但馬物語

2026年6月30日 (火)

夏越しの祓 茅の輪くぐり(再録)

  • 今日は6月30日、いくつかの神社で「夏越しの祓」が行われることでしょう。
    13年前の2013年(平成25年)6月30日のブログに女代(めしろ)神社で行われた神事を載せています。この行事は2007年(平成19年)に復活されました。

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    豊岡市九日市にある女代(めしろ)神社は、由緒ある式内社で円山川と出石川の合流地点に鎮座されています。
    ここでは、1年の上半期の最後の日に夏越しの祓(なごしのはらえ)行事が行われます。
    平成19年に40年ぶりに復活した伝統行事で、大屋川河畔で刈り取られた茅ガヤで編まれた輪を、「茅の輪くぐり」の歌をうたい、左・右・左まわりの三回くぐることによって半年間に犯した罪や穢れを取り除き、新しく生まれ変わるといわれています。(写真は2012年撮影)

    祓いの祝詞奏上          穢れを移した人形(ひとがた
    )                
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    茅の輪くぐり
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    12月の晦日(みそか)に行われる祓いは大祓いと呼ばれ、1年の穢れを祓って新しい年を迎えようという行事ですが、夏越の祓は1年の前半が済んだところでその半年の間に、身に付いてしまった穢れを祓うという意味があるそうです。
    毎年6月の最終日曜に開催されるとのことで、今年は30日が日曜となりました。
    茅の刈り取りや輪の編み込みなどたいへんな作業ですが、「暮らしの中で生きる伝統行事」として引き継いでいってもらいたいものです。

    『茅の輪くぐりのうた』

<左回り>
思うこと皆つきぬとて麻の葉を
    きりにきりても 祓いつるかな
<右回り>
水無月のなごしの祓いする人は
    千年のよわい 伸と云うなり
<左回り>
宮川の清き流れにみそぎせば
    祈れることの 叶わぬはなし

 

  

2026年5月20日 (水)

希望の城-三木城・水生城合戦物語

同じ国府地区の住人、米田千明さんから著書「希望の城-三木城・水生城合戦物語」を恵贈いただきました。
横帯に「織田信長が率いる羽柴秀吉軍が播磨屋但馬へ勢力を伸ばしていた時代。歴史の陰に埋もれた、名もなき武士たちにも命がけの攻防があった。戦いに翻弄される男たちは、何に希望を見出したのか。」と書かれています
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織田信長は畿内平定を進める過程で、中国地方の覇者である毛利氏と対立します。天正5年(1577年)に羽柴秀吉に命じ、毛利輝元の勢力圏である山陽道・山陰道に進攻しました。

この作品には、「三木の干殺し」として兵糧攻めで知られる播磨「三木合戦」の悲劇とともに、毛利方の要衝鳥取城攻めの前に、但馬の反織田勢力の拠点となる水生城を攻める織田方の羽柴秀長軍と、迎え撃つ但馬勢の決死の覚悟の戦いが、敗者側の視点から生々しく描写されています。

播磨の三木城を落とした秀吉は、羽柴秀長に但馬侵攻を命じます。秀長軍は途中の城を落とし、水生城に迫り激戦が繰り広げられます。
毛利主力との闘いに備え、力攻めだけでなく調略を持って但馬を平定しようとする秀長と、地元を守ろうとする城主たちとその支配下の領民の葛藤が描かれています。

織田方の占領した村々にたいする残虐行為と脅しに領民は震え上がります。戦いが不利な現実を見せられ悩み迷った末に、反織田の中心となる垣屋豊続の領民は、城主の家族を襲い反乱を起こします。地元領民の思わぬ反攻を受けた水生城の豊続は、ついに織田方に下る決断をしました。

当然のことながら、降った城主たちは、鳥取攻めの先頭に立って戦わされます。
鳥取城でも、秀吉による「渇え殺し」として伝えられる凄惨な場面が繰り広げられます。

物語の最後に三木城の戦いで生き残った地侍兄弟と鳥取城攻めに嫌気がさし戦いを離れた但馬の城主たちが、城崎で出会い新しい温泉発掘にチェレンジします。
この子孫たちが後世の城崎温泉の中心的な役割りを果たし、温泉の繁栄へと繋がっていきます。
本のタイトルがなぜ「希望の城」なのか?絶望的な状況下でも「信念を貫き、次世代へ何かを繋ぐ」ことに希望を見出したのではないでしょうか?

一介の歴史好きの素人である作者が、図書館等で中世の歴史を学び、地域性を加味しながら想像力を働かせて物語にする。敗者となった播磨と但馬の視点から書かれた読みやすい本でした。


 

2026年5月17日 (日)

植村直己冒険館とユリノキ

植村直己冒険館の入り口にユリノキが並んで植えられています。日本では別名半纏木(はんてんぼく)と呼び、英語でチューリップツリーといわれます。葉が半纏の形に似て、チューリップのような花を咲かせます。
面白いもので日本では葉の形で名付け、英語では花の形で名を付けています。「チューリップポプラ」とも呼ぶそうで、こちらは花も葉も両方表現しています。

冒険館の並木道 & ユリノキの花
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半纏に似た葉 & チューリップに似た花
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ユリノキにまつわるお話しがあります。2004年の10月20日、台風23号で由良川が氾濫し、北陸旅行から帰る途中の観光バスが水没して、但馬の乗客ら37人が濁流渦巻くバスの屋根で一夜を明かして助かりました。
バスが流されるのを防ぐため流れてきた竹竿と運動靴の紐で結んだのが、由良川沿いに植えられた街路樹ユリノキでした。この話は童話「バスの屋根の上で」にもなりました。

その後乗客の方々は、互いに励まし助け合って、恐怖や寒さなど極限の状態を乗り越え、37人が誰一人として命を落さず助かりました。この体験を語りつごうと、 学校や地域で経験を報告されています。

 

 

2026年2月 7日 (土)

街とともに歩んだ映画館 豊岡劇場

Img_20260208_0001北兵庫最後の映画館豊岡劇場の見学です。主催は豊岡市立歴史博物館です。

「豊岡劇場」(通称:豊劇)は1927年(昭和2年)に創業した地域唯一の映画館です。
2012年に一旦閉館しましたが、2014年にリノベーションを経て再開。その後、コロナ禍による休館(2022年8月〜)を経て、2023年3月25日に営業を再開しました。

閉館の理由はレンタルがビデオからCDへ移行したように、アナログなフィルムからデジタルディスクへ移行するための巨額の投資ができなかったことでした。休館はコロナ禍による観客の急激な減少が原因でした。

その後「一般社団法人豊岡コミュニティシネマ」による運営が決まり、「みんなでつくる、みんなの豊劇」をコンセプトに、映画文化と地域コミュニティの拠点を目指しています。

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大シアター & 小シアター
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バックヤード (映写室 & 客席用をのぞく小窓)
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昭和の機材も展示
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上映中の国宝のポスターと幟
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ロビー & フィルムリールを加工したシャンデリア
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豊岡劇場は1989年頃に閉館した有楽館と並んで、当時の映像文化を代表する施設でした。中・高校生のころから隣の日高町から足を運んだものです。
マイブログに何回か記事を書いています。  ↓ クリックしてご覧ください。

●2012年3月16日 (金) 「豊岡劇場 3月末閉館です」

●2014年8月11日 (月 「豊劇新生プロジェクト」

 

 

 

2025年5月28日 (水)

ユリノキが満開です

日高町にある「植村直己冒険館」の玄関から奥へと続くユリノキが満開です。

冒険館 & ユリノキ並木
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花(チューリップに似た形)
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葉(半纏:はんてんに似た形)
P5270257葉の形から和名「ハンテンボク」、花の形から洋名「チューリップツリー」と呼ばれます。モクレン科の落葉高木です。

2004年の10月20日、台風23号で由良川が氾濫し、北陸旅行から帰る途中の観光バスが水没して、但馬の乗客ら37人が濁流渦巻くバスの屋根で一夜を明かして助かりました。バスが流されるのを防ぐため流れてきた竹竿とバスのカーテンで作った紐で結んだのが、由良川沿いに植えられた街路樹ユリノキでした。この話は童話「バスの屋根の上で」にもなりました。



  

2025年5月25日 (日)

北但大震災 写真集

北但大震災の記録として大正14年に大阪毎日新聞社が発行した「但馬丹後震災画報」が残っています。知人から見せてもらった記事の一部を紹介します。

表紙
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地蔵湯から見た城崎町市街地 & 豊岡小学校に集まった被災者
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震源地は城崎町近くの「田結地区」で、城崎温泉、豊岡市街地に被害が集中しています。記事には「・・・・死傷者八百余名、倒壊焼失家屋三千七百、豊岡町城崎町は殆ど焦土と化して全滅し・・・ただに地方的災害であるのみならず、関東大震災に次いで日本が受けた第二の大災害であったと云える。」と書かれています。

日高町は震源地から離れていて大きな被害はなく、我が家の土蔵の壁にひびが入ったと当時10歳だった父が話していました。

 

 

2025年5月24日 (土)

北但大震災 ボランティアの先駆け

今年5月23日で北但大地震100年を迎えました。100前にボランティア活動が行われています。
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1995の阪神淡路大震災で、住民同士の絆の大切さと今までにない形のボランティア活動が注目され、この年を「ボランティア元年」と呼ぶようになりました。

その先駆けともいえるボランティア活動が当地の記録に残っています。
96年前の1925年(大正14年)5月23日に豊岡や城崎など北但一帯を襲った地震は、多くの家屋が倒壊・焼失し、多数の負傷者や死者が出ました。

旧制豊岡中学校(現豊岡高校)には、但馬各地から一年生から五年生まで、567人が在校していました。
地震直後から寄宿舎生約80名と鉄道不通のため帰宅出来なかった遠距離通学生たちが中心となって倒壊家屋の下敷きになった死傷者の救出や消火、家財の搬出など、通学生も併せてた190人が活躍し、知事から感謝状が贈られたことが資料に残っています。

北但大震災で救命・消火の最前線で活躍した生徒が、その後作文を残しています。

・学校運動場が炊き出し場所になったり、被災者案内が 掲示されたり、阪神大震災と様子が似ています。
・円山川改修工事に来ていた朝鮮人労働者による救援活動に感動し、高く評価しています。
 
(3年前の関東大震災で、「朝鮮人が火をつけた」「暴動をおこした」などの流言が飛び、罪もない人達が、民間の自警団に殺されたことから考えると、地方では人間同士の助け合う心が発揮されています)

鳥取高等農学校(現鳥取大学農学部)の学生たちが、寮生大会で支援を決議し、身近にある農具を持って、鉄道が不通区間は徒歩で支援に駆けつけました。 これは学校に無断で行動したことですが、学校側も不問に付しました。

平成16年10月台風23号により、豊岡市は大水害を蒙りましたが、このときも多くの方々の支援を頂きました。
災害自体は不幸なことですが、人がお互いを思い合うこと、そして助け合うことの大切さを教えてくれますね。

 

 

 

 

 

2025年5月23日 (金)

北但大震災 100年

今日5月23日で北但大地震100年を迎えました。
豊岡市を中心に大きな被害をもたらした北但大震災が起こったのが大正14年5月23日で午前11時10分した。
その後は台風被害はあっても、地震は阪神淡路大震災の震度5でもほとんど被害を受けませんでした。
「天災は忘れた頃にやってくる」(寺田寅彦の言葉とされる)こともあり、予知が全くと言っていいほどできない地震ですが、過去や歴史から学んでおきたいものです。

被災様子がよくわかる写真は 「venex1 さん」のブログをクリックしてどうぞ! → 「絵葉書に見る北但大震災
(上部左端の ← ボタンで元の記事に戻ります)

 



 

2025年3月27日 (木)

星のクライマー歌碑

植村直己冒険館に新たなメモリアルが誕生しました。
約40年前の2月、北米最高峰デナリ(旧マッキンリー)で亡くなった植村直己さんを称え、松任谷由実(ユーミン)さんが作詞した「星のクライマー」の自筆歌碑です。
場所は冒険館のユリノキ並木の中ほど、冒険館の中入り口付近です。
ステンレス製直径1mほどの大きさなので、うっかり見逃すこともあります。

冒険館入り口 & 歌碑
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ユーミン作詞自筆の歌碑 
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  新聞記事(朝日新聞ひょうご版 3月18日)
 20250320-075948
北米アラスカ州にある北米大陸最高峰を当時はマッキンリー(6190m)と呼びました。第25代アメリカ合衆国大統領の名を冠した山です。
その後アラスカ先住民の呼び名を尊重して、アラスカ州政府は「デナリ」として、オバマ大統領も「デナリ」と呼ぶように決めました。

ところがトランプ大統領就任直後、25代大統領の「マッキンリー」と改名を決めました。併せてメキシコ湾をアメリカ湾と変えました。
新大陸に移り住み戦争や買収で領土を広げ、片っ端から名をつけたアメリカと違って、日本では古来から伝わる名前を大切にしていて、伯耆の名峰大山(だいせん)を「石破山」とすることはないでしょう。  

 

     

2025年2月12日 (水)

2025 植村直己冒険賞に吉田勝次さん

第29回植村冒険賞に吉田勝次さん(58歳)が選ばれ、植村さんの出身校である府中小学校とのオンライン交流がありました。
吉田さんは、日本ケイビング連盟会長で「人類未踏の洞窟体験」活動が評価されました。
洞窟のことを英語で「cave」発音】kéiv【カナ】ケイヴと呼び、日本ケイビング連盟では、日本のケイビングの活性化と洞窟環境の保護のために、"ケイビングガイドの育成"、"洞窟レスキュー体制の確立"、"プロフェッショナルとしての活動"を行っています。
授賞式は6月7日に豊岡市で行われます。

吉田勝次 オフィシャルサイト ← クリック 
社団法人 日本ケイビング連盟 ← クリック

植村さんと言えば、1984年に消息を絶ったのが北米アラスカ州にある北米大陸最高峰マッキンリー(6190m)でした。第25代アメリカ合衆国大統領の名を冠した山です。
その後アラスカ先住民の呼び名を尊重して、アラスカ州政府は「デナリ」として、オバマ大統領も「デナリ」と呼ぶように決めました。

ところがトランプ大統領就任直後、25代大統領の「マッキンリー」と改名を決めました。併せてメキシコ湾をアメリカ湾と変えました。
新大陸に移り住み戦争や買収で領土を広げ、片っ端から名をつけたアメリカと違って、日本では古来から伝わる名前を大切にしていて、伯耆の名峰大山(だいせん)を「石破山」とすることはありません。

 

 

 

            

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