但馬物語

2022年1月27日 (木)

承久の乱 雅成親王

以前、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関連して、豊岡市日高町国府地区の「婆焼きまつり」を記事にしました。
承久の乱の後、破れた後鳥羽上皇は隠岐島、順徳上皇は佐渡島にそれぞれ配流されました。後鳥羽上皇の皇子の雅成親王(六条宮)、頼仁親王(冷泉宮)も但馬国、備前国へ配流され、雅成親王の但馬配流にまつわる史実を起源としているのが、婆焼き伝説です。

豊岡市高屋には宮内庁管理の雅成親王の墓所があります。
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後鳥羽天皇皇子

雅成親王墓

一、みだりに域内に立ち入らぬこと
一、魚鳥等を取らぬこと
一、竹木等を切らぬこと

宮内庁

雅成親王のお墓(宮内庁所管)

後鳥羽天皇の第四皇子で、土御門・順徳両天皇の皇弟にあたられ、六条の宮様と申し上げた方であります。
親王二十二歳の承久三年後鳥羽上皇の倒幕の挙(承久の変という)がありましたが、戦い利あらず、ついに上皇方は敗北され、敵側の大将北条泰時により父君上皇は隠岐に、親王は高屋の地に配流となったのであります。
親王は黒木の御所で三十年間灰色の日々を送られていましたが、建長七年(一二五五年)二月十日この地で五十七歳の生涯を終えられたのであります。なお親王の配所であった黒木の御所跡を示す碑が墓所の南前現在高屋厚生年金住宅の横に立てられています。

宮内庁管轄で今も「墓守」が指名され、私の中学3年生の担任M先生(故人)も当地の住人でもあり、その任にあたられたとお聞きしました。

雅成親王の墓所の場所 ← をクリックしてください。




 

 

2022年1月 7日 (金)

鳥追いと七草がゆ(豊作と無病息災を願う)

豊作と無病息災を願う、これが人の願いの原点ですね。

正月の期間を、松の内(まつのうち)と呼び、一般には7日までです。
七日の朝に食べる七種粥(あるいは、七草粥とも)が、松の内の最後の行事で正月飾りを片付けます。(浄土真宗の我が家では門松も注連縄も飾りません)

七草粥のいわれは、本来は無病息災・健康長寿だったのが、正月のご馳走で酷使した胃をいたわり休ませる説が有名です。
と同時に「鳥追い行事」の意味もあるとされます。
子供の頃、父が菜を刻む時、まな板を叩いて大きな音をさせ、「唐土(とうど)の鳥が、日本の国に渡らぬうちに七草そろえ・・・・・と唱えていたのを覚えています。
害鳥を追い、疫病が流行せぬことを願った厄除けの一種でしょう。

香住の長井村出身で島根大学教授でもあった農学者 榎勇氏著の『北但馬 ムラの生活誌 昭和初期の歳事と民俗』に「鳥追い」(1月6日)と「七草」(1月7日)として当時の長井村の様子が記されています。

榎勇氏著 「北但馬 ムラの生活誌」
P1080007この本は544ページに及び、「戦前の農業や農家の生活を実際に体験し、かつ農学の研究者でもあるという稀な経歴をもつ著者が、生まれ育った北但馬(兵庫県)のムラの一年間の農家にまつわる歳事と民俗を綴った貴重書。多数の写真と図版を付す。」と紹介されています。著者は昭和4年生まれ、昭和22年生まれで同じ城崎郡に育った私にとって、農・食・歳事・遊びなど体験したほとんどが詳しく記載されていて勉強になります。

七草粥は有名ですが「鳥追い」は余り知られてないので、Wikipediaで調べてみると・・・
七種は、前日の夜に俎に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れる。囃し歌は鳥追い歌に由来するものであり、これは七種粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられている。
歌の歌詞は「七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ」など地方により多少の違いがある』 と記されています。どうやら前夜に菜を叩いて鳥を追い、翌日粥を食べたようです。

春の七草は「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ、これぞ七草」と覚えました。

 

 

  

2021年12月12日 (日)

写真集「但馬の100年」が出版されました

明治から大正・昭和の時代の但馬の写真集が「樹林社」から出版されました。
但馬全域から募集して各地域・項目ごとに選ばれた写真アルバムです。

この本の紹介・目次は、樹林社「写真アルバム但馬の百年 ← クリックしてください

予約販売チラシ
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写真アルバム「但馬の100年」
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府市場昔話同好会提供写真の一部
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写真数は600枚、値段は9,990円です。
限定1,500部で相当数予約があったそうですが、幾分残数があるので近くの書店で買えるでしょう。

府市場区も昭和の終わり頃に壮年有志が集まって、「府市場昔話同好会」を立ち上げ、ふるさとの歴史を掘り起こし記録しました。
平成7年には区内から思い出の写真を募集し、「匂うふるさと写真展」を開いたことがありました。私が同好会事務局を担当していたので、その記録アルバムを樹林社に提供しました。

「府市場昔話同好会」も会員が亡くなったりして事実上の解散状態ですが、この時の記録が役に立ちました。
府市場公民館には、区民なら誰でもにいつでも申込なしで利用できるの交流スペース「なごみの部屋」があります。
活動の残金が残っていて、写真集「但馬の100年」を購入し、この部屋に設置されているれている「府市場昔話文庫」に納めることにします。

なごみの部屋 & 府市場昔話文庫
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2021年9月 9日 (木)

「いずし時の記念日」 Ⅱ

記念行事には新聞社やテレビ局・市広報の方々がいっぱい集まっていました。
観客は密を避けるため4人が1組で見学します。
それぞれの班にテレビクルーが付いて撮影します。

テレビクルーに新聞社 & 開場記念太鼓
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いざ辰鼓楼へ & 望楼で城下の説明
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南:有子山・出石城方向 & 東:入佐山方向の町並み
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西方向の町並み & 電気時計装置
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振り子式時計の穴(最上階) & 1階から上を見る
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機械式時計のゼンマイ & ずっしり重い2個の錘(おもり)<2017年撮影>
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通り札と辰(とき)のしずく
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「いずし時の記念日」に辰鼓楼への来訪記念として、時間まで書かれた「通り札」と、菓子舗「湖月堂」さんが考案された「辰(とき)のしずく」が配布されました。
時計の台紙を置き、大手門のシンボルである松と鯉をあしらった上品かつ涼やかな水菓子です。

NHKテレビ放送「ふるさと兵庫」より
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P9090005 コロナ禍で昨年今年とがまんの時ですが、辰鼓楼をテーマに新たな観光行事が増えました。
これから毎年9月8日になると、「いずし時の記念日」として記念行事が催されることでしょう。


 

 

 

 

 

    

 

2021年9月 8日 (水)

「いずし時の記念日」 Ⅰ

P9080001_20210909084101 年間70万人の観光客が訪れる城下町出石のシンボル「辰鼓楼」にまつわるお話しです。
今年が1981年(明治14年)から時を刻み続けて140年となるのを記念して、9月8日を「いずし時の記念日」の記念行事が行なわれました。

社団法人日本記念日協会」によって認定され、9月8日は出石も含めて18の記念日があります。
この種の記念日は何かを始めたなど縁を根拠にするか、「くわの日」のように語呂合わせのどちらかです。

私が知ったのが8月24日、NHKの「マイあさラジオ」で、出石観光協会事務局長の加藤さんのレポートを聞いたからです。
明治14年札幌時計台と同年に機械式の時計が設置された(初代オランダ製 )が知られていて、「日本最古の時計台」が辰鼓楼の売りでもありました。
  
せっかくなら時を刻みだした日を確定したいとの思いで、当時この場所にあった弘道小学校の記録を調べたところ9月8日との記録が見つかりました。
札幌時計台は8月12日の開設と分かっていて、遅れること27日、出石は日本最古とは言えなくなったのです。

ここでがっかりすると思いきや、140年も経つと日計算より年が大事とばかりに、「日本最古」に「年」を入れて、「日本最古年の時計台」に切り替えたのです。

2番目と分かって「余計なことして・・」「そこまで調べなくとも・・」の声もあったようですが、転んでもただで起きませんでした。
その結末が、9月8日を「いずし時の記念日」として制定し、毎年辰鼓楼のPRと記念行事を行なうというものでした。

ところで、辰鼓楼は2017年に「平成の大修理」が行なわれました。

工事の様子は ↓ をクリックしてご覧ください。戻るマーク(←)で元の記事に戻ります
6月の「平成の大修理」
10月「平成の大修理 第4回見学会」



 

 

 




2021年5月25日 (火)

北但大震災 ボランティアの先駆け

阪神淡路大震災で、住民同士の絆の大切さと今までにない形のボランティア活動が注目され、95年を「ボランティア元年」と呼ぶようになりました。

その先駆けともいえるボランティア活動が当地の記録に残っています。
96年前の1925年(大正14年)5月23日に豊岡や城崎など北但一帯を襲った地震は、多くの家屋が倒壊・焼失し、多数の負傷者や死者が出ました。

旧制豊岡中学校(現豊岡高校)には、但馬各地から一年生から五年生まで、567人が在校していました。
地震直後から寄宿舎生約80名と鉄道不通のため帰宅出来なかった遠距離通学生たちが中心となって倒壊家屋の下敷きになった死傷者の救出や消火、家財の搬出など、通学生も併せてた190人が活躍し、知事から感謝状が贈られたことが資料に残っています。

北但大震災で救命・消火の最前線で活躍した生徒が、その後作文を残しています。

・学校運動場が炊き出し場所になったり、被災者案内が 掲示されたり、阪神大震災と様子が似ています。
・円山川改修工事に来ていた朝鮮人労働者による救援活動に感動し、高く評価しています。
 
(3年前の関東大震災では、「朝鮮人が火をつけた」「暴動をおこした」などの流言が飛び、罪もない人達が、民間の自警団に殺されたこと  から考えると、地方では人間同士の助け合う心が発揮されています)

鳥取高等農学校(現鳥取大学農学部)の学生たちが、寮生大会で支援を決議し、身近にある農具を持って、鉄道が不通区間は徒歩で支援に駆けつけました。
 これは学校に無断で行動したことですが、学校側も不問に付しました。


平成16年10月台風23号により、豊岡市は大水害を蒙りましたが、このときも多くの方々の支援を頂きました。
災害自体は不幸なことですが、人がお互いを思い合うこと、そして助け合うことの大切さを教えてくれますね。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

2021年5月24日 (月)

但馬丹後震災畵報 Ⅱ 號外

「但馬丹後震災畵報」とは別に、Kさんは新聞号外も保管されていました。
発行者は「大阪毎日新聞社」発行日は震災の翌日5月24日で、第2號と第3號と併せて3紙面です。

Kさんのお母さんが、大阪出身で但馬に居を移された時、畵報と一緒に持ってこられたそうです。
震災当時は子供だったのと被災者ではありませんが、縁あって但馬に住まわれるので大阪の実家の両親が持たせたのでしょう。
これも当時を知る貴重な資料です。

號外1號と2號
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         號外3號
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2021年5月23日 (日)

但馬丹後震災畵報 Ⅰ

円山川河口付近を震源とする「北但大震災」が起こったのが大正14年5月23日、今年で96年を迎えました。
当時の豊岡町・城崎町を中心に死者420名、全焼約1,700戸、全壊約800戸という大きな被害をもたらしました。
「畵報」には、「(前文省略)・・最初の大振動と共に城崎では百二十四戸、豊岡では一千五百八十三戸を焼き、両町はまったく全滅してしまったのである」と記されています。

翌5月に写真集「但馬丹後震災畵報」が、大阪毎日新聞社から発行されています。
(畵は画の旧字体)
代々府中郵便局長を努められているKさんからお借りしてきました。

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豊岡小学校校庭に集まった避難者の群れ(右奥建物は旧制豊岡中学校本館?)
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地蔵湯付近から眺めたの城崎温泉
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「天災は忘れた頃にやってくる」(寺田寅彦の言葉とされる)こともあり、予知が全くと言っていいほどできない地震ですが、過去や歴史から学んでおきたいものです。
「災害の記憶を風化させることなく、防災・減災対策に生かす」として、例年開催されていた「北但大震災メモリアル写真展」も緊急事態宣言発令で中止されました。
(この写真展でも、「但馬丹後震災畵報」の写真が多く使用されています)

なお、「但馬丹後震災畵報」は、豊岡市立図書館に保存されているのと、国立国会図書館にも保存されています。
写真展で見られないなら・・・・・・

国立国会図書館デジタルコレクション 「但馬丹後震災畵報 をクリックして検索してください。
62コマ全部が見られます。URLは https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/967851 











 

 

   

2021年3月31日 (水)

城見と花見 竹田城

孫2君は歴史好きで、小学低学年から我が家にある「漫画日本の歴史」全14巻を何度も読み返し暗記するほどです。
そんな彼が望んでいた「竹田城跡」の見学が叶いました。
登城料して大人と高校生500円、中学生は無料です。
ラッキーなことに3月31日までは中学生扱いです。

大手口 & 北千畳から二の丸へ
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天守台から南千畳播州方面 & 本丸付近の満開桜
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南から天守台方向 & 満開の桜
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ミツバツツジ & クロモジの花
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満開の桜が迎えてくれました。
平日でもありコロナ禍で、観光客はさほど目立ちませんでした。

「天空の城」と呼ぶ所以は → マイブログ 「天空の城 秋の竹田城跡」をクリックしてご覧ください。
左端の戻るボタン(←)で元の記事に戻ります。




  







2021年3月26日 (金)

大空がバックの空港ピアノ

自宅近くのコウノトリ但馬空港ロビーに、営業時間内なら誰でも自由に弾ける「空港ピアノ」が設置されたと聞き、帰省中の孫1ちゃんと孫2くんと一緒に出かけました。

ちょうど背景の壁紙を貼り替えていて、少し待つと工事も終わり、ニューバックで初演奏をさせてもらいました。

大空がバック & 工事完了写真
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音楽が得意な孫2君 & 孫1ちゃんも参戦
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我が家にも妹が購入したピアノがあったのですが、半世紀が過ぎネズミに囓られたりして、「〇〇ピアノ」さんに下取りしてもらいました。
孫1ちゃんは昨年高校合格、孫2君は中高一貫なので自動進学、どちらも余裕の里帰りです。

孫2くんは小学生の頃からピアノを続けて、音楽は満点をもらっていました。
孫1ちゃんも音楽好きで、高校は軽音学部に入部しました。
爺ちゃんは音楽が苦手で音符もろくに読めません。
二人の孫は小学校教員だった婆ちゃんに似たのでしょう。

 

 

 

 

 

  

 

   

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