で小学校に勤め、その後島根県大田市に帰郷され、今は不登校児童のサポートと、世界遺産石見銀山ガイドとして精を出しています。

その彼がまたまた、朝日歌壇に入選しました。

八月の6+(たす)9=(の)15なる数の不思議に不戦を誓う」 (大田市)安立聖

永田和宏氏 評

安立さん、そう、6と9があったから15があったという歴史の悲劇を忘れてはならない

あるときなどは、歌壇と俳壇に同時入選したこともありました。
最近は一年前に亡くされた奥さまを思う句を投稿されていました。

入選句にある不戦の思いは、ユネスコ憲章の前文の中にあります。

戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。

「お互いをよく知れば仲良くなり、憎しみや疑いは生まれない」という当たり前のことができていないのです。
特にお隣の中国や韓国、北朝鮮がうまくいっていません。かって日本が「
アジア・太平洋戦争」で多大の被害を与えた国々です。

朝日歌壇や俳壇のほかに、NHKラジオ(マイあさだより)のレポーター、石見銀山ガイドのブログの筆者にと、この先輩は私の興味範囲にたびたび現れます。

 

 

 

 

 

  

2019年11月11日 (月)

島根大学法学科1期生同窓会

1970年に卒業して足かけ50年、10年ぶりに松江で開催された同窓会に参加しました。
旧制松江高校を母体とする文理学部の文科が文学科と法学科に改組され、我々が1期生にあたります。
80人の小所帯で、マドンナ2人以外はすべて男性です。


会場のホテル
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  乾杯の発声は遠来の客(フィリピン・ダバオ在住)のM君
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集合写真 と フィナーレに校歌「青春の歌」を歌う
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入学したのが1967年、アメリカによるベトナム侵略・安保改定・沖縄返還・大学紛争など政治的エポックを通じて、社会を考えた団塊世代でした。
当時は60年に結ばれた日米安全保障条約(日米安保)の改定期でもあり、その上沖縄県はアメリカの占領下にありました。
このような時代背景が若者に、「不正義」「不平等」を憎み、平和や民主主義、人権に対する考えを育てるようになりました。
自治会主催のデモだけでなく、法学科主催のデモ行進もおこないました。

’68年~’69年は全国に広がった「大学紛争」まっただ中で、島根大学でも大学封鎖も経験し、セクト、ノンセクトラディカル、ノンポリも含めて対立した時代でした。
当時のスタンスが違った顔も見られましたが、半世紀経てばもはや「ノーサイド」です。

ただ、「青春の蹉跌」や「若気のいたり」で済ませるのではなく、社会正義・社会変革の心を持ち続け、職場や地域・学園で活動を続けてきたメンバーも少なからず見られます。
特に出席のT君などは日本共産党の松江市会議員として、島根原発に反対し市民の生活を守る活動の先頭に立っています。

それはともかく72歳を過ぎ、人生の後半戦からまとめにかかる時代です。
元気で再開できることを念じながら、友と別れを惜しみました。


2016年10月31日 (月)

2016府中小・中学校古希同窓会

20日に「府中小中学校古希記念同窓会を開催します」の記事をアップしましたが、昭和22年生まれは数えで70歳、古希を迎えることから古希同窓会を開催しました。

「卒業生」「○○期生」としないのは転校生も含めて縁があったすべての友を対象にしたいからです。
 
府中小学校正門              府中中学校校舎
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私がUターンしたのが1983年、それ以後の開催年を調べると、1986年、1992年、1996年、2000年、2004年、2007年、2012年、ほぼオリンピックの年に開催しています。
 
城崎温泉 あさぎり荘                      みんないい顔してます
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司会は4年まで在学したO君    代表幹事挨拶
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物故者が15名、男性が13名と大半を占めています。
高度経済成長のまっただ中、体を酷使したのかストレスかはたまた不摂生によるものか、団塊男子は辛いのです。
 
代表幹事の挨拶・・
「団塊世代のトップバッターとして学校は寿司詰め、受験も就職も競争に明け暮れたような気がします。
年金を受給する世代になると年金問題が、医者にかかるようになると医療費問題、これから要介護世代になると介護問題が取り上げられ目の敵(かたき)にされています。
還暦を迎えたころは薄毛や白髪・皺やたるみなど外観を老化だと感じていましたが、最近膝・腰・肩などの運動機能障害と脳や内臓系の疾病が老化の本体であることを実感しています。
亡くなった友はすでに15名を数えます。
激動の昭和・変動の平成を懸命に生きて人生の仕上げの時期を迎える私たちです。
丈夫な体に育ててくれた両親やともに頑張った家族に感謝しつつ、何よりも頑張った自分を誉めてあげましょう。」
 
談笑風景                  「ふるさと」を歌う
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再会を期して万歳             二次会風景
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K君製作の名札を胸に40~50年前の写真と実物を較べ、ギャップの大きさを感じつつ面影を探します。
青春の思い出や家族のこと、体の心配事など話は尽きることはありません。
別室で行われた二次会も11時前まで続きました。
 
次回は4年後の「東京2020」、今日の日はさようなら、元気でまた会いましょう。
 
 

2016年10月20日 (木)

府中小中学校古希記念同窓会を開催します

6月に開催された豊岡高校18期同窓会に続き、小中学校の古希記念同窓会が1週間後に開催されます。
第○期や卒業生などと書かないのは、転校生も含めて関係したすべての友を対象とするからです。

案内文の一節にこう書かれています。

「古希は人生50年と考えられていた時代に、70歳を迎えられるというのは非常に稀(まれ)だという意味から、お祝いされるようになったと言われます。
激動の昭和・平成を懸命に生きて人生の仕上げの時期を迎える私たちです。
お互いの健闘をたたえつつ、少年少女時代の思い出や健やかな未来を語り合いましょう」
 
K君作成の横断幕
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参加者名札
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高校の時と同様、画家のK君が苦労してアルバムの写真から名札を作成してくれました。
こちらは小学校卒業時(12歳)の写真なので、さらにギャップがあり話題になることでしょう。
因みに伊佐屋君は当時では珍しいおかっぱ頭で、生意気にも胸にペンを挿していました。
 
同窓生109名、逝去15名、住所不明7名 案内状発送87名で出席は32名です。
 

<マイブログの府中小中学校関連の記事>
 
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2016年10月 4日 (火)

師を悼む

高校3年の担任で卒業後もおつきあいをいただいたK先生が急逝されました。
青蹊書院の主宰者池田草庵の集まりで急に体調を崩され、救急搬送されたものの間に合わなかったとお聞きしました。

20161004_105439_3先生と親しかった豊岡高校18期の仲間と葬儀に出席してきました。
祭壇からいつも通りの先生が笑顔で迎えてくれました。

教員時代から平和を尊び社会正義を守る活動を実践され、卒業後は地域に親しみ、地区の子供たちと交流を続けられているとお聞きしていました。

 

直近では9月11日に「安保関連法制定1周年集会」でお会いし、挨拶すると、「この間の同窓会ありがとう!楽しかった!」と返していただきました。
お歳は召したもののお元気そうで例によって「平和遺族会」の幟を持って、前列付近で行進されていたのが印象的でした。

親族のご挨拶で、弟さんから先生の生い立ちや人となりをお聞きしました。

「満州事変で当主が戦死され跡継ぎがなかったご母堂の実家の姓を継がれたこと。」「子供時代から本が好きで、よく勉強されていたこと。」

「高等小学校を卒業するとき、学校から3度に渡って旧制豊岡中学校受験を勧められ、成績の優秀さと向学の心に、「家格」や資金を気にされながらも父上が進学を決断されたこと。」

戦後の学制改革で、移行した豊岡高校を卒業され広島大学(旧広島高等師範学校)に進まれ、卒業後教職に就かれたこと。
愚直と言えるほどの性格で争いを好まず、名利を求めず不器用に生きられたことなど、先生の人となりを偲ぶことができました。

中国侵略の端緒となった満州事変で義父を失ったこと、豊岡中学校在学時に学徒動員作業で6人の友を失ったこと、戦後間もなく被爆地の広島大学で学ばれたこと、軍国主義教育の反省からの民主教育への強い志などが、平和を尊び生涯をかけて実践された活動の原点だったように思えます。
戒名の4文字の中に先生がなにより求められた平和の「平」がありました。

3年9ホームの担任とししてだけでなく、卒業後もUターン後もいろいろお付き合いいただきました。
名利を求めず生涯かけて平和と社会正義の実現を目指してこられたことに敬意を表しつつ、お酒好きで話し好きだった先生の在りし日の姿を偲びつつお別れしてきました。

<マイブログのK先生関連の記事>
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